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交流

『働きマン』

2009-05-06 20:44:00 | 徒然なるままに
歴博の帰り道、ラーメン雑誌で評判の店に入った。

札幌ラーメン系のその店のラーメンはそこそこ美味しかった。

待っている間、店に置いてあった『働きマン』をいう漫画を読んだ。ちょっと前、TVドラマにもなった作品だ。

1巻目の終わりのエピソードに、男に負けじと頑張る主人公に、女性社員が言ったせりふが印象に残った。
『ぶつかっちゃダメ。かわすのよ。』
女のクセにとか、女だてらに、と言うようなのではなく、女らしく、女ならではの視点で彼女なりに一生懸命仕事をしているのだ。
実際に、彼女の取材を受け入れる選手は言うのだ。
『その日の自分の体調を気遣ってくれたり、自分の記事のスクラップを見せてもらって嬉しかった。自分にとって大切な記者だ。』と。

なんだか目から鱗が落ちる思いがした。
私の仕事も、男女関係ない仕事ではある。でも、私なりの視点とはなんだろう?私らしく、私ならでは、私だからできる仕事の仕方って・・・?

確かに意識的にそう思って取り組むときもある。でも、それは時に、自己弁護や自己正当化として使ってはいないか?
もっと客観的に見て、積極的にそれを長所として磨くような取り組み方をすべきではないか。
そして、それは同時に、女であること、主婦であること、年齢や経験のなさ、講師と言う立場を言い訳や不満材料にはしないと言うことでもある。

自然体であること。自己肯定感と達成感が持てる仕事をしよう。頑張る自分が大好きで、頑張った自分をほめたくなるような仕事をしよう。
不平不満や愚痴、他人の悪口を言うときの人間の顔は醜い。また、そういうことを聞かされていい気持ちになったり、元気になる人はいない。
弱気になることや傷つくことはあるだろう。
でも、自分に負けるな。自家中毒になっている場合じゃない。

『ぶつかるんじゃない。かわすのよ』
ゴールを目指して。
時にはかわすを交わすに変えて。
言葉を交わす、意見を交わす、あいさつをかわす、微笑を交わす・・・。

職場もチームワークが大切だ。タイミングや言葉の選択、信頼関係が仕事の効率を高める。
生徒にも、どんな正論を言ったところで、人間関係ができていないときはただのウザイ説教でしかない。言葉と行動が一致し、本気で向き合ってこその人間関係ができてこそ、言葉が相手に届くのだ。

焦らずに、じっくりかかっていこう。
私も本当の『働きマン』になるために。

ちなみにこの作品はまだ1巻しか読んでいない。あの後主人公がどう成長していくか続きを読んでみようと思う。
【働きマン サイト】
http://morningmanga.com/lineup/11
【無料立ち読みサイト】
http://comics.yahoo.co.jp/kodansha/annnomoy01/hataraki02/shoshi/shoshi_0001.html


『錦絵はいかにつくられたか』(国立歴史博物館)

2009-05-06 14:04:00 | 徒然なるままに
行ってきました!歴博こと国立歴史博物館に。
今日が最終日だった企画展『錦絵はいかにつくられたか』と、土器と平城京について調べに。

昨年、歌川国芳、三代歌川豊国、歌川広重の錦絵の版木が大量に発見された。それを国立歴史博物館に展示され、現代の刷り師が実演して見せると言う企画展だ。
345枚という量はまとまった錦絵の版木として世界最大であり、かつ、輪郭線等を摺る主版(墨版)だけではなく、通常残ることがきわめて稀であるとされる色版(色摺部分の版木)も豊富に残っているという点で、もきわめて貴重な資料だ。

 残念ながら目の前での実演は見逃してしまったが、江戸時代の本物の版木や、当時の実物の錦絵と復刻番の色鮮やかな錦絵は素晴らしかった。VTRではあったが、彫り師と刷り師の実演の様子も見ることができた。
 
 体験コーナーで、錦絵を実際に刷ってみたが、トンボは外れるは色むらは出るは、なかなか難しかった。

 実物の錦絵は、1本1本の線の美しさもさることながら、1ミリのずれもない美しい刷り上り、そのぼかし具合や墨色の美しさ、空刷りで押された跡のついた凸凹がまたいい!まさに匠のなせる業だ。

 植物や鉱物からとった絵の具の粉末も見た。やはり、緑は藍色と黄色い粉末を混ぜ合わせてできていた。赤い色は丹と紅だった。
 広重の「ヒロシゲブルー」はまた格別だった。

 もっとじっくり見たかったが、今回は出遅れた上に時間がなさ過ぎた。今度見る機会があったら、版木の線の出し方や色使いをじっくり見たい。

【歴博HP】
http://www.rekihaku.ac.jp/

登竜門

2009-05-05 08:15:00 | 徒然なるままに
5月5日(火)

♪甍の波と雲の波 重なる波の中空を 橘香る朝風に 高く泳ぐや鯉のぼり

今年のGWはお天気に恵まれ、どこ(千葉県に限っては)の鯉のぼりも雨にうなだれることなく、元気に泳いでいる。
(午後からは雨が降って残念)

着任早々、校長先生から
「学校の正面玄関の掲示板に、季節感あふれる掲示物を作ってください」
と依頼された。
「唱歌」を大切にされていると言う校長先生は、以前、ご自分が、『富士山』の歌と富士の絵を描を描いて掲示したのだが、その後を引き継いで担当してくださる先生がうがなかなかいなかったということだった。

私はこれまでの赴任校で、それこそが美術部の仕事であり、活動のアピールの場であるとして、部員ともども頑張ってきたので、二つ返事で引き受けた。

が、この学校には美術部がない。
結局、私一人で担当することになった。
でも、1年生の『お誕生月のカレンダー』や、2年生の『CDジャケットデザイン』の参考作品を作ると言う気持ちで、せっかくやるなら、1枚1枚自分の代表作を作る気持ちで作っていこう、授業でも使えるものを作っていこうと思う。

その第1作が、『鯉のぼり』だ。
♪屋根より高い こいのぼり~
は、どちらかと言うと幼稚園や小学校向けかなあと思い、もう一つの『鯉のぼり』にした。

3番の歌詞に

百瀬(ももせ)の滝を登りなば
たちまち竜(りゅう)になりぬべき

とあるが、これは『登竜門』の語源から来ている。
登龍門(とうりゅうもん)とは、『後漢書』李膺伝の故事に由来する諺で、「成功に至るために乗り越えなければならない難しい関門」のこと。特に、立身出世のための関門、またはその糸口という意味で用いられる。鯉の滝登りともいわれ、鯉幟(こいのぼり)の風習はこれを起源とする。

ちなみに、「六々転じて九々と成る」という言葉があり、鯉の鱗の数は6×6=36枚、竜の鱗は9×9=81枚あるとされていて、鯉は竜門を登りきり竜へと姿を変えた時、その鱗も竜の鱗の数である81枚となるという意味なのだそうだ。
鯉は陰の数である六を平方した6x6=36枚の鱗を持つといわれ、六六鱗(ろくろくりん)とか六六魚という異名を持っている。
中国の易占いでは、この数字を坤の卦(こんのけ)といい、「純粋に陰を表す数字で、万物を成長させる卦(け)」としているそうだ。
一方、竜は陽(よう)の極数九を平方した9x9=81枚の鱗を有する聖獣とされ、この数字は乾の卦(けんのけ)といい「純粋の陽で、最高の徳を表す卦」とされてる。
だから「鯉変じて竜となる」というのは、陰から陽の卦が次第に増して、ついには「最高の徳を表す」卦になるという易の原理にも由来しており、鯉という魚は特別視されてきたのだそうだ。


高校受験という志望校の狭き門に向かって頑張る受験生たち。夏の総体やコンクールに向けて頑張る部員たちに向けてのエールであり、私自身に対しても、採用試験突破と本採用に向けて、鯉のぼりに負けない元気で頑張るぞ!と言う心意気で掲示板を制作した。(後日画像UP予定?)

   鯉のぼり
          作詞/不詳
          作曲/弘田龍太郎

甍(いらか)の波と雲の波、
重なる波の中空(なかぞら)を、
橘(たちばな)かおる朝風に、
高く泳ぐや、鯉のぼり。

開ける広き其の口に、
舟をも呑まん様(さま)見えて、
ゆたかに振(ふる)う尾鰭(おひれ)には、
物に動ぜぬ姿あり。

百瀬(ももせ)の滝を登りなば、
忽(たちま)ち竜(りゅう)になりぬべき、
わが身に似よや男子(おのこご)と、
空に躍(おど)るや鯉のぼり。

♪視聴サイト♪http://www.mahoroba.ne.jp/~gonbe007/hog/shouka/koinobo.html

さて、今度は6月の掲示板だ。
何の唱歌にしようかなぁ~・・・♪ 

みどりの日って・・・?

2009-05-04 21:33:00 | 徒然なるままに
5月4日(月)

大型連休3日目。連日のように日本列島大渋滞のニュースが飛び交う。

確かに、今の低迷した日本経済復興を考えるなら、定額給付金を地元で消費し、民族大移動して、各地でお金を使ってくれば、少しでも経済は回るかもしれない。

でも、なんだかいま一つ詰めが甘いのでは?
ただでさえ混むG.W。たとえ高速料金が割引されても、渋滞のアイドリングでガソリンを浪費し、排気ガス撒き散らすのはいかがなものだろう?
 今日は仮にも『みどりの日』。各地でそれにちなんだイベントなども模様されたことだろう。昨日は『憲法記念日』でもあり、明日は『こどもの日』でもある。
 休日の過ごし方は人それぞれだし、こういう時期だからこそかきいれ時で休みどころか昼夜働きっぱなしの人もいるだろう。
 
せっかくの『祝日』なのだから、もっとそれにちなんだ休日の過ごし方を奨励するようなお金の使い方があってもいいのでは?と思う。
たとえば、『みどり』を守るために、今日は排気ガスを出さない日で、仕事や交通機関は仕方ないが、なるべく車に乗らないようにしよう!温暖化STOPのために、今日はいつもより夜のネオンやライトアップの時間を短くするとか、野菜や花の苗を格安で販売するとか・・・。

5月4日は、かつては平日。それが何故か『国民の祝日』なんて名前の休日になり、そのうちどういう由来か『みどりの日』と言う名の祝日になってしまった。*(クローバー)**(チューリップ)**(山)**(庭)**(カーネーション)*
 飛び石連休を大型連休にするための大義名分でも、せっかくの『祝日』なのだから、それらしい意味付けや,それを奨励するような国家的有効な税金の使い方を考えてほしいと思う。

 そういう私は、今日は特別どこにも行かず、庭木や花に水をやり、衣替えの続きをやって1日が終ってしまったのだが・・・。

 さっきもUターン渋滞が始まったとニュースでやっていたが、皆さん、どうぞ事故なく、無事に帰宅できますように・・・。*(家)**(車)*

スペイン語とマチュピチュ

2009-05-03 23:06:00 | 徒然なるままに
5月3日(日)

4月から、中学時代からの夢をかなえるべく、その準備として、スペイン語の勉強を始めた。

車で片道1時間もかかる通勤時間を利用して、CDを聞きながらスペイン語会話を練習している。

昨日、『世界不思議発見』で、マチュピチュ炎上を見て、なんだか複雑な気持ちになった。

インカ帝国は1536年スペインによって征服され、現在もスペイン語が公用語なのだから、マチュピチュに行くなら、スペイン語を勉強するのが先決だ。

でも・・・。
資料は少ないが、ネイティブのインカ語も勉強したいと強く思った。
そして、歴史も。

フォルクローレを聴くと胸が締め付けられるように切なくなる。
単なる思い込みだとは自分でも思うのだが、ケーナの調べを聴いていると、なんだか呼ばれているような気がしてくるのだ。懐かしくて、恋しくて、いてもたってもいられない気持ちになってくる。
中学3年生のときからずっと思い続けている夢なんて、そうそうないと思う。何か、よほどの縁でもあるのだろうか・・・?

マチュピチュを訪れるなら、言葉も、文化も、歴史もしっかり勉強してから行きたい。もちろんケーナの練習も。

また一方で、スペインのことも知りたいと思った。
インカを征服するに至った経緯と、その後のことも・・・。

また、時代は変わるが、日本からペルーに渡っていった人々のことも知りたい。


高校の同窓会の案内状

2009-05-03 09:30:00 | 徒然なるままに
5月2日(土)

高校の同窓会の案内状が来た。
故郷のほうではなく、関東支部のほうの同窓会で、同期の同窓生たちの名簿が添付されていた。
懐かしい旧姓や今の住所を見ながら、皆、どうしているかなぁ・・・と思いをはせた。

5年ほど前に参加したとき、92歳の恩師が出席してくださっていた。
私たちを見るなり、名前を呼んでくださった(覚えてくださっていたことに感激!!)上、
「相変わらずめんこいごだ~」
とおっしゃってくださり、ここ何年も言われたことのない、懐かしい宮城弁のほめ言葉に、皆、柄にもなく少女のようにはにかんだ。
 
 私も同業者として、先生のお気持ちはすごく良く分かる。
 何年経っても、何歳になっても、自分にとっての教え子たちはかわいいのだ。
 生徒としての自分も、同級生たちと昔の呼び名で呼び合ったり、昔話に花が咲くうち、気持ちだけはあっという間に15~17歳の頃にタイムスリップしている。
 そこに「めんこい」なんて言われたら、すっかり乙女になってしまうのだ。

 あれから5年も経ち、恩師はお元気でいらっしゃれば98歳。他の先生方も高齢化されていることだろう。
 当時、30代だった先生方も定年を迎えられ、悠々自適の生活や、第2の人生を送られていることだろう。
 5年前、当時若くとてもお元気だった先生から
「お前たちの代の学年が一番面白かったなや~」
 と言われた。なんというほめ言葉だろう!
 自分たちの青春時代を共に歩み、育み、慈しんで下さった先生方からの最高の賛辞だと思う。
 自分も教師をしていて思うのだが、「この学年でよかった、この学校の卒業生になれてよかった」
という教え子たちの言葉と同じくらい、恩師からのこの言葉は何よりものほめ言葉だと思う。

 同窓会当日は、何人の先生方が出席されるかわからないけれど、万難を排し、出席できるようにしよう。
 同級生たちにも声をかけ、なるべくたくさんの参加者で、出席してくださる先生方をお迎えしよう。
 持ち回りとはいえ、毎年絶えることなく同窓会を企画してくださっている幹事学年の先輩方の労に報いるためにも。
 それは、やがて、自分たちの学年にも回ってくる大役でもあるのだから。

7月5日。私が高校生に戻るとき。
せめて体型だけでもあの頃に近づけられるように、ダイエット頑張らなくっちゃ!

脱・メタボ宣言?!(元ソ-ラン隊長の決意)

2009-05-02 21:48:00 | 徒然なるままに
5月1日(金)

今日は、1日特休をもらって、末娘の授業参観&保護者会に参加した。

中2の娘の学校での姿は、なかなか新鮮だった。
1時間目は美術で、レタリングの授業だった。つい職業柄、困っている子に手助けしたくなったり、上手にできている子には声をかけてあげたくなったりするのをグッとこらえて『参観』に徹した。

休憩時間に、かつてソーラン隊員だった子達が挨拶に来てくれた。中3の子は、修学旅行のスタンツで「ソーランを踊ろう!」と提案したら却下されたことを悔しそうに語っていた。彼らがソーランを始めた頃(小学生だったけ・・・)は、この中学校のバザーに招待され、全校生徒や職員、他校の生徒や保護者まで巻き込んで校庭狭しと踊ったものだ。
「また『金八先生』やるとブームになるかなあ」
「そうだねぇ・・・。せっかく、中3になったんだから、小学生のとき以上にかっこよく踊るところ見たいよ。諦めずにいつか何かで踊って見せてね」

ソーランを引退して3年。『運動不足』というかつてはなかった言葉がついて回り、それが体型や体力に反映されるようになって来た。
 
かつての教え子たちに、「もうソーランは踊っていないんですか?」とたずねられるたびに、なんだか申し訳ない気持ちになる。
一方で、高校や大学、海外留学先でソーラン隊を作って活躍している教え子たちや、体育祭で教えたソーランを伝統として踊り継いでいるという知らせを聞くたび、なつかしさと嬉しさと、私も負けてはいられない気持ちになる。

隊長を引退したとしても、かつての隊長がもうソーランは踊っていない、ソーランを踊れる体力もない、『運動不足体型』になっているというのは、いかがなものか?
 
かつての教え子に会ったときに、「私もまだまだ皆には負けていないよ!皆もがんばれ!!」とエールを送れるような元隊長でいなくては!!


ソーランは、私の元気の素だった。
「踊っている人も、見ている人も元気になれるソーラン!」
が、私たちソーラン隊のモットーだった。
どうして3年間も踊らないでいられたのだろう?

めざせ!夏休みまでにソーランを踊りきる体力回復とダイエット!!

奇しくも、今日5月1日は、佐倉時代祭りのデビュー記念日だ。
当時はこういう日が来るとは想像もしていなかったけれど・・・。
かつての自分に恥じないように、決意を新たに!

美術検定にチャレンジ!

2009-05-02 21:04:00 | 徒然なるままに
先日、千葉県の教員採用試験の説明会に参加した。

小・中学校で美術の講師を始めて7年目。幸いにも1年間ずつの任期で、途切れることなく勤めることができている。
が、「講師」という役職、立場ならではのメリット、デメリットを考えると、圧倒的にデメリットが多いことが身に沁みた7年間でもあった。

私自身は、マイナス思考をプラス思考に変換し、何事も前向き、上向きに考えて行動することができる、というのが、自他共に認める長所だと思ってきた。

それがこの1ヵ月というもの、思いっきり地を這う状態でなかなか浮上できなかったのだが、いろいろな出会いやきっかけやエールをもらって、やっと復活するだけのエネルギーが貯まってきた。

最大のきっかけは、『スラムダンク・あれから10日後 完全版』のラストシーン、リハビリセンターの女医さんと桜木花道のやりとり。
海岸にたたずむ桜木を迎えに来ながら、日本人初のNBA選手誕生のニュースを告げるシーン。
『ほとんどの人が、日本人にはムリって思ってたらしいわ。だけど・・・ムリだって言うのはいつだって チャレンジしていない奴よね。さぁ、桜木君も新たな段階のリハビリにチャレンジ!』

私は今、何かにチャレンジしているだろうか?
最初から諦めていたり、やりかけたままいろんな理由をつけて停滞していたり、投げ出してはいないだろうか?
人のせいにして、自分自身を甘やかしてはいないだろうか?
本当のストレスの原因は、やるべきことをやっていない自分、言うべきことを言えないでいる自分自身への苛立ちや、自己嫌悪、自信のなさなのではないか?

だったら、今、自分はどう動くべきか?
蔑視を受け、否定され、必要とされていないのであれば、その逆に、自分を認めてもらい、必要とされるだけの資格、知識、実績、教養、人間性を磨き、『一目置かれる人物』を目指そう。
過去の実績や栄光に頼らず、常にバージョンアップし続ける努力をしよう。
その努力もしないで、一時しのぎのストレス解消をしても、何も解決されないし、前進もできない。

今年の私のチャレンジ。
採用試験を受ける。もちろんただの挑戦ではない。受かるつもりで受ける。そのための情報収集、準備、勉強、練習を頑張る。
その1つとして、『美術検定』を受ける。
自分自身のバラバラな専門知識を一度整理し、一通りのことは教えられるという程度はなく、より大系立ててポイントを抑えて的確に教えられるように、勉強し直し、自信をもって教えられることを目指そう!

それが分かったとたん、1ヶ月も落ち込み浮上できなかった長いトンネルから抜け出ることができた。

つくづく本当に『楽』を選べない性格だなあと思う。まぁ、『苦あれば楽あり』とも言うしね。本当に『楽しい!』と思えるように、1年後、達成感とともに、次の赴任校に向かえるよう、頑張ろう!!

ところで。早速『美術検定』の問題集を買ってきてやってみたところ、面白がって便乗してきた大学3年生(法学部)の息子のほうが美術史に関しては、私より成績が良かった!ガ~ン*(汗)*ますますやる気になってきた!まだまだ息子には負けてはいられないぞ!!がんばれ私!!!

スラムダンク『あれから10日後』完全版

2009-05-02 20:03:00 | 徒然なるままに
*(バスケ)*2004年8月10日、新聞6紙に一斉に掲載された全面広告。高校バスケを描いて一世を風靡した漫画『スラムダンク』が1億冊を突破したことを記念して、作者の井上雄彦が自ら広告主となり、多くの人々を驚かせた。
そこで立ち上げられた“『スラムダンク』1億冊感謝記念サイト”には、ファンからの感謝のメッセージが多数寄せられた。サイトのクローズにあたり、井上雄彦はファンのために一つのイベントを企画した。
2004年3月をもって廃校となった旧神奈川県立三崎高校を借り、'04/12/03~05、最終話から10日後の「彼ら」を、教室の黒板に描いた。

スラムダンクの『あれから10日後』とは-----
『スラムダンク』最終話を飾った「湘北対山王工業」戦。何ページにもわたってセリフはなく、すべて動きと人物の表情だけで表現された山王戦。鳥肌が立つのを抑えられなかった、あの衝撃的なラストシーンから10日後の「彼ら」。赤木晴子、三井寿、宮城リョータ、赤木剛憲、木暮公延、流川楓。そして、桜木花道――。
湘北高校のキャラクター達だけではない。数々の名勝負を演じてきたライバル達の「その後の日常」も描いた作品だ。

その作品が、写真集となって蘇った。新聞6誌に掲載された湘北高校メンバーの絵とともに。

巻末には英語訳が掲載され、『スラムダンク』の海外のファンたちも大喜びだろう。

表紙の海岸の写真は、桜木花道がリハビリを続けながら毎日見続けた海なのだろうか。
裏表紙の使い込まれた体育館のバスケットコートの床の写真がまたいい!!
キュッキュッというバッシュの靴底のすれる音や、ダムダムというドリブルの音が聞こえてきそうだ。

去年は上野の森の『井上雄彦・最後のマンガ展』ですごいエネルギーと感動をもらった。
今年は『あらから10日後・完全版』で泥沼の底から一気に浮上するくらいのパワーをもらった!!
G.W は『スラムダンク』をもう一度読み返してみよう!!

井上雄彦サイト
http://www.itplanning.co.jp/

SLAM DUNK -10 DAYS AFTER
http://www.itplanning.co.jp/slamdunk/

仏像にはまる

2009-05-02 19:15:00 | 徒然なるままに
今、3年生に「仏像を100倍楽しく見る見方」という授業をしている。

もうすぐ京都・奈良方面に修学旅行に行く3年生。少しでも有意義な旅になればと思って計画したことだが、今のところ反応は今一といった所か・・・。

この授業は、1年生では「鎌倉校外学習」がある学校や3年生で「奈良・京都修学旅行」のある学校ではずっと続けてきた授業だ。
昨年度の中学校では大好評で、生徒たちからは、
「先生は1年間しか僕たちの学校にいられない先生だから、ぜひ、先生が在任中に、2年生たちにもこの授業をしていってあげてください」
というメッセージをもらい、私もその気になって、つい先々月もやってきた授業だ。

『仏像』なんて、古臭い、辛気臭いと思っていた生徒たちが、どんどんその魅力に引き込まれ、「実物を見たい!」「学習したことを自分の目で確かめたい!」「仏像と実際にその場で目を合わせて見たい!」「早く修学旅行に行きたい!」と意欲的になっていくのを見るのはとても楽しい。
『仏像の授業を受けて、この素晴らしい人類の宝を、今の私たちが見ることができるように命がけで守ってくれた人々に感謝したい。そして自分たちも、未来の人たちのために、しっかり守っていかなくてはならないということを学んだ。』
という感想を寄せてくれた生徒もいた。

今の学校の3年生もそうなってくれるかどうか、不安よりもワクワクするほうが勝っている。

そのためにも、さらに充実した授業にせねばといろいろ調べているうちに、私自身が仏像にハマっていっている。調べれば調べるほど奥が深く、面白い。

『阿修羅展』を見に行く前に、手塚治虫の『ブッダ』を読んだ。
伝え聞く超人的なブッダではなく、とても人間くさい主人公の心の葛藤にすごく共鳴した。さらに架空の人物やフィクションを交えながら、ブッダが何を悟り、ブッダの説法の何が人々や異教の神々を帰依させていったのかが実に分かりやすかった。
『仏教』の視点とは違う視点やエピソードだが、より身近にブッダを感じることができた。


3月に上海に行ったとき、何体もの仏像を見たが、何故か日本の仏像ほどありがたみを感じなかった。

阿修羅像を30年ぶりに見たとき、その答えが分かった。
日本の仏像は、古めかしく、中には痛んでいたりするものもあるが、そこにむしろ、戦火や廃仏毀釈をを潜り抜け、大切に守られてきた歴史の重みと人々の祈りの深さを感じるのだと思う。

これが、毎年、作りたてのようにきれいに修復され、極彩色や金ピカに塗りなおされていたらどうだろう・・・。
わずかに残る彩色後や金箔の名残が、作られた当時の鮮やかさや華やかさを想像させるというところが、想像力を刺激するのではないだろうか・・・。

『あおによし・・・』とは、新緑に映える春日大社の鳥居の朱色のことを言うと聞いた。
鮮やかな『丹』もよし。名残を残す古寺のわびさびの色もよし。

前回は、仏陀の生涯について。
次回は、仏像の見方の2回目。大仏・如来、菩薩、二十八部衆、十大弟子について。

中学生の授業としてはかなりマニアックになってきたかな?