冨田敬士の翻訳ノート

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法律用語辞典の使い勝手

2015-06-10 22:33:47 | エッセイ
 Random House Webster's Dictionary of the Law(2000年版)はよくできた辞典で随分とお世話になったが,装丁が壊れ,使用できない状態になったので買い換えることにした。この本は製本に多少問題はあったが,明快で分かりやすい解説,整った文体,見やすい文字など,とにかく使いやすい辞典だった。
 また同じ辞典にしようとネット上で探したところ,入手までに一か月以上もかかることがわかった。売れすぎているからではなく,逆にネット店舗のほとんどが取扱いをやめているからである。15年間も改訂されておらず,改訂版の話もない。コンパクトなこの種の辞典には競合品も多いので改訂しても採算が合わないということかもしれない。
 そこで最新の代替品を探したところ,米国のネット上でBarron's Law Dictionary (Sixth Edition, 618ページ)の評判がよかったので,これに決めた。ところが実際に使ってみると使いにくい部分がいろいろと見えてきた。文字は見やすいのだが,文体がばらばらで,判例集や法律条文の参照番号の記載などやたらに多い。要するに不用な部分が多いのである。
 Barron's辞典の編集方針は,実務家や司法試験(bar examination)を目指すロースクールの学生がターゲットになっているようだ。見出し語ごとに判例集や法律条文の参照番号の記載が多いのは,そのためである。そういう読者にとって参照情報は確かに重要で,ロースクールでも実務でもずっとこの辞書を使ってきたというネット上のコメントは理解できる。
 解説文の文体がバラバラなのはなぜか。理由は簡単で,用語の解説の多くが判例や法律条文からそっくり引用されているからだ。そのほか,この辞典は基礎的な情報が少ない。その理由は多分,判例からの引用文が理解できるような読者には素人っぽい解説など必要ないからだろう。
 例えばmortgage(抵当)という,日本でもなじみの深い用語の定義は次のような書き出しになっている。
a conveyance of a conditional fee of a debtor to his creditor, intended as a security for the repayment of a loan...........The transfer was to be void upon repayment of the loan, i.e., the property reverted to the debtor upon the discharge of the mortgage by the timely payment of this sum loaned...............................
 文章はまだ延々と続くのだが,この4行だけをみても素人には手に負えそうもない部分がいくつかある。feeとは何か。借入金を返済すれば「譲渡」が無効になるとか,期限どおりに返済すれば抵当物件が借主側に「復帰する」とはどういう意味か。そもそもなぜ過去形で書いてあるのかなど。Barron'sは1975年の初版以来改訂の回数も多く,優れた辞典であることは間違いないが,使いこなすには英米法の知識がかなり必要だろう。
 これに対しRandom House辞典ではmortgageの解説が次のような出だしになっていた。
a security interest (see under INTEREST ) in real property. A mortgage is usually held for a considerable number of years to secure repayment, with interest, of a substantial debt of the owner of the property - often the debt incurred in borrowing the money to buy the property..............
 この英文なら日本語の一般常識と普通の英語力で十分理解できる内容だ。文体も辞書作りに経験の深い出版社だけあって見事に整っている。feeのような古めかしいlegal jargonも少ないので読みやすく,英文を書くときの参考にもなる。判例集や法律条文の参照番号を省略した点も,我々実務外の人間には好感が持てる。
 英英辞典はnative speakerの発想の仕組みがわかる非常に便利な道具である。日本語の世界で理解している英語の本当の意味を,無駄のない表現で明瞭に示してくれる。読むだけでも楽しく,読んでいるうちに英語のセンスが自然に身につくような辞典。法律用語辞典もそういう辞典を使いたい。

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