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ユーさんのつぶやき

徒然なるままに日暮らしパソコンに向かひて心にうつりゆくよしなしごとをそこはかとなく書き綴るブログ

列車に轢かれた男の夢

2005-10-30 | 真夜中の夢
 昨夜見た夢は恐ろしい夢であった。
 ゆっくりと走る列車の前に立ちはだかる一人の男。列車は、一瞬、線路上の人に気付いたが、そのまま乗り越えて進む。急ブレーキの音。スローモーションの映画を見るように、一人の男がゆっくりと車輪の下に巻き込まれていく。急停止した列車から、運転士が慌てて降りてくる。列車の下を覗きこみ、巻き込まれた人体を引きずり出そうとする。奇跡的というか、車輪の下の人体はかすかに動いている。生きている! 一瞬、安堵感がよぎる。運転士はさらに人体を引き寄せると、その身体は、胴の上の部分が真っ赤になっていて首がない。何処かの医学書の解剖図で見たように、気管がポッカリと開いている。さらに、よく見ると、右腕も肩の付け根から切断されていて、真っ赤な血に汚れた切断面が生々しい。死体は、それでも生きているが如く、なおも残りの手足をゆっくり伸縮させている。断末魔のあがきだ。
 あまりの恐ろしさに自分は身体が硬直して目が覚めた。夢であった。まるで、自分自身が列車に轢かれたような戦慄と悪寒を覚えた。
 このような夢を見ると、夢を見ることの意味が益々分らなくなる。何かの警告であろうか? 起きている昼間には極めて正常な生活を送っている。そのような人間に対して、世の中には、このような不幸や危険もあるのだ、ということを警告的に知らしめているのであろうか? 
 大半の人間は、眠り込んでいる真夜中にしか狂気になれない。そして目覚める前にすべてを忘れて目が覚める。少しくらいの狂気は、人間が正常に生きていくための不可欠の解毒剤なのかもしれない。しかし、昨夜の夢は実に生々しい。真夜中の狂気を引きずったまま目が覚めたような気がしている。二度と見たくない夢であった。


兼好法師と対話した夢

2005-10-09 | 真夜中の夢
 兼好法師が夢に現れた。
「あんたは、最近ブログなるものをやっているそうだな?」
「はい」
「あんたは、ワシの書いた『徒然草』を読んでいるかい?」
「いいえ、でも中高年にも読んでもらおうと、私のブログでは『徒然草』を、若干、意識して書いています」
「年寄り向けか? ワシの『徒然草』にも、お年寄りのことを、少し書いたところがあるんだが、それは読んでいるかね?」
「いいえ、どんなお話ですか?」
「知らないことを、年配の者が得意顔に言い聞かせるなんて、若い人が、そうではないと思いながら聞くのは、本当につらいことなんじゃが、とね」
 兼好法師は、それだけ言って、すっと姿を消した。夢を見ていたのはここまでだ。続いて、寝覚めた後のお話。
 そんなこと言われたって、こちとらは「徒然草」なんて、大学受験以来すっかりご無沙汰だ。おかげで、朝から「徒然草」を勉強する羽目になった。確かに該当する記事はあった。「徒然草」第168段だった。
 ここで弁解しておけば、当方のブログの主旨は、決して、若い人に説教することを意図したものではない。同輩、又はご年輩の方々に、少しでも元気を出してもらい、また、昔の会社生活のことでも思い出して、何かを考えてもらう切っ掛けにでもなれば...と、その一念で書いている。
 「徒然草」には少しあとの第172段にも、老人についての記述があるのを見つけた。曰く、
 「年取った人は気力が衰え、心が淡白で執着がない。感情的にも動かない。心が自然と静かなので、無益なことをせず、身をいたわって心配事がなく、他人の迷惑にならないように考える」
 「ふむ、ふむ」と肯くことがある。そうは思っても、一部には「ホントかね?」とも考える。年取った人が何歳からかの定義はない。少なくとも、「気力が衰え..」などと言われると、心外なお年寄りも多かろう。心に執着があり、淡白でもなく、感情的に動き回り、要らぬ心配や無益なことばかりして、他人に迷惑をかけっぱなしのご老体も多い。
 個人的には、年寄りとしてはその方が良いと思う。今度、同じ夢を見たら、兼好法師には次のように反論するつもりだ。
「兼好法師さん。世の中は、すっかり変わっていますよ」
「年を取っても、型に嵌まらずに、したいことを、したいようにすることが健康と長寿の秘訣になっているみたいです」「早く、改訂版、出してくださいよ」とね。

※「徒然草」の現代語訳について、荻野文子著「下手な人生論より徒然草」(河出書房新社)を参考にしました。


外国の田舎町を徘徊する夢

2005-09-21 | 真夜中の夢
 ここは外国だ。アメリカの田舎町のようだ。日本人が大勢、広場に集合している。団体旅行者だ。自分もその一員のようだ。一同、引率者に向かって、年代ごとの列に分かれて並んでいる。自分はどの隊列にも属さずに少し離れて立っていた。年代別ということに何か引っかかるところがあって、集団に溶け込めないで居た。これを疎外感と言うのだろうか?などと考えていると、突然、解散になって、人々は思い思いに散り始めた。みんな一緒に食事するとのことだった。近くの建物に移動するらしいが、自分はその場所を聞き取っていなかった。周りの人に聞くのも億劫だった。いつものように自分は知ったかぶりで先頭に立って一人脇道に入った。暫く歩いて振り返ると、何と後ろには誰も付いて来ていなかった。仲間から外れた自分を発見してからも、「オレはオレだ」と意地を張って、そのまま歩き続けた。他方、他の人たちは、どの建物に入ったのだろうか?早く合流してやらなければとも考えつつ、とあるビルの窓から中を覗き込むと大勢の日本人が、がやがやと騒いでいるのが見えた。良かった。皆、ここに居るじゃないかと思った。そっと中に入っても、誰一人自分に気付く者は居ず、三々五々に談笑中であった。どのグループも突然の闖入者には敷居が高くて、話に首を突っ込む余地がなかった。どうも旅行仲間とは違う雰囲気で、間違って全く別の集団に入ったような気がした。自分は完全に無視されているようにも感じた。居たたまれない気分に襲われて、再び、自分はその場を離れて、町の中へとさ迷い出た。初めの場所からは随分遠くまで来たような気がした。食事くらいなら、何も一緒にしなくたって自分一人で出来るぞと思いながら歩いていた。横文字のレストランのサインが見える。一人で入ろうかとも思ったが、仲間が別の場所で楽しく食事している最中に、自分だけたった一人で食事するのも気が引けた。なおも歩き続けるが、現在歩いている場所が何処か分らなくなっていた。何処から来たのかも分らない。モトへ戻る道も見当がつかない。今、ここで、さ迷い徘徊している自分は一体何処の誰なのか? 一方で、自分は淋しいのだ。孤独を感じる。何とも言えない不安を感じつつ、目が覚めて分った。夢であった。
 後味の悪い夢だった。これは現在の自分の心境を物語っているのか? ひょっとすると自分は仲間から脱落した一匹のハグレガラスなのか?プライドが高すぎて仲間と同じ行動が取れないのか?望みもしない孤高をナゼ維持しているのか?などと、寝床の中で考えていると、意外なことに思い当たった。これはアルツハイマー病本人の心境そのものではなかろうか?自分が何処に居るのか分らない。自ら異常と意識してもいないのに、それなりの理由があって歩き回らざるを得ない。時間の感覚もない。やたら孤独だ。帰属感がない。自分の家が分らない。自己を喪失していることすら意識されていない。
 まさか、自分が既にアルツハイマーになっているとはと思わない。ならば、自分の老後において、このことが現実にならないことを、ただただ、祈るだけだ。



浦島太郎の心境を味わった夢

2005-09-01 | 真夜中の夢
 何万平方米と言う広大な空地。人っ子一人居らず、不気味に静まり返っている。きれいに地ならしされた更地だ。しーんと言う音が聞こえそうなほどの静寂に包まれている。ここは、技術者と言われたツワモノどもが夢を育てた思い出の場所である。当時、視界を遮っていた巨大なコークス炉やタンク群、化学プラントなどの塔槽類は忽然と姿を消して、見渡す限り何もない。今朝方見た夢は、この空地の前に、自分一人が、竜宮城から帰った浦島太郎の心境で、ポツンとたたずんでいる1シーンに過ぎない。しかし、目が覚めて、布団の中で過ごした感慨の時間は実に長かった。
 その場所は、大阪の、昔は臨海工業地帯と言われた一角にある。思い出は40年ほど前に遡る。ここで、昼は昼勤、夜は夜勤と、時には24時間連続して石炭や石油にまみれて技術開発の仕事をした。自分は若き化学技術者であった。入社時の面接試験で、志望の動機は?と問われて、こう答えた。「現在は流体革命が進行中です。原料が石炭から石油に代わってきています。しかし、石油の寿命は長くて30年。石炭は300年。必ず石炭の時代に戻ります。当社には石炭の技術蓄積があります。自分はこれを維持し、さらに発展させたいのです」 今から思えば、はなはだしい見込み違いであった。しかし、当時は、自分なりの見識に基づいた、大いに自信に満ちた発言であった。
 ここで30数年働いた。技術開発に専念し、人の知らないノウハウや知見も多数開発した。充実した技術者生活を満喫した。しかし、30年後の結論は予想とは著しく違っていた。艱難辛苦を通じて勝ち取った技術開発の成果は、そのニーズがほとんどゼロになっていた。石油は枯渇することなく、代わりに石炭が世の中から駆逐されていた。
 このように考えると、25歳から55歳の人生の黄金時代を、まことにトンマなことで過ごしてしまった。この30年間のアウトプットで、自分や会社に直接的に役立っているものは何もない。アウトプットだけが価値あるものとすれば、自分は何もない人生を歩んでしまったことになる。
 寝床での感慨は続く。浦島太郎は玉手箱を貰って、結局は、老人になるためにのみ人生を歩んだのであろうか? いや違う。人生の価値は結果ではなく、プロセスにあると信じたい。浦島太郎は、可哀想な亀の命を助け、竜宮城で乙姫様と楽しく過ごした現在の、その瞬間、瞬間を最大限に楽しんで来たのだ。
 浦島太郎と違って、自分は55歳頃から人生を180度転回させ、経営コンサルタントの道を歩み始めた。少し早めに、第2の人生の舵を切った。それから10年。それなりの満足感と充実感の下で生きている。30年の空白があったなどとは、全く、考えていない。過去に中身の一杯詰まった30年の技術者生活を送ったので、あわよくば、さらに30年、現在の仕事を続け、人生のPH(ペーハー)を完全に中和させてから御名御璽としたい。自分の人生は、改めて10年前に始まったようなものだ。まだ10歳だ。小学校なら4年生だ。


いつもの大邸宅に住んでいる夢

2005-08-07 | 真夜中の夢
 自分が見る夢には典型的なパターンがある。常々、専門家に夢解きをお願いしたいと思っている。夢の意味が分れば、どれだけ毎日がすっきりすることだろうか。そのパターンと言うのは次のようなものだ。
 夢の中に現れる自分の住む家は、いつも大邸宅だ。その家は、毎回、異なっているが、共通点がある。広大な敷地に建った何百坪もある大邸宅である。自分はその家の主であることを誇りに思っている。普通の人は小さな家に住んでいるのに、自分だけが、このような大邸宅に住んでいて申し訳ないと思いつつ、誇りにも思っている。実は、外観はこのように素晴らしいのだが、家の中はといえば、全くの正反対なのだ。裏側の壁が崩落して青空が見えていたりする。障子や襖や扉なども、ガタガタで、反り返り、めくれ上がって、何ともひどいものである。内心、他人様に見えない部分は自分さえ我慢すれば、それで良いのだと思っている風情だ。背景となる家はこのようなものだが、その中で自分のとる行動は、夢見のたびに異なっている。今朝方、見た夢は以下のようなものであった。
 自分は、いつもの通り、廃屋のような我が家の内部を通り抜けて、屋上に出た。屋上からの見晴らしは緑豊かで素晴らしい眺めであった。この家の主である自分は、いつものように、何と幸せな人間なんだと思いつつ外回りを眺めていた。見ていると、近くの路上の水溜りに、大きなギンヤンマが一匹飛んできて、水辺にとまった。自分は、それを捕まえたいと思った。思った途端に、身体がふわっと浮いて、大空を遊泳して、一直線にトンボの居るところまで飛んで行った。トンボに手を差し出すと、トンボは身動きもせず、すんなりと手で捕まえることが出来た。トンボはいつの間にか2匹に増えていて、もう1匹は金色の色をした、これまで見たこともない種類のトンボであった。これも難なく捕らえることが出来た。自分のような不器用な人間に捕まるトンボが2匹もいて、今日は不思議な日だなと思った。よく見ると、2匹とも生まれたばかりで、外殻がぶよぶよであった。一瞬、可哀想なことをしたと思った。暫くして、逃がしてやりたくなった。そっと手を離すと2匹のトンボは、元気よく大空に向かって飛んでいった。折角の獲物が去って、手元には何も残らず、何とも言えない空虚を感じた。
 長々と書いたが、今朝方、見た夢はこれだけのことである。夢のトンボは何のシンボルであったのか? 人は、何のために、このような他愛のない夢を見るのであろうか? 夢を見るたびに不思議に思うのである。大邸宅の夢は他にも色々ある。一番多いのはトイレを探している夢だ。広い家だ。部屋を通り抜け、廊下を通り抜けて、行けども行けども、トイレが見つからない。やっと見つけたトイレは、先使用者が占拠していて使えない。占拠者が居なくても、足の踏み場もないほど汚れていて、使うのがためらわれる。じっと我慢しつつ、目が覚める。
 一体、このような夢に、どのような意味があるのか? 夢の不思議に打たれつつも、夢と現実の間には、隣接感がほとんどない。ひょっとして、夢とは何の意味もない、壮大なエネルギーのムダ使いではないかと思ったりする。


 

昼間の夢遊病の夢

2005-07-29 | 真夜中の夢
 夢遊病とは意識障害の一種で、睡眠中起き出して歩き回るなど、かなりまとまった行動をするにかかわらず、目が覚めてからそのことを思い出せないことを言うらしい。今朝、見た夢は昼間の夢遊病の話だ。
 今日の朝方は、夢の中でお医者と向かい合っていた。お医者は言った。「昨晩、何を食べましたか?」 これに対して、自分はどきんとした。何も思い出せなかった。医者はじれったくなって、「じゃあ、今朝は何を食べましたか?」 これに対しても、朝食は確かに取ったが、暫く考えても、何も思い出せなかった。
 夢としては、ただ、これだけのことで終わった。寝ている間に、無意識にしたことを思い出せないのは仕方ないが、自分は起きている間のことが思い出せない。目が覚めてからも、夢の中のお医者への返答を一生懸命に考えても、やはり、直ぐには思い出せないのだ。これこそ本当の意識障害と言うべきではなかろうか?
 寝覚の床で、さらに考えた。普段、日常の生活で、意識せずやっていることが如何に多いことか? 無意識だから、それらのほとんどは記憶にない。自分の将来のことも、他人への配慮のことも、何も考えないで毎日を生きている。ひょっとすると、自分だけではなく、多くの人が昼間から夢遊病の状態にあると言えるのではなかろうか?



エンドレスに走り続ける夢

2005-07-10 | 真夜中の夢
 夕暮れの中を走っている。いつの間にかすっかり暗くなって人の顔も判別できないくらいだ。走っているのは大きな観客席のある陸上競技場のトラックであった。走り始めたときには、大勢の人たちと一緒だった。それが、今ではすっかり数が減り、前を行く人も、後ろにいる人も、数えるほどになっていた。まあいいか。他人のことなど知るもんか、と走り続けていると、外野席のどこからともなく声が聞こえてきた。「アイツらは全員死ぬことが決まっているんだってね。いつまで走り続けるんだ?」 変なことをいうヤツも居るもんだと、自分は他人ごとのように走り続けた。「ところで、キミはもう何周、走ったんだ?」 突然、自分に問いかける声がはっきりと聞こえた。自分は答えた。「1年で1周だから、もう65周になるかな。いま66周目なんだ。まだまだ走るつもりだけど」と。その声はいぶかしそうに続けた。「一体、何のために走っているんだい? キミも死ぬと決まっているんだよ!」 自分はどきんとした。そんなことは考えたこともなかった。「トラックだから何周走ってもエンドレスだ。生まれたときから走っているんだ。外野席からうるさいこと言うなよ!」と怒鳴り返して、目が覚めた。
 つい先日、ある席で知合いから言われた一言。「キミのブログだが、どうも出口が見えないね。頑張っているのは分るがね」 この一言が妙に頭にこびりついていた。自分が現在やっている仕事はいつ終わるのか? 出口とは一体何なのか? 出口がないといけないのか? 目が覚めて、暫し、ぼんやりと考えている自分であった。


自分探しの夢

2005-06-23 | 真夜中の夢
 窓のない薄暗い部屋で会議が行われていた。会議室には数名の男が居た。同年代、同じ服を着て、同じメガネをかけていた。自分は議長をしている。顔がよく見えないので、一番端に座っている男に発言を促した。「すみません、初対面かもしれませんので、自己紹介してください」。男は答えた。「はい、ユーさんです」。自分はぎょっとした。自分と同名であった。順に名前を聞くと、全員が「ユーさんです」と答えた。「ばかな!」と思ったが、ありえないことでもないと思い、議事を進行させた。 「本日の議題は自分とは何か?です。皆さんの意見を言ってください」。 最初に発言した男は、「私の考えでは、自分なんてこの世には存在しませんよ。そこには宇宙があるだけだ。自分は宇宙の一部なんだ」と言った。初っぱなから、非常に哲学的な話であった。この発言があまりにも世離れしているので気楽になったのか、出席者は思い思いに発言を始めた。 「自分は周りの期待を想像して、その通り振舞っているだけです。まあ、言ってみれば役者ですよね」。「私も他人に良い格好をするため頑張っているだけだ。そこには本当の自分は何もないね」。「考えて見れば、私も普段から上司や家族の言うとおり動いているだけで、自分の考えたとおりにやったことなんて何もないなあ」。「本当の自分はもっと別のところに居るような気がして仕方ないんだ」「自分は自分だとは思うが、どうも最近の自分は本当の自分ではないみたいだ」「他人と違うことをするのが恐くてね」「一番分らんのは自分のことなんだ」などと、自己の存在や個性を実感できない発言ばかり、ポンポンと飛び出してきた。 「こいつら、本当の自分とは何か、何も分っとらんね」と、議長はがっかりした。しかし、果たして、誰が「理想の自分」と「目標の自分」と「現実の自分」との区別がつけられるのか? そう言う議長ですら、「本当の自分」とは、「理想の自分」のことか「現実の自分」のことか、その区別を意識して考えたこともない。議長は、一寸、赤面気味に、「ハイ、次ぎ?」と辺りを見回すと、一同は忽然と姿を消していた。 夢であった。目が覚めて暫く考えた。会議室には初めから自分しか居なかったのかもしれない。発言は全部、自問自答であったかもしれない。本当の自分とは何か? このツカミ所のない命題と、自分のことについて本当に何も分っていない自分の現実とに、暫し、憮然とした思いが残った。


出口のない夢

2005-06-02 | 真夜中の夢
 カーフェリーのような大きな船に乗っていた。船には車はほとんど乗っておらず、薄暗いがらんとしたフロアーに一人立っていた。船は別府港を出て、大阪港に向かって瀬戸内海を走っているらしい。今治か松山を経由して、もう直ぐ神戸港とのことだ。夕闇を背に船は減速を始めた。目的地の一つ手前だから自分はまだ船を降りる気はない。しかし、念のため出口だけは確認しておこうと、階段を上がって甲板に出た。甲板にも人気はなく、気持ちが悪いくらいだった。何も見えなかった。出口は何処かと手すりに沿って歩いた。甲板を一周したが、出口らしいものは何処にもなかった。自分一人だけが、幽霊船に閉じ込められていると気が付いて、ぞっとして目が覚めた。
 ほんの数秒で再び寝に入った。今度は、小学生の頃の娘二人と電車に乗っていた。京阪電車なのに、車体はJRで、電車の先頭の行き先表示には鞍馬と書いてあった。京阪電車には鞍馬行きなんてものはない。不思議だなと思ったが、娘二人と鞍馬山へでも遊びに行く途中だったらしい。走っていた電車は「伏見稲荷」という看板のかかった薄暗い駅に停まった。これもそんな駅は実在しないが、狐に騙されたような心地がして、ふらっとその駅に自分ひとりだけ降りてしまった。降りた途端、電車は発車した。娘二人は電車に乗ったままで、何処で下車せよとも告げていなかった。「しまった」と思って、直ぐに次の電車に飛び乗った。娘を迷子にしてエライことをしたと思った。走る電車の中から外を見ると、後から来たJRの快速電車がゆうゆうと自分を追い越していくではないか。「あれに乗っておればもっと早く娘達に追いつけるのに」と思ったが後の祭りであった。やきもきする中を自分が乗っている電車は人の気も知らずに,ただゆっくりと走り続けるのであった。
 この二つの夢は、連続する、ほんの数分の間に見たような気がする。二つの夢には、一見、何の脈絡もないが、多分、続いている一つの夢であろう。意識して頑張り続けようとする自分とは別に、出口や行き先も見えず、迷いながら歩く、もう一人の自分の姿が其処に居るような気がする。


広大無辺の夢

2005-05-11 | 真夜中の夢
 夢の中で、自分は白鷺になって空を飛んでいた。この白鷺は超能力を持っていた。オレは何でもできるのだ。そうだ、宇宙の果てが何処にあるか見届けに行ってやろう。そう思うや否や、白鷺は光の速度よりも早く宇宙の果てを目掛けて飛んでいった。何時間、いや何年、いや何100万年飛んだことか。白鷺はそろそろ宇宙の果てではないかと思ったが、もう一寸で宇宙の端にたどり着けるかも知れんと我慢して飛び続けた。ところが、どっこい、行けども、行けども、宇宙の向うには、さらに次の宇宙があった。大宇宙は切れ目がなく果てがなかった。100万年分を100万回飛んで、白鷺は最後の最後に諦めた。それでも、白鷺は我慢強かった。何にクソと考えた。空間の広大無辺には負けたが、時間では負けんだろう。今度は、時間で勝負だ。現在があり、その原因となった過去がある。その過去にはそれに先立つ過去があるはずだ。何処かで何かが始まらないと今があるはずがない。よし、何処まで行けば過去が尽きるのか、世の始まりの瞬間をこの目で見届けてやろう。自信に溢れた白鷺は過去へ過去へと時間を逆行して飛んだ。しかし、100万年分逆行しても、そこには過去の現在と言う今があった。それではと、白鷺は更なる過去へ、100万年分を100万回さかのぼった。やはり、何処まで行っても同じであった。白鷺は、時間についても、空間と同様、限界がないことを悟った。
 空間と時間の無限大の大きさを知って白鷺は身震いをした。白鷺が身震いした時、震えているのは白鷺ではなく、それを横で見ていたらしい自分であることを意識した。何だか怖かった。自分とは一体何なのか? 自分は今、宇宙全体の何処に在るのか? 全体から見ると無限小に等しい存在ではないか? もし在るとしても、それにどのような意味があるのか? この小さな地球の上で、あっという瞬間に生きて、自分は何をチマチマ、いらいら、あくせくしているのかと、覚めやらぬうつつの中で考えていた。


取消のない命令の夢

2005-03-27 | 真夜中の夢
 自分は、ある仕事集団に招かれて客人として、和室の大きな部屋で座り込んで会議に参加していた。今日は仕事師達の慰労日とかで、この後に宴会が行われるらしい。酒盛りの場所は隣の部屋だと言う。自分は、どうもその仕事師達の下請で仕事をしていたようだ。末席に座らされて、遠慮しながら、出すぎた真似をしないように振舞っていた。突然、中仕切りの襖が開け放たれて、全体が大部屋になった。隣の部屋に待ち構えていた一人の会社役員らしい人から、我々一同、舞台に上がれと命令された。どうも、記念写真か何かを取るらしい。我々は舞台に上がって横に並んだ。20名ほどいた。自分は遠慮して、一番はしに立った。正面を向いて、役員の次の指示を待った。役員は言葉を発した。「回れ右」。突然の「回れ右」は信じられなかった。自分はわが耳を疑いつつ、隣の人を見たが全員が素直に役員にお尻を向けて反対側を向いたのだ。自分も皆に引きずられて、わけも分からず「回れ右」をした。実は、役員は何かの勘違いをして間違った命令を発したのであった。役員は役所から派遣されてきた人らしく、プライドが高くて、自分から誤りを認めて、自分の出した命令を直ちに変更することが出来なかった。「回れ右」をさせられた連中もおかしいと思いながらも従順であった。誰一人文句も言わずに、次の命令を待っていた。役員は、全体が素直に自分の命令にしたがっているので、次の指示を直ぐに出すことをためらっていた。「連中は自分の部下か、あるいは、はるかに身分が低い下請の連中だ、まあ、いいか」と思っているようだった。元の状態に回復すべく、さらに、続けて「回れ右」を発すると、先の「回れ右」は一体何であったのかと、皆の批判が目に見えるようにも感じていた。暫く、そのままの時間が流れたが、役員は二度目の「回れ右」を発することなく、全員後ろを向いたまま記念写真が取られて終わった。自分は夢うつつの中で、このようなことは実社会では日常茶飯事に行われているのではなかろうかと、考えていた。


奔流に流される夢

2005-03-25 | 真夜中の夢
 其処は、昔、子供の頃住んでいた大阪の下町であった。何か不足なものがあって、軽い気持ちで家から外へ買い物に出かけた。道は舗装もしてない砂利道であった。雨上がりの後らしく道が濡れていて、所によってはちょろちょろと小さな流れができていた。足が濡れてはいけないと思って、水たまりのないところを選んで歩いていた。暫く歩いていくと、突然、水かさが増し、流れていた水は川の流れのようになってきた。足が流れに取られるほどになってきたので、他の通行人はどうしているかと見ると、水の流れる道の真ん中を避けて、短い草が生え少し小高くなっている脇道を進んでいるのが見えた。自分も水を避けて、そちらへ行こうとしたが、水かさはさらに増えてきて、足がすくわれるほどの急流になり、前へも横へも進めない状況になってきた。これはエライことだと、必死にこらえていたが、水が腰の辺りまで来るや、体がふわっと浮いて、水の流れるまま勢いよく下流に押し流され始めた。必死の抵抗もむなしく、さらに水かさが増え、水流が激しくなり、見る見るうちに道路の真ん中を、木切れや他の浮遊物に混じってドット流されていくのであった。ついこの前に見たスマトラ沖の地震でアチェの街路を津波が押し寄せて、木切れやあらゆる物体が押し流されてくる光景とそっくり同じであった。自分は必死に頑張って流れに抵抗しながら流されていた。どのくらい流された居たのか、ふと気がつくと道は分かれ道に来ていた。急流がぶつかる分かれ道の角には葉の多いこんもりとした大きな木が一本立っていた。初めはとても手が届かないと思ったが、必死になって手を伸ばしてみると不思議と自分の体はその木に近づいていくではないか。そして、やっとの思いで、枝の端にしがみついて流れから脱出することが出来たのであった。助かったのだ。九死に一生を得たのだが、夢の中で、このようなときには自分はいつも助かる運命にあるのだと、思って居る自分に気が付いた。
 

新幹線から飛び降りた夢(2004.2.5)

2004-02-05 | 真夜中の夢
 数時間後に新幹線で大阪から東京へ行く予定があった。何か忘れ物をしたような気がして、大阪駅から乗り込んだ列車(これも新幹線だった)の中で探し物を始めたら、あっと言う間に扉が閉まり列車が京都へ向かって走り始めた。しまった。次の京都で降りて引き返して、荷物を取りに西宮へ帰って、後で乗る予定の新幹線に乗ろうとしても、このタイミングでは絶対に間に合わない。何とか京都へ着く前に、少しでも早く飛び降りるより仕方がない。と思って飛び降りる隙を狙っていると、運良く列車が徐行を始めた。何度か飛び降りを試みたが、線路の外側のガードが固くて、外の世界へは飛び出せそうになかった。いらいらしながら、走る列車の中でなおも機会を窺っていると、突然視界が開け、列車は最徐行を始めた。今だ。自分は目を瞑って命を掛けて飛び降りた。大阪と京都の途中、茨木か高槻か、高い土手の上だった。いつかどこかで見た場所だ。しかも、一度ではないように思えた。そうだ、昔も、何かのことで、ここで走る列車から飛び降りたのだ。命だけは助かった。また、これから大阪へ戻って、ひょっとすれば予定の東京行きの新幹線に間に合うのではないかと思っていた。


瀕死の蒸気機関車の夢(1996年ごろ)

1996-03-27 | 真夜中の夢
 何者かに追いかけられて逃げまくっている。後ろから何発ものピストルの発射音が追って来る。耳元を銃弾がかすめる。走って逃げているのだが歩きにくい。前に進まない。弾に当たらないのが不思議だ。そこは雨でぬかるんだ泥道であった。汚い黒い板塀が道の両側に続いている。塀に隠れてじっとしておれば見つからないかもしれないが、それでは座して死を待つだけだ。ともかく逃げよう。泥に足を取られ、手も取られ、全身泥まみれになって逃げているのは他ならぬ自分である。
 右へ曲がり、左へ曲がってもぬかるみは続く。「何処まで続くぬかるみぞ」、何処かで聞いたセリフを心の中でしゃべっている。丁度、車一台がやっと通りぬける程度の細い道だ。小雨ではあるが休むことなく降り続く雨。視野をさえぎる板塀がどこまでも続く。
 万事が休したと思った。その時、その道の向こう側の真正面から道幅一杯に何か黒い物体がよたよたと走ってくるのに気が付いた。何事かと思ってみていると、上部からもくもくと黒い煙を吐いている。蒸気機関車であった。昔懐かしい蒸気機関車の先頭の機関車だけが1台よたよたと疲れきったようにこちらに向かって走っている。
 「えらいこっちゃ、轢かれるぞ」と、思ったその瞬間、目の前の蒸気機関車は大きく最後の息をするがごとく、しゅうっと白い煙を吐き出すや目の前で、どたっと横倒しになって息も絶え絶えにもがいている。機関車の横腹やシリンダーや至るところの隙間からしゅうしゅうと白い湯気を出して、もう断末魔のうめき声であった。
   「この蒸気機関車、滅茶苦茶、疲れとるぞ」
   「ひょっとしたら、この蒸気機関車、死によるんとちゃうか?」
 何時の間にか現れた黒山のような人だかりが、口々に感想を述べながら、臨終に立ち会うような目つきで、横倒しになった蒸気機関車の死を見取っていたのであった。
 自分は、本心から「可愛そうに、この機関車もゴツゥ疲れとるんやなあ」と思った。銃弾に追われて逃げていたはずの自分が、意識の上ではいつの間にか蒸気機関車に変身していた。蒸気機関車は鋼鉄製だ。生身の自分よりはるかに頑丈で強いはずだ。確かに見た目には、厚い黒い鋼鈑に蔽われているが、あちこちから洩れてくる白い蒸気の湯気で、まるで脱皮した後のカニの甲羅のように、ふにゃふにゃになっているのであった。この蒸気機関車はひょっとして自分自身の生身の姿ではないだろうかと不思議な思いがあった。


銀河列車墜落の夢(1996年ごろ)

1996-03-27 | 真夜中の夢
 そこは大阪平野が見下ろせる高台であった。多分、近鉄沿線の大阪の東詰め、生駒山のふもとにある枚岡か石切か、高校生の頃よく遊んだような、どこかで見たような場所だ。夕闇が迫っており、上空はほんのりと明るく、太陽の沈んだ地平線には未だその残光が空を染めている。黒ずんだ町の底には、ちらほらと民家や事務所のビルの照明や自動車の走る灯りが点滅し、きれいだなと思うにはまだ少し全体が明るい。遠くから自動車の警笛や飛行機の爆音や人の活動の息遣いが聞こえてきて、まだまだ町は昼間の活力を失うまいと夜に向かって、いくばくかの抵抗をしているように見えた。
 自分は何も考えずにぼんやりと町の夕景色をみていた。その時、何の前触れもなく、後ろから新幹線の列車の走る轟音が聞こえてきた。振り返ると、真後ろには新幹線の高架があり、架線とパンタグラフが接触して青い火花を撒き散らしながら、轟々と新幹線の列車が走り去って行くところであった。列車の窓は驚くほど明るくて、満員に近い人が座席に座っているのが見えた。列車は白く、東海道新幹線の青い線が鮮やかに目に染みる。「ああ、新幹線は早いなあ」と思っていると、列車は大阪の都心部を目がけて全速力で駆け抜け、はるか遠くに小さくなって行くのであった。
 新幹線の線路は、眼下の大阪平野の中央部を真っ直ぐに横切っており、今しがた通り過ぎて行ったばかりの列車がまるで細い一本の糸のように見える。先ほどの列車だなと思って見ていると、列車の進む線路の先が遊園地のローラーコースターのように丸く、空に向かって反り返り、その先端はそのまま宇宙の方向に向かって、途切れているではないか? これはロケットの発射台だ。
 「このまま進めば列車は鉄砲玉だ。宇宙の方向に放り出されるぞ」と思った。目をつむったその瞬間、列車は予想通り、丸く一回転した線路を走りぬけ、そのまま一直線に宇宙の方向に飛び上がって行くのであった。まるで銀河鉄道の列車であった。
 信じられない。こんなことがあるなんて。スピードがついている間は良いが、物理学の法則では、初速度のエネルギーが位置のポテンシャルに変換した場所を最後に、必ず地上に落ちてくるはずだ。あんなに沢山の人が乗っているのに、これは大惨事だぞ。と思う間もなく、列車は、予想通りに、宇宙の一点で反転し、落下し、地上に激突して、ニュースや映画などで見るように、ジグザグに折れ曲がって、横倒しとなった。車体の周辺には破壊されたビルや建物の瓦礫が散乱し、乗客の人体やその肉片や座席シートなどありとあらゆるものがごちゃ混ぜになって、惨憺たる情景を現出したのであった。
 100万人以上の市民がこの事故を目撃したに違いない。自分から110番することもなかろう、とぼんやり考えていると、緊急出動の救急車、消防車、警察のパトロールカーの何百台というサイレンの音がけたたましく鳴り始めるのであった。