海外の各賞を受賞し、米アカデミー賞の複数部門にもノミネートされている本作品。
原作未読、事前の情報収集もほとんどせずに観賞してきました。
主演の西島秀俊さんは、とっても好きな役者さんです。男性としては、あのような容姿を得たいですし、素の人柄も穏やかそうで知的な印象です。
クルマが重要な役割を持っていることも、本作品に惹かれた理由の一つです。
◆解説◆ (「映画.com」より転載(抜粋))
村上春樹の短編小説集「女のいない男たち」に収録された短編「ドライブ・マイ・カー」を、「偶然と想像」でベルリン国際映画祭銀熊賞を受賞した濱口竜介監督・脚本により映画化。舞台俳優で演出家の家福悠介は、脚本家の妻・音と幸せに暮らしていた。しかし、妻はある秘密を残したまま他界してしまう。2年後、喪失感を抱えながら生きていた彼は、演劇祭で演出を担当することになり、愛車のサーブで広島へ向かう。そこで出会った寡黙な専属ドライバーのみさきと過ごす中で、家福はそれまで目を背けていたあることに気づかされていく。主人公・家福を西島秀俊、ヒロインのみさきを三浦透子、物語の鍵を握る俳優・高槻を岡田将生、家福の亡き妻・音を霧島れいかがそれぞれ演じる。
◆感想◆ (ネタバレありますので、閲覧は自己責任で!)
深みのある作品で、私の文章力では簡潔にまとめることができなさそうです。
ですが、ずっしりと重たいものを受け取った思いが強く、これを書き残しておかないのはもったいありません。レビューとして、以下、思いつくままに書かせてもらいます。
▼普遍性のあるテーマ
主人公は演出家であり舞台俳優。登場人物たちも、いちぶの裏方さんたちをのぞけば役者や脚本家であり、私の日常とは接点のない世界が舞台である。
しかし、夫婦の形や家族の形というのは、住んでいる世界を問わず、誰の身にも存在するもの。家族の形というのは、一見して平凡を装っていても外から見えづらい深く困難な悩みを生じうる。そしてそれは、他者の介入を許さず、あるいは無神経な介入によって、さらに混沌を引き起こす。
そのような表層には出てこない、だが誰もが抱えうる心の奥底のけっして浅くはないわだかまりをえぐる普遍性を持つ作品であると感じた。
▼「向き合うこと」と「伝え合うこと」
登場人物たちのそんな悩みを消化させるために、各人は自分の思いを必死に絞り出す。車中という絶妙な空間が彼らの関係性に大小の変化を生み、クルマを遠く走らせてたどり着いた地が、彼ら自身の心境を整理させ、その心境を吐露させる。
「向き合うこと」と「伝え合うこと」というのは、私自身がここ十年あまりの間、大切にしている考え方とふるまい方で、前に進むために大小必ず影響を及ぼしていたことである。
本作品のなかで、私がもっともはっきり受け取ったメッセージがこの2点であり、これらが普遍性のあるテーマであることを再認識した。
▼案外わかりやすいフラグと伏線の回収
物語の展開を理解するうえで、けっこうしっかりしたフラグが立つことも本作品の特徴であると感じた。テーマ自体が暗示されていることに対して、物語の展開は案外わかりやすいと感じることができ、先に待ち受けるネガティブなできごとをすんなりと受け入れやすい。
多言語や外国手話を用いた作劇場面も、多様性の描写だけではなく、意思疎通を深めることで、テーマを補完していることを感じ取ることができた。
ラストで、ドライバーのみさきが吹っ切れた様子で、異国の地で赤いサーブを一人で走らせるシーン。みさきにも家福にも救いが訪れたことを観る者に感じ取らせる秀逸なエンディングで、じわじわとした感動に包まれた。
▼【個人的ツボ】「広島」と「ドライブ」の組合せ
現職に就いて以降、広島を訪ねる機会が数度あり、広島は、私の好きな町の一つである。
広島で新幹線を降りてクルマを借りて、広島周辺を行動したり、山口まで足を伸ばしたりというパターンで、訪問したときはいつも好天に恵まれて、美しい街並みや瀬戸内の光景にすがすがしい気持ちになる。広島周辺のクルマ移動って、目に映るものが美しくて新鮮なものばかりだ。
物語に登場した多くの場所は、残念ながら訪ねたことがないところだったが、登場人物たちの心持ちに変化が訪れるのには、不思議な納得感があった。
当初の撮影計画では、韓国・釜山を舞台にする予定が、コロナ禍により撮影地が変更されたのだとか。広島×ドライブという組合せは、私にとってはそれだけで満足感があり、広島を選んだ制作サイドの思いに共感している。
私なりに精一杯書いてみましたが、まだまだ読み取り不足のことがたくさんあると思います。
長文にお付き合いくださりありがとうございました。
[YouTube] カンヌ国際映画祭 全4冠!映画『ドライブ・マイ・カー』90秒予告
原作未読、事前の情報収集もほとんどせずに観賞してきました。
主演の西島秀俊さんは、とっても好きな役者さんです。男性としては、あのような容姿を得たいですし、素の人柄も穏やかそうで知的な印象です。
クルマが重要な役割を持っていることも、本作品に惹かれた理由の一つです。
◆解説◆ (「映画.com」より転載(抜粋))
村上春樹の短編小説集「女のいない男たち」に収録された短編「ドライブ・マイ・カー」を、「偶然と想像」でベルリン国際映画祭銀熊賞を受賞した濱口竜介監督・脚本により映画化。舞台俳優で演出家の家福悠介は、脚本家の妻・音と幸せに暮らしていた。しかし、妻はある秘密を残したまま他界してしまう。2年後、喪失感を抱えながら生きていた彼は、演劇祭で演出を担当することになり、愛車のサーブで広島へ向かう。そこで出会った寡黙な専属ドライバーのみさきと過ごす中で、家福はそれまで目を背けていたあることに気づかされていく。主人公・家福を西島秀俊、ヒロインのみさきを三浦透子、物語の鍵を握る俳優・高槻を岡田将生、家福の亡き妻・音を霧島れいかがそれぞれ演じる。
◆感想◆ (ネタバレありますので、閲覧は自己責任で!)
深みのある作品で、私の文章力では簡潔にまとめることができなさそうです。
ですが、ずっしりと重たいものを受け取った思いが強く、これを書き残しておかないのはもったいありません。レビューとして、以下、思いつくままに書かせてもらいます。
▼普遍性のあるテーマ
主人公は演出家であり舞台俳優。登場人物たちも、いちぶの裏方さんたちをのぞけば役者や脚本家であり、私の日常とは接点のない世界が舞台である。
しかし、夫婦の形や家族の形というのは、住んでいる世界を問わず、誰の身にも存在するもの。家族の形というのは、一見して平凡を装っていても外から見えづらい深く困難な悩みを生じうる。そしてそれは、他者の介入を許さず、あるいは無神経な介入によって、さらに混沌を引き起こす。
そのような表層には出てこない、だが誰もが抱えうる心の奥底のけっして浅くはないわだかまりをえぐる普遍性を持つ作品であると感じた。
▼「向き合うこと」と「伝え合うこと」
登場人物たちのそんな悩みを消化させるために、各人は自分の思いを必死に絞り出す。車中という絶妙な空間が彼らの関係性に大小の変化を生み、クルマを遠く走らせてたどり着いた地が、彼ら自身の心境を整理させ、その心境を吐露させる。
「向き合うこと」と「伝え合うこと」というのは、私自身がここ十年あまりの間、大切にしている考え方とふるまい方で、前に進むために大小必ず影響を及ぼしていたことである。
本作品のなかで、私がもっともはっきり受け取ったメッセージがこの2点であり、これらが普遍性のあるテーマであることを再認識した。
▼案外わかりやすいフラグと伏線の回収
物語の展開を理解するうえで、けっこうしっかりしたフラグが立つことも本作品の特徴であると感じた。テーマ自体が暗示されていることに対して、物語の展開は案外わかりやすいと感じることができ、先に待ち受けるネガティブなできごとをすんなりと受け入れやすい。
多言語や外国手話を用いた作劇場面も、多様性の描写だけではなく、意思疎通を深めることで、テーマを補完していることを感じ取ることができた。
ラストで、ドライバーのみさきが吹っ切れた様子で、異国の地で赤いサーブを一人で走らせるシーン。みさきにも家福にも救いが訪れたことを観る者に感じ取らせる秀逸なエンディングで、じわじわとした感動に包まれた。
▼【個人的ツボ】「広島」と「ドライブ」の組合せ
現職に就いて以降、広島を訪ねる機会が数度あり、広島は、私の好きな町の一つである。
広島で新幹線を降りてクルマを借りて、広島周辺を行動したり、山口まで足を伸ばしたりというパターンで、訪問したときはいつも好天に恵まれて、美しい街並みや瀬戸内の光景にすがすがしい気持ちになる。広島周辺のクルマ移動って、目に映るものが美しくて新鮮なものばかりだ。
物語に登場した多くの場所は、残念ながら訪ねたことがないところだったが、登場人物たちの心持ちに変化が訪れるのには、不思議な納得感があった。
当初の撮影計画では、韓国・釜山を舞台にする予定が、コロナ禍により撮影地が変更されたのだとか。広島×ドライブという組合せは、私にとってはそれだけで満足感があり、広島を選んだ制作サイドの思いに共感している。
私なりに精一杯書いてみましたが、まだまだ読み取り不足のことがたくさんあると思います。
長文にお付き合いくださりありがとうございました。
[YouTube] カンヌ国際映画祭 全4冠!映画『ドライブ・マイ・カー』90秒予告