みちのくの放浪子

九州人の東北紀行

国立中正記念堂と蒋介石

2018年08月03日 | 俳句日記

中正記念堂の正面

広大な敷地の中心に、音楽堂や観劇堂等
複数の付属建築物を従えて、威容に満ち
た記念堂が屹立していた。




高さは10階建てのビル程もあろう。

最上階には中正こと蒋介石総統の座像が
二人の衛士に守られていた。


「怨みに報いるに、徳を以ってする」
蒋介石のその一言で、日本は米英中ソの
分割統治を逃れたと教えられていたが、
一階にある展示を見て考えが変わった。

やはり彼は米国の傀儡でしかなかった。
支那の近代化は辛亥革命から起こったは
ずだし、彼は日本の陸軍士官学校で学ん
でいたはずだ。

なのに展示物には日本にまつわるものが
一切欠落している。
袁世凱すら無く、孫文の肖像画が申し訳
程度に壁に掛かっていた。

数多くのものは、抗日時代からの親米の
証左ばかりである。




まして、筆者は前日に2・28和平公園を
訪れたばかりであった。
この事件のことは不明にしてよく知らな
かった。

ポロポト政権の行状と比べたのは行きす
ぎかもしれないが、本省人を40年も戒厳令下に閉じ込めたのは、やはり圧政とし
か言いようがない。

李登輝政権の誕生を本省人が雀躍して迎
えたのも宜なるかなである。
そして今は「一つの中国」問題で台湾は
中共と対峙している。

だから日本人として問いたい。
確かに、終戦時に内蒙古から撤収する日
本軍と邦人に対する国民党軍の寛容さは
蒋介石の力無くしてあり得なかった。

門田隆将氏の著書「根本中将」に詳しい
が、その恩に報いるため根本中将は戦後
単身密航までして金門島に乗り込み中共
と戦った。

これは日本人の「士魂」である。
もはや日台は中共に対しての運命共同体
と言える。
日台友好の証として、この事績をここに
掲げて欲しいものだ。

〈記念堂 炎昼仰ぐ 士魂哉〉放浪子
季語・炎昼(夏)

※この本文は6月5日に中正記念堂を訪
れた際、メモしていたものです。
戎総領事のご著者はまだ出版されていま
せんでした。
帰国後、こ著書を読みますと、日本精神
は武士道に象徴されていると理解されて
いますが、筆者はそうは思いません。
その理由は後述致します。

8月3日〔金〕晴れ
久々に早朝の大濠公園に行った。もう走
っている人達がいる。
社会が健全である証拠だ。
鴨たちとの再会を果たした。

おとといの花火大会の時は、何処に避難
していたのだろう。
彼らと会話が通じれば、面白い話が聞け
るかも知れない。