St. John of the Crossの生き方に憧れて

受洗後、最初に買ったカトリックの本が「愛への道」。相応しい生き方をしてない。彼に倣う生き方が出来るよう心がけたいです。

日記

2014-10-30 13:23:44 | Weblog
1 goo blogの記事”ニ・ュ。ハ」ア」ー。ソ」イ」ケ。ヒ”が自身の参照2位に入っている。別にdadaではない。種明かしすると、OCNさんの”Blog Cafe”からの変換が上手くいかなかったのだ。OCNさん後継ブログでは成功したので、“どうしても”という方はそちらを見て欲しい。

2 詩の変更のみ。写真は、10/25(土)の東京。東京に行く。1月以来の神楽坂。「詩と思想」の月一研究会だ。あれからもう一年になる。そう思いつつ参加する。今、一年の総括準備を始めてもいい時期。が、年初「納得のいく詩を作る」の課題は何処へやら、漫然と今年も終わりつつある。「神よ、我をして善き詩句の一編を作らせ給え」との願いも無駄。取り組みが粗いから。勉強の絶対量が足りない。先週は先週で俳句を作る。30作り、うち5句を角川に投稿。駄句でしかない。金曜は午前マックへ。東京でも一番に新宿のマックにだったが。日曜は集会祭儀の後、リン庁で勉強。昨日は、ココスで夜勉強。そんな訳で、先週水曜から昨日にかけて、仕事関連の他、 “Introduction to Quantum Fields on a Lattice”(Smit)“Noncommutative Geometry and Number Theory”(Consani et.al)「俳句鑑賞歳時記」(山本健吉)「百年の孤独を歩く」(田村さと子)「西洋哲学史Ⅰ」(ラッセル)「チューホフ全集10・11」「戯曲作法」(小山内薫)「遠野物語」(柳田国男)「現代詩の鑑賞4」(明治書院)「ロビンの生活」(ラック)「戦後代表詩選」(鮎川信夫他)「素粒子物理」(戸塚洋二)「無機化学」(齊藤太郎)「代数函数論」(岩澤健吉)「ハイレベル理系数学」(河合出版)「現代文」(数研出版)「古文」(数研出版)「詩と思想10月号」「医学部への物理」(駿台文庫)などを読む。“Quantum Fields”と小山内、チューホフの11巻は読み終える。朝起きぬけと夜寝る際に読むマルケスについての論評が愉しみ。火曜から次の詩を書き始める。壁テニスと散歩で体調を整え、散歩しながら文学書を読む。昨日は夜、再びマックへ。10時から2時近く迄粘る。「万葉集(上)」「萩原朔太郎詩集」「サロメ・ウィンダミア卿夫人の扇」(ワイルド)“Introduction to  on a Lattice”Smit)を読む。2時から4時まで詩の推敲。未だ熟さず。

エンジニアだった頃の想い出その5。OS。パソコン設計部門で残業時間に皆で勉強したのがハーバーマンの「オペレーティングシステムの基礎」だ。矢張り培風館。同じ培風館からは、ピーターソン/シルバーシャッツの「オペレーティングシステムの概念(上下)」も出ている。下巻では確かUnixを特集してたような気がする。ライクだったかな。3冊とも諏訪のファミレスで既に読みきっていたので、勉強会には最初の方だけ参加した。何か目新しいことがあるか確認したかったからである。当時、IBMではDOSの次世代アーキテクチャとしてOS/2を大々的に宣伝していた。「新しいシステムはIBM技術の粋を集めた。これでクローンの追随はなくなる」と。現場にいて毎日伝わってくるニュースにワクワクしていた。次長さんが週の前半はサンノゼ、後半は塩尻という時代。次長さんの報告を心待ちにしていた。わたしは専ら「OS/2システム・アーキテクチャ」(レットウイン;アスキー)を読んだ。寮の近くにファミレスは無かったので寮で読む。朝読み始め、西日の壁に当たるまで読み耽ったのが懐かしい。その後、OSについては折を見て購入しては読んだ。既にエンジニアから離れていたので、“嗜んだ”というのが正確かも知れない。美味な料理と美麗な景観。いい設計に必須は坂村健氏の言葉。設計哲学に必携の名著がそれに加わる。2冊の他「UNIX4.3BSDの設計と実装」(レフラー他;丸善)「Unixカーネルの設計」(バッハ;共立)「オペレーティングシステム」(スウイッツア;サイエンス社)「OSの基礎と応用」(タネンバウム;トッパン)“Distributed Operating Systems;”“Operating System:Design and Implementation”(Tanenbaum;Prentice Hall)。特にBSDとタネンバウムの3冊はよく読んだ。こうして綴って来て、はたと頭の中、ある詩句が渦巻く。

“いろいろな家に住み何年もが過ぎたが、イチジクの木はどこにもなかった。/アオイマメ、ズッキーニ、パセリ、サトウダイコンはあった。/「一本植えなさいよ」と母が言っても、父は決して言うことをきかなかった。/彼は庭の手入れに気乗りせず、水をやるのも忘れ/オクラを育ち放題にした。/「あのひとはとんでもない夢想家よ。どんなにたくさんのことに/手を出して、やり遂げなかったか知ってるでしょう。」”

「父とイチジクの木」(ナノミ・シハブ・ナイ;「アメリカ現代詩101人集」(ライト;沢崎順之助他訳;思潮社)の一節だ。よかったら購入して読んでいただければ幸いに思う。自分的には、せっかくの美味な料理と美麗な景観、設計哲学に必携の名著の数々も単なる夢想に終わっては埒も開かない。

マグダラのマリアについて。教会では7月22日を“マグダラのマリア”の記念日に定めています。関連して「毎日のミサの友」「毎日の福音」から抜粋します。なお、マグダラのマリアの取り成しを願う祈りを探したのですが、見つかりません。「マグダラのマリア様、・・・」と祈るか、叙唱の“聖人”「聖なる父、全能永遠の神、聖人を通して示されたあなたの栄光をたたえ、・・・」に従って祈ればいいと思います。

“キリストに従う人たちの一人で、キリストが十字架上で亡くなられたときそばに立ち、三日目の朝早く、復活したイエスと最初に出会った。マグダラのマリアへの崇敬は、特に十二世紀から西方教会に広まった。”
“マグダラのマリアは、「肉に従って」復活のイエスを見ようとしたとき、「イエスだとは分からなかった」。しかし、イエスの「マリア」という呼びかけで、彼女はすべてを理解する。彼女が深く「キリスト」と結ばれていたからである。”
“墓の外に立って泣いていたマグダラのマリアに復活した主が現れる。彼女は復活の喜びを最初に告げる者、使徒たちへの使徒となる。それは彼女のイエスに対するひたむきな愛があったから。”
“マリアにとってイエスは「わたしの主」、「わたしのいのち」でした。女性として信じ、愛し、嘆きに沈むマリアに、イエスは近づき、「マリア」と呼ばれます。イエスはわたしたち一人ひとりを、それぞれの状況、ありのままの状態においてお呼びになります。”

第一朗読は2コリンチャンス第5章。詩篇は第63章、福音朗読はヨハネによる第20章を見てください。もう一つの第一朗読・雅歌からのみ引用します。

“[おとめは歌う。]夜ごと、ふしどに恋いしたう人を求めても/求めても、見つかりません。/起き出して町をめぐり/通りや広場をめぐって/恋い慕う人を求めよう。//求めても、あの人は見つかりません。/わたしが町をめぐる夜警に見つかりました。「わたしの恋い慕う人を見かけましたか。」/彼らに分かれるとすぐに/恋い慕う人が見つかりました。”

4 去年3月に「詩と思想」新人投稿欄に投稿するも採られなかった詩のシリーズがあります。第2回を何回かに分けて掲載します。選考に落ちてますから一定のレベルには達してません。

“<冬の期待> あっ、あそこのビルは?雨も降り出した。このまま走り続けようかしら。それとも引き返す?どっちも同じって気づいた時にはもう天辺来てた。/(この稿未完)”

天辺とは実は江ノ島。カトリックの教会があります。そこから街を抜け丘へ登ると公園があります。何となく飯田天竜峡を彷彿とさせるので、そこに舞台を設えました。語り口は女性です。日夏先生すみません!

5 “Hamiltonの四次元数”に関し、同じ名前の章が、「数(下)」(エビングハウス他、シュプリンガー)のKoecherとRemmertによる第7章にある。そこからの紹介。名著。読む読まないに関係なく買って一家に一冊備えておくべき書。是非!p.219から。第1回。

“1.複素数x+iyの計算を、順序つき実数対(x,y)に関する操作として正当化した。これは、複素数の和、とりわけR^2上の積の幾何学的な解明が-超複素数(=多元数)の創造か何かによって-われわれの直観の空間R^3においても類似物をもてるのではないか、という問いに対するHamiltonの出発点だった。Hamiltonは、長年の間実数の3つの組に対して良い性質をもった乗法を発見しようと望んでいた。・・・自分の息子にあてて次のように書いている「毎朝朝食に下りてくるとき、お前はよく尋ねたものだった。”ねえ、お父さん、3つ組は掛けられるの?“それにはいつも、悲しく首を横にふりながら、”いや、足したり引いたりできるだけなんだよ“と答えねばならないのだった。」今日では、C=R^2⊂R^3の対(α、β)の乗法を拡張する3つ組(α、β、γ)の空間R^3での乗法が存在しないことを明確にすることはやさしい。すなはち、R^3での標準基底をe=(1,0,0)、i=(0,1,0)、j=(0、0、1)と記すと、ij=ρe+σi+τjと書かねばならない。このことから、i^2=-e,i(ij)=(ij)j=-jとしてみると、-j=ρi-σe+τij=ρi-σe+τ(e+i+j)=(τρ-σ)e+(τσ+ρ)i+τ^2jが出てくるが(e,i,jの一次独立性から)、τ^2=-1、すなはちτはRに属さない。”

6 “喫緊に老いゆく秋と我が想い”
連続で「何だかなあ」という俳句、自作だが。

7 “1939:The principle of solidarity,also articulated in terms of ”friendship“ or ”social charity“,is a direct demand of human and Christian brotherhood.”
 (from “Catechism of the Catholic Church”)
 
8 “1939: The exercise of solidarity within each society is valid when its members recognize one another as persons.Those who are more influential,because they have a greater share of goods and common services,should feel responsible for the weaker and be ready to share with them all they possess.Those who are weaker,for their part,in the same spirit of solidarity,should not adopt a purely passive attitude or one that is destructive of the social fablic,but,while claiming their legitimate rihts,should do what they can for the good of all.The intermediate groups,in their turn,should do selfishly insist on their particular interests,but respect the interests of otehrs.
(from ”The Companion of the Catechism of the Catholic Chruch“)
 
9 年間第30金曜日福音朗読より。ルカによる第13章から。

“「エルサレム、エルサレム、預言者たちを殺し、自分に遣わされた人々を石で打ち殺す者よ、めん鳥が雛を羽の下に集めるように、わたしはお前の子らを何度集めようとしたことか。だが、お前たちは応じようとしなかった。見よ、お前たちの家は見捨てられる。言っておくが、お前たちは、「主の名によって来られる方に、祝福があるように」と言う時が来るまで、決してわたしを見ることがない。」”
-(イエスは御父の御心を行い、十字架の上で死ぬ。だが、それで終わるのではない。復活して昇天しても、常に信じる者たちと共に歩み続けられる。)

†主のお恵みが。
†主に讃美と感謝。

2014年10月30日
                       乗倉寿明記す