89歳の日々

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加賀市の光闡坊はかっての光教寺跡にあり。

2012-01-25 12:06:15 | 日々

蓮如時代の有名な光教寺の跡地にある 光闡坊の現在。 

 北陸を浄土真宗が支配した時代に、絶大な権威を保ち「三山の大坊主」と言われた  お寺は、河内郡若松の本泉寺(蓮悟)、能美郡波佐谷の松岡寺(蓮綱)、江沼郡山田の  光教寺(蓮誓)の3か所でいずれも蓮如上人の子息が住職になっていました。

 北陸のの加賀市に住むようになって、私は其のお寺は今は何処にあるのかと思っていましたら市内の光闡坊が かっての光教寺だった事が分かりました。この境内には蓮如上人の大きな石像や、その子息の蓮誓のお墓が有ります。 

 北陸は本願寺8世の蓮如上人の布教(1471年)以来浄土真宗王国と言われた土地柄です。守護や土豪等を離れつつあった農民を門徒にして本願寺はお寺と道場の系列を 組織しました。

 今でも山の中の小さなにも立派な道場が残っており、末端の農民の心温まる集会場は真宗教団の基になったと思われます。これに土豪達も門徒に加わり勢力の維持を
計ったと言われます。
  
 かっての江沼郡山田の光教寺(蓮誓)は1470年代に蓮如上人によって建立され、  第四子の蓮誓が入寺し、浄土真宗の布教や一向一揆の中核となりましたが、1531年に浄土真宗の内乱で焼き討ちされ廃絶しました。
その時に米蔵も焼かれ今でも「焼け米」が掘り出されると言います。 

 現在の光闡坊は当時の昨見町の有志を中心に昭和28年に建てられ、光闡坊という名前は、蓮誓の坊名から付けられ,今は佐野明弘氏がご住職になって居られます。

”佐野明弘住職と原発”
 佐野住職は原発災害で計画的避難区域に指定される前の3月20日に福島県飯舘村に入られ、緊急にご自分で集められた200万円余の寄付金を妊婦や乳幼児の避難に使うように、村長さんに渡して来られました。                              その後も度々寄付金を集めて災害地に送っておられます。

 佐野住職が原発に関心を持たれたのは、1986年のチェルノブイリ原発事故に衝撃を受けた事からでその後、原発や放射能について勉強され、京都在住の時は、京都で原発反対の市民団体を立ち上げて、京都府議会に関西電力への意見書可決を働きかけたりもされました。
 加賀市に来られてから、何年も前に市内の小学校に高額な放射線量計を寄付されたこともあり、度々原発の危険性について勉強会を開かれておられます。            私共夫婦もそんなご縁で佐野住職のお人柄に接するようになりました。

 ”アレン・ネルソン ピースプロジェクト”
 佐野住職は米海兵隊員としてベトナム戦争に従軍した経験を語り続け、2009年に死亡したアレン・ネルソンさんが、日本各地に平和を願うメッセージを届けてきた遺志を    受け継ごうというプロジェクトを立ち上げておられます。ネルソンさんのニューヨークでの葬儀に参加された佐野住職によってネルソンさんは光闡坊に納骨されています。

”親鸞上人の勉強会”
光闡坊では 毎月28日 午後7:30~親鸞上人についての勉強会が続けられており、どなたでもご参加できます。


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