ちるちる奮闘記

子宮体がん(G1 1a期)、不妊治療(PCOS)、流産(頸管無力症・胎盤ポリープ)から妊娠・出産。2児育児中。

10回目の体外受精で妊娠

2011-08-10 | 第1子不妊治療(多嚢胞性卵巣・体外受精)
当時、3回目の採卵をしました。



以前も書きましたが、私は多嚢胞性卵巣で一度に20~30個以上卵が育ってしまうため、採卵がとても苦痛でした。
無麻酔で実施しているところでしたので、本当に痛かったです。
まずクスコがめちゃめちゃ痛い。
普通はMサイズだそうで、Sサイズに変更してもらったのにそれでもかなり痛かったです。
最初の何個かはまだ我慢できるのですが、10個目あたりからは身をよじるようにして脂汗でぐっしょりになるくらいでした。
治療の中で一番つらいところでした。



それでも救いはたくさん採れた卵の中からいくつかは胚盤胞まで育ってくれたこと
今回も20個以上とって育ったのは5個でした。

しかし、体外受精も10回目となったとき、もうそろそろ限界かなぁと感じていました。
それでも5回目くらいまでは毎回かなり期待して結果を待ちました。
でも、残念な結果を聞く度に何かそういうものを感じないように心が麻痺していく感じがあって。
後半はかなり惰性で受けていました。



肉体的にも精神的にももう限界に近かったですが、決定打は経済的理由でしょうか。
貯金が本当になくなってきました。
補助を受けたりもしましたが、遠距離での通院費と毎月の体外受精はかなり厳しかったです。



私の場合、子宮体ガンの再発の危険性があるため、一月も治療を休めませんでした。
それもきつさに拍車をかけたと思います。



10回目のとき初めて受けようかどうか迷いました。
またダメかもしれない。
もうあきらめる時期にきたのだろうかと。




実はこのころ養子についても考え始めました。
自分たちが産んだ子どもじゃなくても育てることをがんばりたい。
そう思ってましたが、現実は非常に厳しいことが調べれば調べるほど分かりました。

夫婦ともに40歳以下であること
どちらかが仕事を持たずに育児に専念できること

など、いろいろ条件がある上に、現在は待つ夫婦が多すぎて募集を受け付けていないなど、
ありました。



自分で産めないということはこんなに苦しい思いをするのかと改めて思わされていたろことでした。



体外受精を受けるか決める前に病院の外で主人に電話しました。
「迷ったときは受けた方がいい。」
そう言われ、背中を押された気がしました。


これでダメだったら、次の道を考えよう。
着床のために2つのことをしました。


1.着床の判定が出るまでは、トイレやお風呂以外安静に過ごす。

2.自分は子供を産むことができると繰り返し自分に語りかける。



1つ目はインターネットで見かけたので、実践してみました。
2つ目は『マーフィーの眠りながら成功する』という本を参考にしました。
潜在意識は万能の力を持ち、それは意識に左右されるという内容のものです。
少しも疑わずに信じることは予想以上に難しいのですが、やってみました。
毎晩眠る前に自分に語りかけました。



できること、やろうと思ったことは何でもやってみよう。
そういう気持ちで取り組みました。



着床したという結果を聞いたときには、喜びよりも驚きが大きくて呆然としていました。
時間が経つにつれて実感が出てとてもうれしかったです。







多嚢胞性卵巣での2回目の採卵と5回の体外受精

2011-05-15 | 第1子不妊治療(多嚢胞性卵巣・体外受精)
凍結していた受精卵が全てなくなったため、採卵をしました。
私の場合は多嚢胞性卵巣です。
フェマーラやクロミッド、スプレキュアを使った方法では排卵までいきませんでした。
排卵誘発剤の注射を使いました。
それも卵巣過剰刺激症候群(OHSS)になってしまうため、ホルモン値の検査をしながら薬を微量に調節しながら慎重に行いました。

2回目の採卵では全部で25個採れました。
数が多いと卵の質が落ちるので、10個くらいに留めておきたかったのですが。
私の卵巣は直前までどれも反応しなくて、あるラインを超えると一気に全部が育つという感じでした。
その中で無事受精できたのが9個。
さらに胚盤胞まで育って凍結できたのが5個でした。
どれもグレードAだったのでよかったです。

しかし、結局どれも着床まで行かなかったのです。
1個ずつ戻していったのですが、5回ともダメでした。
厳しい結果でした。


ホルモンの数値、内膜の厚さはいずれも問題なかったのですが。
何回体外受精しても着床しない。


一般的に女性が生涯排卵する卵は400個前後。
私の場合は普段自力での排卵ができないので、卵が卵巣に残っています。
1回の採卵で20~30個採れます。
普通に排卵すれば、2年から2年分の排卵ということでしょうか。
卵が一気になくなってこわいです。


それでもまだましな方で、地元のクリニックでは
「あなたの場合は50~60個くらい一気に育ってしまって、OHSSになってしまうので、採卵が難しい。卵の質も悪くなってしまう。」
と言われました。
体外受精ができる卵が採れるだけうれしいです。


5回体外受精することは日数も半年以上1年近くかかります。
お金も1回に30万以上+遠方からの通院費で30万近く。
4、5日に1回の新幹線での通院。
時間もお金も体力も心も使い果たしていく感じでした。

でも私の場合、子宮体がんの再発のリスクがあるため、1日でも早く妊娠しなければいけない。
治療を休むことは子どもをあきらめない限りできませんでした。

この頃はとにかく必死でした。
結果がだめでも立ち止まることはできません。
その日からすぐに次の周期に向けての準備が始まりました。

なんでこんなに治療に必死になったか。
やはり主人に我が子を抱かせてあげたかったからです。

独身であればここまで必死にならなかったかな。
主人との離婚も考えて何度か話し合いましたが、主人は離婚を考えていないと言ってくれました。
私もこの人の子どもを産んであげられないのなら身を引くべきと思いながらも、この人と別れるのはいやだと思ったり。
いろいろ悩み考えてました。

代理出産も考えました。
養子も考えました。
どうすることが私たち夫婦の生きる道なのか、何度も何度も考えました。

考えた上でやはり自分たちの子どもがどうしてもあきらめられなかった。
自分の体のリスクを考えてもあきらめられなかった。
それが治療への執念のようなものでした。

それでもなかなか妊娠できませんでした。
卵を全て使い果たし、3回目の採卵になりました。

不妊治療中の子宮体がん検査

2011-04-23 | 第1子不妊治療(多嚢胞性卵巣・体外受精)
不妊治療中も3ヶ月に1回、子宮体がんの細胞診を受けなければなりませんでした。


細胞診でも子宮内膜に傷がつきます。
だから細胞診をした周期では体外受精できません。


そうすると、3か月のうち1カ月、不妊治療ができないことになります。
毎月不妊治療を受けたい私は、検査を受けるタイミングを考えなくてはなりませんでした。


体外受精の判定が出た後、数日で生理が来て内膜がはがれ落ちます。
そのわずか数日をねらって子宮体がんの細胞診を受けました。
そうすれば翌月に新しい内膜で治療が受けられます。


私の場合子宮体がんの既往症があるため、不妊治療先では検査してもらえず、ずっとがんの治療でかかっている先生のところへ予約なしで行ってしてもらいました。
曜日が平日ならいいのですが、土日をはさんだりすると生理が来ないかドキドキしながら、急いで通院してました。


時には診察待ちの間に生理が来てしまい、せっかく病院に行ったのに検査できずまた来月に延びてしまったときもありました。


3ヶ月に1回の定期検査は私の命綱のようなものなので、こればっかりは不妊治療よりも優先させなければならないので、スケジュールが合うかどうかなかなか大変でした。


幸いにも結果はクラス1か2でずっときていましたので、不妊治療に専念することができました。

繰り返した体外受精 その1

2011-04-15 | 第1子不妊治療(多嚢胞性卵巣・体外受精)
今回の出産に至った経緯を少しずつまとめていきます。



前回の初期の流産以降、2ヶ月間をおいてまた不妊治療に入りました。

私の場合、子宮体がんの再発の危険性があるため、間をあけることができません。

一日でも早い妊娠を目指して、繰り返し繰り返し治療に取り組むしか道はありませんでした。


精神的にも肉体的に経済的にもきつかったですが、妊娠をあきらめない限り、休むことはままなりませんでした。




この時点で凍結した受精卵が1つ残っていました。

グレードはB。

今までAばかりだったので、あまり期待せずにいました。

結果はやっぱりダメでした。




この時までに凍結杯の体外受精は4回。


1回目→妊娠(21週 頸管無力症にて流産)

2回目→着床せず

3回目→妊娠(胎嚢が確認できたのみ)

4回目→着床せず




凍結した受精卵が全てなくなり、また採卵することになりました。

もらった人生

2010-12-18 | 第1子不妊治療(多嚢胞性卵巣・体外受精)
この記事は前回初期の流産となったときに書いたものです。
古いものですが、私がそのときによく考えていたことが書かれているので、そのままアップします。



流産の手術を受けて、2週間がたちました。
術後7~10日で止まるはずの出血がまだ止まらず、また受診しなければならないようです。
つらいことからすっぱり切り替わりたいのに、体も心も思うようにいきません。

私は約4年前に子宮体がんが見つかりました。不妊治療の合間に見つかりました。

もし生まれた時代がもう少し昔なら、生まれた場所が医療が十分でないところなら、結婚をしていなくて赤ちゃんはまだ先と思っていたなら・・・。
がんの治療が手遅れになっていたかもしれません。
そうしたら4年たった今、こうしてすごしていられたかどうか分かりません。
4年前に見つけられたからこそ、今こうして不妊治療にチャレンジできるのかもしれません。

でも逆に初潮が来た頃からちゃんと基礎体温をはかっていたら、ホルモンバランスが崩れていて自力排卵できないことを見つけて適切な治療を受けていたら・・・。
がんになることはなかったかもしれません。
そうだったら子供を授かることにこれほど苦しまずにすんだかもしれません。

でも私は、時々おかしいと今思えば思う事もあったけど、4年前までがんに気づく事はできませんでした。
それまでにかかった何人かの婦人科の先生もがんを見つけてはくれなかった。

そして今こうしています。

私はもともとそれほど体が丈夫ではありません。
そして先天的にホルモン分泌異常や頸管無力症だったと言われています。
時代や場所が違えば、子供をのぞむことすらできなかったのかもしれません。
がんが見つからなければ生きていくことすら難しい状況だったかもしれません。

そして去年、赤ちゃんをお空に還してから壊れていた心が、今回の流産で最後の最後まで壊れきりました。

そして今、これからの人生をもらった人生と思い、もう一度心をつなぎ合わせていこうと思いました。

ブログを見に来て下さってありがとうございます。

にほんブログ村 病気ブログ 子宮がんへにほんブログ村 マタニティーブログ 子宮・卵巣の病気から妊娠へにほんブログ村 子育てブログ 子宮・卵巣の病気から出産、育児へ