みちのくの放浪子

九州人の東北紀行

博多ドンタク港まつり

2019年05月03日 | 俳句日記

博多の総鎮守、櫛田神社

5月3日〔木〕晴れ

昭和58年7月に発行された毎日新聞福岡総局発行の「はかた彩時記」はこう始まります。

『はかたぐらい古い町は、わが国ではほとんどみあたらない。
たんに起源か古いばかりでなく、現代に至るまで都市としての生命を持ちつづけ、しかも政治、経済、文化の上に相当の影響を持ち、歴史的に重要な地位を占めている意味では、奈良も京都も及ばない‥‥都市史学者の原田伴彦氏は博多の町をこう位置付けている。』

たしかに神武天皇が東征を始めたのは筑紫国から、と言う説もあるし、神功皇后は那の津浜から半島征伐に船出したと言う説があるぐらいだから原田史観が誤りだとは言い難いのです。

そしてそれからずっと博多は我が国の国際港として貿易を、さらに防人を置いて国防の役割を担ってまいりました。
記紀にも万葉集にもそレらしい記述があります。

その「博多っこ」が誇りにしている港まつり“ドンタク”に行きました。
「ドンタク」とはオランダ人がこの祭に残した名称で「ゾンターク(日曜日)」のこと。

日本祭りの始めはまず神様、真っ先に櫛田神社に行きました。

流石に皆様心がけが良いようです。
列の中に少々並び疲れた子雀ちゃんがいました。


「お参りが終わったら、サクランボが食べられるよ」と教えてあげました。


美しく実ったサクランボ

以前は無かったのですがこんな時には有効です。
粋な計らいに感心してしまいました。
参拝が終わって一服していると、キャッキャと黄色い声がします。


近くの舞台の出番を待つ子雀たちがはしゃいでいました。
いずれも将来の博多美人ばかり。
あとで舞台を覗いてみましょう。


神社近くの水上舞台

神社を出ると歴史ある門前小路の先の「かろのうろん」に「とおりもん」の門付けがあっていました。

「かろのうろん」は「角のうどん屋」の博多弁。


「門付け」とは「とおりもん(通りの者)」のお囃子社中のみなさんが、祭り恒例の三味線を伴う祝い唄で挨拶に伺う事。
お店の人は、酒肴を用意して待つのです。

お囃子社中のなかに若手が居ました。
なんとも初々しい素敵な姿です。
将来はこの街のべっぴんな御寮人さんなって、通りもんを切り盛りしていくのでしょうね。


特別に声を掛けて子雀リストに加えさせていただきました。


足元のズックが可愛いでしょ。
この二日間は、こうでないと足が保たないくらい町中を歩き回るのです。
お御足を痛めないように祈っていますよ。


嘗ての九州一の繁華街、川端商店街。

古い街の古いお店にはゆかしい物語がこぼれるほどにあります。
その一つ、名物の「川端ぜんざい」を食べて帰りました。

〈新しき 御代やどんたく 似つかわし〉放浪子
季語・どんたく(春)




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