89歳の日々

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中島梓の「転移」: 死を前にした生き方。

2010-07-27 22:13:16 | 読書
 
中島梓は死を前にどんなふうに暮したのでしょう。

「移転」は中島梓の死の前8ケ月間の日記です。2009年5月7日に入院。17日からこん睡状態。
26日膵臓がんで死亡(54歳)。5月12日の最後の日記に下記のように書いています。

“M先生が来て・・あと1週間、数日単位しか考えないほうがいいように思うという、
つまり「余命宣言」・・・8,9,10,11日とずっとやはり熱が下がらず、
どうせデスクで仕事出来ないなら1万円安く狭い1616号室、
ほかの部屋も良いのがあるんですよ、
と前の婦長さんが見せてくれた時、確かに静かで孤立していて、
ここで死ぬのは良いかもしれないと思った事を思い出した。
だが結局のところまだ私の命は動いている。(こん睡状態の5日前の日記)“

1990年に乳がんの切除後17年目に「すい頭12指腸」を切りその後又再発した
2008年9月から彼女が「最晩年に感じたり考えた事の記録」がこの本です。

「それにしてもやっぱり私はあと1年しか生きられないんだな―と思う。
最初はそれでもいいやと思ったが、家に帰る途中に旦那と話をしていたり、
家に戻って話していたら、もうやっぱり涙がでてきてしまった。
やっぱりそれは生きたい事は生きたいんだと思うが、もうそれはそれで仕方がない。」

死の前ですから、あちこち痛い、食べられない、嘔吐する、
腹水が溜まって苦しい、足がパンパンに腫れる、食べると下痢をする等々
あらゆる苦しさが襲う・・・でも生活の質を大事にしたいという考えから、
痛みが除かれる僅かな時には・・大いに楽しむ。

打ち上げ宴会の為、料理を作る。
ブロッコリ―とカリフラワーのグラタン、チーズと生野菜のプレート、
パエリア・・・「我ながら手際の良いこっちや」と言いながら。

「3月3日には、赤貝、マグロなど豪華18種類入りのちらし寿司、
うど、きうり、筍と春の香りいっぱいぬた、
ホタテとユリ 根のお茶碗蒸し、家族はうまいうまいと大喜び。
でも私は、あまり食べられなく、食べてもすぐ下痢になってしまう。
これだけ甘いものもあっても体重がどんどん減る一方というのは
なかなか凄いものだ。情けない。」
・・這うようにしてでも、ほとんど毎食 お料理を作っていたようです。

本を書き続ける。美術館に行く、閉店セールの着物を買いに行く、
作家を育てる塾の講師をする。桜を見に行く。
あちこちのレストランでの食事を楽しむ、厚くて重い本も読む。

亡くなる1ケ月前にも思いっきり派手な格好をして、髪はバサラっぽく上げて縛り、
ライブで自作のジャズピアノを弾く。

こんな生活をして中村梓は死を迎えたのです。
癌に苦しめられながらこのような最後を過ごされた事に感嘆しました。  

(彼女のご両親を存じ上げておりましたので、、お小さい時のかわいい彼女、
 結婚してご主人とお子様を抱いた若い頃の彼女に、何度かお会いしたことがありました。
 彼女は最後の力を振り絞って、自分の望む生き方を生ききったと言えるでしょう。)
 

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