夢音(ゆのん)~風のおるごーる~ atelier JUNON

~想いをかたちにするために~
天然木を使った、オルゴール作家

根気と情熱

2024-07-06 20:00:35 | つれづれ


このような屋根葺き作業は

たとえもしも部品のカットをしてもらったとしても

作業としてはこれで1日がかりなのだ

どんなに頑張ろうとも効率は良くはならない

なぜなら自然な形にするためには

ひとつひとつ丸みをつけるところつけないところ

窓のところの空間づくりや

縁のカット等

葺き上げながら磨きながらしていくわけです

規定寸法があるわけじゃないし

絵を描くように塗り込むわけでもありません

全ては磨き込み

裏側に角度をつけて下板にピッタリ接着可能なように磨いていかねばなりません

本当に現物合わせと言う作業で

これはなかなか計算でできるものではないからです。

時間がとてもかかることをするのは

夢の中に現れてくる映像世界と近づけたいからです。

だからこそ一生懸命

暑くても寒くても作り込んで行きます。

天候も気温も気にならないくらい集中と根気は続きます。





今日はすわのねの館長さんと話し込んでました。

京都にちょっと出てこんか?と言う話。(笑)

行ける時連絡しましょう

長野にも一度伺わなくては。

今はとても予定組めないですがそのうち。

まだまだ明るい夜7時半

夕焼け空で茜色の空の中外に車が停まる

こんな時間は彼女だ。

このみちゃん

閉めるの遅かったんだね。

「とっちらかして作業してると思ったよ!晩ごはんだよ」

タコ飯とお刺身がやってきました!

ありがたい。

「早朝からお昼までと、あとは夕方からにしなきゃだめよ!熱中症で救急搬送になるよ!」

はいはい。そうします。

「どんどん緻密なの作ってるね。信じられん」

夢の中の世界に近づけたいのよと言うと大きく首を縦にふる

「じゅんちゃんの夢の中はすごいことになってるからね」

彼女はいつも見てるように普通に応える。(笑)

おそらく見えてるのだ。この人は。

不思議なお友達なのだ。

初めて会ったその日に

懐かしい感じがして

「来る?」

「行く❣」

で始まった友情

感覚的で話はあちこち飛んでしまうし脈絡ないけど

落ち着くところに落ち着くから不思議なのだ

てんでめちゃくちゃな話なのだけど

一応全部わかるから不思議なのだ。

こんな友だちは京都には一人もいない。(笑)

福岡と大分には

勘で繋がる不思議なお友達がたくさんおられまして

たまに凄い奇跡みたいな同じことをしていたり

たまたま出会ったりして

面白い。

約束もしてないのに不思議なことばかり起きるので

なんかみんな繋がってるねと笑っている

私の友達と別の友達が福岡で別に繋がり仲良しになったり。

とてもとても面白い。

九州って国が違うの?って笑って初めて来た時に言ったことがあります。

察する文化の京都とはまた違って

正直にぶつけてくださいますがそれがまた符号したりの繋がりで本当に不思議なことばかりでした。

きっと何らかの御縁があったのかなと想います。

とっちらかしてる部屋を片付けましょう。(笑)

こんな時間にまだまだ晩ごはんの準備すらしていない恐ろしい私ですが。

木の粉をはたいて掃除機かけて掃除して。

ありがたい事です。



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灼熱ですね。

2024-07-06 13:52:16 | つれづれ
作業場は

只今この温度


滝のように汗が流れます

こりゃたまらん。

しかし今日はちょっとチマチマすることがあるので

外工房に入っては出ております。

過酷な夏ですね。

ツクツクボウシがなぜか鳴き始めるというとんでもない今

オニヤンマが羽化してようやく飛び回り始めましたが

アキアカネは乱舞するわ

もうめちゃくちゃですね。

季節がおかしくなって来ていますね

昨日も湯布院でミヤマクワガタ採れたと

ちょっと早くない?

と言う気もしますが。

この暑さで蚊も出ません。

昨日も工房の中で虫がぐったりしてまして

外に出しましたけど。

虫もしんどいこの夏。

どうなってるのかなあ?




あー。涼しい部屋の中で

できたら幸せだなあ。

と、想う今。

梅干し舐めながら頑張ろう。


とか何とか言ってる間に

40℃突破。(笑)

サウナに毎日入ってるようなものですわ。(笑)





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虚々実々

2024-07-06 12:02:15 | つれづれ
虚々実々と言う言葉があります

実体よりもより優位に立つために

虚も実も駆使して戦う人のことを言うのかと。

作品つくりを黙ってしている時

その言葉が浮かんだ。

それはある一本の電話から。



あなたは売れっ子ですから

そのように言われたが

実のところそんなものではなく

私はただ何もわからないままに

ものをつくる人なのです

人の物差しは色々

経歴や学歴

師匠はどなたか

どのような会派に所属して

何度賞を取られているのか

そういう事も立派な価値判断となります

私はただ

おるごーるを愛していて

おるごーるをつくりたくてつくるただの人で

飾るべき装飾も何も無い人物だ。

そこに格があるわけでもなく

取り立てて実績があるわけでもない。




自分をよく見せようとすれば

いろんな人と組し

権威を借りることもまたひとつの方策なのかもしれない



けれどもひとつひとつの作業をしている時にふと考えた

私の実体は

木の粉にまみれ

木が大好きで

ただ造形や表現が大好きで

音色の構築のような夢のような作業が大好きで

それが実なのだと。

虚は要るのか?ってふと笑う

必要もないなあと笑いながら想った



自分の事を

取り立てて褒めそやす要素もなく

朝起きて顔を洗い身支度し

朝食取ったら黙って作品つくりをしているだけ。

昼に食事を取り

また続きを日が沈むまでしているだけ。

それだけなのだ。

毎日毎日

ただそれだけの人なのだ



私は

実体はそこにあるだけで

それ以上でも以下でもないので

とても単純だなあと笑った



ただし

私の作品を愛してくださり

ファンになってくださった皆さんのために申し上げますが

誇りはあります。

真摯につくると言う

愛情込めて想いを込めて大切にお作りするという

その誇りだけは胸に残ります

それだけは虚ではない。



虚々実々等不要だが

実体としての自分を

如何なる場所や立場になっても忘れないように

それだけは心に刻んでおかなくてはならないと想いました。

「休日でも何とか開けさせますから」

と言う言葉を聞いた時

それは違うと想った。

そういうものではないし

休日に人を引っ張り出して特別扱いしてもらえるような実体でもないのだ

ご迷惑かけることは

如何なる立場になっても

良くないと想った。

ただ粛々と

そのまんまの自分

そのまんまの実体と一緒に生きていかなければ

私は真っ逆さまに地獄に落ちてしまうでしょう

その言葉のありがたさだけをきちんと頂き

そう言ってくださる方に心の底から感謝して

実体としての自分に常に向き合いたいなと

考えながら作業しておりました。

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葛藤と喜びと

2024-07-06 09:31:48 | つれづれ
何でもきちんとして

完璧にしっかりするということは理想で

段取り踏んで

正しくないことを指摘して

これはおかしいと言うこともとても大切なこと。

性格もありますが

そんな律儀にきっちりということは

なかなかできることではなく

これはもう才能です。

そんなことをできる人は本当に凄いといつも正直に想います。




対して私は

思いついたことを

それこそ

想いついた順に

脈絡もなく。

それはもう、だらしなく

そういう人達からみたら信じられない事でしょう。

しかしながら

人の心の動きを察する能力は

几帳面さとは比例しない。




動物的な勘で

お客様たちとの会話の中で映像を結んでいって

それを具現化させていこうとしたり

何となく何かをしていたら急に映像が現れて

無心にそれを完成させようとしたり。




本当の意味で

ものを作るためには

放置して貰うことは大切なのですが

この性格には落とし穴があります。

放置すればどこまでも

糸の切れた風船と化します。

勘の働くまんま

感性のまんま

未完成の山を築く事となるのです。

これは幼い頃からの私の特性で

今の年齢になってからも変わりはしない。

すごくいいものになるのに完成に至らないのは

あと一押しの背中を押すきっかけみたいなエネルギーが必要で

段取り踏む人ならばこれを完成してから次、と、なりますが

それをすると何もかも作れなくなります。

そんな矛盾を抱えている自分に

強い力で

いついつまでにこれを作ってこいと言う人が現れると

反発したりするわけですけど

不思議と仕上がっていくわけです。

本意ではないなと葛藤するときもある

ぐっとそんな感情を抑え込み

それを感謝に変えていく

熟成していく

自分の感情を野性のような奔放な乱暴な想いを

ほんの少しの理性でコントロールするためには

気が狂いそうないろんな想いをコントロールするためには

そんな強い理性を強制的に与えて貰うことも時には必要です。

褒めたり叱ったり

それこそ親のように色々腐心して

遠くに像を結ぶように視点を遠くに導いて貰うことは

自分の創作にとって

大切なことになった。



乱暴で粗野な創作に

少しずつ

洗練という力が生まれるよう導いて貰うことは

野に放たれていたエネルギーを集約するためにも大切なエレメントでもあります。




それほど自分はまだまだ粗野であり

荒削りであります




自分の夢の中に登場する作品達はいずれもデザイン性に富み

そうしてとても伸びやかで大きく

更に洗練されている

その映像をこの世の3次元の世界に像を結んでいこうと言う作業は

とても苦しく時には辛く

それを喜びという自分の奥底にあるエネルギーが突き動かしながら創作していっています

よく大切な事を失念したりしますが

いけないことなのですが

しょっちゅう。

ホワイトボード買って壁に貼り書いておけと叱られるが

書いてある文字すら理解できなくなるくらい集中する時がある

ボードの字はそんな時映像に過ぎなくなる

一般的にそのようなことはあり得ないと非難もされます。

当然だ。

だからこそ時々

「あれは?」「これは?」

と、言ってもらうことは大変ありがたい。




治そうとするのだが

事務的に完璧にしようとすればするほど

創作はストップします

段取りは多少は必要なのですけど

完璧なる工程表とか管理表というものは

創作の世界にはあまりにも意味がない気がします。

心に緩みがないと融通が生まれず

創作の中の幅が出てこない。

どうしてもこれは気に入らないと段取り最終段階で浮かべばそこで一部を本気で壊して構築し直すことはよくやることで

あと僅かで計画通り出来たとしても

その作品には私のエネルギーが入り切らないです。

私の作品じゃなくなる。

だからこそ破壊してでも戻す。

心の動く世界にするには

戻ることを恐れたり嫌がったらだめですね。

遅れたりして困ったことになるけど

それでも一生残る作品

いい加減に仕上げられはしないですね。

昨日も細かい部品カットしたのをひとつひとつ磨いて

その後にやっぱり色が気に入らないとまた1からやり直してる。

元の色でもおかしくないんです。

けれども嫌なんです。

それじゃ嫌だと心がいうからいちからやり直す。

無駄だと言われても何度でも納得しなければやり変える

心がザワザワしてきたらもうそれに従うことは一番大切な気がするんです。

型を作り効率アップはかるのは大切なことですけど

型をはみ出し前よりもより良くなっていく成長みたいなものが生まれていきたいと

偉そうに思ってる。

まだまだ偉そうに言える立場でもないのに。

だからこそ夜遅くなっても作り込む

パタッと寝入るくらいまで

ギリギリまで作り込む

理性を封じ込めて

そのまんまの想いで動く

それが正しいこととか間違ってるとかの判断は何にもしない

わからないから




毎日毎日葛藤したりしますが

それを上回る喜びが生まれてくるから

つくれる気がします。



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