みちのくの放浪子

九州人の東北紀行

立憲民主党

2017年10月02日 | 俳句日記

懐かしい名前が出てきたものである。
明治14年、10年後を期して万機公論に決
すべく、国会開設の詔勅を受けて、我が
国の政党政治は始まった。

写真は、第一回帝国議会の衆議院議員の
写真集である、10年後の当選者である。
今でいう国会便覧であったのかも知れな
いが、制限選挙であるから迫力がある。

14年の10月、板垣退助、後藤象二郎を
中心とする「自由党」が全国の民家論を
求心して結成された。
以後の政治はこの党を中心に推移する。

また、参議大隈重信は「立憲改進党」を
穏やかな立憲体制を望んで設立した。
もう一つは、伊藤博文が主導した与党、
「立憲帝政党」である。

この三つの政党から、我が国の政党政治
は始まった。
離合集参、解党、再編を経て第一回帝国
議会は次の四党が議席を得た。

立憲自由党130議席、立憲改進党41議席
大成会70議席、国民自由党35議席そして
無所属25議席。
大成会の伊藤博文が初代首相となった。

世界に近代国としての日本を認めさせな
ければならなかった明治政府は、なんと
しても立憲君主制国会としての体裁を整
えなければならなかった。

だから、憲法の制定と国会の開設は、国
の威信をかけた闘いだったのである。
奈良朝以来の律令制に対する感覚がなけ
れば、僅か30年でこの事が出来たのか⁈

そう考えると、軽々に「立憲」などと言
う冠を被せる知性を疑ってしまう。
あの当時の政治家は命を懸けていた。
「憲法」の汗を理解した命名では無い。

〈秋風に 手習の紙 吹き散りて〉放浪子
季語・秋風(秋)

10月2日〔月〕雨
午前中、穏やかに俳句の題材を
探していた。
またもや新党結成の報道。
全容がまだ分からない。
夕刻のニュースでわかった。
意識は、明治・大正に飛んだ。
ざけんじゃね〜。
何が「立憲」だ。
憲法が定められるのに、どれだけの命が
懸けられて来たのか。
諸外国に於いても同じだった。
弾かれ供が保身の為に使うなんぞは
おこがましいにも程がある。
恥を知れ‼️


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