冨田敬士の翻訳ノート

Professional Site

法律の難文・奇文

2013-12-10 22:28:11 | エッセイ
特定秘密保護法を読んで

 国会で特定秘密保護法が成立した。内容の是非の議論とは別に,多くの条文で読みづらい文章がいっぱいという印象を受けた。昔習った英文解釈式の文章を読んでいるようで,読み下しながらすらすらと頭に入るようなことにはならない。法律の世界は昔から難文奇文の殿堂と揶揄されながら,こうした新しい法律でも大して変化がないようだ。文語体から口語体の表記に改められはしたが,明瞭さの点ではプレイン・イングリッシュのような世界の潮流に遅れをとっていると言わざるを得ない。この法律の第一章(総則)「目的」の文章を例に,法律文の書き方を考えてみた。

「第一章 総則
(目的)
第一条 この法律は、国際情勢の複雑化に伴い我が国及び国民の安全の確保に係る情報の重要性が増大するとともに、高度情報通信ネットワーク社会の発展に伴いその漏えいの危険性が懸念される中で、我が国の安全保障【(国の存立に関わる外部からの侵略等に対して国家及び国民の安全を保障することをいう。以下同じ。)】に関する情報のうち特に秘匿することが必要であるものについて、これを適確に保護する体制を確立した上で収集し、整理し、及び活用することが重要であることに鑑み、当該情報の保護に関し、特定秘密の指定及び取扱者の制限その他の必要な事項を定めることにより、その漏えいの防止を図り、もって我が国及び国民の安全の確保に資することを目的とする」

 「目的」は以上のような文面になっている。この文章を読むと,主語と述語ははっきりしているが,中間の部分は何を言っているのかさっぱりイメージが湧かない。法律文のスタイルは,欧文体の日本語が流行りだした明治の頃から大して変化していないのかもしれない。
 この文章の特徴は主語と述語の間に多くの情報が詰め込まれていることだ。「この法律は」という主語(あるいはテーマ)と「目的とする」との間に全部の情報を詰め込んだため,分かりにくくなってしまった。条文に限らず,法律文書はこのスタイルで書かれているものが多い。こうした文体で意味を明瞭に伝えることは,どんな文章家でも至難の業だろう。日本語の特徴として述語は必ず文の最後,修飾語は被修飾語の前に置かれる。よく伝わる文を書くには中間に詰め込む情報の量をなるべく少なくするほかない。日本の法律文が分かりにくい原因の一つは文体にある。一文の長さをせいぜい50字程度に抑え,箇条書きや記号を有効に利用すれば,ずいぶんと明瞭になるだろう。
 英米法国の法律はどうなっているか。英語圏では法律の文体をlegaleseといって,素人には皆目わからないものと考える人が多い。だが,日本の法律とはわかりにくさの性格が違う。英米法の分かりにくさは,言い回しが古めかしい,反復表現が多い,日常語が違った意味で使われるなどが主な原因で,文の構成は一般の英語と変わらない。法律英語はもともと誤解が生じないよう書くための言語なので,法律の素人でも多少の勉強で読めるようになる。
 前掲の「目的」条文には「及び」の用法にも不適切なものがあるようだ。「収集し、整理し、及び活用する」という下りで「及び」を動詞の接続に使っているが,「及び」はもとは漢語の「及」で,意味は「及ぶ」。現代中国語でも同様で,接続詞としては名詞や名詞句を接続するのに使用される。動詞の接続に使った例は見たことがない。
 上記の「目的」条文はどのように書けば日本語文として通じやすくなるだろうか。起草者の認識と一致するかどうか自信はないが,以下のように書き改めてみた。

改作文
「第一条 この法律は,特定秘密情報の漏洩防止を図ることにより,我が国及び国民の安全の確保に資することを目的とする。近年,国際情勢の複雑化に伴い,我が国及び国民の安全確保に係る情報の重要性が増している。同時に,高度情報通信ネットワーク社会の発展に伴い,その漏えいの危険性が懸念されている。こうしたなかで,我が国の安全保障【(国の存立に関わる外部からの侵略等に対して国家及び国民の安全を保障することをいう。以下同じ。)】に関する情報のなかには,特に秘匿することが必要なものがある。秘匿の必要な情報は,適確に保護する体制を確立した上で収集、整理し、活用することが重要である。こうした観点から,当該情報の保護のため,特定秘密の指定及び取扱者の制限その他の必要な事項を定め、その漏えいの防止を図ることとした」

 法律は国民の行動を規制するもの。文体や言い回しはなおさら明瞭でなければならない。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« ハンドブック アメリカ・ビ... | トップ | 出来る人は仕事が速い »

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

エッセイ」カテゴリの最新記事