新聞の新書欄に「インビジブル・インフレンス」ジョーナ・バーガー著ってぇのがありました。
はしがきに・・・私たちの決断の99.9%は他人によって方向づけられている・・・なんて紹介
されていましたが、ようは「縁起」のこってすな。「因果」ともいいます。
ありていに言えば、幽霊は枯れ尾花で、因果応報で、善行善果、逆も真なりなんですよ。
お釈迦さまの教えですな。
教えの根本は「唯識」にあるのですから、「自」があって「他」がある。
「他」があって「自」がある。ゆえに「自」が「空」ならば「他」も「空」。
そこで「般若心経」の「色即是空、空即是色。色不異空、空不異色」となるわけですな。
これを解説していきますと、一冊の本に為ってしまいますから、今日はよしときますけど、
近年、西洋の「自己」と「知識」から始まった哲学が、どんどんお釈迦様の教えの近づいて
来ているように思いますな。
天上の世界から「人類よ早く気づきなさい!」と声が聞こえてきているような気がします。
すでにニーチェ先生は、近代の西洋文明への批判のなかで、お釈迦様に行き着いたので
「ツアラストラはかく語りき」を書かれたんですよ。
アドラー先生も、認識の幅を宇宙感覚にまで広められて、人の承認欲求からくる心の病を
癒そうとなされた。「アドラー心理学」の核心部分である全体論ですな。
どちらも「華厳経」の世界観ですよ。
いずれにせよ、文明の相克を融和するのは互いの文化の理解ですから、右脳ばかり使わず
左脳を鍛えて愛し合うことが肝要です。そうすればミサイルも不必要になるでしょうね。
レヴィ・ストロース先生はそれが出来るのは日本人の「野生の思考」だと予測なされたのです。
てなわけで、落語てぇのは人類の救いかもしれませんな。 =お後がよろしいようで=
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三月七日(火) 晴れ時々曇り 西の風
誕生日なのに冷えることしきり
西風にアイの羽がなびく
日中はあれこれと多忙
夕刻より分葱をゆがく