自著の小説・詩の紹介(巨人戦)

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高木徳一の小説の執筆状況と22作目の詩、巨人

2008-07-17 16:16:56 | スポーツ

 お早う御座います。

 蒸し暑い日々が続き、如何お過ごしですか。

 昨日、朝食後に糸欄の延び過ぎた枝を二本下ろした後、頭が重くなったので、床に横になったのです。夏の疲れか、熱中症かも知れません。過労を避け、水分補給をして下さいね。

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 昨夜(16日)の巨人戦ですが、中日の好投していたチェン投手の暴投で虎の子の1点を貰いました。8回表2死1,2塁で零点に抑えていた内海投手に代えて上原投手を送ったが、2連続タイムリー2塁打を浴び、1:5で負けてしまった。解説者の槙原元巨人投手と同じく、打たれる予感がし、豊田投手あたりがいいなと思いました。抑えに、上原、豊田、クルーンの3投手がいるので、当日一番調子の良い投手を送り出して欲しい。過去の実績を過大評価する事なく、投手コーチはしっかりと率直に監督に進言して下さい。これで、43勝39敗で、優勝は無理になり、2,3位の死守です。

 スタートから巨人苦戦の折り、2軍で調整中の二岡選手が山本モナさんとラブホテル不倫騒動を起こした由。早く1軍に戻っての活躍を期待していたのに残念です。次回の小説は、愛の深さから結果的には不倫となった姉を持つ妹達の思考や行動を描きたいと思っていたので、不倫の定義や罰則はどうなっているのかを、検索してみました。

不倫や浮気は法律用語には無いそうです。法律用語は『不貞(行為)』で、民法770条に「配偶者のある者(婚約中も)が自由な意思に基づいて配偶者以外の異性と性的関係を結ぶ事』と定義されています。この場合、配偶者に対する不法行為ですから、離婚理由にもなりますし、損害賠償請求(慰謝料)発生の根拠になります。さらに、不貞相手にも損害賠償請求が出来ます。

最高裁判例(昭和54年3月30日):不貞行為は『不貞を働いた夫婦の一方』と『不法相手』の『共同不法行為』である。夫婦は互いに守貞義務を負う。

最高裁判例(平成8年3月26日):婚姻関係が既に破綻していた場合、不法行為責任を負わない。

刑事訴訟法には記載は無いので、刑罰はなし。

お2人の謹慎後の再出発を見守ります。

 次は明るいニュースで、『楊逸(ヤンイー)さん、第139回芥川賞の受賞お芽出度う御座います。一層の活躍を期待しております』。以前書き込みました様に、かつて北京に3年弱駐在しており、中国人の友人も出来、中国を第2の故郷と思って、その経験などを下敷きに『北京の月季』とその増補版『愛と死の絡繰』をホンニナル出版サイトに掲載されました。http://www.honninaru.com/web_order/publish/をクリックし、検索で『高木徳一』と入力すれば作品紹介があります。そんな関係で、昨年楊さんの『ワンちゃん』が文学界新人賞を受け、芥川賞候補になったと知り、新聞記事を切り抜いておりました。今回、3作目の『時が滲む朝』で受賞され、びっくりしました。内容は民主化運動に身を投じた中国人青年が天安門事件後、日本に移住、悩みながら成長する姿を描いているとの事。22年間の在日で零から日語を勉強し、2人の子を育てながら中国語講師として働いてきたそのバイタリティーに敬服し、勇気付けられ、執筆の意欲が更に湧いてきました。

 半年掛かりで、日中戦争を題材にした『赤い笹舟』(男共の肉弾戦争)を完成させ、今私設編集長の幼馴染で呉服屋の旦那にチェックして貰っています。投稿先だった『新風舎』が倒産し、営業権が『文芸社』に譲渡されたそうですので、思い切ってクラスの高い『群像新人賞』に投稿予定です。その内、『希望の確率』、『赤い笹舟ー女達の心理戦争』をホンニナル出版サイトに案内を掲載します。今迄は恋愛、癌、戦争など『愛と死』をテーマに描いてきましたが、これからは死を無いか少なめにし、ユーモアを多くブレンド出来たらと思っています。

 お終いに、22作目の『旅愁散文詩』をご笑覧下さい。

 二十二. 神奈川県箱根(原生林と五山文学)

  (一) 箱根湯本から 塔ノ沢 大平台とスイッチバックは続くなり

      今来た我が線路(みち) 眼下に見遣る

      春の草花 色取り取りに

      終点強羅でケーブルに乗り換え

      路面電車が勾配昇る 家々の庭を見ながら

      早雲山でロープウエーの箱に入(い)り

      もくもくと湧き上がる黄色い煙 山肌も黄色に

      ロープよ 切れるなと心に念じ

      姥子から 金時山 神山 駒ケ岳が一望に

      静かに顔出す 芦ノ湖よ

  (二) 桃源台から 湖半周の旅

      「今日は!」 笑みと笑みで挨拶交わすなり

      喬木 潅木 何でもござれ

      針葉 広葉 何でもござれ

      若人の足は テンポ良く 原生林を進み行く

      年輪を肌で感ず

      深良水門 亀ヶ崎 小杉鼻 百貫ノ鼻 箒ガ鼻

      時折り見ゆるは 海賊遊覧船

      町は近いぞ 白浜着だ

      石段を登り手を合わせ 駒形神社

      箱根関所で 往時を偲ぶ

      箱根街道 石畳

      杉の並木 天を覆い

      何百年 否何千年と旅人と話を交わしたことか

  (三) 近道をと 道無き道を降りししは

      夢想国師の閑居跡なり

      室町時代の臨済宗の禅僧で 後醍醐天皇から国師号を

      賜り、京都、鎌倉の五山文学(詩、書)の中心的巨匠なりき

      また、苔寺などの名園を設計している

      詩を紡ぎ始めた我は 彼の魂受け継ぐべく 一人立位で合掌す

      宮ノ下温泉のひなびた店で 冷えたビールを口に含み 

      五臓六腑の歓喜の声を聞き入り

 


高木徳一の小説の執筆状況と21作目の詩、巨人

2008-07-01 13:52:09 | スポーツ

 今日は。

 早いもので、今年の後半が始まりましたね。先月29日は東京郊外の高尾山(512m)ハイキングの予定でしたが、大雨の為、残念ながら延期になりました。関東の梅雨明けに行く予定です。東京に住んでいて、未だ訪ねた事が無かったので・・。

 巨人は交流戦の最終日にソフトバンクに負けて、優勝賞金5千万円をフイにし、ソフトバンクに上げてしまいました。後半戦になって、やっと上原投手と高橋投手が戻って来てくれましたね。2軍での調整は精神的には苦しかったでしょうが、肉体的には十分な休養になったと思いますので、今後は大車輪の活躍を期待します。その表れが、6月29日の対広島の3戦目です。高橋尚成投手が先発、好投し、9回1死1,3塁で高橋由伸選手が勝越し打、ラミレス選手が満塁アーチを放ち、6:1と突き放し、上原投手が9回を3人で抑えたのです。今日からヤクルト3連戦。貯金1から毎日積み上げて下さいね。

 8月8日からの北京オリンピックも間近になり、代表選手も続々決定し、本番に向けての調整に励んでいる事でしょう。ベストの状態で望めるように頑張って下さい。

 さて、小説執筆状況は『赤い笹舟』を原稿用紙400字詰めで320枚から250枚に短縮すべく、再構成中です。

最後に、『旅愁散文詩』の21作目をお贈り致します。

 二十一. 神奈川県鎌倉市(伯母と鎌倉大仏)

                 昭和五十三年五月

  (一) 糖尿を病みし伯母。亡くなった父の姉なり。今は逗子で療養中。

      「やあ!今日は」「おお、徳ちゃん。遠い所、よく来てくれたね。

      弟さんも一緒かね」「ええ、お加減の方は如何ですか?」「何、

      どうってこたあねえだよ。ただ、甘い物はいけねえだどさ。食事も

      多く摂ってはならねえど。ほら、この通りぴんぴんしてるで。大部

      屋なもんで、他の患者さんとくっちゃべってるだよ」「これ、母さん

      から伯母さんへって」と、包み紙を手渡した。「そう、そりゃあ良か

      った。痛い所も無いなら、お医者さんの言う事を良く聞いて、早く

      治って帰って来て下さい。父は生前、脳軟化症で全身が痛いって

      言ってましたので・・」「そうだったわな。屋上に行ってみべえか。

      見晴らしがいいだよ」 病人の後に付き、階段を上り、五階建て

      のビルの屋上に出た。海風が三人の顔を心地好く過ぎっていた。

      小高い山々に囲まれ、直ぐ近くの相模湾も見えた。畑多し。

      宅地造成地にブルが一台動いている。世間話を暫しした。

      「風が冷たいや。風を引くといけねえから、遅くならない内に帰った

      方がええ」「大丈夫ですよ、未だ午後三時ですから」「ええ、ええ。

      顔見ただけでよかばい。お父さんの分まで、お母さんを大事にして

      頂戴ね」「はい、判りました」 病室に戻り、家政婦さんに 

      「よろしくお願いします」と挨拶した。病人に急かされて、部屋を

      後にする。

  (ニ) 未だ、時間が有ったので、帰り道鎌倉大仏に寄る事にした。小学

      生の頃、皆で撮ったアルバムの写真を思い出した。バスに乗り、

      近付く浄泉寺。過去との対面に胸わくわく。バスを降り、表示に

      従って、枝振りの良い松の並木を大股で歩く。日はやや暮れて

      きた。見えた。在った。大仏坐像が。青い格子状の高い門が閉ざ

      されている。閉門十分後。残念至極。「身体の大きな大仏様よ。

      貴方に良く似た、やや太り気味の伯母さんの病気が早く治ります

      様にお願いします」 門越しに二人で手を合わせた。三日月の

      弱き光が大仏をほんのりと照らしている。

  (三) 約2年後、療養所で亡くなったとの知らせが届いた。天に召された

      伯母よ。何時も大声、がらっぱち、せっかちだった。心の中を全て

      出している様なあの明るさ、朗らかさ。愚痴や悩みを聞いた事が

      無い(まあ、子供に話しても仕方無いだろうが・・)。傍目には映ら

      なかった哀しみを胸に仕舞い込み、耐えてきていたのかも知れ

      無いが・・。伯母の人生の幕は閉じられた。しかし、その幽体と

      思い出は関係者の間で生き続けるであろう。しょぼくれた僕らを

      見たら、何時もの様に怒鳴っておくれ・・。