内の家計は、商売屋が多い。
自分は、”生まれながら酒屋のドラ息子”とよく言われた。
母親の実家も魚屋さんで、名前も”海老(えび)さん”で雑誌にとりあげられた事もある。
もともと自分の実家は酒屋で、もの心ついたときから一人で店の留守番をしていた。
当時は、今のコンビニのように、なんでも売っていた。
雑貨、味噌のキロ売り、時には、マムシ酒も売っていた。
昔よくあった公衆電話のピンク電話もあった。
ついでにカブトムシもオスメスペアーで150円だったか、300円だったかで売ってた事もあった。
夜中に全部にげて、大変な目にあったこともある。
泥棒もなんかいか、入った。
コップ酒を飲みにくる人もよくいたが、かならず”あんちゃん塩くれ”といって、左手に塩を盛ってあげ、右手で酒をもって、キュッと飲んで、金だけおいて去っていく人もいた。
自分の母親は肝っ玉母さんで、ロシア人・ブラジル人にも新湊弁でしゃべっていた。
実家へかえると、しらないブラジル人が留守番しているときもあった。
オッードチラサン?とかいわれたこともあった。
親父がカナダ人と酒を酌み交わしていた事もある。(いつも裸足でアスファルトの上を、空をみながら歩いていた英語の先生で名前はピーターだったと思う・・・)
話しはもどるが・・・自分が学校、仕事を病気で休もうもんなら、怒鳴りつけられた。
”倒れてから、帰ってこい”と”死ぬまでやらんなぁ、どうすんがけ!”とよく言われたのをよく覚えている。
そんな母親をしたって、いろんな人がよくきていた。
どこから来てどこに住んでいたのかはしらないが、ある日、年のいったおっちゃんが、ふと店にきて、”くにに帰っから・・・これおいていくから、毎日水やって~いいことあるから~”と名前も素性もなんにもわからない人がおいていった。
どうしようもないので、結局自分がひきとり、仕事場の高いところにおいてある。
今まで、これといって、いいことがあったわけではない・・・・・
でも、”いいこと”とは、何もない”平凡”なことだったのかもしれない・・・・・
今日は、今からHouse Project3の概算見積りを提出する。
プラン提出同様、概算金額をだすとなると、結構緊張する。
プランニングは夢がどんどん膨らんでいくが、見積り金額をみると、現実に引き戻される。
楽しい事と苦しい事のやり取りを積み重ねながら、ひとつの住宅ができあがる・・・
今日は、住宅の2回目のプラン出しと別件の中間検査。
プランは数日前に出来上がっているのだが、なんかお客さんからの要望に抜けがないか、気になる。
そしてなんども、見る・・・毎日数回・・・、見てどうなるものでもないが、心配で見てしまう。
ときには、トイレはちゃんとあるか?階段位置がずれてないか?風呂、洗面はあるか?などなど・・・・・初歩的なミスが一番こわい。
検査の前日はというと、なにも悪い事をしていないが、検査されるほうと、するほうの違いで・・・緊張してあまり眠れない・・・胃が痛くなることもある・・・・
今日こそは、仕事 せんとこう!と決めてたが、結局、水槽の掃除もしないで、机にむかって図面を書く・・・・・
机にむかって、パソコンひらいて、図面を書いてないと、なんか落ち着かない・・・
仕事病や・・・なんかしてないと、心のかたすみに罪悪感がよぎる。
休んでいると、すごく悪い事をしているような・・・遊んでいるような感覚・・・毎週休もうとは、あまり思わないが、3ヶ月に一日ぐらいは、何もしない日があってもいいかなぁ~と思うようになってきた。