まいど沢山のおはこびで有難うございます。
寒さ凌ぎに伸ばしていた髪が、貧乏儒者の
それのように襟を隠すまでになりましてな。
このなりじゃぁ旅先でひと様に失礼だと
思いやして、彼岸でもあるこってす、さっぱり
しょうかと贔屓の髪屋へ行きやした。
いえ、時代を気取った訳じゃぁねぇんです。
屋号が「髪屋」さんなんでさぁ。
いっけん間口の格子戸を半けん右に開くと
上り框(かまち)がありましてね。
履物を脱いでもう一つ障子を開くと、中の
間の鏡の前の席に着くってな寸法で、ふた
席しか無いアットホームな床屋なんです。
もうかれこれ四年の通いになりますかね。
私とさして違わねぇお歳の母上と、御新造
さんが切り盛りなさってらしてね、気の置け
ねぇ話なんぞしながら髪をあたるなんざぁ、
落語の「髪結い床」の心持そのものなんでさぁ。
さっぱりしたところでおいとましやして、
彼岸準備ってんで買い物を済ませて帰る道
すがら、路地から見える立派な松の小脇に
枝垂れた紅梅が幾輪か目に留ったんですな。
今年も紅梅が咲き始めたなぁ~、なんて
悦に入ってましたらね、川端康成先生の
「古都」の書き出しの一節を思い出しました。
もみじの古木の幹に、
すみれの花がひらいたのを、
千重子は見つけた。
『ああ、今年も咲いた』と、
千重子は春のやさしさに
出会った。 川端康成「古都」
さすがに文豪ですな。千重子さんの言葉
の後に「春のやさしさに出会った」とつづって、
やさしい春と千重子のやさしさを二つながら
表現なさっている。
この表現は「コロンブスの玉子」ですよ。
解説された後は、誰でも使えますがね、
凡人には出てこない発想ですな。
それに「出会った」にもこの物語の伏線が
仕込んであるんです。<はぁ~脱帽!>
てなわけで、そいつを思い出しちまった。
もとより、そんな感性なんぞ持ち合わせちゃ
いやしませんけどね、別の風情というか
艶っぽさを件の梅に見ちまったんです。
てぇのは、松の傍わらのこの枝垂れ梅が、
人の肩あたりの高さで、松の方へ腰をくね
らせるように曲がっていやしてね、それが
腰高のベッピンさんが拗ねてみせてる様な
粋な景色なんですな。
あ~春だなぁ、と思っているところに
JKが「スミマセ~ン」と黄色い声で私の
傍らをチャリで通り過ぎていきました。
春のお日様が微笑みながら見てましたね。
< 松影に 粋に寄り添う 枝垂れ梅 >
放浪子
三月十八日(土) 晴れ 時々薄日
出張準備に髪を切る。
ベニマルで造花の仏花、
蓮の落雁、油揚げを求める。
帰りしなの見越しの松と
紅梅に見とれた。
JKにも見とれた。
春よ春。