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交流

脱・メタボ宣言?!(元ソ-ラン隊長の決意)

2009-05-02 21:48:00 | 徒然なるままに
5月1日(金)

今日は、1日特休をもらって、末娘の授業参観&保護者会に参加した。

中2の娘の学校での姿は、なかなか新鮮だった。
1時間目は美術で、レタリングの授業だった。つい職業柄、困っている子に手助けしたくなったり、上手にできている子には声をかけてあげたくなったりするのをグッとこらえて『参観』に徹した。

休憩時間に、かつてソーラン隊員だった子達が挨拶に来てくれた。中3の子は、修学旅行のスタンツで「ソーランを踊ろう!」と提案したら却下されたことを悔しそうに語っていた。彼らがソーランを始めた頃(小学生だったけ・・・)は、この中学校のバザーに招待され、全校生徒や職員、他校の生徒や保護者まで巻き込んで校庭狭しと踊ったものだ。
「また『金八先生』やるとブームになるかなあ」
「そうだねぇ・・・。せっかく、中3になったんだから、小学生のとき以上にかっこよく踊るところ見たいよ。諦めずにいつか何かで踊って見せてね」

ソーランを引退して3年。『運動不足』というかつてはなかった言葉がついて回り、それが体型や体力に反映されるようになって来た。
 
かつての教え子たちに、「もうソーランは踊っていないんですか?」とたずねられるたびに、なんだか申し訳ない気持ちになる。
一方で、高校や大学、海外留学先でソーラン隊を作って活躍している教え子たちや、体育祭で教えたソーランを伝統として踊り継いでいるという知らせを聞くたび、なつかしさと嬉しさと、私も負けてはいられない気持ちになる。

隊長を引退したとしても、かつての隊長がもうソーランは踊っていない、ソーランを踊れる体力もない、『運動不足体型』になっているというのは、いかがなものか?
 
かつての教え子に会ったときに、「私もまだまだ皆には負けていないよ!皆もがんばれ!!」とエールを送れるような元隊長でいなくては!!


ソーランは、私の元気の素だった。
「踊っている人も、見ている人も元気になれるソーラン!」
が、私たちソーラン隊のモットーだった。
どうして3年間も踊らないでいられたのだろう?

めざせ!夏休みまでにソーランを踊りきる体力回復とダイエット!!

奇しくも、今日5月1日は、佐倉時代祭りのデビュー記念日だ。
当時はこういう日が来るとは想像もしていなかったけれど・・・。
かつての自分に恥じないように、決意を新たに!

美術検定にチャレンジ!

2009-05-02 21:04:00 | 徒然なるままに
先日、千葉県の教員採用試験の説明会に参加した。

小・中学校で美術の講師を始めて7年目。幸いにも1年間ずつの任期で、途切れることなく勤めることができている。
が、「講師」という役職、立場ならではのメリット、デメリットを考えると、圧倒的にデメリットが多いことが身に沁みた7年間でもあった。

私自身は、マイナス思考をプラス思考に変換し、何事も前向き、上向きに考えて行動することができる、というのが、自他共に認める長所だと思ってきた。

それがこの1ヵ月というもの、思いっきり地を這う状態でなかなか浮上できなかったのだが、いろいろな出会いやきっかけやエールをもらって、やっと復活するだけのエネルギーが貯まってきた。

最大のきっかけは、『スラムダンク・あれから10日後 完全版』のラストシーン、リハビリセンターの女医さんと桜木花道のやりとり。
海岸にたたずむ桜木を迎えに来ながら、日本人初のNBA選手誕生のニュースを告げるシーン。
『ほとんどの人が、日本人にはムリって思ってたらしいわ。だけど・・・ムリだって言うのはいつだって チャレンジしていない奴よね。さぁ、桜木君も新たな段階のリハビリにチャレンジ!』

私は今、何かにチャレンジしているだろうか?
最初から諦めていたり、やりかけたままいろんな理由をつけて停滞していたり、投げ出してはいないだろうか?
人のせいにして、自分自身を甘やかしてはいないだろうか?
本当のストレスの原因は、やるべきことをやっていない自分、言うべきことを言えないでいる自分自身への苛立ちや、自己嫌悪、自信のなさなのではないか?

だったら、今、自分はどう動くべきか?
蔑視を受け、否定され、必要とされていないのであれば、その逆に、自分を認めてもらい、必要とされるだけの資格、知識、実績、教養、人間性を磨き、『一目置かれる人物』を目指そう。
過去の実績や栄光に頼らず、常にバージョンアップし続ける努力をしよう。
その努力もしないで、一時しのぎのストレス解消をしても、何も解決されないし、前進もできない。

今年の私のチャレンジ。
採用試験を受ける。もちろんただの挑戦ではない。受かるつもりで受ける。そのための情報収集、準備、勉強、練習を頑張る。
その1つとして、『美術検定』を受ける。
自分自身のバラバラな専門知識を一度整理し、一通りのことは教えられるという程度はなく、より大系立ててポイントを抑えて的確に教えられるように、勉強し直し、自信をもって教えられることを目指そう!

それが分かったとたん、1ヶ月も落ち込み浮上できなかった長いトンネルから抜け出ることができた。

つくづく本当に『楽』を選べない性格だなあと思う。まぁ、『苦あれば楽あり』とも言うしね。本当に『楽しい!』と思えるように、1年後、達成感とともに、次の赴任校に向かえるよう、頑張ろう!!

ところで。早速『美術検定』の問題集を買ってきてやってみたところ、面白がって便乗してきた大学3年生(法学部)の息子のほうが美術史に関しては、私より成績が良かった!ガ~ン*(汗)*ますますやる気になってきた!まだまだ息子には負けてはいられないぞ!!がんばれ私!!!

スラムダンク『あれから10日後』完全版

2009-05-02 20:03:00 | 徒然なるままに
*(バスケ)*2004年8月10日、新聞6紙に一斉に掲載された全面広告。高校バスケを描いて一世を風靡した漫画『スラムダンク』が1億冊を突破したことを記念して、作者の井上雄彦が自ら広告主となり、多くの人々を驚かせた。
そこで立ち上げられた“『スラムダンク』1億冊感謝記念サイト”には、ファンからの感謝のメッセージが多数寄せられた。サイトのクローズにあたり、井上雄彦はファンのために一つのイベントを企画した。
2004年3月をもって廃校となった旧神奈川県立三崎高校を借り、'04/12/03~05、最終話から10日後の「彼ら」を、教室の黒板に描いた。

スラムダンクの『あれから10日後』とは-----
『スラムダンク』最終話を飾った「湘北対山王工業」戦。何ページにもわたってセリフはなく、すべて動きと人物の表情だけで表現された山王戦。鳥肌が立つのを抑えられなかった、あの衝撃的なラストシーンから10日後の「彼ら」。赤木晴子、三井寿、宮城リョータ、赤木剛憲、木暮公延、流川楓。そして、桜木花道――。
湘北高校のキャラクター達だけではない。数々の名勝負を演じてきたライバル達の「その後の日常」も描いた作品だ。

その作品が、写真集となって蘇った。新聞6誌に掲載された湘北高校メンバーの絵とともに。

巻末には英語訳が掲載され、『スラムダンク』の海外のファンたちも大喜びだろう。

表紙の海岸の写真は、桜木花道がリハビリを続けながら毎日見続けた海なのだろうか。
裏表紙の使い込まれた体育館のバスケットコートの床の写真がまたいい!!
キュッキュッというバッシュの靴底のすれる音や、ダムダムというドリブルの音が聞こえてきそうだ。

去年は上野の森の『井上雄彦・最後のマンガ展』ですごいエネルギーと感動をもらった。
今年は『あらから10日後・完全版』で泥沼の底から一気に浮上するくらいのパワーをもらった!!
G.W は『スラムダンク』をもう一度読み返してみよう!!

井上雄彦サイト
http://www.itplanning.co.jp/

SLAM DUNK -10 DAYS AFTER
http://www.itplanning.co.jp/slamdunk/

仏像にはまる

2009-05-02 19:15:00 | 徒然なるままに
今、3年生に「仏像を100倍楽しく見る見方」という授業をしている。

もうすぐ京都・奈良方面に修学旅行に行く3年生。少しでも有意義な旅になればと思って計画したことだが、今のところ反応は今一といった所か・・・。

この授業は、1年生では「鎌倉校外学習」がある学校や3年生で「奈良・京都修学旅行」のある学校ではずっと続けてきた授業だ。
昨年度の中学校では大好評で、生徒たちからは、
「先生は1年間しか僕たちの学校にいられない先生だから、ぜひ、先生が在任中に、2年生たちにもこの授業をしていってあげてください」
というメッセージをもらい、私もその気になって、つい先々月もやってきた授業だ。

『仏像』なんて、古臭い、辛気臭いと思っていた生徒たちが、どんどんその魅力に引き込まれ、「実物を見たい!」「学習したことを自分の目で確かめたい!」「仏像と実際にその場で目を合わせて見たい!」「早く修学旅行に行きたい!」と意欲的になっていくのを見るのはとても楽しい。
『仏像の授業を受けて、この素晴らしい人類の宝を、今の私たちが見ることができるように命がけで守ってくれた人々に感謝したい。そして自分たちも、未来の人たちのために、しっかり守っていかなくてはならないということを学んだ。』
という感想を寄せてくれた生徒もいた。

今の学校の3年生もそうなってくれるかどうか、不安よりもワクワクするほうが勝っている。

そのためにも、さらに充実した授業にせねばといろいろ調べているうちに、私自身が仏像にハマっていっている。調べれば調べるほど奥が深く、面白い。

『阿修羅展』を見に行く前に、手塚治虫の『ブッダ』を読んだ。
伝え聞く超人的なブッダではなく、とても人間くさい主人公の心の葛藤にすごく共鳴した。さらに架空の人物やフィクションを交えながら、ブッダが何を悟り、ブッダの説法の何が人々や異教の神々を帰依させていったのかが実に分かりやすかった。
『仏教』の視点とは違う視点やエピソードだが、より身近にブッダを感じることができた。


3月に上海に行ったとき、何体もの仏像を見たが、何故か日本の仏像ほどありがたみを感じなかった。

阿修羅像を30年ぶりに見たとき、その答えが分かった。
日本の仏像は、古めかしく、中には痛んでいたりするものもあるが、そこにむしろ、戦火や廃仏毀釈をを潜り抜け、大切に守られてきた歴史の重みと人々の祈りの深さを感じるのだと思う。

これが、毎年、作りたてのようにきれいに修復され、極彩色や金ピカに塗りなおされていたらどうだろう・・・。
わずかに残る彩色後や金箔の名残が、作られた当時の鮮やかさや華やかさを想像させるというところが、想像力を刺激するのではないだろうか・・・。

『あおによし・・・』とは、新緑に映える春日大社の鳥居の朱色のことを言うと聞いた。
鮮やかな『丹』もよし。名残を残す古寺のわびさびの色もよし。

前回は、仏陀の生涯について。
次回は、仏像の見方の2回目。大仏・如来、菩薩、二十八部衆、十大弟子について。

中学生の授業としてはかなりマニアックになってきたかな?

定期演奏会

2009-05-02 17:46:00 | 徒然なるままに
4月26日(日)

前任校の音楽部(吹奏楽部)が、定期演奏会をやるというので聴きに行った。

約1ヵ月ぶりに訪れた学校は、なんだかずいぶん久しぶりのように感じ、また、とても遠い存在に感じてしまった。
生徒も、先生方も、保護者の方々も、皆さん、熱烈大歓迎で迎えてくださったのだが、『ああ、もう私はこの学校の職員ではないのだ』と思うと、ますます遠く感じてしまうのはなぜだろう。あんなに帰りたがっていた学校なのに・・・。

午前中、美術部も活動しているというので、懐かしい、カワイイ部員たちに会いに行った。1ヵ月逢わないうちに、学年があがったからなのかなんだか皆大人びて見えた。
私を見つけるなり、見えない尻尾が千切れんばかりに出迎えてくれ、新入部員が6人も入ったこと、『先輩!』って呼ばれるのが嬉しいこととか部費を値上げしてもらったこととか、コンクールに出品する作品を頑張っているから見てほしいとか、口々に報告してくれた。
新しい顧問の先生とも仲良くやれているみたいだし、なんだかほっとしながらも、やっぱり淋しかった。

午後からの定期演奏会を聴きに体育館に入ったとたん、卒業生が駆け寄ってきてくれた。皆、高校の制服を着ていたり、ちょっと大人っぽい私服を着ていたり、GFを連れてきている子までいた。
OGやOBとして演奏会のスタッフを担当し後輩たちをサポートする姿は、頼もしいやら、うらやましいやら。

演奏会を聞いているうち、聞き覚えのあるフレーズが流れてくると、冬の寒さにも、インフルエンザの猛威にも負けず、寒い校舎の片隅で、一生懸命パート練習をしていた部員たちのけなげな姿を思い出し、涙が出た。
たった一回の本番、いつもの練習の成果が出せなかった子も、今日までに仕上がらなかった子もいたことだろう。
でも、自分を信じ、仲間を信じ、最後まで諦めずにやり遂げるのは、音楽もスポーツも、美術だって同じ。
 
終った後、部員たちが駆け寄ってきてくれたので、夏のコンクールにはぜひとも、本選出場を勝ち取り、勝ち残って、私を東関東大会に応援に行かせてね!とエールを送った。

懐かしい校舎、懐かしい生徒たち。
でも、今、私が頑張らなくてはいけない場所はここではない。今、私が向き合わなければならない生徒たちはここの生徒たちではない。
もう、バトンタッチしたのだ。
皆に心配かけたり、恥ずかしくないように、新天地で頑張らなくてはいけない。
今度皆に会うときは、
『先生もますます頑張っているから、私に負けないように、皆も元気で活躍してね!』
と明るく笑ってエールを送れるように。

我が家にAQUOSがやってきた!地デジアンテナは?

2009-05-02 16:37:00 | 徒然なるままに
4月25日(土)
ついに我が家にAQUOS(37型)がやってきた!
20年近く頑張ってくれていたTV が、もう寿命という感じで映りが悪くなる・・・というより、映らなくなって1ヵ月近く。そろそろ地デジ対応のTV に買い替えなければと思っていた矢先のことでもあり、思い切って買ってしまったのだった。(子どもたちも、定額給付金はTV代に使ってと申し出てくれた*(涙)*)
ブルーレイレコーダーも別売りのものを買ったものの、肝心の地デジアンテナについては今回は見積もりだけにして、購入しなかった。

だから、せっかくの大画面もBSもブルーレイに録画するのも、アナログ放送のまま。
なんとか地デジアンテナをつながなければとは思うのだが、自前でアンテナを買って屋根に取り付けるのと、フレッツ光のアンテナを利用するのとどちらがいいのだろう・・・。

ご近所では屋根にアンテナを立てている家が多いのだが、我が家の隣の家の屋根には大きなハム無線のアンテナがあり、以前、近所に雷が落ちたとき、隣のアンテナにも落ちたのが我が家のBSアンテナに飛び火し、焼ききれたことがあった。それ以来、お隣とは気まずくなったまま今に至るのだが・・・。

今回もせっかく立てた地デジアンテナが同じ目にあう可能性が大ならば、フレッツ光のアンテナ利用のほうが、高くはついても、メンテナンスの面では安心かなぁ・・・。

それにしても、大画面は迫力がある。画像もきれい!でも、地デジ対応ではないからなのか、画面が大きくなったり小さくなったりガクンガクン安定しなくて見づらいのはなぜ??

阿修羅展

2009-05-02 12:09:00 | 徒然なるままに
上野国立博物館で開催中の『阿修羅展』を見てきた。
http://www.asahi.com/ashura/index.html

高校の修学旅行で魅了されて以来の再会だった。

興福寺で見たときとは全く違う『展示』で、今回は360度の視点から見ることができるというのは、感動だった。

今回改めて拝観して、つくづく美しい像だと思った。
今更私があれこれ言わずとも、日本を代表する美しい仏像であり、その人気は古今東西類を見ないほどだということは百も承知の上だが。

正面の顔はずっと誰かに似ていると思っていたが、今回間近に見て、『夏目雅子にいている!』と思った。
天平時代にこの像のモデルになった人が実在したのだろうか?作者の理想の姿なのだろうか?
仏陀の説法を聞いて、帰依した瞬間の表情だといわれる正面の顔も美しいが、今回発見したのは、向かって右側の唇をかみ締めている表情。その顔を後方から肩越しに見た左45度の顔の美しさよ!!!!!この角度から見ることは、今回のような展示の仕方をしない限り不可能な角度だ。立ち止まってずっと見入っていたかったのだが、すごい混みようで立ち止まるのは不可能。ほんの20秒ほどしか見られなかったが、今もその美しさは瞼に焼き付いている。

高校時代は、何の予備知識もなく、行った先のお寺に安置されていたのを見ただけだった。
あれから30年間、見に行くことこそできなかったけれど、それなりの予備知識を得た上で改めて見ると、本当に1300年間の「祈りの形」がここにあるという実感を持ってみることができた。

また、今回実物を見ることで確かめたかったのが、正面で合掌している右腕の接ぎ跡。以前NHKの番組で、廃仏毀釈で被害にあい、折れた腕をフェノロサや岡倉天心たちの運動の甲斐があって修復されたことをやっていたのを見たことがある。
その痛々しい修復の痕をみて、改めて日本の文化美術を大切にしよう、そのことを子どもたちにしっかり伝えて行こうと思った。

八部衆や十大弟子の像も良かった。
手塚治虫の『ブッダ』を読んでから行ったので、舎利弗や目犍連を身近に感じることができた。
どの像も表情が良く現れていて、存在感があった。まるで今にも動き出しそうなリアル感があった。

去年は薬師寺の聖観音立像にカンゲキ!
今年は阿修羅ファンクラブ会員バッチをGET、Tシャツも買い、大満足で帰ってきた。会期中にあと2回は見たいなあ・・・。できれば空いている時間帯にじっくりと。
ホント、にわか仏像ファンのくせに、はまると深~い私なのでした。