TOTO

お気楽主婦のお気楽な日記

イエス、フォーリンラブ

2009-07-28 09:10:21 | 木村っち
いやぁ、惚れ直した
昨夜の『スマスマ』のゲームコーナーの木村っちのジェントルマンっぷりに♪
ブロンズ色の肌に金髪っぽい長髪。
衣装もカジュアルで…外見は完全にチャラ男。
口調も演じているのは、かっる~い男。
でもねぇ、紳士的で男前♪ 
バービーさんの肩を抱く仕草の自然なことったら♪
風船から守るために、抱きしめてあげてる姿の素敵な男っぷりったら♪

予告見た時には、
「また芸人を呼んできたお手軽企画?」ってだった。
安すぎってだった。
天下の木村拓哉のお相手には…だったの。
女優さんでもいいじゃんって。

しかぁし!
木村っちのぶっきらぼうなジェントルマンぶりを見せてもらえるとは…。
それだけでも、このスタッフの丸投げ企画が許容できそうだ。
(ってことは、やっぱりキャスト頼みの企画ってことか…)

木村っちの芸能界の位置と世間のイメージからだとね、
女性芸人さんとガチで接してあげる必要性はない。
(芸人さんには失礼な書き方だけど)
「べちゃべちゃだよ~」って抱きしめてあげる必要性なんてこれっぽっちもない。
それで笑いを取らなきゃいけない立場じゃない。
そこにいれば成立するスーパースターなんだもん。
でも、木村っちはしちゃうのだ。
場を盛り上げようとしちゃうのだ。
(発言が空回りしちゃったりする時もあるけどさ
他が出れば、引っ込む人なんだけどね。
誰も出なきゃ、出る人でもある。
ど~んと構えていてもいい地位なんだけどねぇ。
やっちゃうから。
自分はまだまだ修行中だって思ってる人だからねぇ。


ビストロは…
赤シェフさんの子どもっちに対する言葉にほっこり
落ち着いた低めの声が素敵だっ

お歌は…
数ヶ月前の収録ね?
ちゃんと流せて良かった。
木山さんにもお待たせしちゃったし。
嬉しそうな彼の笑顔が素敵だった。
こういう風に『スマスマ』出演を喜んでもらえる。
そういう番組でずっといて欲しいのだけど…。


来週はお久しぶりに永ちゃんがゲスト。
久しぶりに楽しみなビストロですわ。




を満喫しているらしい木村っち。
すっかり赤銅色のお肌。
『HERO』特別版の久利生君と同じくらいかしら?
焼けてはいるが、お肌は荒れてもいず…健康的なんじゃないですかい?
「プロ意識がない」「叱ってもらえ」等々の抗議の声もあがってますが。
『わっつ』で語られたレコーディングのスケジュールを指摘して、
海に行く暇があるなら、その時間をレコーディングにまわせ、
そんなぶっつけ録音を止めろって声もあった

お肌の色云々は、個人的趣向からの声かとは思いますが…。
きっついドラマスケジュールが終わった後の夏休み。
ちょっとぐらい大好きな太陽と遊ばせてやれよ。
仕事に差し支えるなら焼かないでしょ?
ハル、新之丞様は日焼けした肌だと変だからって、白いままだった。
ってことは、これから撮影する役柄は日焼けOKだってことでしょうに。
ちっとは木村っちを信用してやれよって思いますの。
(私個人の嗜好でも、小麦色くらいがベストだけどね。
 逆に真っ白は嫌。なまちっろい男性って拒絶反応。)
ましてや、レコーディング云々って…。
木村っちが一人レコーディングに時間をかけても…
悔しいことに、何も変わらない。
現実、最後の「アッ」「うっ」に凝ってはみても…
全体には大きな変化は期待できない。
それでも、
できる範囲でベストを尽くそうとする木村っちの姿勢に拍手を送りたい。

新曲を出すなら、ちゃんと時間をかけて…、私もそう熱望する。
しかし…チームだ。組織なのだ。
木村っち一人が「こんなやり方は納得できない」って時間をかける?
そして、すべてのスケジュールが狂う?
それを良しとするような自己中アーティストもいるだろうが、
木村っちはそうではない。
社会人として、組織人として、チームで仕事するということを理解している。
自分ひとりで納得行くまで仕事にこだわるという体制ではないとわかってる。
それがしたくても、できないってわかってる…と、思う。
したくてもできない。
それが一番辛いのは、木村っち本人なんじゃないか?
『わっつ』にご意見ご要望を送ってらっしゃるファンもいるようだが、
それを批判されて一番辛いのは木村っちだと思う。
そして、その解決策は…?
チームを抜けることしかないと思えるのだが?
木村っちの個人責任として責めるのはおかしいと思うのだけど?
(責めるべきは?マネージメント?チーム全体?両方だと思う)

俳優として、歌手として、タレントとして、
彼はいっぱいいっぱいしたいことはあると思う。
組織にいることで、できないこともいっぱいあると推測される。
ジレンマがヤマアラシだと思えるのだ。
それでも、その時、その場でのベストを尽くそうとする男。
そんな男を責めることは…
私にはできないっす。
ただ信じて見守るのみ。
彼の生き様を見せて“いただいている”んだもん。


またイタイっすねおそまつ

皆既日食

2009-07-22 11:22:14 | 日常あれこれ
見ました

こちらは
しかし、ちょうど目には優しい状態。
雲の向こうに白熱灯くらいの明るさで日食を見ることができました。
ネズミ色の雲のスキマから覗く薄い雲。
そこに浮かび上がる太陽。
三日月のようなのが不思議なような…
ウチの地方では最高で80%くらいの蝕。
日頃から天体に興味があるわけでもないのですが、
せっかく(?)の天体ショー。
見逃す手はあるまいと、楽しんでしまいました。

子ども夏休みの宿題に日記が出ているので、
これをネタに一日分のが書けるはずっ!と、お尻を叩いております。

やれやれ…あと何年、夏休みの宿題にふりまわされるのやら。
といいつつも、自由研究を子どもと楽しんでおりやすが。
今年のお題は『宇宙』なんだそうっす。

須磨

2009-07-22 10:26:03 | 日常あれこれ
先日、神戸須磨公園に行きました。
笑っちゃいました。
須磨だからSMA。
『スマスマ』の番組ロゴをそのまんま「SMA×SMA」ってプリントしたTシャツが販売されておりやした。
そういえばMIJツアーの折りに、木村っちは須磨海水浴場でころがってたんだっけ。
逆ナンされたんだっけ…
遠い目になる…


『わっつ』で海に7回も行ったそうな木村っち。
赤シェフさんはすっかりブロンズ色。
元気そうでなにより。
健康が何よりざます。
お仕事に差し障りがあるほどではありませんもん。
(照明さんはガンバかもしれませんが…)

『スマスマ』…迷走中ですね。
工夫をしようとする姿勢は感じるが(偉そう)、
それが空回りというか、妙な方に向いているような気がします。
スマというメインキャラを生かせていない。

「THEイチバン」
面白かった。
でも、スマじゃなくても成立するの。
感激屋さんで盛り上げようと頑張り屋さんの木村っちが楽しかったけどね。
リアクションがいちいち面白い。
はしゃいだモン勝ち。
白けられたら番組として成立しないもん。
でもね~、宣伝ゲストはいらないのだ。
この番組らしさ、この番組でしか味わえないもの…
それを大事にして欲しいっす。

ビストロは知らないモデルさんがほとんどで…
やっぱりビストロは隔週とかでもいいんじゃないかと?


お歌はオルケスタ・デ・ラ・ルス♪
ラテン好き♪
木村っちに似合うぞ~っ
こういうのを新曲にして欲しいのだ。
GOさんみたいなので歌って踊って悩殺して欲しいのだ。
大人の味で魅せて欲しいのだ。
スポーツ応援ソングはもういいっす
優等生ソングはもうやめようよ。
優等生じゃないんだしさ。悪オヤジでいいじゃんよ~



子どもっち達が夏休みに入り、
母のネットタイムは格段に減っております。
そりゃそうですな。
「いつまでネットやってるの」ってお説教している母が
長時間PCに齧りついていたらイカンわな
いつも以上に更新が遅くなりそうですが、お許しくださいませ。

『わっつ』で語っていた宿題を楽しみに待とうと思います。
それがどのようなもので、
自分の趣味に合わなくても(そりゃ合っていたほうが嬉しいが
いい子で待っていたいと思います~

「おかず」

2009-07-22 10:05:38 | 木村っち
毎日新聞7月16日17日の夕刊に連続して気になる記事あり。

16日のは特集ワイドとして「名脇役の魅力とは」として
徳平こと笹野高史さんのインタビューが掲載された。

主役をご飯に、脇役をおかずに例えて、

「ご飯だけじゃ食べられない。
 おかずだけじゃおなかいっぱいにならない。
 両方なきゃいけない」

その“おかず”として、

「演じることが見えないように、
 練り上げたにおいだけを届けるようなのが理想です」

と笹野さんは答えている。

このインタビューには山田監督も言葉を寄せていて、
監督の求める演技とは、を語っている。

「ちゃんとした芝居をしてきた人は『おれがおれであること』が大切だとわかっている」

記者はこれを“自然体”ということだと捉えている。
木村っちの「道徳の授業を受けているようだった」という感想と同じく、
この記者も「脇役論を超え、人生訓をうかがっているような気がしてきた」という。
同じような感想なのが面白い。

「そこにいるだけで何もしない。
 そうやって役が演じられれば最高です」

笹野さんの脇役論も難解だ。



何もしない演技…それと通じるような言葉が翌日17日の夕刊に載っていた。
毎日新聞専門編集委員の近藤氏の「幸せのトンボ」というコラム。
「死ぬ演技」というタイトルがついていた。

俳優の演技論について書かれているのだが、
緒形拳さんの言葉を取り上げている。

「演技って演技しないってことなんですよね」

笹野さんと通じるところがある。

筆者によると、

「演技の上手な人に共通しているのは演技しているところを見せないところ。
 反対に下手な人は演じているところを見せることだろう。
 抑制に対し過剰という違いがある」

ん~?
木村っちは貶しとして「いつでもキム○ク」ってのがある。
それは演技していない、そのまんまだってこと?
どれが木村っちの“そのまんま”だって言い切れるのかと問いたくはあるが、
それって演技していないってことだよね。
だからして、アンチのワンパターン貶しは褒め言葉なんだ。
笹野さんのインタと近藤氏のコラムを読んで、
つくづく再確認してしまった。

木村っちは「『おれがおれであること』が大切だとわかっている」と思うのだ。



木村っちは、“ご飯”にも“おかず”にもなれると思うのだ。
濃い~味付けにも、上品なお出しの効いた薄味にもなれる。
食事にもひとそれぞれ好みがあるわけだから、
当然好き嫌いもあるわけで…。
でも、「はい、どうぞ。めしあがれ」と言われる前に
「そんなのは食べたくない!」って拒否したくないし、文句たれたくないのだ。
せっかく食べてくださいってだされたお膳なら、
ちゃんと「いただきます」って言いたいんだよね。

挑戦を重ねる木村っちが誇りでもありますの。

右脳№1

2009-07-14 11:38:25 | 木村っち
久々に面白いと思えたビストロ。
ゲストの方々のドラマは…ほとんど見た記憶なし。
世代的にはばっちりのはずなのだが…あり?

陣内さんといえば『眠れる森』
ああ、直季を埋めちゃったんだっけ。
ミステリードラマの最高峰じゃなかろうか。
やっぱ脚本は大事だ。
ギバちゃんといえば『華麗』
嬉しそうに共演話をしてくれるんだよねぇ。
浅野さんには『ときめきメーター』について語って欲しかったっす。
あの時のShitao仕様の木村さんの色気ったら!


『右脳ゲーム』
あり?なんか…回答者によって出される問題の程度が違う?
木村っちに出されたつり革のなんて、私はまったくわからんかったぜ
ちとお疲れ気味ではありますが、お美しい木村っちをご馳走さまでした♪

リンドバーグ
クルクル高速回転する編み編み木村っち♪
なぜにと思えば…80年代のドラマのDVD化関連なのですねん。
ドラマ主題歌だったのねん。


前枠のドラマの延長で通常よりも遅れて始まった『スマスマ』
たまにはリアルタイムで見るかと10時にテレビをつけたら…まだだった。
そのドラマ…え~と、どこかで見たような…デジャブ?
永山さん演出だからかしら?『ロンバケ』風?
(この場合、“風”っていうのがピッタリくるけど)
ドラマは…ごめん、途中でギブ。
『スマスマ』は録画にお任せ。

そ~か、これの宣伝で後輩君は『特ダネ』に出てたのね。
洗濯物を干してた時に、テレビから木村っちに関連した話?って会話が聞こえた。
何?って振り向いたら、後輩君が出てた。
な~るほど、だから「世代交代」なのね。
何の話じゃ?ムカつくねん…と思ってたけど、
要は「青春恋愛ドラマ」の主役の世代交代として、
木村っち→後輩君ってことを言っていたのだな。
木村っちは若者の好いたハレタなんてドラマにはもう主演しないもん。
そういうのは後輩君達で頑張ってくれ。
木村っちはもう大人の俳優だもん♪
木村っちが『あすなろ』からドド~ンと出て恋愛ドラマの王者になったように、
はやいとこ次の世代でこれっていう人が出て欲しい。
恋愛ドラマならこの人って若手俳優…誰?いる?


宿題♪

2009-07-14 10:43:39 | 木村っち
『Mr.BRAIN』終わりました…
がっ!「終わっちゃった」という寂しさはなし。
やっぱり宿題が出ちゃったからでしょうね♪
スペシャルドラマになるのか、映画になるのかは定かではありませんが、
がっつりといっちゃって欲しいです。
それに関しては、いろいろいろいろ要望はありますが~…
とりあえず♪
完走、おめでとう

今回のドラマは木村っちにとって“挑戦”だった。
時間枠もそうだけど、今までとまったく違う演技も試してた。
いつもよりもず~っと顔の筋肉を使ったんじゃないかしらん?
それほど九十九君の表情は豊かで愛すべきオーバージェスチャーで。
全身で“愛しの変人科学者”になっていた。
発声法もかなり変えていたんじゃないかな?
『ぴあ』の相田さんじゃないが、瀬名君とはまったく違う発声。
奏でる音楽も初めてのジャンルではないかしらん?
さまざまな“挑戦”を誠実に情熱を持ってやりとげた木村っちに拍手です。
恋愛ドラマとかね、そういうのも見たいけど…
『BL』の柊二を「ただの女性にとって都合のよい男」だと言い切っていた木村っち。
ああいう男性像を演じろって言われたら、
そりゃ完璧に女性の理想的な男性を演じるだろうけど、
木村っち的にはな~んの挑戦もないと思われるのだ。
そういう点でも、九十九という役はとってもやりがいがあっただろう。
それが一番嬉しいと、思ってしまう私は所詮エセ母的なファン。

最終回当日に流されたダイジェスト番組
それの冒頭にあったクランクアップ映像。
花束を抱えて、本当に深々と頭を下げる主演俳優。
出てくる言葉は「感謝」
そりゃヒロ君だって、自分の出番がなくてもクランクアップに駆けつけちゃうよ。
早々と(?)DVD発売も発表されたし♪
何よりもメイキングが楽しみというのは邪道かしら?
『華麗』と同じくディレクターズカット版らしいし。
(ジャイさんの場合、こちらの方が断然良いのよね)
9月までの乾期をワクワクで凌げるぜ♪




以下、視聴者の偉そうなダメ出しごめんね

土8という枠から広い層をターゲットに狙ったんでしょうな。
アニメの九十九君をいれたり、脳トレをいれたり…
が、「力みすぎ」と書かれたように、
あれもこれもと詰め込みすぎて混乱しているのは否めなかった。
プロデューサーさんは子どもに木村っちの凄さを知らせたいって言ってたけど、
それにしちゃ猟奇的な内容もあった。
(ウチの小学生は『CSI』が大好きだから、平気で見てたけど…)
子どもにはちと難しい?
でも、大人には食いたりないミステリー部分。
脚本的にはかなり中途半端になっていたと思われまする。
宿題を提出する際には、もっともっと脚本を練って欲しいと思います。
ミステリー作家さんに原作を依頼してもいいかもしんない。
九十九君のキャラ設定そのままに小説化してもらって、
それを映像化するのだ。
ついでに小説も出版する。
流行のクロスオーバーでどないだ?
やっぱり脚本が一番大事だと思われまするので…。
『眠れる森』みたいにね。

猟奇的な内容…私は平気だけど、平気じゃない人は多々いる。
やっぱり土曜日8時という時間的には無理だったろうに。
レクター博士のような悦楽殺人やカニバリズムは特殊すぎだし、
カナコの怒りは大人は理解できるが、
それが殺人にいたるのを子どもに納得させるのはまだ無理。
というか、誘拐犯の身勝手さとかね、
人間の恐ろしさを直視させるに相応しい年代ってあると思うのだ。
これが10時からのドラマだったら…まだね。
子どもに血を見せないようにしろ、暴力シーンから遠ざけろ、とは思わない。
ただ…家族で楽しく見るドラマではあまり見たくないというのも本音。
(って、見せてたけど。すみません説明はしました
だから、それに対して抗議する気持ちもわからないではない。
私のママ友は録画してから、自分ひとりで楽しんでいた。
まぁ子どもに質問攻めになって、ゆっくりと見れないからもあるそうだけど。
ちーびーえすさんが本気で数字を獲りたかったのなら、明らかに戦略ミス。
それでも今期最高の数字を出したのは、
やっぱりキャスト陣の魅力に他ならないのではないかしらん?

お数字…もう気にするのは止めたらって偉そうなことを書いてましたけど、
マスゴミやアンチも五月蝿く、やっぱり気になるは気になった。
最終回当日は裏番組もかなり強力だったし、
テレビ番組全体の視聴率を見ても、か~なり上出来だと思いまする。
もうね、テレビをリアルタイムで見る時代じゃないですもんね。
ウチも見ない…とりあえずHDDに録画しておいて、後でゆっくりと見る。
リアルタイムで見るのはニュースぐらい。
特に若い世代は見ないみたい。
ネットしてるもん。
そういう社会情勢も鑑みずに、
一俳優のみのせいにして語るのは、なんと愚かなことかいな。
私個人の考えざんすが、
俳優個人の持つ潜在的な数字って初回のだけじゃないかな?
ドラマの内容はまだわからないけど、
とりあえずこの人のドラマなら見るっていう。
他に主題歌が新譜だとかの要素も絡むだろうケド…。
2回目以降は肝心なのは脚本と演出だと思いますの。
勝手かしらんね?



って顔になったシーフードのCM!
「♪ちょっと恥かしげに、かなり遠慮深く、目立つことを嫌い…♫」
麗しい水兵さんが歌うのは「貝柱の歌」
爆笑してしまいましたぜ♪
このシリーズ、コロチャーといい、かなり好きっ!

タマホームさんは不思議なCM。
ロックっぽい木村っちはそりゃカッコイイですが、
住宅のCMには見えませんぜ



イタイ話。
いつものごとくヲタ的なイタさですが…。

Shitao様と九十九君。
私はどちらも魅力に感じた。
趣味的にはShitao様なんだけどね。
九十九君の愛らしい変人ぶりもアリ。
「おまいはなんでもいいんだろ」って言われれば、そうかもしんないが…。

仕方がないことだし、そりゃそうなんだけど、
「九十九は変人すぎて、変なファッションで格好良くない。
 あんなドラマじゃなくて、もっと素敵な恋愛ドラマが見たかった」
「『ICWR』なんてわけのわからない映画。
 しかも、泥まみれになって、ちっとも活躍しない役。
 あんな映画になって出て欲しくない」
「子ども向けの土曜8時なんて枠は相応しくない。断るべきなのに。」
いろ~んな気持ちがあるのですねん。
それらはすべて木村っちへ向けてのもの。
う~ん、やっぱり香川さんの言うとおり「公人」ざますのね。
神の子羊。
あっち立てれば、こちらが立たず。
こちらの気持ちを汲めば、あちらは不満。
木村っちはただ一人なんだけどね…
「公人」として身を捧げることになる。
自分の欲ではなくね。
木村っちの欲…俳優として名声を博することでもなく、
後世に名を残すことでもなく、
ただ楽しむことなんじゃないかと…
最終的な選択としてそれしか残らなかったんじゃないかと思ってしまいます。



イタイ話2

2009-07-08 19:04:57 | 日常あれこれ
8日の毎日新聞朝刊「記者の目」欄はマイケルについて。
これがまた…痛々しい内容で、イタイ私のヲタ心を痛くさせる。




「僕はマシンだ。だからちゃんとオイルを差してくれ」

これはマイケルがロンドン公演のために医師をスタッフに加えるように要求した時の言葉。
そのコメントから、記者は映画『ウィズ』を連想したらしい。
『オズの魔法使い』をミュージカルにした映画。
これでマイケルは「脳みそのない案山子」を演じた。
その仲間にブリキ男がいる。
彼はがらんどうの身体で心がない設定。
彼が歌うのが「オイルを差して」
マイケルは自分をブリキ男と重ね合わせていたのだろうか?
この記事はそう推測しているのだけど…?

記者は、マイケルの訃報が日本の新聞の一面に載ったのは、
彼が歌と踊りが上手なだけの黒人エンターティナーだけだからではない、としている。
マイケルは「音楽以外の何か」を持っていたからだ。
それは数々の奇行やゴシップではなく、
「ニュースの存在」として生かされていたからだと、記者は考えている。

この記者はマイケルについてコメントを得ようと、
人気音楽家に取材したらしい。
が、ほとんど断られた。
なぜか?
リアルタイムで影響をうけていないし、
知っているのはゴシップか『キャプテンEО』だけだからだそうだ。
30代以下の人にとってはそういう存在なのだとか。
(私はこの記者さんは取材対象を間違ってると思うが。
 35歳以上なら影響を受けてるし、凄さも知ってるはず。
 某木村氏に取材すれば、熱く語ってくれるだろうに)
マイケルの偉業は80年代のものであり、
彼が最後に生きた場所はゴシップニュースの中だったのだ。

マイケルのファンもいるし、そうじゃない人もいる。
流行はそういうものだし、芸能人は自分が作った歴史で悠々自適に生活もできる。
しかし、マイケルは違った。
世界が「消えると困るマイケル的存在」を欲してしまった。
それは…

「もてはやしているようで、実は好きな時にいじくって遊べる都合のいい玩具。
 緊張した社会の安全弁。
 それは“人気”とも言えるが、“罰”とも呼べるような相貌を持つ。
 芸能人は多かれ少なかれ、そんな重い岩を背負わなければならない面がある」

しかし、それには程度の差がある。
マイケルは目立ち過ぎたのだと、記者は書いている。

「(彼にだけは)“シジュフォスを演じてもらおう”という残酷な環境が完成されてしまった。」

シジュフォスはギリシア神話の人物で、永遠に大岩を押し続ける宿命を負っている。

マイケルに「果てるまでゴシップで我を喜ばせるべし」と命じたのは誰なのか?
エンターテイメント業界か?
メディアか?
大衆か?
それとも本人か?
そのすべてか?

スターであり続けるためには、プライバシーをある程度手放さねばならない。
シジュフォスのように、プライバシー情報という大岩を転がし続ける宿命にある。
どんな目に遭っても、反論することも、逃げ出すことも許されない。
記者は、そんな状況でもスターの地位は心地よかったはずだとしている。
だから逃げ出す必要もなく、
マイケルは受容したのではと書いている。
ただ…
受容して生きていくためには、
「案山子とブリキ男」にならなければならなかったのではないか…と、記事は結ぶ。
 





「都合のいい玩具」
「緊張した社会の安全弁」
イタイ心に引っかかる言葉。
全面的に同意はできないけれど、頷ける。
マイケルについては詳しくないけれど、
日本で、規模は違えど、同じようにメディアにさらされている存在と重ねてしまう。
やふ~とかのコメントを読んだりしてしまうとね…
ああいうのを書く人々は何を目的としてるんだろ?
ストレス解消?アジテーション?
週刊誌がただのアジテーションだけになっているって説があったけど、
それにただ盲目的に乗っかっているとわかるコメントもある。
フラストレーションを抜く開放弁になってるの?
それのアイコン?
メディアによって、ある種の権力=公人とされているから?
だから、いくら貶そうと構わないとでも思っているのかしら?
それが怖い。
そこまで単純化された思考が普通にまかり通るのって怖すぎる。

ただ翻ってみると…
そこまでの大きな岩を背負わされる存在こそが“スター”なのだとは思う。
誰にも貶されない、アンチも少ない、誰にも受け入れられる…
それがスターだとする人はいるだろうが、
私はそうは思わない。
プラスとマイナスの磁場がそれぞれ強力でなければ、
“スター”ではないのではないか?

こうして勝手にイメージングして、物語を“捏造”する。
本人には気持ちよくないだろうし、本当にごめんなさいなんだけど
妄想が膨らまない存在もまた“スター”ではないと思うのだ。
本人は「僕はスターじゃない」って言うだろうけどね。


「脳みそのない案山子」と「心のないブリキ男」
それにならずに生きていく方法はある。
それにはとんでもない強さが必要。
その強さも眩しさの理由の一つではあると思う。


イタイヲタの独り言、失礼しました

力みすぎている?

2009-07-08 11:06:25 | ドラマ・映画
香川さんにつられて買った『キネ旬』
「tele-jun」というテレビ時評も『ミスブレ』についてだった。

「“ドラマのTBS”は力みすぎている(下)」というタイトル。

(上)は立ち読みしかしてなかったが、
首を捻るところはあれど、おおむね頷けた。(偉そうだ)
で、今回の(下)
う~ん、少々の反論はしたいが、同意はするかしら?

この時評を書いた石飛氏曰く、
『ミスブレ』は
「作り手が力みまくってしまい、
 その結果、視聴者が戸惑うようなドラマになった」
う~ん、確かに力みは感じる。
特に初回はね…。

脚本が多くを詰め込みすぎで消化不良。
演出は凝りすぎて本筋を邪魔している。
出演者が多すぎる。
ゲストが過剰に豪華。

石飛氏曰く「視聴率の取れるスターは現在、木村拓哉ただ一人」
だから、豪華ゲストはいらないし、シンプルな物語の中に彼を置けば良し。
そして、「彼の演技をじっくり見せるべき」

この木村っちの演技をっていうのには全面的に同意する。
まぁ脚本も演出もね…ゲストもまぁ初回はねぇ…
ただ、今回の土曜8時という枠で、シンプルな物語というのは似合わない。
制作の注文はそれではないだろう。

木村っちを堪能できるドラマというのは、私も熱望する。
登場人物もごく少数で、ごちゃごちゃした演出もセットもない、
ごくありふれた空間での木村っちの演技は見たい。
そういう物語でも彼は十二分に輝くのだ。
が、今回のドラマはそういう趣向ではない。

石飛氏の気持ちもわかるのだが…今回のメニューは違うのだ。
強いて言えば、お子様ランチかしらん?
いや、時間的にはそうだろうけど、というよりはバラエティセット?
ファミレスにありそうな様々な嗜好に合うように作られたセットメニュー。
ちこ~っとその店独自の工夫が入っていて、
それが成功がどうかは個人的な嗜好におまかせ。
ファミレスで懐石料理を求めても…
「いやいや、お客様。それは他のお店へ…」ってことではないでしょか?

いつでもずっとファミレスばかりではツマラナイ。
たまには渋く懐石もいいし、
うんとスパイスの効いたエスニックもいいと思う。
Shitaoはう~んとスパイスや香菜の効いたアジアンフードかしら?
木村っちの苦手なパクチーも入ってそうな…。
(でも、食べるでしょうけどね)
アメリカンでもいいんだけど、ファストフードにならなきゃいい。
どうせならうんと重量のあるステーキでもいいかもね。
素材が良ければ、どんな料理法でも美味しくなる。
よりもっとっていうのは、シェフの腕次第ってのはあるけどね。


イタイ話

2009-07-07 14:55:47 | 日常あれこれ
テレビでは相変わらずのマイケルの話題。
新聞にも記事が載る。
毎日新聞夕刊6月30日の「芸能」
吉岡氏という音楽評論家さんの記事が載っていた。

「スーパースターから地獄
 メディアが翻弄した晩年」

と題されたコラムだ。

マイケルの「キング・オブ・ポップス」という業績を讃えつつも、
メディアとの戦いも書かれている。

「メディアによって誰もが想像し得ないほどのスーパースターになった最大の人物だが、
 同じくメディアによって誰もが想像しえないほどの地獄に落とされたエンターティナーである」

「スターにしたのもメディア、スターの座から引きずり降ろそうとしたのもメディア。
 メディアの残虐性がもっとも顕著に出た例であり、
 晩年のマイケルはメディアに翻弄された最大級の犠牲者である」


現在の一連の報道を見ていたら、この記事が頷ける。
メディアの残酷さが恐ろしいほどだ。
メディア=大衆なんだろう。
大衆が欲するからメディアは提供する。
「他人の不幸は蜜の味」とはよく言ったものだ。

イタイファンとしては、イタイ考えに走ってしまう。
もちろん世界的なスーパースターだったマイケルとは比べるべくもない。
まったく規模は違う。
が、日本において、
木村っちほどにメディアに翻弄されつづけているスターはいないのではないかと思ってしまう。
“キムタク”を作り出したのは、初めに言い出したのは女子高生らしいが、
スターとしての虚像としての“キムタク”を作ったのはメディアだ。
あのブーム。あれは完全にメディアが作り出したもの。
事務所の扇動はあったにせよ、新しいブーム=儲け口として作り出した。
あのころの週刊誌はこぞって“新しいスター”だと持ち上げた。
一過性の人気だと見込んでの持ち上げだったんだろう。
「今が旬」という煽りでもわかる。
そして、あれから10年以上が経ち…
自分達が作り出したと思い込んでいた“スター”は本物だった。
今度は飛び出しすぎた杭を叩きまくるのを常とするマスゴミ。
スターの座から引きずり降ろそうと、
それができないのなら、できるだけ穢そうとする蛮行。
あまりの愚かさに腹を立てまいと思っても、やっぱり頭にくる記事。
木村っちだけに押し付けられる高いハードル。ダブルスタンダード。
ただ…木村っちはメディアに翻弄はされていない。
おもねることもしないが、高みから見下ろすこともしない。
同じ高さに立ち、人対人だと紳士的に接しようとする。
(その努力を無にするような無作法者は斬って捨てられるがいいのだ)
傷ついていないわけはないだろう。
が、治癒能力は断然アップしていると思う。
翻弄されないだけの底力と、しっかりと張った根っこのおかげかしら?









非常にイタイ話になって申し訳ないが…
先日亡くなられた栗本薫さんの小説を何冊か読んでいる。
図書館で見かけて、懐かしくなって手にとってしまった。
もう20年ぐらい前に嵌って読んでいた。
(『グインサーガ』の未完が惜しまれる)

かなりトホホ…な映画化もされた『キャバレー』という小説。
それの続編が出ていたとは知らなかった。
『黄昏のローレライ』というタイトル。
(読み終えても、内容とタイトルが結びつかないが…)

34歳になっても“姫”扱いされる天才ジャズサックスプレイヤー矢代俊一と、
前作でも登場した矢代のジャズを熱愛するヤクザ滝川の物語だ。
栗本さんの作だけあって、ほのかにBLっぽさはある。
小説のでき的には…イマイチの感は否めない。


主人公は「可愛い、繊細、儚げ、綺麗」等々言われる34歳のジャズマン。
その容姿からかアイドル的な人気もある。
(本人はそれが不服だし、嬉しくはない)
アメリカでも認められて、CDも出しているし、CMやアイドル歌手に曲提供もしている売れっ子。
作曲も好きだし、ジャズ一辺倒でというタイプではない。
矢代カルテットというグループを組んでいる。
(サックスは単独では成立しにくく、ベースやドラムが必須)
そのカルテットには問題がある。
ベースが矢代の技術に、ファンが聞いてもわかるくらいについていけてない。
ピアノは音楽性が違いすぎる。
矢代の才能をささえられていない、邪魔になっている。
が、矢代が何も言わないから、ファンも「仕方ないかぁ」と諦めている。


才能がありすぎる、何をさせてもソツなくこなしてしまうと言われる矢代。
そんな彼を狭いジャズシーンではなく、メジャーにさせようとする芸能事務所。

「せっかくのその天の与えた才能を、
 どんどん荒れたプレイでまきちらしてしまいそうな気がして心配になる」

だから、自分達のような目があって、力があるものが才能を正しい方向に導かせなくてはならないと、
渋る矢代を説得する。

「天から特別な才能を与えられた人間の義務は、
 その才能を目いっぱい花開かせること。
 今の矢代先生は、まだその花を、半分も咲かせていない」

この説教に対して、

「ほっといてくれ、やりたいようにやるんだ、俺は俺だ。
 お前達に何がわかる。俺の何を知っているというんだ」

心の中では反論する矢代。
しかし、この主人公はおっとりしてるというか、優柔不断で煮え切らない。


ストーカーになる熱狂的ファン(男性)にも言われてしまう。

「いつまでもこんなところでとどまっているんです?
 どうして我慢しているんです?

 なんだって、あんなとこで、いつまでもぐるぐるまわってるんですか?
 矢代さんの野望はどうしちゃったんですか。
 天才・矢代俊一のはてしない飛翔はどうして一時中止なんですか?
 俺は納得できないんですよ。
 
 あなたは天才なんだから。
 天才には義務があると思ってますから、俺。
 人類に━その恵まれた才能をかえす義務が…
 でなかったら、他の才能に恵まれなかった幾千万の連中は浮かばれないし、
 その天才が、自分のしていることがわからんようになっているんだったら、
 それに、目をさまさせたり、正しい方向に戻してあげようとするのは、
 その天才を愛している人間の義務だと思っているから」

この熱狂的ファンは、矢代が週刊誌のグラビアに出たり、
ドラマの作曲なんかするのは許せない。
そんなのは時間の無駄、ちゃんとジャズのことを考えろ、
今のままなら駄目だと言い放つ。
矢代のマネージメントにも自分の考えをぶつけに行く。
それを知った矢代の反応は「うげ~っ」

「矢代さんは純粋で音楽馬鹿で、ジャズ以外のことは何もわからない人だから、
 まわりの人間がちゃんと彼を見てて守ってあげなくちゃいけない。
 まわりがよってたかって矢代さんを駄目にしてるんだ。
 まわりが矢代さんを食い物にしている」

最終的に彼は、サックスが一時的に吹けなくなった矢代と無理心中しようとするんだけどね。



なんかねぇ…重ねちゃうのだ…
私もだけどね…ファンは勝手にイメージングしちゃうから…
ついその対象のありかたにさえも口を出したくなるんだよね…
私は「好きなように生きてくだされ」って思う派なんだけどさ…
やっぱり言いたくなるときもあるし…
高名な俳優になって欲しいわけじゃないのだ。
輝かしいキャリアよりは、バラエティに飛んだラインナップの方が好き。
自分がやりたいなって思う役を楽しめる俳優さんでいれればいいなって思うの。
それはそれで難しいことなんだけどね。
こんな役やりたい、これ参加したいっていう気持ちで動ければ最高だもん。
それもまた難しいんだけどね~。

なにはともあれ…なにもまだわからない。
何かは進行しているのだろうけど、それはまだ未発表。
ポロリ大王はサドですぞ。
S的なプレイかもしれませぬ。
ポロリがそのまんまだったとしてもね、
ファンの要求とは違うところだったとしてもね。
挑戦ではあるのだよね…。
今まで成功した例ってないに等しいからなぁ…
私は、挑戦できなくなるよりは…って、思います。
思いたい。
って、何もわかってないっつ~の


7話…本気のシマウマ

2009-07-07 12:10:35 | 木村っち
家族4人で食い入るように見ました『ミスブレ』7話。
これであと1回で最終回。
寂しい…
でも、九十九君がどうなるのか、どうするのか…?
それも早く見たい。
脚本的にはなトコも多々あるドラマだけど、
繊細な変人を演じる木村っちの演技は拍手♪
愛しい仲間達も素敵だ。

その4トップのおひとり、香川さんが連載されている『日本魅録』
これのためにだけ『キネ旬』を購入。
これは以前に映画版『HERO』で初共演した際に書かれた時以来だ。

「脳の面々」と題された内容は、
ジャイさんやカメラの唐沢さんら、スタッフさんの話題も書かれてはいる。
しかし、そこからも繋がるのはやはり「木村拓哉」について。

香川さんいわく、木村っちは完全に「公人」である。
それはまるで総理大臣であると同じように衆目に晒されない日がないかのようだと。
しかし、それに背を向けない。
それに真正面から立ち向かうのが「木村拓哉」だ。
それが香川さんの木村っち像。
私は仕事現場で一緒に仕事したことはもちろんないが、
私もそう思っている。

「100%真摯にその人と関わろうとするウルトラポジティブな人間」
人と人との係わりを楽しもうとする完全主義者。
どこまでも全力。
それは天賦の才かもしれないし、
宿命なのかもしれない。

演出家、カメラマン、照明…スタッフが究極の効率性で行う撮影が、
まるで飢えたライオンの群れがシマウマを食い千切るかのように思えるそうだ。
シマウマは被写体=俳優。
カメラが食いついている木村拓哉はどのシマウマよりも「本気」なのだそうだ。
ライオンたちと「完全なる関わり」を求めている「本気のシマウマ」
食い千切られるのも本望なのかな。
そんな木村っちについての香川さんの表現が…
「自らの身を捧げ昇天していく神の子羊」
「神聖な肉体を天空に捧げる“公人”」
ここを読んで、Shitaoを連想してしまった…。

「ここまでピタリと現場に張り付いた感覚を持つ俳優は、
 おそらく高倉健をおいて他にいないだろう」
健さんもライティング準備中、立ち位置から動かなかったという逸話があるらしい。
そんな健さんに似ていると山田監督にも言われた木村っち、
「スタッフたちと四六時中顔を突き合わせ、
 現場では台本を開く姿は一度も見せたこともなく、
 ひとたび立ち位置に立ったら電光石火の右脳的感覚で自らの演技方針をチューニング」
こんな「現場に対する並々ならぬ姿勢と同じ覚悟」を感じさせるところが、
健さんと木村っちが似ているといわれる所以なのだそうだ。

「誰よりも空気を読む公人」と同じ現場を切望する香川さん。
「友愛に飢えたマゾヒスト」というのはご自分のことだろう。
撮影はキツかったけど、愛しい仲間達との現場は最高だったということかな。



「木村拓哉は公人である」
それは状況的に真実ではある。
でも、木村っち本人は「公人じゃないっすよ」って笑うんだろうなぁ。

「人に生かされてるだけです」

「要求や愛撫を感じ取りたいし、応えたい。
 その要求が大きければ大きいほど、応えたいなっていう気持ちも大きくなる。
 それはいろんな形がきっと存在するとは思うんです」

上記は『ICWR』のインタビューでの木村っちの発言。
様々な要求がぶつけられ、それに応えようとする。
それを喜びにエネルギーに変えられる…
一挙手一投足を注目されているという意味の「公人」だけではなく、
ある種の奉仕を宿命づけられているという点においても「公人」なのかもしれない。
って、木村っちに「勝手にイメージングするな」って怒られそうだけど。

やっぱり「本気のシマウマ」はShitaoを連想させる。
ちゃんと癒してくれる温かい手があることが嬉しい。