冨田敬士の翻訳ノート

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「シュリーマン旅行記 清国・日本」(石井和子訳)

2012-01-02 20:47:15 | 書評
「シュリーマン旅行記 清国・日本」(石井和子訳,講談社学術文庫)
原著 La Chine et le Japon au temps present(1867年)

 ハインリッヒ・シュリーマン(1822-1890)は1865年に中国(清国)と日本(江戸)を旅行し,フランス語で旅行記を書いた。これがシュリーマンの最初の作品ともなった。この訳本はシュリーマンが活写した19世紀後半の人々の暮らしを流麗な文章で蘇らせ,昔の世界に引き戻してくれる。読み進むにつれて150年の時空を超えた過去への旅に興奮を覚え,想像をかきたてられた。
 この旅行記は前半で清国,後半で日本を取り上げている。第一章は「万里の長城」のタイトルが付き,1865年春に訪れた天津や北京での見聞,馬車の旅の苦難,万里の長城を見た感激などが詳細に記述されている。この部分からは当時の中国の国内事情や庶民の暮らしぶりなどの記録も興味深い。筆者もこれまで中国を数回訪れ,万里の長城(八達嶺)にも足を運んだことがあるので,現在の状況と比較しながら記録の一部始終に目を引きつけられた。シュリーマという人は40歳くらいまでは世界を股に商売に奔走し,巨万の財をなした有能なビジネスマンであったが,40歳を過ぎたころ実業から完全に足を洗った。そして世界各地を旅行し,トロイア遺跡の発見など考古学の分野で多くの業績をあげ,晩年をアテネの邸宅で過ごしたという。才気縦横,夢とロマンに溢れた桁外れの国際人であったに違いない。
 シュリーマンが中国大陸で特に関心を寄せたのは万里の長城であった。そこに行くには北京を通らなければならなかった。そこで彼は上海から蒸気船で天津に行き,北京を経て,万里の長城入り口の古北口へと馬車で移動した。道中は苦難の連続であったが,はじめてみる長城の威容に感動して次のように記述している。「私はジャワ島の高い火山群,カリフォルニアのシエラ・ネバダ連峰,インド側のヒマラヤ山頂......すばらしい眺望をたくさんみてきた。しかしいま,眼前に展開された光景の壮麗さに匹敵するものはなにもなかった。私は呆然自失し,言葉もなくただ感嘆と熱狂に身をゆだねた」。彼は長城の配置や構造,煉瓦のひとつ一つに至るまで鋭く観察し,細部の寸法まで記録した。急峻な長城の上を夢中で観察してまわる彼の姿を文章の随所でかいま見ることができる。その一方,シュリーマンはこの建造物を荒れるに任せて放置してきた時の王朝に対して抗議の言葉も忘れなかった。「長城は数世紀来,軽んじられ,打ち捨てられてきた....今やこの大建築物は,過去の栄華の墓石といったほうがいいかもしれない....長城は,シナ帝国を現在の堕落と衰微にまでおとしめた政治腐敗と士気喪失に対して,沈黙のうちに抗議しているのだ」。シュリーマンが一貫して持ち続けたもの,それは外国文化に対する深い敬意にほかならなかった。
 清国を離れて次に向かったのは日本(江戸)だった。旅の記録は1865年6月の江戸上陸から始まっている。「私はかねてから,この国を訪れたいという思いに身を焦がしていたのである」と,日本への熱い思い入れを率直に語っている。9日には将軍徳川家茂が上洛のために大勢の共を従えて東海道を通る行列を参観した。その記録は詳細であり,歴史の証人である。「世界の他の地域と好対照をなしていることは何一つ書き漏らすまい」と自らの決意を述べているように,公衆浴場,遊廓,食事の風景,大名屋敷,商店街界隈など観察は広範囲に及んでいる。だが,西洋文化と比較して論じた箇所は記録のどこにも見当たらない。異文化をあるがままに理解し,敬意の念を忘れなかった。
 1865年といえば,その2年後に大政奉還を控え,国内は開国派と攘夷派に分裂して抗争を繰り広げていた。外国人に対する襲撃事件も頻発し,外国人の多くが身の危険を感じて江戸を引き払っていたため,江戸では麻布善福寺のアメリカ合衆国公使館に宿をとって代理公使ポートマンのお世話を受けた,と記録している。そして5人の奉行所役人の警護のもと,馬で下町を中心に江戸の各地を訪問し,詳細な記述と自らの印象を書き残している。浅草観音寺に向かう途中,寺子屋も参観した。「教室は窓口いっぱいが道路に向かって開かれていた。もちろん椅子もテーブルもない。4~6歳の男児たちが60人ほど,ござの上に座り,各々一巻の紙を持っては,斜めに置かれた黒板の上に教師が白墨で書いて行く言葉と,その読み方をまねていた。教師は私に挨拶をしたけれど,言葉がわからないため,理解しあうことは難しかった。.....日本語には様々な文字があり,まず漢字を使って書くことが教えられるのだということが理解できた」。記録の随所に異文化に対する暖かい眼差しを読み取ることができる。
 訳文の文体や格調に一級品の風格を感じた。翻訳の仕方について参考になったことは言うまでもない。

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