東京リサーチ日記

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聖路加国際病院で肺がんでなくなった筑紫哲也氏・・・

2008-11-22 09:25:18 | 情報・日記
 2008年11月22日、キャスターの筑紫哲也さんの肺がんでの死去について報道界では衝撃が走った事は言うまでも無い。筑紫哲也氏は朝日新聞出身であり、1978年にテレビ朝日系列の「こちらデスク」の司会でキャスターとしてデビューした。「こちらデスク」開始当初は、朝日新聞外報部に在籍しており、テレビ出演は「こちらデスク」のみであった。その後、1981年にタモリ(森田一義)氏と朝日新聞のコマーシャルに出演し、1984年に朝日ジャーナルの編集長に就任した。そして、オフィス東京リサーチの代表は1986年にある筑紫哲也氏の講演会で実際に見た。テレビと変らない感じであり、講演内容は早稲田大学在期中頃の香港での留学生活についてであった。その後、筑紫哲也氏は、1989年7月に朝日新聞社を退社してフリーとなり、1989年10月からTBS系列の「筑紫哲也ニュース23」に出演した。あれから20年近く出演し続けてきたが、その間に「多事争論」は人気があり、朝日新聞のコラム「天声人語」のようだ。これは新聞記者出身の発想なのかも知れない。2008年3月に「筑紫哲也ニュース23」を引退して、4月からは「NEWS23」と番組名を変えた。この出来事は、筑紫哲也さんにとっては死期が近いと感じて引退を決意したのだと感じられる。そして、2008年11月7日午後1時50分に東京の聖路加国際病院で肺がんでなくなった。73歳であった。筑紫哲也氏の人生は自由人的なもので、人脈が広い方であった。ご冥福を祈ります・・・※ この記事は、企業・団体等に対して誹謗・中傷を行ってはいません。正当な活動によって制作しています・・・(飯島隆) 
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