Oceangreenの思索

主に、古神道、チベット仏教、心理学等に基づく日本精神文化の分析…だったはずなんだけど!

島のオシリス

2010-05-01 | 思索のかけら
セトに殺され、切り刻まれたオシリスの体は、
エジプト中にばら蒔かれたという。

イシスは、それらを拾い集めて一つにし、
オシリスを復活させたとされているのだけど、

他に、イシスとネフティスが、ばら蒔かれた断片を
一つ一つ、丁寧にその場に埋葬して歩いた、という話もあるという。

この方が、日本人の感覚に合うだろう。

必ずしも遺体が一つにまとまる必要はなく、
仏舎利(お釈迦さまの遺骨)のように、それぞれが聖なる依り代となり、
神なる力を宿すと考えるのである。

オシリスの断片を持つ、と主張する都市は古代エジプトに幾つかあり、
それは常に、原初の海と原初の丘を思わせる島の上だったという。

***

皆神山は、元はごく美しい円錐形だったと思われる山で、
ピラミッドだったという人もいる。

そして、伝承によれば、
善光寺平を呑み込む広大な湖に浮かぶ島だった。

諏訪神のご長男、ご次男、ご三男と伝えられる、
駒弓神社と善光寺裏の山々、
熊野出速雄神社と皆神山、
武水別神社と布施の山々には何らかの関係があると考えられ、

そして、善光寺奥社である駒弓神社には、
月読、少名彦と同神か同系の神と思われる彦神別命に、
オオゲツヒメが合祀されているのである。

オシリスは大御膳都神(おおみけつかみ)であるとしたが、
大御膳神とオオゲツヒメは、
極めて近い関係にあるか、或いは同神だと思う。

共に作物の神で名前が近いだけでなく、
月読がオオゲツヒメに怒ってバラバラにした所、作物が生じた
とする神話と、

セトがオシリスをバラバラにした神話に、
関連性があると思うのだ。

つまり、駒弓神社のオオゲツヒメは、
オシリスをそれと悟られずに祀るための名前、ではないだろうか?

そして、そもそも皆神山は、
オシリスの死体の一部を祀る島だったという事も
あり得ると思う。

皆神山の頂上にある神社には、
諏訪神のご次男とされる出速雄さまの他に、
熊野の神、家津御子(ケツミコ)命が祀られている。

家津御子はスサノオの別名とされるが、
オシリスのオシリと、ケツミコのケツが語呂合わせなのである。

(なんでお尻なの!?)

***

一つ考えられるのは、天武による皇位略奪が、
あまりにセト神話に酷似していたために、セトを悪神とする神話が避けられ、
オシリスを祀ることが憚られた、という可能性である。

元は天武の恋人だった額田女王が、後に天智のものになったことも、
ネフティスに嫌われたセトを思わせる。

オシリスは、権力と力が好きなセトから見れば“優男”だったろうし、
“女みたい”だったかもしれない。
(女性はそういう男性が好きなのだけど)

そのために、女神・オオゲツヒメとされた、と考えるのは、
天武を馬鹿にし過ぎだろうか?

オシリスはアポピスアメンの系統の直霊、と考えられるが、
息子ホルスはコンスと同一視される。

日本神話でも、三輪の神=アメンが大国主=オシリスの魂とされるなど、
一体のものと考えられていたし、

善光寺平でも、オシリスーアメンと、ホルスーコンスとして、
同一視されていたのかもしれない。

もしも善光寺平に
三輪の残党=大国主系と考えられる大氏が逃れてきているなら、

皆神山に、大国主系の実在の王の遺骨があった可能性さえ、
考えられると思うのだ。

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