冨田敬士の翻訳ノート

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“For Beautiful Human Life”は問題ありません

2017-06-02 22:41:32 | エッセイ
「モットー」としての英語

 ネット上で調べ物をしていたら”For Beautiful Human Life”という英語が目に入った。検索してみたら,まだ多くのサイトでこの言い回しを話題にしているのに驚いた。しかも,ほとんどがこの英語の間違いを指摘するサイトばかりで,これも意外だった。
 この英語は昔,日本の大手化粧品会社がTVコマーシャルの中で使い始めたキャッチフレーズで,当時話題になった。ところが,日本在住のネイティブスピーカーの間から英語が間違っているという指摘が出始め,それが理由かどうかはよくわからないが,いつの間にか使用されなくなった。当時,この英語のどこに間違いがあるのか興味があったので雑誌記事などをいくつか調べてみたが,ネイティブによって意見が必ずしも一様ではなかった。lifeにbeautifulを付けるのはおかしいとか,human lifeは「人命」だからナンセンスだとか,はっきりした理由がわからないままに,ほとんど忘れかけていた。
 その後,今から15年ほど前,日本で英語を教えている米国人の先生方と交流する機会があったときに”For Beautiful Human Life”を思い出し,どこが間違っているか聞いてみた。一人だけ,30年も日本に住んでいるという人は「特におかしいとは思わないけれども」と日本語で回答されたが,ほかの人はおかしいと言う。しかし,どこが間違いなのかそのときも納得のいく答えは得られなかった。ネイティブの間では元々こういう言い方はしないのだろうという程度の認識に終わり,疑問の解消には至らなかった。
 ちょうどそのころ,都内の会社から商談の通訳を頼まれたことがあった。相手が米国東部のインテリ社長と聞いて,これはよい機会と思い,個人的にこの問題を聞いてみることにした。答えはすぐに返ってきた。「この英語はまったく問題ありません」という。「えっ?」と驚いていると,「これはスローガンやモットーなので,どんな言葉を並べてもよい。何の問題もない」。同席したもう一人の幹部も同じ意見だった。その日,思いもよらない解答にただただ感心し,霧が晴れた。

造語としての日本語

 しかし,これですべてが解決したわけではない。英語として間違っているという指摘をどう考えるかだが,そもそも英語を基準に判断していたところに問題があったのではないだろうか。このコピーは英語ではなくむしろ日本語として理解すべきだろう。英語をベースに造られた日本人向けの造語なのだ。こうした造語は,もう一つの外国語である漢語の世界ではいくらでもある。日本では近代に入ってから西洋文化を移入するときに言葉の翻訳の必要から,漢語を使って造語することが盛んに行われた。中国はまだ近代化していなかったため,中国の漢語を拝借することができず,漢字を組み合わせて言葉を造った。現在,日本や中国で使われている学術用語や実務用語の多くは日本で造られたものだ。英語は漢語に比べると日本に持ち込まれてからはるかに日が浅いので,まだ消化されるにはほど遠い状態だが,遠い将来,もしかしたら"beautiful human life" が英語圏に移入されて日常的に使用されるようになるかもしれない。
 ”For Beautiful Human Life”は日本語であればこそ日本語の語調と合い,どことなく品のよい音調効果もあって女性の心を捉えたのではないだろうか。


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