秋田県横手市増田町 千葉建築のブログ

秋田県の県南、横手市増田町の工務店、(有)千葉建築のブログです。
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伝説の都市

2016-08-24 07:23:27 | 歴史と文化
8月24日(旧暦7月22日 干支=戊寅 九星=七赤 六曜=仏滅)


おはようございます。横手市増田町の工務店、千葉建築です。

一昨日の台風9号の通過の際、ずっとネットの天気予報を開いていたら、岩手沿岸で震度3の地震も発生していました。

東日本大震災以来、あるいは今年の熊本地震も含めて、地震が毎日起こっている状態の中、大雨と地震の同時発生なども注意せざるを得ません。


その地震の影響もあるでしょうが、2014年9月27日の御嶽山の噴火を代表するように、火山活動についても警戒が必要となっています。

登山用品売り場に行くと、以前よりも登山用ヘルメットのスペースが増えていることも、その表れかもしれません。


今年の熊本地震の影響といえば、やはり阿蘇山の火山活動が心配されます。

また、九州の火山といえば、長崎県の雲仙普賢岳が思い浮かびます。

1991年6月3日に発生した火砕流によって、43人の死者を生む災害となった時のことは、25年たった今でも思い出せます。


もっと過去の火山の噴火のニュースといえば、伊豆大島の三原山、あるいは伊豆諸島の三宅島なども思い浮かびます。

三宅島は、増田町民、特に私たち世代にとっては身近な存在です。

市町村合併のはるか前、増田町と東京都三宅村の交流があり、中学生同士がお互いの町を訪れたこともありました。

その時、三宅島の雄山の火口付近を見学した記憶もあり、その後の三宅島全島避難のニュースなどに動揺した記憶もあります。

たびたび噴火を起こす三宅島ですが、今日は1962年に三宅島が大噴火を起こした日でもあります。


さらに、その1900年ほど前に、火山の噴火によって一つの街が壊滅したという日にも当たります。

その街とは、かつてポンペイと呼ばれていました。

この時代は、ローマが帝政期に入って100年が経ち、初代アウグストゥスから7代の皇帝が継承されたときに当たります。

「パクス・ロマーナ」が実現し、カリグラやネロなどの暴君も出てきながらも、対外的な平和によってローマの文化や風俗が醸成されていった時期でもあります。

なお、日本では弥生時代中期で、国や都市の形成が道半ばであったとされる時期でもあります。


帝国の都ローマから南東へ200キロ、現在ではナポリと呼ばれる港町から、さらに東へ行ったところに、ポンペイが存在していました。

地中海に面したナポリの海と、雄大やベスビオ山を臨むポンペイは、ローマ市民や貴族のための高級リゾート地として、最盛期には2万人を超える人口を有していました。


79年8月24日、そのベスビオ火山が大噴火を起こしました。

街の人々は、それを機にローマなどへこぞって逃れますが、一部の人はそのままとどまりました。

噴火から半日たって発生した火砕流によって、山から10キロ離れたふもとにある、ポンペイの町は完全に飲み込まれました。

ローマにもその一報は伝えられ、皇帝ティトゥスは使者を出しますが、すでに街は消滅し、2千人ほどの人々が犠牲となりました。


軍人であり、博物学者でもあったプルニウスは、ポンペイの救援に向かいますが、その途上でガス中毒で命を落としてしまいます。

プルニウスは、自身の甥に噴火直後の様子を伝え、甥は後にそれをまた別の人物に、手紙として伝えました。

その人物とは、歴史学者として知られるタキトゥスです。


火山から降り注いだ火山灰は、ポンペイに次々と降り注ぎ、そこが街であった証を消していきました。

その後は長らく、人々の伝承で語り継がれる「伝説の都市」となり、時代とともにその記憶は薄れていきました。


その記憶が一気に呼び起こされたのは、1700年も後の時代でした。

1748年、ポンペイが「再発見」されます。

埋もれた当時の建築物や壁画などの調査が行われますが、この時点ではまだ本格的な発掘には至りませんでした。


発掘が本格化するのは、それから100年後、19世紀の半ばを過ぎてからでした。

この当時のイタリアは、小王国がばらばらにあった状態から、統一した一つの国になろうとしている時期でもあります。

そうした中で、それまで散発的に行われた遺跡発掘が、19世紀後半からイタリア政府の主導で行われるようになり、ポンペイは1800年の時を超えて、街としての姿を人々の前に表しました。


火山灰に埋もれた都市は、噴火によって止まった時のままを保存していました。

人々の死体はとうに朽ち果てて空洞になっていましたが、考古学者はそこに石膏を流し込んで、息絶える瞬間の苦悶の表情を知ることができるようにしました。

人だけでなく、それは犬にも行われました。

首輪をした犬が、いまわの時に身をよじらせている姿は、生々しさを感じさせます。


ポンペイの街は、上下水道が完備され、公衆浴場や劇場など、娯楽施設から住宅までが建造されていました。

居酒屋のメニューや、奴隷がトイレに書いた落書きなど、そこに人々が「間違いなく」暮らしていた証を残しています。

1世紀のローマ人も、毎日働き、あるいは遊び、飯を食べたり酒を飲みながら、恋を語らったり、旦那や妻の愚痴を言ったりしたでしょう。

友と語らい、あるいはけんかをして、家に戻って寝て起きて、また新たな一日が始まる。

ベスビオ山が噴火するまで、そんな日常が永遠に続くものだと思っていたのかもしれません。

今日は、そうした人々に思いをはせる日にしたいと思います。

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