みちのくの放浪子

九州人の東北紀行

春のやさしさ

2017年03月18日 | 俳句日記

 まいど沢山のおはこびで有難うございます。

 

 寒さ凌ぎに伸ばしていた髪が、貧乏儒者の

それのように襟を隠すまでになりましてな。

 このなりじゃぁ旅先でひと様に失礼だと

思いやして、彼岸でもあるこってす、さっぱり

しょうかと贔屓の髪屋へ行きやした。

 

 いえ、時代を気取った訳じゃぁねぇんです。

屋号が「髪屋」さんなんでさぁ。

 いっけん間口の格子戸を半けん右に開くと

上り框(かまち)がありましてね。

 履物を脱いでもう一つ障子を開くと、中の

間の鏡の前の席に着くってな寸法で、ふた

席しか無いアットホームな床屋なんです。

 

 もうかれこれ四年の通いになりますかね。

私とさして違わねぇお歳の母上と、御新造

さんが切り盛りなさってらしてね、気の置け

ねぇ話なんぞしながら髪をあたるなんざぁ、

落語の「髪結い床」の心持そのものなんでさぁ。

 

 さっぱりしたところでおいとましやして、

彼岸準備ってんで買い物を済ませて帰る道

すがら、路地から見える立派な松の小脇に

枝垂れた紅梅が幾輪か目に留ったんですな。

 

 今年も紅梅が咲き始めたなぁ~、なんて

悦に入ってましたらね、川端康成先生の

「古都」の書き出しの一節を思い出しました。

 

     もみじの古木の幹に、

     すみれの花がひらいたのを、

     千重子は見つけた。

     『ああ、今年も咲いた』と、

     千重子は春のやさしさに

     出会った。    川端康成「古都」

 

 さすがに文豪ですな。千重子さんの言葉

の後に「春のやさしさに出会った」とつづって、

やさしい春と千重子のやさしさを二つながら

表現なさっている。

 

 この表現は「コロンブスの玉子」ですよ。

解説された後は、誰でも使えますがね、

凡人には出てこない発想ですな。

 それに「出会った」にもこの物語の伏線が

仕込んであるんです。<はぁ~脱帽!>

 

 てなわけで、そいつを思い出しちまった。

もとより、そんな感性なんぞ持ち合わせちゃ

いやしませんけどね、別の風情というか

艶っぽさを件の梅に見ちまったんです。

 

 てぇのは、松の傍わらのこの枝垂れ梅が、

人の肩あたりの高さで、松の方へ腰をくね

らせるように曲がっていやしてね、それが

腰高のベッピンさんが拗ねてみせてる様な

粋な景色なんですな。

 

 あ~春だなぁ、と思っているところに

JKが「スミマセ~ン」と黄色い声で私の

傍らをチャリで通り過ぎていきました。

 春のお日様が微笑みながら見てましたね。

 

< 松影に 粋に寄り添う 枝垂れ梅 >

                放浪子

 

三月十八日(土) 晴れ 時々薄日

         出張準備に髪を切る。

         ベニマルで造花の仏花、

         蓮の落雁、油揚げを求める。

         帰りしなの見越しの松と

         紅梅に見とれた。

         JKにも見とれた。

         春よ春。