みちのくの放浪子

九州人の東北紀行

浄土光と春時雨

2018年04月07日 | 俳句日記

昨日に引き続き、今朝方まで風を伴った
雨が降っていた。
何事も無く本をめくったり、新聞に目を
通したりで時を過ごした。

友人の見舞いを受けたあたりから雲が切
れ始め、降ったり止んだりの春時雨。
3時を回る頃には、日が差して来たので
散歩に出掛けた。

太陽と雨の恵みは、大気と相待って、何
ものにも代え難い命の根源だと、草木が
言っている。
昨日まで蕾だったツツジが咲いている。


変り種の満天星躑躅(ドウダンツツジ)も
ビッシリと枝を覆った。


梅科の獅子頭は、色香を増したようだ。


一雨ごとの植物の変化は、ゼウスがプル
メテウスの罪を罰した理由を如実に教え
てくれているのであった。
火と金は、人間にのみ必要なものだと。

今日は、法然上人の誕生会である。
仏教を我々庶民の物として下さったのは
この方であった。
光り輝く浄土では、火も金も必要無い。

フリージアの咲いた小さな花壇で、


紫陽花の株に隠れるように、スズランが
可憐に咲いているのを見つけた。

その時また、小さな雨が落ちて来た。

慌てて帰ると、雲の切れ間に春の夕日が
浄土光のように落ちるところであった。


〈西方の 入り日隠すな 春しぐれ〉放浪子
季語・春時雨(春)

4月7日〔土〕春時雨
盛り掛けの後はイクラ(イラク)日報。
臣たるものが、臣の責務を忘れたら、
民は誰が護るのだろうか?
臣とは、税金で養われている者である。
「厭離穢土、欣求浄土」
徳川家康ほど臣下の原則を厳しく躾けた
為政者は居なかった。
だから江戸時代は民が栄えたのである。




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