時の泉庭園

小説は、基本、ハッピーエンド。
話は、最後まで出来上がってからUPなので、全部完結済み。

(^◇^)・・・みん兎

花ぬすびと 11

2010-06-04 08:47:10 | 花ぬすびと
 真っ暗な夜の闇の中、寝返りを打つ衣ずれの音がしている。何度も何度も、聞こえ、やがてため息がひとつ。
「眠れないの?」
 雪柳の声。
「ええ。さすがに、あんな重い話をきいちゃったあとでは・・・。」
 と、摂津。
「紅梅どの・・。乳母どのにも、申し訳ないことしたっておっしゃってたけれど・・・。」
「仕方がないわね。事情を知らないんじゃ、どうしようもないもの。けれど、もう少し、調べてみるって・・自責の念かしら・・・紅梅どのの責任じゃないのに。」
「そうね。でも、それで、気が晴れるんなら、私たちが早く先に戻って、しばらくがんばらなくちゃね。梨花さんは、まだ、戻れないから、お手伝いするんでしょ?」
 それまで、黙っていた梨花に話をふる。いつもならある隔ての几帳はなく。同じ部屋に休んでいるので、互いの様子はよくわかる。さすがに、田舎家で、そんなに広くないので、間仕切りを置かず、三人は身を寄せ合うように横になっていた。
「ええ。紅梅どの・・もう、お休みになったかしら?」
 紅梅は、違うところに滞在しているので、そちらへ戻っている。
「たぶん。」
 ふうっと、ため息をつく雪柳。
摂津が、横を向き、はらりと落ちて来た前髪を指でかきやる。
「ね。梨花さんは、兵衛佐どのと一緒じゃなくてよかったの?」
「そうね。小馬は、さっさと愛しの旦那さまのところへ行っちゃったものね。きっと今頃、甘えてるわよ。丑の刻参りを見たかと思って、怖い思いをしたあ~って。」
 摂津の言葉を追いかけるように、雪柳が寝返りを打ち、梨花の方を向いて言う。
「兵衛佐どのとは、まだ、そんな仲じゃないもの・・。それより、紅梅どのの話してくれた事実を、小馬さんのお相手に伝えても大丈夫かしら?」
「ああ。そのことなら、話さないわよ。昔の恋の思い出に浸ってたのを、勘違いして大騒ぎしちゃった。ごめんなさ~い。・・までしか、言わないわよ?対面がどうこうという話には、敏感だもの私たち。よけいなことはしゃべらない方が身のためだってことは、身にしみてるでしょ?そういうところは、きっちりしてるから、信用していいと思うわ。」
「そうなんですか・・・。」
 ほっとしている声がきこえて、雪柳は、誤解されやすい幼馴染の人となりに苦笑する。
「ね。もしかして、迷ってるの?」
「え・・・。」
 何がと聞き返すこともない。兵衛佐とのことを聞いているのだ。
「迷ってる・・・・そうね、そうかもしれない・・・・。」
 暗闇を見つめる梨花の胸に、ふいに、湧き上がって来た疑問。迷ってる・・・・?何に?という言葉を言いかけて、それが釣られて出た古い記憶だと思い出す。そう言えば、生きていた頃母も、同じ言葉をつぶやいたっけ・・その後に、今度こそ最後の恋。幼い梨花にそう言ったあと、他にも何か言ってたような・・・。何だっけ?思い出せそうで思い出せない。・・それにしても、子供に言うには、大人げない言葉ねと思う。
けれど、美しさが、こぼれるような笑顔が目に焼き付いてる。
初めて、親しくなるきっかけになった雪柳のところへ駆けこんできた小馬のあの、顔に似てる。それから、紅梅のような表情も憶えがある。あの時の互いの思いは、確かなのですから・・・・。そうだ、それから、安心させるように、幼い梨花を抱き寄せてくれた。髪を撫でてくれる、大好きな香り。ああ、何だか、このまま眠れそう・・・。梨花は、目を閉じる。
 雪柳と摂津は、突然寝息を立てて、眠り始めた梨花に気付き、少しだけ身をおこしてその顔をのぞく。
「あら、かわいい。迷ってるなんて言って、兵衛佐どののこと思い出して、安心して眠ってしまったのね。」
「本当。ゲンキンね。私も、何か良いこと思い出して目を瞑ってようかしら。」
「付き合ってる人のこと?思い出したら、眠れなくなるんじゃない?」
「あ、そういう冗談いうと、突いちゃうぞ。えいっ。」
「ふふ・・。でも、話して、少しすっきりしたわね。もう、眠よっと。おやすみ。」
「おやすみ。」
 そして再び、静寂の闇が訪れ、静かになる。その夜、梨花は久しぶりに、晴れやかな姿の母を思い出し、おおらかな気持ちでぐっすり眠る。翌朝、目を醒ましても、しばらくは幸せな気持ちに浸っていられた・・・。

花ぬすびと 10

2010-06-04 08:42:25 | 花ぬすびと
 宿の近くを流れる沢の音が心地よく聞こえてくる。
 暑い夏場だ。人が沢山集まるならと、涼む為につくられた川の上の床に、女たちが座っている。
「わあ。気持ちいい。風が爽やかね。」
「冷たい水に足を浸してみたいわね。はしたないかしら?」
 ちらりと、近くに立っている兵衛佐たちを見る。満春が困ったように笑う。
「あ、どうぞ。気にしませんから・・。」
「几帳を持ってくるように宿の者に言っておいた。どうせなら、寛げるほうがいいでしょう?」
 兵衛佐が付け加える。
 しばらくして、几帳が立てかけられ、女たちの姿が隠れると、空いた反対側の場所に、座した。
「きゃあ、つめたい。」
「うわあ。これなら、また来たいわ。」
 きゃっきゃっと、しばらく他愛もなく若い四人がじゃれている。梨花は、水に足をつけ、ぶらぶらさせて、笑い声を立てる。笑い声?ふと、既視感を覚え、大きく目を見開く。
「どうしたの?」
「あ、ううん。何でもない。私たち、集まると、よくこんな感じだなって思って。」
 心の奥底の蓋が空きそうな感じ。声を掛けられて、跳ねるように意識が他を向き、掴み損ねた。梨花にも、それが何だったかわからなくなってしまった。
「本当ね。一緒に出かけるなんてことなかったけれど、いつもと変わらない風景みたいだわね。」
 紅梅が、そんな彼女たちを微笑みながら、見ている。それに気付いた摂津が、
「紅梅どのも、昔こちらにいらっしゃった時は、避暑にいらっしゃったの?」
 たたみ掛けるように、小馬が。
「蛍が一斉に輝きだすところを一緒に・・だなんて、素敵。ね。その時、どんなお話をなさっていたの?」
 雪柳も、梨花も目を輝かせてる。緊張感にかける雰囲気だが、楽しげで軽やかなせいだろうか・・・紅梅も暗い表情はしていない。話はじめた。
「そうね。その時は、一番盛り上がっていた時だから、ああ、この方とずっと・・なんて、しみじみと幸せに浸っていましたよ。思えば、無知な小娘だったわ。」
 紅梅は、亡くなった女御の乳姉妹だった縁で、後宮の女房として勤めていた。けれど、女御に仕える女房の多くは、父である故右大臣が娘に箔をつける為に選んだ選りすぐりの者たちだ。学のある女だとか、何か諸芸に秀でた者だとか、あるいは、受領やそこそこ家柄のある娘たちとかとは違い、紅梅は、ただ、乳母の娘という縁故だけで、召し抱えられた者だった。普通なら、形見のせまい思いをするところだろうが、幼い時から仕えている気安さで、女主からも重宝されたので、嫌な思いをすることもなく過ごしてきた。そのせいだろうか。あまり、身分というものを重く受け止めたことはなかった。そんな気安さから、後宮を訪れる上達部の一人と、恋に落ちた。
「中には、頼りない身の上の女を世話してくれる人もあると聞きますが、そんな話は、稀なことでしょう。位の高い方たちにとって、後宮の女房たちとの恋は一時のものというのが、常識。それが身に付いたお方たちは、先のない恋が、相手を傷つけ、重荷を背負わせるなんて、考える必要のない方たちなのです。・・・・いいえ。別に、恨めしいとか、そんなふうには思っておりません。あの時の、互いの思いは、確かなのですから・・。」
 紅梅は、几帳のむこうの兵衛佐を気遣うように話す。彼も、宰相中将の弟ということは、名門のはずで、彼が今、思いを寄せている女がこちら側にいる。微妙な雰囲気の話題をしているので、今は、自分の話をしているのだと、強調するためだろうか・・・。
 兵衛佐は、頷き。
「あこがれ出ずる魂かとぞ思うとは・・・まだ、その方のことが忘れられないということですか?」
「いいえ・・それは、違います。今は、もう、そっと眠らせて置きたい思い出ですもの。ちょうど、ここで蛍を見て、至福の時を過ごしたあとでございます。その年が明けて、私、男の子を産みましたの。」
「お子が・・・。では、どこかに仕えて・・いや、上達部って言ったな。ひょっとして、私も知っている人なのかな・・それとも・・・僧侶に・・・。」
 兵衛佐が、言い難くそうに語尾を濁す。
庶出の子を僧侶にして、身が立つようにしてやるという話はよくある。僧は、公式な存在で、国家から給料も出る。形見の狭い思いをして、表の世界で生きて行くよりも・・という配慮かもしれないが、自らの意思で出家した者以外にとって、捨てられた感がぬぐいきれないのではないか。
どう考えても、紅梅の子供が幸せになってそうには思えず、兵衛佐は、そっと溜息をもらす。隣で、満春が、何かに気をとられて、川面を見ているのが目に入る。魚だ。
子供のように、観察している横顔を見て、ほっとしている兵衛佐。
聞いているんだか、聞いてないんだか・・。
そんな風に思うと、満春が顔を少しこちらへ向けて、頷く。何だ、ちゃんと聞いてたのか。気持ちが逸れたお陰で、続きを聞く気になる。
「そうですわね。僧になれば、生活は保障されますもの。ひどい扱いとはいえないのかもしれませんわね。・・でも、私の子は、手放してしまいましたの。酷いことをしたのは、私かもしれませんわ。」
 紅梅の相手の男は、当然上級貴族の常で、相応の家の娘を妻としていた。一人ではなく、他にも、妻として世間に認められる女も。そっちの女には、子があったが、正妻にあたる女には、子はなかった。正妻は、紅梅よりもずっと年上で、もう一人の妻よりは少し若かったけれど・・・子がなく、年を重ねていく自分に焦りを感じていたのだろうか。かなりの高齢だったが、やっと身ごもり、周囲も安心して出産を待っていた。ところが、そんな彼女は出産を間近にして、病に罹ってしまった。命を左右する流行り病だ。何とか、持ちこたえていたものの、早産となり、子供は死産。とはいえ、弱りきった者に追い打ちをかけることなど出来ず、周囲の者も困り果てていた。そこへ、ちょうど、同じころに、紅梅の出産が重なったのだ。
「もううつる心配がないけれど、衰弱がはなはだしく、奥方さまの命も、そんなに長くはないだろうと・・。子を少しの間だけ、貸してくれと。死んだとは知らず、生まれた我が子の顔を見せてくれとせがむ、その姿があまりにも哀れだからと・・・。その時、子供は、取り替えられたのです。」
「・・・・・・・。」
「あの時、手放したのが、子にとって良いことだったのかどうか・・・今でも、わかりません。何も知らずに他人の子を抱いた奥方さまには、酷いことをしたと思っています。でも、その時、奥方さまが亡くなっても、そのまま、手元で嫡流の子として、扱うからと、言われて、迷いましたが・・・・。私のことも、このまま、捨て置かれるということはあるまいと、つまらない、打算をしたばっかりに、何もかも失ってしまった。」
 紅梅が、黙りこむ。傍で、足を水に浸して聞いていた梨花が、そっと水から上がり、気遣うそぶりで、彼女を見ている。他の子たちも、同じだ。
「もしかして、その奥方は、命が、助かったのですね。子は、返して貰えなかった。我が子として、引き合わせた周囲も、撤回することができなかった。」
 几帳の向こうで、満春が、川面に目を充てて、静かな声で訊ねる。パシャ、川面で魚が跳ねる。
「ええ。母というのは、強いものですね。赤子の泣き声を聞いて、生への執着心が湧いたのか、『子のために、元気にならなくては。この子を母無し子にすることは出来ませんもの。』と当時、病床で言っていたと人づてに聞きました。・・見事本復なさいましたの。私は、そんなに強くなれませんでしたわ。同じ女房仲間には、一人になってもたくましく子育てしている方もいましたのに・・・。失格ですわ。ですから、なるようになっただけかもしれません。」
 相手の男とは、それっきりだと紅梅は言った。別に関係を続けたとしても、世間から、咎められることもないが、彼女の中で、その時、何かが終わってしまった気がしたという。
「けれども、子のことは、時々、気になりますの。どうしているのか。幸せなのか・・。それで、本題でございますけれど、時々、あの辺りをうろついている浮浪児にいくばくか、礼をやって、出かける姿や帰って来る姿を見たら教えてといってあるのです。どんな表情でいたかとか、そんな他愛もないことですが・・・報告に来る子たちには、私のお仕えする姫さまの、憧れの人なので、ちょっとした様子が知りたいのだと教えてあります。もちろん、姫君は、架空の方ですよ。」
「では、それを、我が家の家人が見間違えたのか。」
「おそらく。あ、どうか、このことはご内密に。あちらは、知らぬことでございます。」
「わかっている。だが・・・。」
 この話が作り話だという可能性もあることを考えると、兵衛佐は言いかけた。
 紅梅が首を横にふり、傍らに置いてあった紙の束を、几帳の向こうへ押しやる。
「これは?」
 めくってみると、名前がずらっと書き連ねてある。
「兵衛佐どのと、満春どのは、先に貴船明神の社に、最近、丑の刻参りをした者がいないか、確かめにいかれましたね?人里離れたとはいっても、まったく誰も住んでいないというわけでもないもの。せまい峡谷になってますでしょ?静かな夜中に、釘を打ち付ける音がしたら、響きます。この辺りに、住む者が気がつく可能性も高いでしょ?」
「ええ。」
「その丑の刻参りですが・・いえ、正確には、参籠した者について調べにきましたのよ。それは、名を記したものを、写したものです。十年以上前のもので、残っているかどうか、自信ありませんでしたけど・・・。」
「十年以上前?」
「ええ。女五の宮さまの母君の女御さま・・が、亡くなられた以前の・・何年分かです。」
 ぱしゃ。魚が跳ねる音が響き、満春が水面を見ていた顔をあげる。
「昔の女御さまの呪詛の事件と、今回の件が関係するのですか?」
「いいえ。女五の宮さまや、今、兵衛佐どのの調べておられる件とは関係が無いと思われます。ただ、今回、私、ありもしない噂で傷ついてはじめて気付きました。もしかしたら、昔のあの事件もそうではないかと・・。あの後、女五の宮さまは、ずっと乳母どのの無実を信じていらっしゃってもしかしたら・・と、ふと気になりだして。昔の仲間から、当夜のことを聞きだしたのです。」
「聞きだした?あなたは、お側についていなくても、同じ屋敷にいたでしょう?確か、お里で、亡くなられたのでしたっけ・・・。」
「はい。その日、私は、お休みをいただいていましたので・・でなければ、口封じのために、そのあとすぐ、解雇されていたでしょうね。私が、駆けつけた時には、呪詛という創られた事件になっていたあとだった・・。」
 紅梅は、ぼんやりと宙を見つめた。
「確か、亡くなられた日、ちょうどその時刻に廊下を移動中だった女房がいて、それが乳母どの。また、それを見た人がいた。『貴船明神の天罰だわ』とか呟いていた。というのでしたね?」
「いいえ。正しくは『怒りに変わるなんて。貴船明神の・・・』。残りの言葉はわかりません。『怒り』を『天罰』と捉えることもできるでしょうが、『変るなんて』ならば、乳母どのへの印象も変わって来ます。耳にした女房に、真っ先に確かめたら、こちらが真ですわ。」
 それから、当時の仲間に会って、疑問を投げかけて見ると、決まりが悪そうな顔で、口止めされていたことを話し始めた、と、紅梅が説明する。
「この話は、女五の宮さまの耳にはいれたくないこともあるのですが・・・。」
 と、前置きする。
「女御さまは、本当は、血まみれで倒れていた。たまたま、その日は、お側に人がいない時間が存在したのです。ほんの、少しの隙間の時間。おそらく、手引きした者がいるはずです。」
「手引き・・・どういうことです?」
 兵衛佐が弾かれたように後ろを振り返る。もちろん、几帳の向こうに、人の気配がするだけで、姿は見えない。
「・・やはり、言わなければなりませんか・・・。最初に亡くなられた状態の女御さまを発見した女房が見たお姿は、身に着けておられる物がなかったと・・。あまりにも、惨いお姿でしたと言っておりました。いち早く駆けつけて見てしまった数人の女達以外は、故右大臣さま、つまり女御さまの父君が、他の者は、近づけさせるなと、事実を隠しておしまいになったので、その時、遠巻きに見ていた者は、何が起こったのか、わかっておりません。」
 紅梅の話を、息をのんで見守っていた女たち。
「なぜ、そのように、隠してしまわれたのでしょう。呪詛だなんて、嘘をついて・・。」
 梨花が、ため息のように、ぽつりと漏らす。
 摂津が、おそるおそる、想像出来る答えを言ってみる。
「おそらく、醜聞になるのを避けたかったのではないかしら・・。私たち、女房も主に不利になるようなことは申しませんが、亡くなられたということは、その後までは、女房たちの口にもふたは出来ない。密通していたなんて・・・。」
 梨花は、ちょっと考えて。
「でも、それなら、乳姉妹の紅梅さまがお相手をご存知なのじゃありませんか?状況は、わからなくても、もしかしたら呪詛の相手は・・とその時に、思いあたるのじゃありません?・・今まで、噂になったその乳母だと思ってらっしゃったのでしょう?あら?その乳母が手引きしたの?でも・・・。」
 雪柳が、頷き。
「女御さまご自身の乳母じゃないもの。無理よね?女御さまも、知らないような相手だったのじゃないですか?紅梅どの。」
「ええ。もし、そうなら、その時、思い当たっていたはず・・でなくても、他に忠義の者はいたので・・・駆けつけて女御さまの最期の姿を目にしたのは、いずれもそういう人たちでしたの。誰も知らなかった。」
「それは、確かめられたのですか?」
「ええ。皆連絡はとれましたから・・・。」
「それで、調べているうちに、ここへ?なぜ?」
「乳母どのは、もしかして、誰かとすれ違って、その誰かに、気付いたんじゃないかと思いました。貴船明神うんぬんと呟いていたそうなので、単純な理由で・・・関係あるかどうかもわからないのですが・・・何から手をつけたらよいのか、判断がつかない状態だったので、ともかくも、無駄に終わっても、どんな人が訪れていたか、調べてみようかと思いました。何て言っていいのか・・・帝の妃とわかっていても、忍んで行こうなどど、よほど思いを募らせていた者でしょう?思いつめてたのなら、あの木に彫ってあった歌のように、もしかしたら、ここにも通い詰めているかもしれませんものね。」
 疲れた顔で、弱弱しく紅梅が無理に微笑む。梨花も雪柳も、摂津も小馬も彼女すぐ近くまで寄って来て、心配そうにしている。小馬が、彼女の背をそっと優しくさする。
 紅梅は、手で顔を覆い、背をふるわせる。
「女御さま。さぞかし、無念でしたでしょう・・・。」
 ざざっ・・と、沢の流れの反響するなか、紅梅の細い泣き声だけが、あたりに満ちている沈黙と寂寥感、空気を震わせて静かに響く・・・。

花ぬすびと 9

2010-06-04 08:37:11 | 花ぬすびと
貴船は、狭い谷合いに、川が流れ、流れの音が勢いよくざざ・・っと、反響している。勢いよく流れる水が、川面に突き出ている岩や、流れの落差によって、白いしぶきをあげ、その水しぶきが、山の緑を潤して、満ちている・・そんなふうに感じる場所だ。
 夏の暑い京中にくらべ、生き返るような涼しさだ。
 ひとまず、落ち着き先に入ったものの、梨花たちは、思わず、一時の重い空気を忘れて、人目が少ないのをいいことに、辺りを散策に出た。兵衛佐と満春は、貴船明神の社に、聞き込みに行ったので、女ばかり四人だ。
 思わず。大きな口を開けて、思いっきり、清涼な空気を吸い込む。
「うん。いい感じ。何しに来たのかわからないくらい、清浄な場所ね。」
 梨花の言葉に、うんうんと頷く他の三人。
「ほんとね。ただの気散じならよかったのに・・。」
 機嫌よく応える。だが、雪柳が遠くに人のうしろ姿を見つけ、唇をぎゅっと引き結んで、指を指す。
 道からそれて、山の木々の間に、袿の袖がひらひら・・・・。
 ごくっ。皆、唾を飲み込む。雪柳が、一歩前に出る。
「行ってみましょう。」
 歩き出すが、小馬が。
「ね。ねえ、丑の刻参りには早いんじゃない?今、明るいし・・。」
「だから、違うって、きっと。でも、あんなところにいるなんて、変でしょ!」
「そ、そうね・・。」
「だいたい、その目撃した時に、何で後をつけなかったのよ?」
と、摂津。
「だって~。一人じゃ怖いじゃない。それに、そろそろ、あの人がやって来る時刻だったのよ。」
 梨花が。
「あの人って、牛車を出してくれた人?ずっと一緒じゃなかったんですか?」
「ここで、落ち合う予定だったの・・置き手紙して出て来ちゃったから、ちゃんと迎えに来てくれてよかったわ。」
「えっと・・あの・・?」
「あの人、年の差があるから、迷っていたのよ。それで・・・。」
「あ、なるほど・・。」
 梨花が頷く。摂津が。
「仕掛けたわね。悪い女~。ま、仕掛けて置いて、自分もどっぷりつかるから、いいんだけど~。あなたらしいわ。」
「ちょっと、意地悪ね、摂津。」
「あら、誉めてるのよ。今度は、まともな人じゃない。仕事に影響しないくらいに、がんばって、応援してるわよ。」
「あなたって、すでに、古株の仕切ってる女房みたい。」
「あ、ひど~!」
「あのっ。声大きいんじゃ・・・。」
 梨花が、焦って二人を止める。前を行く、雪柳がくるりと振り向いて。
「そろそろ、追いつくはずよ。ここからは、無言よ。それで、この先、もし、何か見ても・・。」
「も、もし・・?」
 強張った顔で、他の三人が問い返す。
「残念な結果になっても、騒がないこと。いいわね?その時は、こっそりその場を離れるのよ。」
「そ、そうね。」
 それぞれ、頷き、山の斜面をすべって、音をさせないように、注意して進む。足元をよく見ると、下草が、踏まれ、細い山道なのだと気付く。山の中の道なき道を探りながら、行くわけではなく、女の足でも、何とか登っていける。
 やっと袿姿の女のうしろ姿を捕えた。



女は・・・ああ、やはり紅梅だ。四人は、木の影にかくれて様子を伺う。
 少し平らになった場所で、立ち止まり、ぼんやりと佇んでいる。
 顔の表情は、黒髪に遮られてわからない。だけど、寂しそうな風情は漂ってくる。そっと、近くの木の幹におずおずと手を充てる。
 その時、大きな風が興った。夏場にはめずらしく、強い風が吹く。
 風が通り抜け、衣の袖を揺らす。ざざ・・・と、木々が揺れ、存在を主張する。
 あ、駄目よ。駄目。強い風に煽られても、微動だにしなかった紅梅が、もう片方の手をあげようとしているのを見て、梨花は叫んだ。
「駄目よ。そんなことしたら、鬼になってしまうわ・・。」
 思わず口にしてしまい、声に気付いて、紅梅が振り向く気配。「あ、馬鹿っ。」雪柳が、慌てて、梨花の口を封じていたが、間に合わず。くるりと方向転換して、近づいて来る。
「い、いや~!こっち来ないで!」
 小馬が隣の摂津に抱きついている。
「は、早く。逃げなくちゃ。み、皆・・・。」
 と言いながら、腰が抜けて足が動かない。へなへなと、小馬と摂津の二人は、蹲り、そっちを見ないようにしている。
「やだ、生成りなんて、見てないから~!」
「私たち何も見てません。勘弁して~!」
 目を瞑り、口々に叫んでいる。
 近寄って来る紅梅の姿を、口を塞がれたままの梨花の目が捉えた。大きく見開かれる目、同時に塞いでいた雪柳の手が除けられる。彼女の息を吐く音が、梨花の耳許に聞こえる。
「あなたたち、どうしたの?こんなところで?」
 いつもの楚々とした上品な顔がそこにある。一番、冷静だった雪柳が。
「どうしたのじゃ、ありません。私たち、信じてたのに、裏切られたのかと一瞬思ってしまったじゃありませんか。」
 少しいらっとした表情。
「よかった・・・丑の刻参りかと思ってしまいました。ごめんなさい。」
 梨花のため息のような声を聞いて、紅梅は、目をぱちくり。
 後ろで、息を吹き返した死人のように、小馬と摂津がばっといきなり立ち上がり、何事もなかったような顔で、ここへ来た理由を述べる。最後に、自分達も疑ってしまったことをあっさりと謝る。
 紅梅は、話を聞き終わり、合点がいったようで、淡い笑みを浮かべる。
「あなたたち、噂をうのみにせず、信じてくれようとしたのね。ありがとう。騒がせちゃったわね。」
「いえ。誤解だとわかれば、いいんです。ここで、何をしていらしたんですか?」
 雪柳が訊ねる。紅梅は、「見て来てご覧なさいな。」と、さっき手を充てていた木を振り返る。小馬と梨花が、走って行って、覗きこむ。
「いく夜われ、波にしおれて貴船川・・・・。あら、和歌ね。」
「男の人が、彫ったのかしら?」
 歌も男のつくったもののように思われ、二人は顔を見合わせる。摂津と雪柳も、紅梅と一緒にゆっくりこちらにやって来た。
 紅梅が、そこから見える斜面下の川を示し。
「ここからね。辺りが暗くなる瞬間。蛍が沢の上に一斉に光るのを眺めたことがあったの。それで、懐かしくて、ここにいる間時々、上がって来たのだけど・・。」
「それは、どなたかとご一緒だったのですか?」
 問うたのは、梨花だが、他の三人も、目をきらきらさせて紅梅を見ている。
「そうね。もうずっと前に別れたきり、恋も色あせたけれど。つらい思いも味わったり、でも、思い出は案外今の私にもやさしいの。懐かしく思い出せるなんて、思ってもみなかったわ。それで、ここにも滞在中は歩いておこうかなんて、よく来ていたのよ。さっきその木に歌を見つけたのよ。気持ちがとても伝わってくるでしょう・・・。他にも、恋の悩みを抱えて、ここを訪れている人がいるんだと実感したの。」
「でも、どなたかと一緒だったんなら、悩みなんて抱えてらしたんじゃないんじゃないですか?」
 梨花の衣をつんつんと、小馬がひっぱる。
「人目を忍んでおいでになったのなら、思いあってても、どこか、不安を抱えてるんじゃないのかしら・・・。」
「あ、そうかもしれません・・・・・・。」
 そのようすを紅梅が、目を細めて見ている。
「そうね。それじゃ、騒がせたお詫びに、おばさんの昔話をしましょうか・・・。ここでは何だし、宿へ戻りましょう。もう、ここでの用は済んだから、明日は京中へ戻ろうと思ってるから、あなたたちの誤解も解いておかなければ。」
「あ、あの。それなら、兵衛佐どのの、誤解も解かなきゃ。」
「兵衛佐どの・・・。」
「はい。実は・・・。」
 彼が、紅梅の動向を探らせて掴んだ件について話す。
「まあ。たくさん、誤解を生んでるのね。夕方の・・・たぶん、それも、何のためか説明するには、やはり、昔話を聞いてもらうしかないわ。よければ、兵衛佐どのも、その・・知人の方とご一緒していただければいいわ。」
「かまわないのですか?」
「ええ。早く、見当違いなところを探るより、他に目を向けなければいけませんものね。」
 紅梅に、促され、皆は、宿へ戻る。