つかこうへい氏が亡くなり色々記事が出ていました。
私は映画「蒲田行進曲」を見たことがあるくらいですが、
ただ彼の「娘に語る祖国」は心に残る本でした。
彼の遺言の始めの言葉が「思えば恥の多い人生でした…」と書かれたと知り
その言葉がぐっと胸にせまります。彼は「娘に語る祖国」の中で・・・
“私はかなり小心者で「小さいころ朝鮮人と差別を受けませんでしたか?」
と聞かれると、「そんなことななかったね」等と大物ぶって答えますが、
本当は差別を受けたのです。
とにかく見えっぱりな人間なのです。日本人の悪ガキと一緒になって
気の弱い朝鮮人をいじめたりもした、とにかく卑しい子供でした。
でも、子供心に「自分の祖国を軽蔑でもしなければやって行けない。
韓国はどうしょうもない国だ。」「だがオレだけは違うぞ」
と思わねばばらない自我もあったのです・・・“
祖国の韓国に入って関税で旅行の目的を「サイトシーイング」と答えると
「おまえは韓国人のくせに、何で祖国の言葉が話せないんだ}と
パスポートを叩きつけらました。
「うちのおふくろ達は貧しくて、こどもに言葉を教える余裕なんか
無かったんじゃねえのか。こんなみっともねえ事をこんなところで言わせんなよ」
「だからおまえら在日韓国人はダメなんだ。
どんなに貧しくても、言葉くらい子どもに教えられるだろう」
「親の悪口は言うな、おふくろ達は日本で十分惨めな思いをしているんだから」
パパは、胸がいっぱいになり、言葉が嗚咽のようになっていました・・・
「思えばと恥の多い人生でした…」書いたのは太宰だったと思います。
太宰は青森県のお金持ちの6男に生まれましたが、
意志の弱い、しかし自意識の強い性格だったようっで、
彼自身「思えばと恥の多い人生です…」といつでも
死んでしまいたい人生だったのではないでしょうか?
つかこうへい氏の様に強気を前面に出して生きた人も
太宰治の様に優柔不断を表して生きた人も、大同小異はあっても
人はみな自分に恥ながら生きているのでしょうか?
(これは つかこうへい氏が亡くなった頃に書いたものです)
私は映画「蒲田行進曲」を見たことがあるくらいですが、
ただ彼の「娘に語る祖国」は心に残る本でした。
彼の遺言の始めの言葉が「思えば恥の多い人生でした…」と書かれたと知り
その言葉がぐっと胸にせまります。彼は「娘に語る祖国」の中で・・・
“私はかなり小心者で「小さいころ朝鮮人と差別を受けませんでしたか?」
と聞かれると、「そんなことななかったね」等と大物ぶって答えますが、
本当は差別を受けたのです。
とにかく見えっぱりな人間なのです。日本人の悪ガキと一緒になって
気の弱い朝鮮人をいじめたりもした、とにかく卑しい子供でした。
でも、子供心に「自分の祖国を軽蔑でもしなければやって行けない。
韓国はどうしょうもない国だ。」「だがオレだけは違うぞ」
と思わねばばらない自我もあったのです・・・“
祖国の韓国に入って関税で旅行の目的を「サイトシーイング」と答えると
「おまえは韓国人のくせに、何で祖国の言葉が話せないんだ}と
パスポートを叩きつけらました。
「うちのおふくろ達は貧しくて、こどもに言葉を教える余裕なんか
無かったんじゃねえのか。こんなみっともねえ事をこんなところで言わせんなよ」
「だからおまえら在日韓国人はダメなんだ。
どんなに貧しくても、言葉くらい子どもに教えられるだろう」
「親の悪口は言うな、おふくろ達は日本で十分惨めな思いをしているんだから」
パパは、胸がいっぱいになり、言葉が嗚咽のようになっていました・・・
「思えばと恥の多い人生でした…」書いたのは太宰だったと思います。
太宰は青森県のお金持ちの6男に生まれましたが、
意志の弱い、しかし自意識の強い性格だったようっで、
彼自身「思えばと恥の多い人生です…」といつでも
死んでしまいたい人生だったのではないでしょうか?
つかこうへい氏の様に強気を前面に出して生きた人も
太宰治の様に優柔不断を表して生きた人も、大同小異はあっても
人はみな自分に恥ながら生きているのでしょうか?
(これは つかこうへい氏が亡くなった頃に書いたものです)
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