ちるちる奮闘記

子宮体がん(G1 1a期)、不妊治療(PCOS)、流産(頸管無力症・胎盤ポリープ)から妊娠・出産。2児育児中。

主治医選びは難しい

2008-07-10 | 子宮体がん治療(黄体ホルモン療法)
ヒスロンH200mgの1年半に及ぶ治療を終えて、やっとがん細胞も異型細胞も消えてくれました。
それには、セカンドオピニオンでいろいろな先生の意見を伺って、自分の受けている治療を見直したことが大きかったと思います。セカンドオピニオン(3)の先生(これからはB先生と表記)に出会うことができました。

見直すことができたのは、通っていた病院の先生(これからはA先生と表記)がセカンドオピニオンの希望を受け入れてくれたからです。
そのことをとても感謝しています。

それからは、どちらかでとった検査の結果を両方の先生に診断していただいて、治療方針を立ててるようになりました。
微妙な結果の時には、意見が分かれるのですが、その時には、A先生にがB先生の意見にそった方法に合わせてくれます。(私が強烈にお願いするせいもあるかもしれませんが。)
A先生は、症例数が少ないためか、慎重な意見のことが多いのですが、「B先生がよいというのなら」という感じで、協力して頂いています。
しかし、ホルモン療法のようにまだ症例数が少なく、しかも、私のようになかなか長期間消えなかったケースに対しては、その後の診断について意見が分かれるようです。
そんなときには、豊富な経験を持っているB先生に、診断して頂き、少しでも希望をつなぐという形です。


しかし、それで治療の方針を転換するということにはとても消極的だったように思います。
それもそうでしょう。A先生としても、ご自身の経験や知識、また病院の方針にそって、最良の選択をしてくださっていました。
それに対して、私が他の先生の話を聞いていて、こうしたい、ああしたいと言うものだから、内心おもしろくない部分もあったと思います。
(もちろん、人格的に素晴らしい方なので、表面に出すことはありませんでしたが。)

この部分はなかなか難しいなぁと思いました。
治療法や手術の方法全てが自分の希望に添っている医療機関を探すことは、とても難しいことです。
そうなると、言いにくいことでもお医者様に、ダメもとでも言ってみて、変えていただける部分をお願いするよりありません。

がんとの闘いって、病気と向き合っているだけではないんですよね。
お医者様との折衝の力も求められているように思います。
心の中では、身も心も弱っているときに勘弁してくれ、と言う思いもありましたが。
あまりこういうことが得意でないというか、できればしたくない方なので、お医者様に自分の希望を受け入れてもらうように話をするということは、気の重い仕事でした。


A先生はホルモン療法(3)の最後の子宮内膜全面掻爬の結果についても、懐疑的でした。
自分のところで行った検査ではないので、本当にがん細胞も異型細胞も消えたかどうかは疑わしいという感じでした。


複数の病院にかかることは非常にややこしいものでしたが、B先生のところへかかるには、最速で往復10時間近くかかり、定期的な通院は、時間的、経済的にかなり負担になって、いざ緊急のときや、不妊治療に入るときのことを考えると、自宅から近い病院のA先生を頼らざるを得ない状況でした。


それでも救われたのは、A先生もB先生もいやがらずに連携をとって協力して下さったことです。
A先生にもB先生にもとても感謝しています。
両方の先生が、患者を第一に考えていてくれるからこそ、成り立っている方法だと思います。

2つの病院にかかっていたので、仕事を休む回数が増えて、その分の負担も増えましたが、何とかのりきることができました。

B先生の近くに住んでいる人がうらやましいと思うこともしばしばありましたが、それは仕方のないこと。
がんばって通院すれば治療を受けられるだけでもありがたいと思うようになりました。

黄体ホルモン療法(3)結果

2008-07-09 | 子宮体がん治療(黄体ホルモン療法)
通っていた病院の先生にお願いし、セカンドオピニオン(3)の先生のところで、子宮鏡を使った子宮内膜全面掻爬を受けることになりました。

事前に診察に伺って、術前の血液検査などを受けました。
そして、子宮鏡を使った子宮内膜全面掻爬を受けました。

術後の結果説明では、
・子宮鏡ではポリープのようなものは見つからなかった。
・がん細胞も異型細胞も見つからなかった。
・不妊治療に入るために、半年間中容量ピルで生理周期を整える。
と聞かされました。

この日は、心の中で摘出手術の覚悟をして、手術をどちらで受けるか、いつ受けるかを相談しようと思っていました。親にも仕事を休んでもらって、ついてきてもらったぐらい覚悟の日でした。

なので、がんが消えていると言われて、拍子抜けしたような、信じられないような気持ちで先生の説明を受けました。

それからは、中容量ピル(プラノバール)をもらって、生理を起こす治療に入りました。

黄体ホルモン療法(3)途中経過

2008-07-08 | 子宮体がん治療(黄体ホルモン療法)
この頃、通っていた病院の先生から言われる言葉は厳しいものばかりでした。

・ホルモン療法を続けても、子宮体がんが消える見込みは非常に低い
・腹腔鏡手術は可能。卵巣を残すことはできるかもしれないが、状況次第。残せてもそこから採卵できる可能性は高くない。

私自身、もう手術しかないのかな、と思い始めていました。
それでも卵巣だけでも残せたら、と思っていましたが、危険を伴うと言われ、家族からも反対され、それもあきらめなければならないのかな、と思いました。

正直、この頃は病院の先生とうまくいっていなくて、おっしゃることを素直に信じられなくなっていました。
心の中で、希望を持たせてくれたセカンドオピニオン(3)の先生に傾いていっている部分がありました。

最後の子宮内膜掻爬は、その先生のところで受けたい、そして、気持ちの踏ん切りをつけて摘出手術に望もうと思うようになりました。

黄体ホルモン療法(3)

2008-07-07 | 子宮体がん治療(黄体ホルモン療法)
セカンドオピニオンの準備とともに、通っている病院でホルモン療法(3)が始まりました。
ホルモン療法(1)(2)で、合計11ヶ月服用後のことです。

最初の2ヶ月はヒスロンH200mgを一日2錠服用しました。
組織検査は服用開始から3ヶ月後、子宮内膜全面掻爬とMRIは6ヶ月後になりました。

セカンドオピニオンを受けてからヒスロンの増量を検討してもらい、後半の4ヶ月はヒスロンH200mgを一日3錠飲むようになりました。
何としてもこの最後の半年で消えてほしいと思い、できることはなんでもしようという思いで増量をお願いしました。

子宮鏡を用いた子宮内膜全面掻爬をお願いしましたが、受け入れてもらえませんでした。
お医者様「子宮鏡を用いる方法はがんが広がる危険性がないことはなく、うちでは積極的に行っていません。ポリープがあるようには見えないので、必要性が感じられません。」
と言われました。

なぜ、がん細胞がなかなか消えないかについては、
お医者様「はっきりとはわかりませんが、筋層にわずかに浸潤しているのかもしれません。」
と言われました。

セカンドオピニオンを受けて変更になったのは、ヒスロンH200mgの増量だけでした。
セカンドオピニオン(3)の先生から、少し希望が持てるお話を聞けましたが、私の体の状況は、まだまだ厳しいなと思いました。

セカンドオピニオン(3)

2008-07-06 | 子宮体がん治療(黄体ホルモン療法)
セカンドオピニオン(2)の先生に教えてもらった先生のところへ、話を伺いに行きました。
メモを振り返ってみると、セカンドオピニオン(1)の先生の話の中にも出てきた病院名の先生でした。
かなり特殊な症例も扱った経験のある先生と聞いていたので、最後の望みをかけて行きました。

先生はさっそく、組織検査や子宮内膜全面掻爬時の標本やMRIを診てくださいました。
そして一言、
「これならまだまだがんばれますよ。」
と言って下さいました。

この一言がどんなにうれしかったか。
他の先生には、決して言ってもらえなかった言葉です。

ただ喜ばせようと言って下さったのではありませんでした。
たくさんあったがん細胞がわずかに残る程度になってきていることから、黄体ホルモン療法がきちんと効いていることを教えて下さいました。

残念なことは自宅からはかなり遠かったため、その時点では定期的にそちらの先生にかかることは難しかったことでした。
そのため、通っている病院での診察を継続しながら、セカンドオピニオン(3)の先生の意見を必要に応じて、伺いに行くことにしました。

先生の言葉に、希望を感じることができました。
患者のことをとてもよく考えて下さる先生で、遠方のため、メールにて連絡することがその後度々ありますが、お忙しい中、お返事を下さっています。

ブログを見に来て下さってありがとうございます。

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