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骨折ライダーの行動記録

offロードバイクで骨折してから、自転車に乗り換え、あちこち彷徨う骨折ライダーの行動記録です。

都電に乗って新聞の印刷工場見学に行くの巻

2017-11-27 21:28:04 | その他
11月の初めに卒業した大学からホームカミングデーへの招待状が届いたので行ってきた。
ただ酒を飲んで来た代わりと言っては何だが、しばらく(かなりの年月w)放置していた校友会に再参加(会費を払った)した。
そうしたら早速、見学会の案内メールが来た。
東京都北区堀船にある読売新聞の印刷工場を見学すると言う。
あの、ドラマなんかで事件等が新聞記事になると言うと、輪転機が回り新聞がダダダーっと出てくるあれが、リアルに見られるんじゃないか?行ってみよう。
都電荒川線 荒川車庫前に集合と言う事なので、これは都電荒川線を乗り潰すチャンスだ。
JR山手線 高田馬場駅から高田馬場駅から神田川沿いに早稲田停留所まで歩いて行きます。
ここら辺りの区境は入り組んでいて、昔の神田川の流れの名残だとか、昔は染物屋が多くあったとか、「ブラタモリ」の初回放送早稲田編で解説していた。

これが染物屋の名残?今日は時間が無いからパス

開館日案内

工事をしている

新しい橋を架けているのか、来年2月に完成ですか

デカイクレーン車だなあ、と写真を撮ってたら、

ガードマンのおじさんに川の向こう側に特等席があるよと教えられたので行ってみた。
入口でヘルメットを被らされて、この台に登る。

工事風景が良く見える。

オッとこんな所で引っかかっている場合じゃない、もう11時半じゃないか。
早稲田停留所です。今は『東京さくらトラム(荒川線)』と言うらしい。

電車来た。

神田川から目白台へ登る、結構な段差だなあ。

suicaやPASMOが使えます。

荒川車庫前停留所に12時17分到着、こりゃあ昼飯抜きだな。

荒川車庫です、こっちは入口

こっちは出口

おやここにも荒川車庫前停留所が

荒川車庫の隣には都電おもいで広場があったが、入れるのは土曜日だけのようで

車庫に入る電車です。

12時30分になり22名全員揃った所で、歩いて印刷工場に向かいます。
読売新聞関東北工場です。

展示資料室で記念撮影した後、2階のホールで見学概要説明、ビデオ上映を観て工場見学に行きます。
フラッシュを焚かなければ何処を撮ってもOKだそうです。
ホールに入る手前に給紙するエリアが見えるようになってました。

原稿は大手町の本社で作成されはデータを受信して原版作成のプリンターでアルミの板に版をプリントします。
プリンターは部屋の外からガラス窓越しに見るだけです。
一応クリーンルームになっているのかな。
絵的に全然ツマラナイので撮りませんでした(笑

輪転機です。

一番奥と一番手前がカラーの印刷機で中の3機が黒単色です。
このセットで40ページの新聞を刷ります。

調整卓

印刷が始まり、サンプルを抜き取ります

印刷済みの新聞は上にどんどん流れていきます

ページの並び、印刷の品質などを目視でチェック

OKとなったら印刷スピードが更に上がります。時速47kmだとか。
新聞はキャリアで隣の梱包場へと送られていきます。

梱包場です。

カウントスタッカーと言う機械で販売店送る部数毎にまとめて、送り先を印刷した宛名紙が上に乗せられ縛って流れて行きます。

トラックヤードです。3,4販売店分積んで出発します。

給紙エリアの見学です。

巻取紙は16,380m、1200kgあるそうです。
1本20~25分で使い切るそうです。

もうすぐ使い終わります、次のロールが回転しながらスタンバッてます。
って静止画じゃ分かりませんね(笑

巻取紙の芯の回収に来ました。

さて、外に出てみましょう。
ここは元麒麟ビールの工場があった所で、読売新聞と日刊スポーツと日本製紙が協同で工場を建てたそうです。
https://goo.gl/maps/DeY5a1hjfqL2
読売新聞東京北工場と日本製紙物流堀船と日刊スポーツ印刷社王子工場は地下のトンネルで繋がっており、巻取紙はこのトンネルのコンベアで運ばれるそうです。
巻取紙をトラックから倉庫に移しています。

何でスポーツ報知じゃないのですか?というツッコミが多数ありました(笑

読売新聞側の立体紙庫

見学も終ろうとする頃(ほぼ1時間経過)輪転機の回転が落ち始めた。
「もう終わりなんですか?」
『はい、夕刊は部数が少ないので。』
すみません、家も朝刊だけで夕刊取ってないわ(笑
ホールに戻って、刷り上ったばかりの夕刊を頂き。
刷り上ったばかりの夕刊ってしっとりとしていた。

荒川車庫前停留所前の「ふじ屋」で懇親会。
57歳(一人だけ)~88歳の超高齢集団だった。
18時に散会となり、荒川車庫前停留所(出口側)から三ノ輪橋行きに乗り

三ノ輪橋停留所で降りる。あら、もう早稲田行きに変わっている。

商店街を抜け、東京メトロ日比谷線 三ノ輪駅から北千住へ、千代田線に乗って帰りましたとさ。

あれ?荒川車庫前停留所(入口側)と荒川車庫前停留所(出口側)の間は乗ってないが、これは全線制覇じゃない?教えて鉄ちゃん。

今回のルート
https://ridewithgps.com/trips/45601792

三十年ぶり?かな矢口渡

2017-02-06 22:18:28 | その他



1月20日に昔の職場の方々と新年会。
「そういえば雅哉さん(当時の社長)どうしてるんだろうね、もう90歳越えているんじゃなかっけ?」等と話していた。
1月30日にFacebookのタイムラインに訃報が流れてきた。
1月22日に亡くなられました、偲ぶ会は後日行います。と言う内容
えーっ、2日前に話題にしてたのに。

皆さんFacebookで思い出を色々語る語る。
「突然ですが2月4日に雅哉さんを偲ぶ会を有志で行うけど来ない?」と言う招待状が来た。
カンパニー主催の偲ぶ会じゃないからね。
場所は旧クリエイティブセンターの近くのチェーン店の寿司屋。
参加メンバーをチェックすると1/3ぐらいは面識あると言っても皆後輩。
同世代は一人も居なかったけど、ずうずうしく参加表明。
12:00~14:00と言う事なので、少し早めに行って聖地巡礼でもするか(笑

最初の通勤ルートを辿ってみよう。
小田急線鶴川駅構内の跨線橋から見える富士山


ホームからも見えるのだね

登戸駅で降りる。
ホームの端で見える富士山、当時はこんな余裕はありませんけどね(笑

当時と比べると登戸駅の接続も様変わりしてる

南武線に乗って

武蔵小杉で東横線に乗換え、多摩川を渡る時、富士山が見える。

昔は目蒲線多摩川園前と言って遊園地があったんだけど、今は多摩川駅でしかも地下ホームで多摩川線と呼ばれている。
しかも始発だよ、おまけにワンマンだ。

矢口渡到着

駅の外観はあまり変わってないけど、

駐輪場が長くなってる

蒲田側の踏切を渡り斜めの道に入っていく。
ここには病院があったはずだが、良くお世話になりました。

夏の暑い時に調子悪くなって行ったら、血圧低いね、と言われカルシウムを点滴された。
ウナギでも食って休めと言われて、夏は何度か武蔵新田の鰻屋に行ったよ。
お、旧中村製作所が見えてきた。中研(中央研究所)と言った方が通りがよいかも。

私が入社した頃はビルに特に名前は付いていなかった。ただの本社。

1階は鉄工所(別の会社)2階は製造工場、3階の半分は製造課と開発課、4階の右端の窓の所が社長室、残りは総務課、営業課、販売課が入っていた。

クーラーがあったのは社長室だけ、夏場はトレーシングペーパーに書いていた図面が汗でシワシワになるからクーラーを入れてくれと懇願していたが中々入らなかったようだ。
入社した頃「レーサー」という機械ヒットして余裕が出たのか開発課“だけ”翌年クーラーが入った(笑
多摩川2-2-13だった。

今はベンと言う会社が入って居る。

旧クリエイティブセンターのある所には、昔矢口工場(資材置き場)と社員寮があった。
その隣にベンと言う会社の駐車場があり、その駐車場と多摩川2-2-13の土地を等価交換して、駐車場と矢口工場を合わせて旧クリエイティブセンターを建てたのです。

この門は昔は無かった。と言うかこの歩道昔はどぶ川だったよ。

ちょと先に行って見るか。
ここには、昔バイクショップがあった。

ちなみに私は非合法バイク通勤者第2号だった。

ここには模型屋があって、後輩のプラモマニアな二人組が連日押しかけ、あーでもないこーでもないと文句だかアドバイスをしていたらしい。
その通りに品揃えとかをして行ったら、偉く儲かって他所に移って行ったと言う話を聞いた。

さて少し戻って二国のほうへ行こう。
あれ?こっちで良かったはずだよなあ。

営業本部は消防署の向だからこれか、マンションに変わっちまった。

ビデオゲームが伸び始め開発一課と企画課が移って行った紀伊国屋ビル。
4階が開発一課で2階が企画課。ディグダグとかゼビウスとかはここです。

二国を渡ります。左の日本海が本日の会場。9階建てのマンションは昔銀行だった。

教会が出来てる。

倉庫が駐車場になって居るので見通しが良い。

かなりスッキリ、でも電線ウザイ。

電柱が邪魔

プレートに微かに名残が

この隣のビルも一時期借りていたよ

と、いう所で時間になったので会場へ。
在りし日の雅哉さんの画像を眺めつつ話は盛り上がります。

14時までというのが15時半近くになってお開き。
旧クリエイティブセンターの前で記念撮影。

三脚がなかったので、このゴミ箱の上にカメラをセットして撮りました。

新田神社にお参りして、武蔵新田駅へ歩いて行きます。

武蔵新田の鰻屋も無くなって駐車場になってる。

砥石の面直し

2016-10-01 01:02:00 | その他
20年以上使っている砥石がかなり凹んでいる。
1年に2、3回しか研がないから40回ぐらいしか使ってないと思われる。
ネットで直し方を色々調べたら軽量ブロックを使うのが一番安そうだ。
ついでに研ぎ方がかなり間違っていたことが判明した(笑
砥石買った頃はまだインターネットとお付き合いが無かったからなあ。
動画おかげでとても良く分かる。

ホームセンターで軽量ブロックを買ってきて砥ぎ始める。
ビール飲みながらブエルタの再放送の録画を見ながら、5時頃から砥ぎ始める。

1時間半ほど砥いで、写真を撮るのを忘れた、今から撮るか。

これくらい凹んでます。

さらに3時間ほど砥いで、2時過ぎもう寝る(笑

翌日朝から夕方まで時々砥いで1時間ほどかな

更に1時間で親指大

ココからは早かった、3分で小指大

さらに3分でこの大きさ、もうすぐだ

10回ほどこすったら平らになったよ

これだけカスが出た。ブロックと砥石のカスです。

砥石に上から力を入れて砥げばもっと早いのかも知れないが、腰を痛くしそうだったので砥石と腕の重さだけで砥いだからこんなに時間が掛かってしまった。
ほぼ26時間(笑
昼間は色々雑用が多いから作業できないしねえ。

7月23日は骨折記念日(笑

2016-07-23 12:47:40 | その他
2000年7月21日 二度目の富士登山。

今回は天候に恵まれ、お鉢巡りをする。
風がものすごく強く、吹き飛ばされそうになった。
富士登山の二日後にツーリングなんかに行くからケガをするんだ。
とカミサンに散々言われましたが、それとは関係ないだろぅ?と今でも思っている(笑


四時間前
行き止まり の林道

ここまでのルート。勝沼~雁坂トンネル~中津川林道~川上村
こんな林道を作って、誰が利用するんだろう。
この頃は、まだ元気だった。
それにしても、この日は暑かった。


骨折した時の状況
 山梨県クリスタルラインの木賊(とくさ)峠側から樫山林道に入って約1.3kmの右コーナーでこけた。
 右足がバイクに挟まったまま滑って行った。
 バイクは滑るのを止めたが、体は慣性の法則で止まらない。
 右足をバイクの下に残したままでバイクを乗り越えようとしてポキッ。
 枯れ枝を折った時のような乾いた音だった。
 左足で立ったが右足を恐る恐る地面に付けると激痛が走る。
 バイクを道の真ん中に放り出したまま、道路脇に寝転ぶ。

 私のPHSは圏外だし、だれも携帯電話は持っていない。当時はね。
 (携帯があったとしても圏外だったかもしれない。)当時はね。
 救急車が頼めそうもない(頼んだところで、どれくらい時間が掛るか分からん)

 10分ほど経ったら先行していた仲間が引き返して来た。
 「どうしたの?大丈夫?」
 『なんか骨が折れてるみたい。』
 「え~~っ!」
 仲間が道の真ん中に放り出したままのバイクを道路脇に運んでくれた。
 さて、どうしましょう?
 木賊峠の展望台によく人が来るみたいだから、応援をお願いして見ましょう。
 運良く地元ナンバーのトヨタ RAV4 に乗ったおじさんが居たので頼み込んで来てもらったそうだ。
 麓の病院まで運んでくださると言うので、好意に甘える事にした。
 「どっち回りで行く?」
 一旦上まで上がり、ラジウム温泉郷回りで下る、こちらは遠回りだが舗装道路。か、このままダートの樫山林道を下るか。と言う意味。
 もちろん最短の『このまま林道下ってください。』とお願いしたが、、、、
 揺れる揺れる、両手片足でサポートしていたが時々右足に揺れが伝わり痛い(笑
 舗装道路に出て一安心したが、道路のギャップで揺れて痛い。
 ギャップを体感できるのは特に橋と道路の境目、骨折して初めて分かった。

病院に着いてからおじさん曰く
「あんな道路走ったのは初めてだよ。」
なんと!4WDに乗っていて、オフロードは初体験だったご様子。
申し訳ありませんでした。
ありがとうございました。

 運ばれた先は須玉町(当時)の塩川病院。
 ブーツを脱ぐのが一苦労、痛いよ。
 レントゲン撮って、ジーパンを無造作にちょん切られ、水で濡らした包帯をグルグル巻いていくと、あーら不思議カチカチに固まります。
 おおー、石膏で固めるって昔の話なのか、科学の進歩をチョッピリ感じた(笑
 「地元の病院で手術するのでしょう。今日は泊って行ってね。」と言う事で一泊することになった。

転院
翌日、仲間とカミサンが我家の車で迎えに来てくれて、そのまま多摩丘陵病院へ。
骨折27時間後のX-rays写真

1日以上経っているので筋肉が縮み折れた部分がズレいるので、すぐには手術出来ないとの事。
踵にドリルで穴を開け、ステンレスの針金を通し、それに5kgの重しを引っ掛けて約1週間かけて筋肉を伸ばすそうです。
毎日レントゲン撮って様子を見ていました。
手術後のX-rays写真

約16cmのステンレスプレートをビス9本で固定してある。
X-rays写真はお願いすると売ってくれました。

退院から抜釘(ばってい)手術まで
装具(\76,000のブーツ)

装具が8月31日に完成。
9月1日から出勤開始。社会復帰?
玄関で装具を付け始めてから、会社に着くまで2時間かかった。
左は厚底靴です。慣れると、松葉杖はいらなくなるそうです。

使用後2週間で縫った痕と装具が擦れて皮がむけた。痛い。

9月20日通院「骨は順調に着いています。次回は1/3加重ですね。装具を調整しましょう。」と言っていたが。
10月5日に行くとなんと、いきなり1/2加重だと。装具を調整したら、かかとが着いている、不安。
擦れて皮がむけた部分も補正して当たらないようにしてもらった。
松葉杖は1本で事足りるが、会社や家の中では装具なしの2本松葉のほうが楽、しかも速い。

10月25日にいきなり全加重。松葉杖は56日間使用して5000円。
すっかり、筋肉が落ちてしまっている。
右足でつま先立ちが出来ない、片足立ちもできない、バランスがとれない。
右足に体重をかけると、折れた所が軋むような気がする。
右の靴がすごく窮屈(むくんでいるから)。
問「どうしたら良いの?」
答「ひたすら歩いてください。」

12月頃まで杖が放せなかったが、スキー板は買いに行った。

ブーツも欲しいところだが、足がこんな調子なので次シーズンまで待つとしよう。

2001
スキーは5回行ったけど、最初の回は3日間スキー場にいて滑ったのは緩斜面を1本だけ。

4月には静岡に復活!ツーリング
5月には軽井沢へツーリングに行った、途中、事故現場に立ち 寄る。

6月には美し森から天女山までのトレッキング。
7月には富士登山、まったく懲りないねえ。
あと、浅間山とか、夏休みは北八ヶ岳と美ヶ原のトレッキング。

で、8月15日の通院のとき抜釘手術の日取りが決まった。
23日入院、24日手術、31日退院、抜糸は9月3日。
レントゲンではお馴染みのプレートと 直接ご対面、

おおドイツ製だ、うーん長い間ご苦労さん。


このアクシデント以来、この頃の掲示板で使っていたハンドルネームが骨折ライダー、その後ニックネームを考えるのがメンドクサかったのでそのまま使い回している(笑

野川源流

2015-11-15 19:20:43 | その他
11月15日は国分寺にある日立製作所中央研究所の庭園公開日でした。
庭園公開日は春と秋の年2回しかありません。
野川の源流はこの中にあるのです。
自転車コミュで昭和記念公園と日立製作所中央研究所を周ろうと言うイベントがあったのですが、所用で参加を見送りました。
ところが、その所用が消滅したので行けるかなと淡い期待をしていたら、今度は孫が体調を崩したので運転手として待機することになり結局参加出来そうもありません。

朝、調子が良くなったらしく待機しなくても良いと開放されました。
それでは、国分寺へ電車でGO。
登戸で南武線に乗り換える。
会社員時代は登戸から川崎方面に通勤で使っていたが、立川方面は飲んだ時たまに乗り過ごすぐらいでまったく乗車したことが無い。
今回が初めてかもと言うくらい記憶が無い、きっと乗ったことが無いと思う。
矢野口まで乗り過ごし戻る電車が無くて、タクシーで帰った事があったなあ。
おお、晴れてきたぞ。

多摩川を渡ります。

そういえば、輪行で立川から府中本町まで乗った事があったなあ。
なんですか?青梅特快、色々増えたなあ、でも表の行き先表示に次の停車駅が表示されるってイイネ。
次は国分寺。
国分寺駅北口から5分歩くと中央研究所正面

「へんじんばし」を渡ります。

変人かと思ったら返仁だった(笑

案内所で地図を貰い、野川の源流は何処ですかと聞いたら

「湧水の所です」との答え。

小腹が空いたので一番手前にあった模擬店で「サトイモコロッケ」を購入

最初に撮ったこのケヤキが一番綺麗だった(笑

模擬店には食べ物が色々あったなあ

大池にかかる橋を渡って

野川の流れを見て

コンクリートの構造物の上は駐輪場です。

メタセコイヤを撮ったり

池のをぐるりと回って

白鳥を撮ったりして

湧水へ、狭いそうです

確かに狭い

これが源流の一つと言われる湧水、動画じゃないと分からないですね(笑


目的は果したのでさっさと帰る。
南立川から多摩モノレールに乗ります。

中央線の高架からも見ていたこの山、帰ってから調べてみたら武甲山だった。

残堀川を渡り

多摩川を渡り

中央高速を渡り

浅川を渡り

しまった程久保川を撮り忘れた
大栗川を渡り

乞田川を渡ると

終点。多摩センター

小田急多摩線栗平駅から歩いて帰りましたとさ。