冨田敬士の翻訳ノート

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長文の訳し方--文芸翻訳家からの指摘

2014-12-10 14:31:40 | 情報
法律文の訳し方

 「翻訳の技法」(飛田茂雄著,研究社出版)は参考になった。翻訳の基礎から実践まで,さまざまな情報やノウハウが提供されている。今から15年以上も前に書かれたものだが,少しも古めかしさを感じさせない。
著者の飛田先生は英文学者としての仕事の他に,翻訳界の重鎮としても活躍され,数々の文芸翻訳,辞典の編纂,後進の指導などに大きな足跡を残された。その人がこの著作の中で法律文(主として米国憲法)の訳文を取り上げ,かなり辛辣な批判を展開されている。文芸翻訳者がなぜ法律文を,とはじめは腑に落ちなかったが,よく調べてみたらあの「英米法律情報辞典」(研究社出版)の著者であることが分かり納得した。
 第4章の「長文の処理」という段落では,最初に米国憲法の訳が取り上げられている。法律英語では長文は珍しいものではないが,関係詞や分詞といった日本語にない要素が随所に使われているため,訳すのは容易でない。何年やっても苦労する。翻訳試験の解答などで一番問題が多いのも長文の処理だ。
 飛田先生は冒頭で日本の交通法規の条文を取り上げ,書き方が難解だと言って次のような具体例を挙げている。
(以下,鉤括弧内は著者の文章をそのまま引用)

 「車両(トロリーバスを除く。以下この条文及び次条において同じ。)は,左折し,右折し横断し...............場合を除き,軌道敷内を通行してはならない。」

 日本の法律では普通の書き方だが,確かに「一回読んだだけでは,意味がよくわからない」。なぜか。「....を除き....してはならない,という構文のせいで,ひどく難解になってしまった」からである。「日本語の場合,ひとつの文のなかに仮定,条件,否定などが入り込むと,ひどく読みにくくなる.......翻訳の文章でも,仮定,条件,否定,挿入などを含むときには,1文中の情報単位をできるだけ少なくするのが賢明である」。やさしいことを難しく言うのは確かによいことではない。
 このあと,1868年に確定した米国憲法の修正第14条第2節を取り上げている。英文は次のようになっている。
Representatives shall be apportioned among the several States according to their respective numbers, counting the whole number of persons in each State, excluding Indians not taxed. But when the right to vote at any election for the choice of Electors for President and Vice President of the United States, Representatives in Congress, the Executive and Judicial officers of State, or the members of the Legislature thereof, is denied to any of the male inhabitants of such State, being twenty-one years of age and citizens of the United States, or in any way abridged, except for participation in rebellion, or other crime, the basis of representation therein shall be reduced in the proportion which the number of such male citizens shall bear to the whole number of male citizens twenty-one years of age in such State.

 1868年は日本の明治元年。今から146年も前の文章だが,驚いたことに,文体も用語も現代米国法の文章と大して変わりがない。
 この条文を分かりやすい日本語に訳すにはどうすればよいか。最初の3行は短いので直訳でも何とかなるかもしれないが,問題はその後,But.....以下の長文である。最後までピリオドがないので,どこから手を付けたらよいか見当もつかない。飛田先生は次のようにアドバイスしている。
 「メッセージの伝達が主目的の翻訳の場合,一つの原文の構造が複雑ならば,訳では短いいくつかの文に分けるのが一般的な方法である。原文を直訳しようとすると,どうしても意味が通じにくくなってしまう」。
 このように述べた上で,K書院の「対訳・アメリカ合衆国憲法」の日本語訳を紹介している。ここでは最初の部分だけを抜粋するにとどめる。
 「連邦下院議員は,課税されないインディアン部族を除いては,各州における総人口を 計算して,各州それぞれの人口数に従って各州に配分されるものとする。ただし,合衆国大統領,および,副大統領に対する選挙人の選出.........(以下省略)」

 この訳の最初の2行はなんとか理解可能だが,「ただし」以下は最後まで「何度繰り返して読んでも,なにを言おうとしているのさっぱりかわからない」。「なかでもexcept for participation in rebellion, or other crimeの部分を「「その他の犯罪における参加に対する場合を除き」」と訳した部分が理解を妨げている」。when the right .......is denied to...以下の条件文の訳にも問題がある。「投票権は......拒否される場合」と,原文どおり現在形に訳してあるため,文の展開が予測しにくい。が,何より問題なのは,これだけの長文を一文に訳したことではないか。飛田先生が言うように全体をいくつかの文に分け,なるべく語順に沿った形で訳すべきだった。
 そこで飛田先生はK書院の訳を次のように書き直している。
 「連邦下院議員は各州に,その州の総人口に応じて配分される。もともと納税義務を負っていないインディアンはその総人口に数え入れないものとする。しかし,合衆国大統領及び副大統領の選挙人を定める選挙,連邦下院議員の選挙,各州の行政部および司法部の役職者の選挙,州議会議員の選挙のいずれにおいても,その州の男性の住民で21歳に達しており,かつ合衆国の市民でありながら,投票の権利を拒否されたり,いかなる形であれ,その権利を制限されたものがいた場合には,その州の連邦下院議員を配分する基準となる総人口を,投票権を侵害された21歳の男性市民の数が同じ州の21歳の男性市民の総数に対して占める割合に応じて低減する。ただし.....(以下省略)」

 この書き直しではexcept for participation in rebellion, or other crimeの部分を独立文とし,「ただし,反乱に参加したために,あるいは他の犯罪に加わったために,選挙権を拒否又は制限された男性市民は,ここで言う投票権を侵害された男性移民とは見なされない」と意訳して最後に付け加えている(ここでは省略)。全体を2つに分け,論理的に訳してあるので意味が取りやすい。
 なお,when the right to vote以下の条件文がかなり長いので,この部分をさらに2つに分けるという手もある。例えば(大部分は飛田先生の表現を拝借するが)次のような訳も可能だ。
 『しかし,合衆国大統領及び副大統領の選挙人を定める選挙,連邦下院議員の選挙,各州の行政部および司法部の役職者の選挙,州議会議員の選挙のいずれにおいても,投票の権利は,以下のように取り扱う。もしその州の男性住民のなかに,21歳に達した合衆国市民であるにもかかわらず,投票の権利を拒否されるか,いかなる形であれ,その権利を制限された者がいた場合には,その州の連邦下院議員.......(以下同文)』。





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