自著の小説・詩の紹介(巨人戦)

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高木徳一の小説の執筆状況と45作目の詩(最終)(巨人戦)

2009-09-15 14:50:16 | 小説

 お早う御座います。

 9月12日土曜日が雨降りで日曜日にお祭りが延期になりました。秋晴れの日差しが強い中、山車、子供神輿、大人神輿が繰り出し、町内会は賑やかでした。ただ、日曜日なので、野球やサッカーの少年の試合が組まれていてその分人数は減りましたが。午後、休憩中に小学生男子がふざけて山車の綱に足を取られ、転んで棒に額をぶち当て、鮮血を流しました。山車の先導役の私は目の前に居て、慌てて軍手でその額を強く圧迫し、止血したのです。救急担当が駆け付け、軍手をどかすと、血は止まり、傷口は1センチ程度でホッとしました。消毒し、三角布で強く縛り、傍に来た母親が父親に電話して車で病院に行くとの事でした。久方振りに肝を冷やした一件でした。

 さて、政界は15日午後に民主党の幹事長に小沢氏が就任予定で、組閣人事の内定の発表もあるかもしれませんね。優先順位をしっかりと議論し、実行して頂きたいです。雇用不安は社会不安に直結しますので、雇用促進の早期解決が望まれます。

 スポーツ界では、イチロー選手が大リーグ新の『9年連続200安打達成』で持ち切りですね。ホームラン王に比し、地味な感じは仕方ないですが、努力の継続の凄さを物語っています。私も草野球に勤しんでいて、3割を打つことは大変だったので、9年間持続して3割以上と知り、驚きました。毎日同じようなトレーニングでも、常に工夫や思考を凝らし、日々進歩していたと思われます。健康、探究心、技術、周囲の人との関係など、悩み、苦しみながらも前向き姿勢で、野球が大好きの一点を頼りに歩んだからですね。また、一つ一つ積み重ねて下さい。私もそうしたいと思います。先ずは、心よりおめでとうの言葉を捧げます。

 なお、巨人の方は76勝39敗9分で2位中日と7差でマジックが11で、残り20試合と少なくなりました。怪我人続出とか、インフルエンザ感染とか突発的な事件が起きない限り、優勝は90%以上間違いないでしょう。

 大相撲も13日から始まりましたが、横綱白鳳関を破る関取が出ないことには盛り上がりませんから、日々の鍛錬をお願いします。

 小説は、『黒服の訪問客』が脱稿し、1週間寝かせてから校閲し、私設編集長にチェックして頂き、何処かの新人賞に応募します。次回作の構想は頭で描いていますので、これからプロットを立てる予定です。

 昨夜、向田邦子作のコメディードラマ『母の贈り物』をテレビで鑑賞しました。結婚前日、突然新婦の母親が現れ、駆け落ちした母に戸惑い苛立つ新婦。それを慰める新郎。新婦がなじるのに堪りかね新郎の寡婦が秘密を告白。自分も苦境の時に近所の水道屋さんに世話になったと。女手一つで自分を育ててくれたと信じていた新郎が慌てふためき八つ当たり。愛するとは、人情とはをユーモアを交え、人の心に響かせている。世間に見られる事象を鋭く観察しており、自分も真似をしたいと思いました。

 前回、『小説歌謡』について書きましたね。そうしたら、9月5日の朝日新聞朝刊の頁e3に『うたの旅人』が掲載されていて、松田聖子さんのヒット曲『風立ちぬ』は松本隆さんが作詞したと書かれていました。しかし、彼が堀辰雄氏の小説『風立ちぬ』からヒントを得て作詞したのか、単に題名だけを借りたのか、または何ら小説とは関係がなかったのかは記事には言及されていませんでした。当人に聞く以外真相は分かりません。

 それでは、『旅愁散文詩』の最終頁をお贈り致します。

  

  四十五. イタリア、ローマ市 (古代人との邂逅)(続き)

   (十) ナヴォナ広場

       ナヴォナ広場に在るパンテオン神殿の青銅の大扉から足を踏み入れた。直径9米の天窓から光を呼び込み、或る一面に反射し、周りに微光を放ち、神秘的なムード。ドームの直径、高さ共に43.3米、古代人の建築技術に呆れる。紀元前27年、アウグスト帝の一人娘の婿である執政官マルコ・アグリッペによって皇帝の守護神を祀るため建てられた。紀元80年の落雷後、修復され、7世紀にはキリスト教会になった。今でも、エマヌエレ二世、ウンベルト一世、画家・建築家のラファエロ・サンティの墓がある。

   (十一) ヴァティカン市国

        テヴェレ河を渡り、サンピエトロ広場に医師を乗せたリムジンが着いた。ここに、世界中からの信者約40万人の大勢を収容出来るのか・・。柱廊の上から、広場を見下ろす白亜の聖人像104体、風雨に負けず、立ち並ぶ。

 赤、黄、黒の縞模様の服を着た衛兵2人。

サンピエトロ寺院の内部に入り、天井を見上げた瞬間、目の玉がくらくらした。高さ50米はあろうか、奥行きは186米。このドームが信者の喜怒哀楽を吸い込み、浄化して、再び喜怒哀楽を穏やかなものにして、信者に戻しているような気がした。一人の力で成し得ぬ事でも、多くの人々が集まれば、その心、技術、金の力で崇高なる精神、建造物を地球のある限り、伝承してゆけるものだとの感銘を強く受けた。

 磔になった我が子を抱く聖母マリアの表情に、人間と共通する止め処なき悲しみをみる。ここは、ネロ皇帝時代に殉教した聖ピエトロの墓の上に、4世紀のシルヴェウス一世が教会を建てた事に始まる。法王ニコラウス五世がカトリック総本山に相応しい寺院再建計画を立て、代々の法王と芸術家が組んで造ったルネッサンスの記念碑的な大教会である。

    (十二) トラステヴェレ地区

        テヴェレ河の石橋を通り、下町の石畳の路地裏に在るレストランシアター『ファンタジェ・ディ・トラステヴェレ』の前でタクシーを降りた。車の脇に、腰に拳銃を提げたボディーガードが近寄り、門の中へと誘導される。ギョッとして、この地区の治安の悪さを垣間見た気がした。ガラス張りの入場口から廊下を経て扉から内へぞろぞろと入る。おや、何処かで見た顔・・、そう、日本人の団体さんが真ん中に陣取っている。外人客は・・、おっと、ここでは日本人も外人だ。200人位の内、日本人以外は二、三割は居るには居るが。

 テーブルを囲み、ワインを飲み、前菜、肉、魚を頼み、会社仲間と語る。朗々たる独唱、陽気で笑顔のカンツォーネを合唱で聴き、旅と医師世話役の仕事の疲れも一気に吹っ飛んだ。日本の歌のリクエストタイムでは、『さくら、さくら・・・』『春のうららの隅田川・・・』など、流暢な日語が会場狭しと響き渡り、こちらも思わず口ずさみ、終わるややんやの喝采が送られた。日本の国歌『君が代』を要望した客が居たが、他の歌にして欲しいとやんわり断られ、愛国心の強いイタリア魂を見た思いがした。

  

   四十六. 終章

        友人との旅、時には出張時の小さな旅に出て、自然との語らいを願った。しかし、自然の中で息づく人々との触れ合いなくしては、自然との対話もあったものではないと気付いた。自然と共に生き続ける人間の歴史、文化、経済などが、そこかしこに厳然と存在する。万象皆師・・。観る側のアンテナを鍛えて鋭敏にしておかなければ、網膜に、心に焼き付ける事は出来ない。一段とアンテナを磨き、次ぎの旅に出たい。あなたにも是非、旅の醍醐味を存分に味わって欲しい。

  これで、『旅愁散文詩』の終了です。ご愛読有難う御座いました。折角ですので、生きてきた足跡としてこの『旅愁散文詩』と10年前に同人誌に掲載されたエッセイ数編をまとめて出版予定です。

次回からは予告通り、『小説歌謡詩』を連載致します。どうぞ、ご期待下さい。

    

        


高木徳一の小説の執筆状況と45作目の詩(続き)(巨人戦)

2009-09-03 15:52:31 | インポート

 お早う御座います。

 9月に入り、一気に涼しくなりましたね。これで、小説の執筆も捗ります。

日々観察しているゴーヤの成長も日照不足のせいで芳しくなく、また巻いて育ったものは小さいのに直ぐ黄色になってしまうものが4個も出てしまいました。収穫量は昨年の4割と大減収です。来年に期待します。

 さて、世紀の決戦総選挙では、民主党が世論調査通りに圧勝しましたね。お友達閣僚の失言、不祥事、二代続けての投げ出し首相辞任など長期政権党の疲弊がもろに噴出しました。官僚、大企業などとしがらみの少ない民主党がどのように大なたを振えるか、監視致しましょう。自民党にも立ち直って頂き、2大政党で緊張感のある政権交代が望ましいと思います。

 スポーツ界では、柔道の世界選手権で女子が金メダル3個を獲得し、男子はメダル零との事。谷選手に続いた女子の活躍に敬意を表します。

野球では、大リーグのイチロー選手が足のケガで8試合欠場後の試合で2安打し、残り29試合で14本安打すれば、『大リーグ新記録の9年連続200安打』達成となります。彼なら遣り遂げるでしょう。昨夜の巨人はラジオで横浜に7回で1:4と負けていると聞き、諦めてスイッチを切りました。翌朝のラジオニュースで巨人の逆転勝ちが報じられ、嘘だろうと一瞬思いました。早速、新聞を広げた結果、8回に谷、阿部選手の連続ホームラン、9回には坂本選手のツーランで同点とし、ラミレス選手の二塁打でサヨナラ勝ちとの事。野球は下駄を履くまで分からないとは正にこの事。中日が広島に惜敗したため、残り28試合でマジック21が点灯。このまま突っ走るのみ。フレー、フレージャイアンツ!

 仮題『黒服の客』の小説の執筆状況は最終のクライマックスにきて、残り20枚程度で、合計400字詰め原稿用紙で230枚前後になります。ご期待下さい。途中中断もあり、半年位要してしまいました。それだけに、見直しをしっかりしたいと思います。

 掲載詩については、『旅情散文詩』の残りも2、3回となり、その次は『小説歌謡』を予定しております。ご存知と思いますが、石坂洋次郎作の『青い山脈』や大島みち子、河野実作の『愛と死をみつめて』はベストセラーになり、歌や映画、劇にもなりました。ですから、小説を歌にする『小説歌謡』なる単語もあると考え、広辞苑を引きましたがありません。グーグルの検索では、文章の中に『・・仕掛け人は、かつて南沙織を私小説歌謡で大ブレイクさせた酒井正利・・』があり、私小説歌謡なる単語はありました。自作小説の売れ行きがいまいちなので、考えた結果、小説を歌にして皆に口ずさんで頂き、逆に小説に興味を持って貰おうと考えた訳です。自作小説が終わったら、他の作家の小説を歌詞にまとめたいです。

 最後に、『旅愁散文詩』の45作目の続きをご笑覧下さい。

   四十五. イタリア、ローマ市 (古代人との邂逅)(続き)

   (七) 共和国広場

       テルミニ駅から二百米先の共和国広場にある噴水の石囲いの上で、仰向けになり友と天を見詰める。雲がふんわり一片、この青空。東京の空も同じかなあ・・。日本人の一行、中国人か韓国人の一人が目の前を通り過ぎて行く。ニューヨーク程の怖さは無く、治安も良いと聞いていたので、テルミニ駅からA路線でバルベリーニ駅、またB路線でエウールフェルミ駅まで利用した。

 テルミネ駅に戻り、共和国広場から発するナツィオナーレ通りに面したローマ三越に足を踏み入れ、ホッとする、日本人従業員がちらほらいたので。友は壁掛けを二点買った。外に出ると、角に、目ぱっちりで眉毛太く、濃い、彫りの深い愛嬌のある十二、三歳の少女が三、四人たむろしていた。その内の二人がボードを手にしながら、見てくれというように近付いて来た。他の少女は横に回っている。(うむ、これが世に名高いジプシーの物貰い、またはかっぱらいか) さんざ、出張前に日本で耳にたこが出来る程聞いていたので、肩に掛けた鞄、カメラを両手で押さえ、防御の姿勢を取った。すると、どうだろう。ちぇ、気付かれたかあと言うようなジェスチャーで元の場所に戻った。暫く、彼女らの様子を見ていたが、行動を起こさなかった。観光客を狙えと指示されているのだろうか・・。この子らの教育はどうなっているのか・・。両親には職業はあるのだろうか・・。行く末はどうなるのか・・。考えてみると、同じ人間としてこの地球に生を受け、生まれ落ちた国、宗教、文化、経済などの環境因子の相違により、生活レベルも大きく違ってくる事に驚きだ。この子らが逆境に打ち勝って、子供の頃、日本人観光客に上手く逃げられたよと笑いながら語らえる余裕のある生活を築いてくれる事を日本の地から祈る。

  (八) ヴェネツィア広場

      市の中心に在り、市内の至る所からもこの威容が見えるここエマヌエレ二世記念堂。初代国王エマヌエレ二世を記念して、1911年に建てられた白亜の建造物。門前から見ても、玄関までの中間に位置する衛兵が小さい程スケールはどでかい。

 隣のヴェネツィア宮殿は、その二階のバルコニーから第二次大戦中、日独伊三国同盟の伊のムッソリーニが群集に演説した所であり、歴史を手の中に感ず。

  (九) パラティウムの丘

      パラティウムの丘にあるフォロ・ロマー(古代ローマ市の集会用中央広場)の遺跡群に、ローマ建国、ローマ帝政時代の往時の一端を垣間見る思いがした。

 日本の城、神社、仏閣に匹敵する宮殿、神殿の数々。コロッセオの中に足を入れると、真夏の太陽がカッと照り付け、、茶レンガに陰陽を鮮やかに刻んでいる姿を目の当たりにした。紀元80年に完成したこの円形競技場が約1900年もの間、生き続けている事に驚かされた。この無生物に生命の息吹さえ感じられた。4階建てで、5~8万人を収容可能なこれは、古代ローマのヴェスパシアーノ帝の命で造られたと言う。このコロッセオでは、歴代皇帝が見世物を催す事で人心掌握を計るため、映画でお馴染みの生命を賭した剣闘士の戦い、猛獣と人間の死闘、場内に水を張って戦う模擬海戦など凄惨で残酷なゲームが行われ、市民は熱狂した。競技場には良く血を吸うように砂(アレーナ)が撒かれた事から、競技場を『アリーナ』と言う血生臭い語源がある。しかし、考えてみるに、戦いとは究極的には殺すか殺されるかである。敵を敗北させるためには、先ず身内内で仮想敵を作り、実践して練磨したりしたのも分からない訳ではない。味方を殺してまでの実践は戦力を落とす事になりマイナス面もあるだろう。だが、刃向かう者を葬るには良い機会と権力者は考えた事であろう。地下部分に猛獣の檻や機材置き場があり、その上に板を敷きゲームが続けられ、無念の涙で消えた人々はいくばくか・・。この歴史を教科書として、今の人、これからの人も人間の幸福とは何かを考え、実施していかねばならない。