冨田敬士の翻訳ノート

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北京紀行(2007年夏)―中国の言語事情―

2007-11-30 22:58:39 | 旅行
(この記事はサンフレア・アカデミーの機関紙 ”PLUS”の2007年11月号に掲載されたものです)


北京で中国語のレッスンを受ける

 北京の街を歩いていると,最近の中国はすっかりお金持ちの国になりつつあるという印象を受ける。方々に巨大なビルが建ち並び,商店街やデパートには商品が山のようにあふれ,街を歩く人々の服装もあか抜けている。繁華街のデパートや飲食店街は平日の昼間から賑わい,街を歩く外国人の数も多い。来年のオリンピックを控えて道路の補修やビルの建て替えも進んでいるようだ。高度成長に伴って環境汚染,貧富の格差,汚職などさまざまな問題を抱えながらも経済大国に向かって着実に成長しているような印象を受ける。
 筆者は北京の街の開放的な雰囲気が気に入ってこれまでに数回旅行したが,今回は7月の半ば,1週間の予定で精華大学のサマースクールに参加し,中国語のレッスンを受けた。学校の受付では,まだ20代と思われる女性事務員がネイティブのようなアクセントのない英語で応対した。滞在期間が短すぎるのでグループレッスンへの参加はむずかしいという。個人レッスンを勧められ,15人ぐらい入る静かな教室で先生と一対一で向き合うことになった。
 せっかくの本場のレッスンなので,特に発音と会話を中心に指導をお願いした。先生は学生のような清楚な感じの女性だが,自己紹介のときに35歳(か36歳)といった。クリアーな声で確信に満ちた力強い話し方をする。雄弁で教え方もうまい。英語もできるが,授業中は,英語は一切しゃべってくれない。テキストは250ページ,A4版と同じくらいの大きさで,解説文は英語。初級のテキストなので漢字の書き方など,日本人には必要のないものも含まれており,その辺はすべてスキップした。授業のやり方はスパルタ式で,間違ったら厳しく叱責される。中国の授業はだいたいこのように厳しくやるらしい。
 中国人は家の内でも外でも大きな声で話をする。理由は国土がとてつもなく広いためか,それとも自己主張の強さによるものか筆者にはわからないが,この先生の声も例外ではなかった。1mか2mぐらいの間隔を置いて座っているのに大声である。NHKの中国語ラジオ講座とは大違いだ。レッスンの途中で中国の干支の話になり,先生は干支の一部を忘れたといってその場で携帯を取り出し,文部省のようなところに即座に電話で問い合わせてくれた。決断が早く行動的なのも中国人の国民性である。ところが電話口で先方と激しい応酬が5分も6分も続く。自分が納得のいくまでは話をやめない。たかが干支ぐらいのことでそこまでやらなくてもと思いながら,筆者には会話の内容が全く聞き取れず,ただあきれて見ているほかなかった。

多様性が育む言語感覚

 中国は漢族やチベット族など,全部で56の民族で構成された多民族国家である。その多くが言語や文化が違うので,コミュニケーションには苦労をするらしい。同じ漢民族でも地域ごとに方言があって,意思疎通の障害になることが多い。例えば北京人と上海人(中国ではこんな言い方をする。)ではほとんど言葉が通じない。ある北京人の先生から聞いた話では,北京から上海に留学して,言葉が理解できるようになるまで1年ぐらいかかったという。
 もっとも共通語はある。「普通話」といって,北京地方の方言を基本にしてできた標準語である。ちょうど東京弁と標準語のような関係である。だから,普通話で話をすれば,多くの地域でこちららから話すことは通じるようだ。しかし,相手が普通話をしゃべるとは限らない。中国は米国のような移民社会ではないので,どの民族も誇りが高く,普通話はあまり話したがらないとも聞いた。住民のなかにはイスラム教徒も仏教徒も,ヒンズー教徒もいる。お互いに自己主張するのも大変だろうと想像する。
 一方,こうした環境は外国語に対する感性を育てるらしく,外国語に堪能な人に出会うことが少なくない。ホテルの売店に日本語で応対する若い女性の店員さんがいた。完全な普通の日本語なので,日本人とばかり思って話をしていたら,じつは地元の中国人だという。国内の日本語学校に通い,一時日本の会社の北京事務所で働いた経験があるという。こうした人たちは個人的な素質もあるのかもしれないが,小さいころから異なる言葉を聞いて育つ環境が,外国語の習得に有利に働いていることは否定できない。学生の英語のレベルも高く,毎年のTOEFL試験の成績に結果が現れている。日本のようなほとんど単一民族,単一言語の環境では,外国語の習得に相当な時間がかかるのはやむを得ないことかもしれない。

コメント
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