TOTO

お気楽主婦のお気楽な日記

with Rain

2009-06-08 08:53:02 | ドラマ・映画
『I Come with the Rain』観ました。

*私の独断的でイキ気味の散文的感想なので、
ネタばれってことはないかと思いますが…。









そう、感じる映画ですね。
好き嫌いはあると思います。
私は好き。
というか、クセになりそうな映画。
まだ1度しか観れていない。
明日にでも行けるかな?


木村っちは出演を決める際に『青いパパイヤの香り』を観て、
“匂い”が感じられたのが凄いと思ったからオファーを受けたって言っていた。
今回の『ICWR』
私は“湿度”を感じた。
雨の、汗の、身体や髪を洗う水の…
そして、血の湿度。
映画を観ている間、ずっとその湿気に身体が被われている感じがしてた。
決して不快な湿度でもなく、
息苦しくもなく…
かといって、爽やかで気持ちがいいってのでもない。
呼吸しやすい、原始の森の湿度。
ミンダナオ島の緑から連想したのかしら?
小倉さんが言っていた、「後味の悪さがない」
そう、それはなかった。
でも、なんだろう…身体が乾かないような後味。
湿度が尾を引くような感じがした。
エンドロールが終わっても、まだ後を引くような…。
まさに「感じる映画」

詩のような映画だって語ったのはジョシュ君だっけ?
韻を踏むかのように畳み掛ける映像。
行と行との間の含みを自分で想像する。
映画なんだから映像はある。
だけど、説明があまりされないストーリーだから、
自分で考える=想像するしかない。
想像する糊しろはいっぱいある。
想像が妄想に変わるのは私の悪癖だが、
それもまたこの映画の醍醐味なのかもしれない。

私が木村っちのファンだから…というのが原因じゃないと思う。
この作品の“I”はShitaoだと思うし、
全体を通して彼の存在がずっとそこにある。
そう思わせる存在感があった。
ミンダナオ島での「再生」
蛆やムカデ(?)にたかられての生き返り。
Shitaoの出てきた洞は“産道”であり、
彼はその時、確かに生まれた。
彼の身体に降り注ぐ雨は恵み。
長く水に浸かっていたせいか白くふやけた足の裏は、
羊水につかっていた生まれたての赤ん坊と同じ。
Shitaoは何として生を受けたんだろう?
殉教者としてなのか?
救済者としてなのか?
それは彼が決めるんじゃなくて、
彼に相対する人間が決めるんだろうけど…。
ここのシーンは息を呑む美しさだった。
虫や泥さえも清浄に思える。
雨と緑が馥郁たる香りさえはなっていそう。

Shitaoは生々しさはなく、血まみれになろうと清潔感がただよう。
何者にも穢されない聖性さえ感じる。
でも、高みにはいない。
地上で彼ができることは、他者の痛みを引き受けることだけ?
彼はそれが自分にできるただ一つのことだって思い込んでいるの?
彼の内面が空虚だとは思わなかった。
他者(父親?)の愛を渇望する幼子のような無垢さ。
与え続ければ、いつかは自分も救われると信じる盲信者?
ハワード・ヒューズみたいな精神疾患的潔癖症の父親の影響なのかしら?
肉親に抱きしめられた経験がない青年が
他者を抱きしめて癒すことで、自分も救われようとする?
でも一方で、いくら他者の傷を癒そうと、
自分は救われないってわかってると思うのよね。
だから自分を守ろうとするリリを見つめて、涙が溢れるんだと思ったの。
母親的な無私の愛を与えられたから?

説明的な映画じゃないし、
観た側がそれぞれの答えを出せばいいとは思う。
思うのだけど…もうちこ~っとストーリーを誘導してもいいかな…と思う。
説明というか、答えを導くためのポイントというか…
その答えはそれぞれあってしかるべきだし、
それでいいだって思うのだけどね。

クラインはShitaoの能力は知っていたのかしら?
彼が一度死んで生き返ったってわかってる?
(殺されたのはガセネタだって思ってるだけ?)
彼の能力を知っていたからこそ、
Shitaoを探すことに妄執し、彼と同化しようとした…
彼の能力に救いを求めてしまっていた…
っていうのが、私の趣味に合うんだが…?
ジョシュ君はどこか少年じみたとこがあって、
レクター博士を連想させるハスフォードに精神的にも捕らわれるのが似合う。
彼も湿度を感じた。
どこか…青い汗の匂い。白人種独特の汗の香りね。
不快な汗の臭いじゃないの。

それとは逆にDongpoには湿度は感じられなかった。
どこかプラスティックな感じさえしたのよね。
これは監督の演出だったのかしら?
彼が登場すると湿度がなくなって乾いた感じがした。
リリへの妄執も母親がいなくなって慌てる幼児のように思えたし。
(まぁ、部下を白い袋にいれないと折檻できないボスだからか…)
彼の目にオブセッションが感じられなかったのよね。
まるでプロモを見るかのような乾いた感じがした。
クラインやShitaoの湿度とは異質。
これは狙いなのかしら?

リリは…色っぽいんだけど、つかみどころがない。
Shitaoが生き返るってわかってた?
彼と出会って、麻薬中毒を治してもらって…
Shitaoを男性として愛したわけじゃないと思うのだけど。
二人で寝ていたって、そういうセクシャルさはなかった。
無垢なものを庇おうとする母性本能でShitaoを救おうとしたのかしら?
クラインにShitaoの居所はDongpoに聞くようにって
リリが教えた…って、思いたいんだけどな…違うか…。
リリとDongpoはShitaoに救われたのか?
もともと救って欲しくなんかなかったのか?
彼の“恐れ”って何なんだろ?

Shitaoは「Don't be afraid of me.」ってDongpoに言う。
何を恐れるんだろ?
彼の不死身?(なのか?)
彼の聖性?
(キリスト的な存在と暴力的な悪魔性との対立なんてのじゃないと思うんだけどな)
ShitaoはDongpoの愚かさを赦すって言ったけど、
彼を殺そうとすること=独占欲を、ってことなのかしら?
DongpoがShitaoを十字架にはりつけたのは、
Shitaoがキリストを気取るなら、こうしてやるっていう意趣返しだろうけど…。

そして、Shitao自身は何が怖いんだろ?
自分の不死身?
それとも、生きること?

Shitaoが叫ぶ「Father」と
クラインが彼に呼びかける「your father」とは違う。
でもどこか同じ…なのかもしれない。
十字架に貼り付けられたShitaoの傍に現われた狂信者(?)
彼は金色の十字架をシャワールームに描き、
貼り付けられたShitaoにも金色をまきちらす。
頭につけられていたのはキリストの茨の冠。
あの狂信者がShitaoをキリスト=教主に祭り上げようとする…
それから守ろうとするクライン…
そんなラストの続きを妄想したりもする。
肉体的な傷を身代わりにできるShitao。
でも、クラインの傷は心で…。
ついつい妄想が広がる。
本当に感じる映画。


だもんだから、宣伝の内容とのギャップが激しすぎる。
興行も大切だ。タダで映画は作れない。
しかしなぁ…“イケメン”ってのに乗せられてる観客が多いのよ。
そういう方々は鑑賞後、文句をタレまくるのよ。
感想なんてひとそれぞれだから、いくらでも言ってください。
でもね~、エンドロールが終わってすぐは止めて
あなた方の感想を聞きたくない観客もいるのだ。
逃げられない状態でそれを聞かされる身にもなってよぉ
そして、韓流ファンのおばさま方だと思います。
会話からするとそうとしか思えない。
お願いですから、上映中におしゃべりは止めてください。
「あ、出てきた」とか「もう出ないの」とかって言うのは止めてください
これは『HERO』の時もそうだった…。
映画に浸りたい観客もいるのだぁ

やっぱり明日にもう1度…


*こそこそと英語を訂正。
嗚呼、私、英文科卒なんですけど…嗚呼…。




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