冨田敬士の翻訳ノート

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「文章読本さん江」(斉藤美奈子著)

2010-10-06 20:13:47 | 書評
文章を書いて生計を立てる人間にとって上手に文章を書くことは切実な問題である。できることなら文豪、巨匠の表現力に少しでもあやかりたいと参考にするのが文章読本。過去に出版された文章読本(書名はそれぞれ異なるかもしれない)の数は、この本の著者によると4桁に近いという。そういう本を読んだだけで文章に上達するはずはないとわかってはいても、作者がその道の名人上手ともなれば何かよい教えでもと密かに期待しながら、「従順な修行者」となって次々と手を出してきたというのが正直なところである。

この本の著者、斉藤美奈子氏は著名な文章読本を片端から取り上げ、類まれな才気と批判精神で容赦なく解体し、内容の矛盾やドタバタを次々と暴き出して見せる。この人の分析力の前には谷崎潤一郎から井上ひさしまで、文豪も大御所も身の隠し所がない。谷崎読本の「思った通りに書け」も、これを全面的に否定してきたその後の諸先生方の読本も、詳細に読むとそれぞれ矛盾した内容が含まれていることがわかる。ただ、この辺りまでは見方によってはあげつらい、言いがかりと受け取られる面がなきにしもあらずか。が、その次からはいよいよ著者の本領が発揮される。

斉藤美奈子氏は、文章読本の思想の背景に玄人の文章が頂点にあって、その下に「素人さん」の駄文や悪文があるという文章界の縦の序列を鋭く指摘している。そして明治以来の国語と作文教育の変遷を膨大な資料で論証しながらこれからの文章作法のあり方を探ろうとしている。8年がかりで書き上げたというこの労作は、第一回の小林秀雄賞にふさわしい充実した内容になっていると思う。

これからの文章にはメディア社会にふさわしいコミュニケーション機能が大切だという。「明治の作文教育の方が、まだしも文章のコミュニケーション機能を重視していた」として、学校の作文教育を「劇場型」の文章から「体面型」の文章に軌道修正することを提唱し、次のように述べている。「コミュニケーション意識をみんながもてば、文章を日常の側に奪取できるだけでなく、無意味に難解な文章や自己中心的な文章は駆逐されるはずなのだ」。同感である。小学校では英会話をやるよりそのほうがよほどコミュニケーション能力の向上に役立つはずだ。

斉藤美奈子氏は「殊勝な態度で文章読本を読んでいた時期が、かつては私にもあったが....今の私は「上手な文章」など何の未練もない」とおっしゃる。つまるところ、文章は表現上のあれこれよりも、自分を信頼して伸び伸びと書くのがよいということか。これも納得である。文章は個性的であって当然なのだ。わかりやすく簡潔にまとまっていればそれでよい。この本を読むとそういう気分になってくる。


「文章読本さん江」(斉藤美奈子著、ちくま文庫)
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