日本は言霊(ことだま)の国といわれる。Wikipediaによれば、「声に出した言葉が現実の事象に対して何らかの影響を与えると信じられ、良い言葉を発するとよいことが起こり、不吉な言葉を発すると凶事がおこるとされた。そのため、祝詞を奏上する時には絶対に誤読がないように注意された。今日にも残る結婚式などでの忌み言葉も言霊の思想に基づくものである」と書かれている。
さだめし、麻生首相の度重なる漢字の誤読は、単なる誤読などではなく、この言霊の天罰が災いして、支持率の急激な低下をもたらせたものと信じられる。このことについて、無頓着(単なる誤読としてシラを切りとおしていること)を決め込んでいる首相は、言霊に対する真摯な反省のない限り、今後とも災難が継続するものと思われる。
この言霊信仰のお陰で、過去の日本の歴史において不都合なことが頻出した。例えば、太平洋戦争で「敗戦」が確実になっても、「負けるかもしれない」という不安を述べただけで、非国民扱いされ、実際に負けた場合の対応を取らせなかったことなどがある。言霊信仰は将来を楽観させ、都合のよいことのみを考えさせ、実現させるプラスの面もあったが、マイナス面も結構あったのではないか。
自分自身のこれまでの人生においても、この言霊に対する信仰心は厚かった。日本人の本能なのか、身体の奥深く遺伝子に組み込まれているのか、悪い言葉は自分に悪い結果をもたらせるものと信じてきた。過去の会社生活においても、悪い結果を予想することは極力避けたし、個人生活においても、いつも楽天的且つ楽観することを重視してきたのであった。それはそれなりに意義のあったことと評価している。
ところで、現在の自分は病気をかかえて生きている。そして、相も変わらず、悪い結果など、なるべく考えないようにしている。すなわち、言霊を信奉して、悪い結果の可能性については、出来る限り、思わず、語らず、避けている。これが吉と出るか、凶と出るかは分らない。しかし、しばらくは成り行きに任せて、現状を是認して生きていく予定である。
また、その後、自分の病気の結果の先行きについて、悪いことを考えない、くよくよしないために大変良い方法を思いついて実行している。それは、前総理福田康男氏からの借用である。すなわち、自分のことであっても、素知らぬ顔をして、他人事を決め込むことである。もし、自分の病気のことでくよくよと深みに嵌りそうになったら、すかさず「あなたとは違うんです。私は客観的に物事が見えるんです」と言って、にやっと笑って、その場から足早に退場するのである。一度で効かなければ、大きな声で二度言えばよい。直ちに言霊効果を誘発して、その病気は自分のことではなく、他人のことのように思えてくるから不思議である。
最後に、大抵の場合、男として生まれたからには、死ぬまで歯を食いしばって頑張るのが、わが国の成人の美徳であった。しかし、最後まで頑張りきることは、大変に辛い、しんどいことでもある。しかし、安倍元総理、福田前総理が続いて、「そんなこと、必要ないよ」とばかりに、見事な模範を見せてくださった。お陰さまで、老いた日本人の将来のストレスが大いに緩和された。死にかけた病人も、死ぬ思いで、いつまでも頑張らなくてもよいことを、率先垂範で示されたのである。ありがたいことである。


さだめし、麻生首相の度重なる漢字の誤読は、単なる誤読などではなく、この言霊の天罰が災いして、支持率の急激な低下をもたらせたものと信じられる。このことについて、無頓着(単なる誤読としてシラを切りとおしていること)を決め込んでいる首相は、言霊に対する真摯な反省のない限り、今後とも災難が継続するものと思われる。
この言霊信仰のお陰で、過去の日本の歴史において不都合なことが頻出した。例えば、太平洋戦争で「敗戦」が確実になっても、「負けるかもしれない」という不安を述べただけで、非国民扱いされ、実際に負けた場合の対応を取らせなかったことなどがある。言霊信仰は将来を楽観させ、都合のよいことのみを考えさせ、実現させるプラスの面もあったが、マイナス面も結構あったのではないか。
自分自身のこれまでの人生においても、この言霊に対する信仰心は厚かった。日本人の本能なのか、身体の奥深く遺伝子に組み込まれているのか、悪い言葉は自分に悪い結果をもたらせるものと信じてきた。過去の会社生活においても、悪い結果を予想することは極力避けたし、個人生活においても、いつも楽天的且つ楽観することを重視してきたのであった。それはそれなりに意義のあったことと評価している。
ところで、現在の自分は病気をかかえて生きている。そして、相も変わらず、悪い結果など、なるべく考えないようにしている。すなわち、言霊を信奉して、悪い結果の可能性については、出来る限り、思わず、語らず、避けている。これが吉と出るか、凶と出るかは分らない。しかし、しばらくは成り行きに任せて、現状を是認して生きていく予定である。
また、その後、自分の病気の結果の先行きについて、悪いことを考えない、くよくよしないために大変良い方法を思いついて実行している。それは、前総理福田康男氏からの借用である。すなわち、自分のことであっても、素知らぬ顔をして、他人事を決め込むことである。もし、自分の病気のことでくよくよと深みに嵌りそうになったら、すかさず「あなたとは違うんです。私は客観的に物事が見えるんです」と言って、にやっと笑って、その場から足早に退場するのである。一度で効かなければ、大きな声で二度言えばよい。直ちに言霊効果を誘発して、その病気は自分のことではなく、他人のことのように思えてくるから不思議である。
最後に、大抵の場合、男として生まれたからには、死ぬまで歯を食いしばって頑張るのが、わが国の成人の美徳であった。しかし、最後まで頑張りきることは、大変に辛い、しんどいことでもある。しかし、安倍元総理、福田前総理が続いて、「そんなこと、必要ないよ」とばかりに、見事な模範を見せてくださった。お陰さまで、老いた日本人の将来のストレスが大いに緩和された。死にかけた病人も、死ぬ思いで、いつまでも頑張らなくてもよいことを、率先垂範で示されたのである。ありがたいことである。


