89歳の日々

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「船を編む」と私の電子辞書

2012-06-10 17:42:45 | 読書

「船を編む」
「テレビでの読書案内」があった頃に、三浦しおん作の「船を編む」は既に、
取り上げられていましたが、辞書の編纂など面白くなさそうで敬遠気味ながら
読んでみると辞書の編纂が細かく書かれ、如何に大変な仕事かが分かり、
小説としても、人物等が一寸劇画風ですがとても面白く出来ていました。

「私の電子辞書」                                                                                       私はコンパクトで便利な物が好きで、25年以上前から
小型の電子辞書を買い求めていました。
私の英語の語彙はとても乏しいので何処にでも持って行ける辞書が必要でしたが
その始めの品は英語の単語が4万語程しか入っていなく余り役に立たず、
次に買う時は英語の語彙の多くなっているのを確かめて求めたものです。

その後も2つ程は電子辞書を買い替え、百科事典も入るようになりましたが、
旅行中等でも詳しい歴史を知りたいと最近「日本史辞典」「世界史辞典」の
両方が入っているものに買い替えました。

百科事典としては「ブリタニカ」が今度の辞書に入っていたのです。
処が、日本の歴史を調べるにしても「ブリタニカ」は「日本史辞典」より
比べ物にならない程詳しいのです。

3月にインド旅行をした時に泊めて頂いたお宅はシーク教徒の家族でしたので
ブリタニカで「シーク」についても何でも調べる事が出来て重宝しました。

最近目に付く「幸福の科学」という語句を調べて見ると私の電子辞書の
「大辞林」「標準国語辞典」「日本史辞典」「世界史辞典」等には
全く出ていません。
「ブリタニカ」には170文字の説明と更に幸福の科学に影響を与えた
「GLA]の説明が240文字に及んでいます。

ブリタニカをを絶えず更新するには「船を編む」に述べられている以上に
不断の努力を積み重ねている編集者の苦労が思いやられました。

 

 

 

 


 


近藤紘一 「夏の海」「仏陀を買う」を読んで・・

2012-05-10 22:03:33 | 読書

近藤紘一が特派員としてヴェトナムの幽霊長屋に住んでいて                年齢も分からない子供連れのそこの女主人との結婚した事は有名な事でした。 

結婚届けにサインした事は・・「まさにあっという間の事で、いまだに呆然とし        愕然とし又眼をこすっては愕然とし呆然としております」と                  「仏陀を買う」に書かれています。

「縁あって父親になった時、私は彼女を「ブタ」と名付けた。                  17歳過ぎて嫌がるので「良い名を思い付いたぞ、クロコブタ                  これなら良いだろう」継娘に対するこのような文章も有ります。 

近藤紘一は、ものすごく明るく屈託がない堂々としたヴェトナム女性と結婚し、               彼女に対しては寛大すぎるほど寛容であったと言われます。

”「奥さんを思い出す?」と聞かれ「ああ、毎日思い出すよ」と答えた”と           小説に書いています。                                         彼は何処に行っても必ず前夫人の写真を飾っていたそうです。 

たまたま「夏の海」を読みまして、ヴェトナム女性との結婚の                 いきさつに至った一端が理解出来た様に思いました。 

「夏の海」は前夫人の遺稿集に書かれたもので、                        ルポルタージュ「目撃者」のみに集録されています・・・

近藤紘一の父は東大医学部教授で、いかにも秀才らしい                    マスクの彼は事実、仏文1番で卒業し同級生の美しい恋人は                     フランス大使のお嬢様、誰もが羨むような結婚をします。

「夏の海」では毎年美しい海で遊んだ思い出や、転勤地のパリでは                 度々お客を招き、料理上手な彼女が複雑なフランス料理やケーキを             楽しげに作り、彼は何度もマルシェに買い足しに行ったり・・・

詩の様な幸せな生活が描かれている美しい文章です。                             その結婚はたった6年で 彼女の不幸な死で終わり・・・、                   近藤紘一はそれを一生の負い目に感じていたようです。 

彼が45歳で病死しなければ、美しい同級生との結婚の物語を                心を打つ小説に書いた事でしょう。                                 23歳で結婚し29歳で彼女を失った彼は、ヴェトナム女性の妻にも、             若くして亡くなった前妻を「毎日思い出すよ]と言っていたのです。 

 


「シュリーマン旅行記 清国・日本」も面白い!

2011-12-08 14:49:57 | 読書

 果物と野菜は中央に美味しそうに描けました。
 小さいの絵ですがを手にとってご覧いただきたい采果文様です。
 これもお正月に向けて作り好評なものです。 
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テレビの読書案内かで知った本ですが、シュリーマンは
貿易や銀行業等で十分にお金を蓄えた後でまず世界一周します。

1865年に清国と日本を訪れた部分が文庫本になっていますが、
清国の汚さ、わいろ、様々な酷さが世界の中でも類を見ないと書かれ、
日本に就いてはその反対の賞賛が目立ちます。

彼の凄い処は、北京から万里長城に行った時 その頃はあちこち
壊れていて登るのも歩くのも命がけの様な大変さだったようですが、
(高さ130m以上で60度の傾斜ながら階段は幅7cにも満たない処を
よじ登ったり・・・)其れにも拘らず長さ67cのレンガを2つ背中に
括りつけて持ち帰り長城の建築技法や建築材に就いてごく詳細に
調べて書いている巨人です。

私共も西域で万里の長城が途絶えた最後の所まで行きましたが、
ここは大分藁を入れて作ってあると思ったくらいで彼の観察力の
万分の1も見て来ませんでした。

日本人の清潔好き、賄賂が無く少しのチップも受け取らない社会などを、
彼から見ると丁度今の日本人がブータンを見ているような、西洋と反対に
物質ではない日本の幸せを賞賛しています。
“西洋の結婚難は家具調度を競う為に裕福なものしか結婚できない。
日本に来て生活不可欠と思うものの多くは少しも必要ではなかった“等と。

でも、船頭、人足などが下帯1本で体中に入れ墨をしている(6月)、
銭湯の傍を通る外人を見ようと混浴の男女が真裸のままでシュリーマンの
そばに群がって来る、車引きも下帯だけの裸で殆ど皮膚病にかかっている。
でも広い大名屋敷や寺院の庭園の美しさ等も述べています。

後書きに訳者がアテネのシュリーマン宅を訪れた事が書かれていますが、
8年前 私共夫婦が彼の邸宅を見に行った時は丁度夕方の閉館時間で、
残念ながら入れませんでしたが、その5年後に私共夫婦と妹との3人で
黒海クルーズの折りに、又アテネで念願のシュリーマンの住居を
再訪する事が出来たのです。

彼の細分わたっての意見で作られた家は、良質な材料で凝った造りでした。
最晩年彼が愛した家族と幸せに暮らした処を訪れる事がとうとう出来ました。
現在コイン博物館になっていますが、見たかったアレクサンダーのコインは
見付けられませんでしたが。

私と妹との初めての海外旅行は、36年前アテネから始まり無謀にも
現地の1日ツアーでミケーネに行き、西洋人の中に二人だけの東洋人で
当時は英語もごく不自由ながら、シュリーマンが発見した獅子門や
黄金のマスクを見た感激は今でも鮮明に胸を打ちます。
今度はその時行けなかったオリンピアにも行きました。

其のシュリーマンはトロイの発掘をする前に世界1周旅行の途中に
3ケ月程日本も訪れて、詳細な記録を残したのがこの本です。



本好きな人に「ビブリア古書堂の事件手帖」

2011-12-06 13:57:00 | 読書
<font size="3"> 
     写真の器は年末に向けて特別に作りました。
     早速 山代温泉の「亀寿司さん」にも沢山お求め頂きました。
     本当においしい良心的なお寿司屋さんです!
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「ビブリア古書堂の事件手帖」は近頃出版され、イラストが付いたり
如何にも若者向きの本ですが、北鎌倉の古本屋や漱石、太宰、等の
色々な本とそれに纏わる軽い推理小説になっていて、
私には一寸調子は違いましたが、シニアにも楽しめる本です。

クミジン「論理学入門」など聞いた事も無い本もテーマになっている処を
見ると、著者は随分色々な本を読んでいて、こんな本を書くのでしょう。

古書店主の若い女性は何者かに蹴落とされ足を折り、病室で所謂
安楽椅子探偵になり、アルバイトの若者が手伝ってそれぞれの本に
纏わる事件を解決します。

この種の安楽椅子探偵でまず思いつくのは、敏腕刑事が入院中に
リチャード3世の肖像画を見て歴史の常識を覆す物語「時の娘」です。
ヒチコックの映画「裏窓」もJ・スチュアートは足に怪我をして動けず、
恋人のグレースケリーが探りに行ってはらはらさせたものでした。
これらは皆 内臓疾患等ではなく怪我での入院なのです。

本に就いての推理小説は、J・ダニング「死の蔵書」「幻の特装本」
紀田純一郎「第三閲覧室」など買いましたが印象には残っていません。
「ビブリア・・」は北鎌倉辺りも懐かしく、古本に纏わる話も面白いので
早速、梶山季之「せどり男爵数奇譚」紀田純一郎「古本屋探偵事件簿」
をアマソンに中古で頼みました。

私の兄は古本が好きで、兄妹2人で中央線の高円寺に15軒程あった
古本屋を本当に毎日毎日回ったのはもう半世紀以上前の事ですが、
私も古本屋に慣れ親しんでいたのでこの本には興味があるのでしょう。

後記
梶山季之著「せどり男爵数奇譚」は大変面白く、マニアックでもあり
古本屋好きには必読の書と思い兄に送るところです。


暑い夏は楽しい本を読みましょう。

2011-08-06 14:30:25 | 読書
 私は暑い夏に、テレビの週刊ブックレビューから
下記の三冊を図書館から借りて読みました。

「草の花」俳風三麗花  三田完作
東京下町の句会に3人の麗人がいて、昭和10年ころからの
満州国擁立や、中国侵略、敗戦等の日本の歴史にそれぞれが、
翻弄されます。

1人は歌舞伎役者の菊五郎に見受けされた芸者で
2.26事件に遭遇する。
1人は女医さんで満州の大連での病院勤務になり
甘粕正彦(関東大震災の時大杉栄や伊藤野枝を殺した)
と親しくなり、其処には、李・香蘭,川島芳子等も活
躍している。

もう1人は大学教授と不幸な結婚をしています。
しかし仲良し3人は満州皇帝の御前で俳句を詠むために
満州に揃います。
永井荷風はじめ有名人も沢山実名で出ていて面白い本です。 


「ツリー・ハウス」角田光代作

新宿の片隅で中華料理屋をしている三代の家族の話です。
おじいさんとお祖母さんは、どうして自分たちが
満州まで行って働いたのか分からないと言います。

多分、沢山の土地が貰え、とても良い事が有るとか言う
宣伝に乗って、満州に行ったのだろうと思っていましたが
老年になって孫ともう一度満州に行ってみると自分も
確かに満州の広い広野に憧れ、希望を持った事を思い出します。

多分、多くの人は貧しさからばかりでなく、そこに夢を描いた
人達が満州に行ったというのです。
敗戦で帰って来て何とか生活を立て直しますが、
その後子供や孫の時代になって、様変わりした考え、
時代や生活を描いています。


「幻日」 市川森一

「島原の乱」とくれば天草四郎でしょうか。
著者は初めに、“ローマのキリシタン関係の資料に天草四郎は
天正遺欧使節・改宗者の千々石ミゲルの息子だった事を発見し“
この本を書いたとしています。

天草四郎の母は西洋人の娼婦であったとし、色白の美しい四郎を
首領にし、島原の乱が始まります。
原城に立て籠もったのは、農民の他に旧領主の武士たちも多く、
事実初めは幕府方に相当被害が多かった様です。

落城後、幕府は島原の過酷な領主に対して、例外的に処刑をしたそうです。
作者は「黄金の日々」「山河燃ゆ」などの有名なテレビドラマを作った人で、
長崎生まれの彼は思いを込めて天草四郎を描き「幻日」を書いています。

蛇足ながら・・
小説では帰国した天正遺欧使節たちも島原の乱で活躍します。
その中で、幕府に捕えられ、逆さ吊りの刑で殉教した
中浦ジュリアンが最後に「私はローマを見たジュリアンだ」
と言う処は史実に書かれている事実です。

江戸時代初め、九州の片田舎から輝かしい欧州世界を回り、
なかんずくヴァチカンを見て来た彼の叫びでありましょう。

九谷焼美術館の高田宏館長も「少年賛歌」と言う本で殉教者が
最後に「私はローマを見た」と言った・・感慨深く語りました。
「少年賛歌」は三浦哲郎が天正の遺欧使節団を史実に基き
何処を通り、何処の館に泊まり何を着て誰に会いどう思ったかを
詳細に描いている小説です。





尖閣沖衝突事件 と「半島を出でよ」

2010-10-05 09:57:55 | 読書
村上龍著「半島を出でよ」をたまたま読んだところです。

日本は、尖閣沖中国船衝突事件をどう解決したら良かったのでしょうか?
現実の問題として、船長さんを解放しなければ、
直ちにレアメタルも買えず、沢山の観光客もキャンセルになって、
弱い日本経済はすぐ困ってしまいました。
でも、法に反してまでも、解放すべきではないとも言います。

村上龍著「半島を出でよ」は北朝鮮に絡んだ小説です。
北朝鮮からトレーニングされた9人のテロ集団が満員の福岡球場を
乗っ取る事から長い話は始まります。
前例のない事で、縦割りのバラバラな日本政府はあたふたと右往左往します。
政府機構の欠点が細かく分析され、これでは本当の時にはどうなるのかと
読者は心配になります・・・

小説では、結局人質を傷つけるわけには行かないという事で
テロ集団の言いなりになるのです。(ありそうな事です)

今度の漁船問題でも一番安易な方法を採って、船長を解放しました。
与党内からも、勿論野党は鬼の首でも取ったように、
政府の弱腰を責め立てています。

勿論、政府はあちこちに手をまわして情報を集め助言を得たり、
強いパイプを引き寄せたり、出来るだけの事をしたか疑問にも思えます。
第一、100人の議員を引き連れて中国詣でをした小沢さん!
伝説の剛腕で、何とか出来る事はないのでしょうか?

それはそうとして、日本が起こした満州事変からでも
当時 弱体の中国では、ずるずると攻められて
1000万人とも言われるほどの人々が殺されたわけです。

もし日本で、重大な国家の危機が突発した時にも
与党、野党は今度の事件の様に、ああだ こうだと
お互いに足の引っ張り合いをするのでしょうか?

国会が国会議員が国家、国民の為、お互いに力を合わせて
国を守るようなシステムは必要ではないのでしょうか。

「半島を出でよ」は通常考えた事のない国の危機管理を
私にも 考えさせる本でした。


酷暑の夏は だらだら読書

2010-09-08 19:56:55 | 読書
  大好きなシホンケーキを焼きました。お皿もロングランのものです。

台風は先程、石川県に入ったと言いますが、しとしと雨がふるばかりで、
風はそよともしません。そんな台風もあるのでしょうか?

歴史的な?正しくは記録的な猛暑とアナウンサーが毎日言っていましたが、
台風のおかげでやっと涼しくなりましたね。如何お過ごしでしたか?

私は会社の仕事を終えると、食事を作り(食後の食洗機に入れるのは夫がして)
後は、ぼんやり2人でテレビを見たり(毎週の自動予約も役に立っています)
その後は、下記のような、だらだら乱読をしていました。
 
「竜馬がゆく」文庫版8巻 司馬遼太郎著
「許されざる者 上・下」辻原登著 
「一週間」井上ひさし著

「竜馬がゆく」 
テレビで見ると、詳しく知りたいので、長い物語だから読むのはどうかな?
と思いながら、1998年の新装文庫版8巻を再読。前に読んでから12年経ちました・・
面白いのでついつい読んでしまう。
以前から 剣は立つが学もない竜馬が如何して、明治維新の根幹になるような
“船中八策“を書いたかが不思議で、本当に彼が書いたのかと疑う程でした。

今度読み返して、
(1)彼が武士の下のクラスの郷士階級で、しかも脱藩浪人であった。
  家は半分商人だったので、当時としては階級や身分に余り縛られない考えを
  持ち、どこへでも気軽に遍歴出来た事。
(2)当時海外の知識に最も優れた人々から進んで学んだ事。
  *1853年江戸で千葉道場に入門し、すぐ進歩的な学者・佐久間象山の
   門下に入っている。(しかも千葉道場では最高級の免許を受ける)
  *故郷に帰ってからは、土佐に帰って居たジョン万次郎から、
   海外事情を細大漏らさず聞いて「漂巽紀略」を書いた河田小龍に通った。
*1862年 再度江戸に上り幕府の高官勝海舟の弟子になる。
   勝は竜馬を「落ち着いて何となく冒しがたい威厳があって、よい男だったよ」
   と語っているが遣米使節でもあった海舟は開明の士であった。

(3)何処へでも行って有能な士を訪ねてい、親しくなっている。
   江戸から関西方面は船でも行っているが、薩摩、長州、越前藩等に
   何度も何度も大方は歩いて行っている。実地に広い見聞が出来
   遠方から訪ねた竜馬は、お互いに胸襟を開いて親しくなったのではないか。
   それらの人脈を生かして、歴史的な事柄が出来たのでしょう。
(4)オランダから帰った西周が講義していたという「万国公法」を懐に入れて
   熟読していた。

これらの事から、さまざまな生きた知識を身につけ、竜馬は薩長同盟、
大政奉還に関わり、明治憲法の基にもなるような船中八策、を手がける事に
なったのかと思われました。多分人にも愛された人物だったのでしょう。


「許されざる者」
 和歌山県の医師・大石誠之助がモデル。彼は印度やアメリカにも行った
 社会主義者でクリスチャン。彼は、天皇の暗殺を企てたと、
 でっち上げられた大逆事件で、幸徳秋水らと刑死させられた人です。

小説では大逆事件以前の事で、盛り沢山の事柄が進行し面白く書かれている。
主人公の医者も元藩主の美しい奥方と外国にのがれるという、
ハッピーエンドです。

日露戦争の事も書かれ、森鴎外は「脚気はビールス説」を固守した事など知る。
戦死者以上に脚気で亡くなった兵士が多かったそうです。
大石誠之助について、もっと大逆事件との関わりを知りたかったと思いますが、
関わりもないのを事件にしたのが、大逆事件かも知れません。


「一週間」井上ひさし著
井上ひさし最後の長編小説。
ソビエトの捕虜収容所で日本の軍人の元上官達の最低の人間性。
日本人は20世紀になっても人権も何も無い、無能な国民だったので
しょうか?おぞましい事です。

でも美味しいロシア料理の詳細なレシピー等は、料理研究家の奥様から
聞かれたのでしょう。(少しのロシア語も?)
彼女の父親は衆議院議員・米原昶氏で、日本共産党代表としてプラハに
赴任し、彼女もそこに暮らしロシア語も学びました。

物語の主人公は戦後シベリアの捕虜収容所に入っていて、日本人向けの
新聞発行の部署に配され、たまたま脱走に失敗した元軍医から
若きレーニンの手紙を預かります。

スターリンは少数民族をバラバラに移住させたり、差別した事で知られていますが
その手紙には、レーニンがカルムイクという少数民族の出身と告白されているので、
これは体制を揺るがすような問題なのです。

(実際、ウズベキスタンに行った時に、スターリン時代にソビエトの国境近くの韓国人2万人ほどが着のみ、着のまま遠くウズベキスタンに連れて来られて住んでいる話を聞きました)

ソビエト側では何としてもレーニンの手紙を主人公から奪い返さなければ
ならないと、スリル満点に進めらる物語です。

今日は定休日ですが、夕方、これだけ書きましたらすっかり疲れました
我ながらご苦労さまな事です!

「マーチ家の父」もう一つの若草物語

2010-08-16 21:46:37 | 読書
「マーチ家の父」もう一つの若草物語
ジュラルデン・ブルック著

2006年にフィクション部門でピューリッツア賞を受賞した作品との事。
ルイザ・メイ・オルコットの小説「若草物語」を下敷きに、
オルコットの父親 ブロンソン・オルコット主人公にした小説です。
彼の61冊の日記、手紙の写しなど37冊分がハーヴァード図書館にあり、
彼について伝記は3人によって書かれているそうで
資料は有りすぎる程ですね。

これを書いた作者はオーストラリアの女性でアメリカの大学を出て、
ジャーナリストとして戦地ボスニア、ソマリア等で活躍しそれらの
ノンフィクション等を執筆し、2001年に英国を舞台の小説で
デビューしこれが2作目です。

「若草物語」では、南北戦争の最中、北軍の牧師の父は勤めのため
南軍の戦地に行っていました。
「マーチ家の父」の作者は実際に現代のボスニア、ソマリア等の残酷な
戦いを体験しているので、「マーチ家の父」では62万人の死者を数えた
南北戦争の無慈悲さ悲惨さを克明に述べています。

丁度8月15日を迎えていますが、日本では1945年以来65年間
戦いも徴兵もなく平和に暮らしていられる事は、何にも増して
幸せな事と思われます。他国をも、自分達をも傷つけないで居た事を、
何よりも大事にし、その憲法を誇りにしたいと痛切に思われます。

日本の不景気、地位の下落、家庭の崩壊、様々な悪いことが有りますが
でも、どこの国とも戦わず、自分たちも傷つかないで暮らしている事は
尊い事と思います。私共は憲法を誇りにし、守って、いつまでも
平和な幸せな国民でいましょう。

「マーチ家の父」は急進的な奴隷制度廃止論者ですが、奴隷の黒人女性と
恋愛関係になったり、物語には様々な展開があります。

私にとっては、それらを通して、生々しい南北戦争を実感でき、
改めて戦争をしないという日本の考えを世界に広めたいと思いました。

ジョン・レノンも“イマジン”で歌っています。
Imagine there's no countries
国境なんてものも本当はないんだって 想像してごらん~ 
It isn't hard to do
それは難しいことじゃないんだよ
Nothing to kill or die for
そうすれば 国境を奪い合って殺したり殺されたりなんてこともなくなるさ
Imagine all the people
Living life in peace
すべての人々が 平和な生活を送れていることを・・

中島梓の「転移」: 死を前にした生き方。

2010-07-27 22:13:16 | 読書
 
中島梓は死を前にどんなふうに暮したのでしょう。

「移転」は中島梓の死の前8ケ月間の日記です。2009年5月7日に入院。17日からこん睡状態。
26日膵臓がんで死亡(54歳)。5月12日の最後の日記に下記のように書いています。

“M先生が来て・・あと1週間、数日単位しか考えないほうがいいように思うという、
つまり「余命宣言」・・・8,9,10,11日とずっとやはり熱が下がらず、
どうせデスクで仕事出来ないなら1万円安く狭い1616号室、
ほかの部屋も良いのがあるんですよ、
と前の婦長さんが見せてくれた時、確かに静かで孤立していて、
ここで死ぬのは良いかもしれないと思った事を思い出した。
だが結局のところまだ私の命は動いている。(こん睡状態の5日前の日記)“

1990年に乳がんの切除後17年目に「すい頭12指腸」を切りその後又再発した
2008年9月から彼女が「最晩年に感じたり考えた事の記録」がこの本です。

「それにしてもやっぱり私はあと1年しか生きられないんだな―と思う。
最初はそれでもいいやと思ったが、家に帰る途中に旦那と話をしていたり、
家に戻って話していたら、もうやっぱり涙がでてきてしまった。
やっぱりそれは生きたい事は生きたいんだと思うが、もうそれはそれで仕方がない。」

死の前ですから、あちこち痛い、食べられない、嘔吐する、
腹水が溜まって苦しい、足がパンパンに腫れる、食べると下痢をする等々
あらゆる苦しさが襲う・・・でも生活の質を大事にしたいという考えから、
痛みが除かれる僅かな時には・・大いに楽しむ。

打ち上げ宴会の為、料理を作る。
ブロッコリ―とカリフラワーのグラタン、チーズと生野菜のプレート、
パエリア・・・「我ながら手際の良いこっちや」と言いながら。

「3月3日には、赤貝、マグロなど豪華18種類入りのちらし寿司、
うど、きうり、筍と春の香りいっぱいぬた、
ホタテとユリ 根のお茶碗蒸し、家族はうまいうまいと大喜び。
でも私は、あまり食べられなく、食べてもすぐ下痢になってしまう。
これだけ甘いものもあっても体重がどんどん減る一方というのは
なかなか凄いものだ。情けない。」
・・這うようにしてでも、ほとんど毎食 お料理を作っていたようです。

本を書き続ける。美術館に行く、閉店セールの着物を買いに行く、
作家を育てる塾の講師をする。桜を見に行く。
あちこちのレストランでの食事を楽しむ、厚くて重い本も読む。

亡くなる1ケ月前にも思いっきり派手な格好をして、髪はバサラっぽく上げて縛り、
ライブで自作のジャズピアノを弾く。

こんな生活をして中村梓は死を迎えたのです。
癌に苦しめられながらこのような最後を過ごされた事に感嘆しました。  

(彼女のご両親を存じ上げておりましたので、、お小さい時のかわいい彼女、
 結婚してご主人とお子様を抱いた若い頃の彼女に、何度かお会いしたことがありました。
 彼女は最後の力を振り絞って、自分の望む生き方を生ききったと言えるでしょう。)
 

「百年読書会」の常連は 98歳のご婦人!

2010-04-02 17:41:19 | 読書
「百年読書会」というのは、朝日新聞紙上で毎月「坊ちゃん」「あ・うん」「斜陽」とかの本を決めて,
読者の感想文を募って作られる欄なのです。
そこには毎月感想を送られる常連があって、最年長は”98歳のご婦人”とのこと驚きました。
 
 私も濫読ながら、本が好きな方ですが、今まで一度も投稿したこともありませんでした。
その98歳のご婦人は若い読者にお勧めの1冊としては迷わず、村上春樹の「遠い太鼓」を挙げたそうです。
素晴らしい事で、心底から感心しています。

 book-off の常連・・の私が先日買った本は・・

 「書物の旅」 逢坂剛 (講談社文庫)
 「わが青春に出会った本」 三浦綾子(新潮文庫)
 「自伝的恋愛論」 宇野千代 (大和書房)
 「戦争を語り継ぐー女たちの証言」(岩波新書)
 「ハプスブルグ家の女たち」江村洋 (講談社現代新書)

 書評のような本は、その中には私も読みたい本が出てくるので好んで買います。
書評を書いている人の人柄もよく出ますね。
 逢坂剛の本好きも凄く、就職も神保町を通る会社を選んだそうです。
彼のスペインもののミステリーもよく読みますが「書物の旅」では、やはりミステリーの書評が多いのです。

 以前、宇野千代の自伝も面白く読みましたが、彼女はまず行動する女性の先駆者でしょう。
今年は、根尾の薄墨桜を 皆で見に行きますがそれは、宇野千代が薄墨桜再生への努力を読んだ事から
、一度は見たいと思って提案したのです。

 ハプスブルグ家がかつてヨーロッパの中心に君臨した王家だった歴史を、
著者の江村洋はとても読みやすく書いているのでこれも楽しく読みました。
 本は本当に良いものですね。私も98歳の方にあやかりたいと思います。