89歳の日々

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行き当たりばったりのアメリカ・・ミドルベリー・・

2011-05-24 12:07:23 | アメリカ・海外旅行
バーモント州のミドルベリー大学を訪ねる


    1800年大学創建当時のチャーチを後ろに
私共はボストンから飛行機で北に向かい、バーリントンで降りますと
カナダに近いだけあって寒い!のです。
私共夫婦は孫娘と一緒にタクシーでミドルベリーと言う孫娘の通う大学町に
向かいました。

やや小柄で色白な運転手は何と、イラクからの難民でシリアの
ダマスカスで1年半出国を待ってアメリカに来たと言う事です。
同じイラクからの難民はヨーロッパ、北欧に行った人もいるそうで、
彼は数年前にアメリカに来てから英語も覚え、個人タクシーとして
この新しい素敵なワゴン車を買ったとのこと。
来月は初めてダマスカスに1ケ月間も遊びに行くとのこと、
此処はさすがに「移民が成功出来る国」と感心しました。


       1827(文政18)年に建てられたホテル  
タクシーで1時間程で予約したホテルに着き、孫娘はそれに乗って
大学の寮に帰りここで、アメリカ3人の旅行から私共夫婦2人の旅に
なりました。
このホテルもボストンのホテルと同じ「歴史的ホテル」で180年程前に
建てられ白いペンキ塗りの木造3階建で温かみのある宿でした。

次の日の午前中に孫娘が迎えに来てホテルから歩いて10分ほどで
大学のキャンパスに行き,彼女の案内で2日間を過ごしました。
ミドルベリー大学は1800年(寛政年間)に大学になり、現在生徒数は2500人程の
少人数で、約42万坪(140万㎡)の敷地に、ハリーポッターの様な校舎が
散在しています。
町の人口は8000人ほどですので教職員の家族と2500人(もっと多いでしょう)
としても町の人口の多くは大学関係者と思われます。
アメリカは建国235年ほどですが、この大学も創立後211年、
ホテルも180年ほどで昔の建物もそのまま使われています。
(東京大学は今年創立130年との事です。)

さて、彼女の個室は10畳くらいに机、ベッド、箪笥、作りつけの
洋服入れが有る簡単な部屋でしたが、珍しくきちんと片付いていると思い
ました私共が来るので、昨夜は寝ないで整理整頓したそうです。
(きちんと暮らす事は、本当に大切な暮らしの基本ですので彼女が何とか
その技術を身につけて欲しいものです!)

未だイースター休暇でしたので学生たちものんきにしていました。
孫娘の案内で2日間、大学や、寮や街を見物しました。
彼女のの部屋に来て私共を訪ねてくれた来た少女は、チベットから木箱の中に
隠れてインドに逃れた難民でした。
彼女は日本人と間違うような顔立ちで、とても可愛い少女ですが、祖国チベットの
ために猛勉強している優秀な学生のようでした。
でも彼女は何と!これから“北京”に留学するのだそうです。

もう一人は日本語を勉強している優しそうな米国人の男子学生が遊びに
来てくれました。
私がたまたま外国人に日本語を教える講座を420時間選択した事があるので、
今度は彼と日本語で話しました。
小さい時ハワイにいた事があって、そこで聞いた日本語に興味を持ったそうです。
相当上手に話しますが矢張り聞き取りの方が少し難しいようです。

日本語を教えるのを、ちゃんと考えて予習していなかったので上手に
話し合う事は出来なかったのですが楽しい時間でした。
何時か外国でロングステーイをして、大学生に日本語を教えるボランテイアを
するのが私のの望みなのですが・・・

何しろ人口8000人の町ですが、ごく小さいながらきちんとした店も並び
カードや絵や食器の店や、各種のお茶(日本茶もありましたが)のカフェもあり、
オーナーの若い男性は中国やインドは買い付けに行くが、日本は未だと言っていました。
町の中央を流れる川岸に下りると、大理石の様な石があり、ここは大理石が採れた町で
今でも工場もありました。
クラフトショップには、各国の製品とともに日本のものもあり、オーナーの女性とも
色々話したり、骨董屋を冷やかしたりしました。

夜遅くなって私共がホテルに帰る途中、若い女性と一緒になりましたので
「学生さんですか?」と聞きますと、「Y子のお祖父さん、お祖母さんですか?」
と聞き返されました。孫娘は皆に私共の事を話していたそうです。

           この建物はフランス語の教室        
次の日は昼食時に食堂に行って若者たちと食堂で一緒に食事をしました。
外部からの人には朝食5ドル、昼食7ドル、夕食10ドル、とかでしたが
私共にはお釣りがないそうで2人で10ドルにおまけでした。

学校は全寮制ですので、食堂のブッフェは、大きなホテルのブッフェのようで
何種類ものパン類、卵料理、お肉料理、ピッザ、スパゲッテイ、サラダ、果物、
ケーキ、アイスクリームなど色々何でもありでした。
寮費は160万円でこれは孫娘も支払いましたが、学費は交換留学なので
慶応大学に払うだけです。でもアメリカの私立は学費も大層高いそうです。

2500人の生徒の10%は留学生とのことで、食堂では祖父母と一緒の孫娘は
色々な友人に声をかけられましたが、同じ留学生のグループと食事をしました。
イギリスから、フランスから、昨日のチベットの人達です。
易しそうな可愛い人たちですが皆、猛勉強をするそうです。

5月末に留学が終わったら、孫娘はそのフランス人の所にお世話になって
フランスなどを旅行する予定です。
私共は皆にいつか日本に来られる時は必ず泊まりに来て下さいねと伝えました。

未だ寒かったのですが、素晴らしい晴天の下、あちこち校舎などを回りましたが
大きな図書館は2か所あり、大部分の人は夜の1時までは図書館で勉強するようです。
春休み以降は図書館も24時間開くので、いよいよ勉強も佳境に入るのでしょうか?
1単位下がってもとても悔しがるそうで、真剣さは日本の大学と違うようです。

55年も前、私が学生だった頃、休講になって喜んでいますとアメリカ帰りの教師は
「貴方達はお金を払って、品物を貰らっていないのよ」と笑っていました!

孫娘と最後の夕食は多分彼女も入った事のないお勧めのレストランにしましたら、
こんな小さな町でも予約で一杯なところを、何とか席を見つけてもらいましたが
今までで一番美味しい食事でした。
私共は彼女とアメリカで過ごした日々に満足し別れを惜しみました。

次の朝、イラクからの来たタクシードライバーに又来てもらって飛行場に向かい
10日ほどのアメリカの旅は終わりました。




行き当たりばったりのアメリカ ・・ コネチカット、ボストン・・

2011-05-10 20:03:34 | アメリカ・海外旅行

         コネチカットの家
 
  、(私共兄妹や親せきは日頃、15人ほどの一斉mailでお互いの情報を送って
いますが、私は先々月の「中東旅行の様子を書き、その4日後に米国に行く旨」
mailしましたら、それを受け取ったアメリカ在住の親せきから
何日でも自宅に泊まるようにとご親切な返信を頂き、アメリカ旅行では、
お言葉に甘えてコネチカットのお宅に1泊させて頂きました。)

コネチカット
 親戚のT子さんは、ホテルまで迎えの運転手を寄こして下さり、
セントラクパーク近くから1時間ほどでコネチカットのお宅に着きました。
結婚前の彼女には大きな帆布に九谷美陶園の名前入りで染めて頂いたり、私共が
この工房を継ぎます頃に大変お世話になり、それ以来初めての再会でした。
その後 T子さんはニューヨークでデザイン関係の仕事をしていて、
国際結婚された人ですので、センスが良く居間には内掛けや和家具など日本の
インテリアも素敵でした。
その上、彼女は背も高くすらりとした人で広いお宅に似合っていました。

 コネチカットでもその辺りは、2000坪~3000坪以上の広いお庭に様々な
住宅が見られ、特に高級住宅地でアメリカらしい広々とした環境でした。
トム・クルーズやリーマンショックのリーマン氏のお宅なども近くにありますが、
ご近所のお金持ちも隣家の庭の木が倒れ込んだりするとすぐ「訴訟にする」
と言うとか中々シビアだそうです。
午後は車で素晴らしい住宅地を抜けて対岸のロングアイランドの
見える辺りまで、美しい景色の中をドライブして頂きました。
朝には 鹿の家族4匹程がお庭に来てのんびり散歩して行くのが見られました。

T子さんのお宅にはヘルパーが毎日来る他に、食事を作る人も
週に3回程来られる様でしたが、彼女は短歌に優れ、日本の短歌の本等から
依頼されて米国生活の様子など書かれています。
お宅の近くには自家用機を持っている方や、使用人が18人とか、25人(?)も居る
お宅もあるそうです。

 夕食にはお寿司を取って下さり、孫のY子は日本を離れて8ケ月ぶりに日本食を
頂き感激しました。
やさしい高校生のお嬢さんと優秀なご主人もご親切な方々で、アメリカでこんな
素敵なご家族にお泊め頂き幸せでした。
次の日はボストン行きの駅まで彼女に送って頂き、6月に日本に来られる
折にはぜひぜひ私共においで頂きたいと約束して、お別れしました。

ボストン
 寒いのですが晴天続きで、ぽっかりと白い雲を眺めながらアムトラックで
ボストンに向かい、午後ホテルに入りました。
ホテルを選ぶ時は、便利で、値段も手ごろな処をネットで調べて決めますが
良いかどうかは実際に行ってみないと分からないのです。
此処は1927年に建てられた歴史的ホテルで、ナショナルトラストで
保存しているそうですが、設備も新しく場所も便利で気持ちの良い処でした。

夕食に今度は無難なイタリアンにしようと言う事になり、ホテルで聞いて
すぐ近くの賑やかで楽しそうなレストランに行きました。
つい浮かれてうっかり一人が2 ~3品注文しましたら、
美味しいのですが量が多くて多くて、三人共大部分残してしまいました。

翌日はここでも観光バスに乗ってまず、ボストン美術館に行きました。
日本の美術品が最も多く収蔵されているというこの美術館に期待していましたが
日本美術の処では今回は茶道具の展示で、お盆に抹茶碗など載せたものが
20~30個位並んでおりました。
抹茶碗は天目とかそれぞれ有名な品のようで、九谷焼で作られた魯山人の
瓢形文様付きの小付けがありました。
その壁面には立派な能衣装が飾られ、奥には刀剣の部屋もありました。
しかし韓国やベトナム等の東南アジアの国の堂々とした美術品からみても
少し冴えない感じの日本のコーナーでした。
ボストン美術館も普段はこんな少しの日本美術品しか見られないのですね。

その後、バスはMITのキャンバスを通り抜けて
(ハーバート大学は其処より少し遠くてバスは通りませんでした。)
港の方で降りて、地元の人にレストランを教えてもらった店で、
大きなロブスターや生牡蠣を注文しました。
昨日の食事が多すぎたのを用心しましたが、ロブスターは美味しくてもっと
沢山注文した方が良かったと思いましたが、結局は
デザートなどで今日も食べ過ぎになりました。
(私のblogは食べ物に話が多いようですね)

行きあたりばったりのアメリカ・・ニューヨーク・・

2011-05-07 23:13:13 | アメリカ・海外旅行
  ニューヨークのグランドゼロの模型・・2つの四角が旧ビルの跡地

「ニューヨークでどこに行くの?」と孫娘Y子に聞かれて「どこへ行こうか?」
と言いながら、晴天の青空の下、足は行き当たりばったりすぐそばの
セントラルパークに向かいました。
・・・早速お上りさんと見られた我々は赤い2階建ての観光バスの客引きが
向こうから「おいでおいで」と手招きされる。「何時間かかるの?」と
大声で聞くと「2時間!」との返事に急に3人
「2時間ならまあ、これにするか!」と突然乗り込む。

 3人共観光バスは初めてで、あちこち回って説明するので、右や左を
きょろきょろする。
観光バスはどこでも降りて、何処からでも又乗り込めるシステム。
当てもないので「グランドゼロでも見ようか」と降りると此処は現在の
ビューポイントらしい。囲いの外からグランドゼロも見られるが
、小さいミュージアムもあり、人でいっぱい。
Y子が「自由の女神」を見ようと言い少し歩くと海岸の向こうに白い女神像が
見えました。
(20年前には自由の女神を回る、デナー付きの大型の船に乗ったことを
思い出しました。)

 また観光バスに乗り丁度お昼過ぎになっていたので中華街で降りる事に
しました。
日本の横浜の中華レストラン街の様なのを想像ましたが此処は中国人の住む町と
言うのか様々な中国製の店がある雑然とした町でした。
5ブロック位は探しましたが、そこではきちんとした中華レストランは
見つけられず、やっとまあまあ清潔そうな小さな処に入りました。
(清潔好きなので・・・)
お粥がメーインの店でした、他のもそれぞれ美味しかったのですがお粥は
今まで食べた中で一番美味しく、その上ごく安くて驚きました。

 夜はホテルで美味しいステーキの店を聞きましたら、「紅花」ともう
1件教えてもらい「紅花」は満員で駄目でしたので、近くのステーキ専門店に
行きました。
お肉が沢山デスプレイされ良さそうで喜びましたがステーキの外側は
炭焼きなのに中は冷たくお肉のジューシーな味など全然ないのです。
立派なご主人が回ってきて「美味しかったですか?」と聞くので本当のことを
言うと、意外な事を聞くような返事。外国で美味しいものを食べるのは難しいですね。

前に来た時はまじめに5番街に面した高層のステーキ店を探して行きましたが、
ステーキの味よりシースルーのエレベーターがニューヨークの高層街をぐんぐん
登って行く光景が印象深かい事でした。

 次の日は本当にまじめにセントラルパークを突っ切って、メトロポリタン美術館に
行きました。
Y子も大学生らしく有名な泰正名画など見に行きました。
私共は以前来た時に、イサム・野口の大きな蹲を置いた部屋、
その隣がジョージ・ナカシマの椅子などの部屋があって素晴らしかったので、
今度来てみましたが、多分その場所には
中国の立派な建物や広い内庭が作られていました。中国の時代ですからね。
でも入口の上の方に伊万里の大皿が沢山飾ってありました。
 
 メトロポリタンの近くの「クーパー・ヒューイット美術館」は
カーネギーの邸宅だった処で、家を見るのが好きな訪ねましたが、
工芸などの美術館になっていて、今回は宝石作家の展示で、シンプソン夫人や
有名女優などの宝石の装身具が展示され大変な人気でした。
カーネギーの邸宅は石作り堅実ででがっしりした作りでした。

美術館を2つも見たので疲れ、車でセントラルパークを通ってホテルに帰り、
その車でY子はネットで調べた日本人の美容院でのヘヤーカットに行きました。
日本人は丁寧な仕事なので矢張りとても上手との事。

(20年前はセントラルパークでは夕食は沢山の灯りで輝いていたレストラン
「ターバン・オンザ・グリ-ン」で夕食を頂いた覚えはありますが最近此処は
廃業したと日本の新聞が報じていました。
そこを覚えている方は沢山おられる事でしょう)






行きあたりばったのりアメリカ旅行・・機内で映画を・・

2011-04-28 22:54:22 | アメリカ・海外旅行
      ミッドベリー大学の1800年ころの絵

 私共夫婦は、留学中の孫娘の大学を訪れようと、
春休みの彼女と一緒にニューヨーク3泊、コネチカット1泊、
ボストン2泊、ミドベリー3泊(大学町)の旅をしました。
行き当たりバッタリと言っても格安航空券を買い、ホテルはサイトで
予約しました。

 小松空港から朝一番で飛び、すぐ成田からニューヨークに
行けるはずでしたが、急に今度の地震で朝の便が取り止めになって、
前日に小松から羽田に飛んで、羽田から成田までバスに乗り、
空港近くの簡単なホテルに泊まることになりました。
「こんな費用は弁償して貰えるんですか?」と念のために
航空会社に聞きましたら、飛行機に乗る直前でなければ
会社は払わないそうですよ。

 成田1泊して次の日の午前中ANAの新しい飛行機でニューヨークに
向かいましたが、エコノミーにしては広く、2人並びの席でしたし
背の高い夫も足が楽に伸ばせ乗り心地よく過ごし、気が付いたらニューヨークでした。

 と言うのは映画を4本も見て2回食事をしましたら、
もうニューヨークに着いたと言うのです!
私は「英国王のスピーチ」「最後の忠臣蔵」「プラダを着た悪魔」「レオーニ」
を見ました。夫も「プラダ」以外は同じのを見たようです。
それぞれ結構面白い映画で楽しみました。

 午前中空港についてまず、ホテルにどうやって行くかは、リムジン等よりは、
私共の場合タクシーが一番良いことをガイドブックで調べて来ましたが、
飛行場の案内所の前を通りかかった時「マンハッタンまでタクシーは幾らですか?」
と聞いておき、タクシー乗り場に行きましたら、何とちゃんと案内人が立っていて、
「マンハッタンまでは高速入れて50ドル」とドライバーにチケットを渡すのです。
チップを入れても60ドルでした。

 外国の飛行場に下りて初めて乗るタクシーの値段は不明瞭な事も
あると思いますが、天下のニューヨークでこんなに明朗会計は好いですね。

(私共は20年前1度だけニューヨークに行ったことがあり、
その時タクシー乗り場で並んでいた3人が同じ方向だったので
相乗りしてセントラクパークの傍まで行ったのです。
中年の男性、初老の女性、私共中年の日本人の組み合わせでした。)

 さて今回のドライバーは、黒人で私共が日本人だと分かると
「フクシマ・ダイイチ」と言って今度の原発事故を大いに気の毒だと言う。
何でもよく分かる人なので「お子さんも優秀でしょう」と聞くと
「娘は医学部を受けるんです」とにっこり。

 セントラクパークからすぐの処にある、新橋の第一ホテルの様な感じの
大きなホテルに入いりました。
近所のレストランを聞いて昼食にしましたがこんな場所も良い処に拘わらず、
お店は何となく清潔感がない処が多くやっと素敵な処を見つけて入りましたが、
味が良くなくがっかり。
飛行機では映画ばかり見たので目もしょぼしょぼでお昼からホテルで早速寝ました。

 夜になっても孫娘子が来ないので心配して廊下まで出ると、
バス停から歩いて来たと言う彼女に丁度逢って安心。
春休みの始まったこの日にバーモント州の大学からニューヨークまで
学校のバスが出て、それで来たのです。
近所で果物やお菓子など買ってあったのをパクつきながら久しぶりに
孫娘に会って喜びました。
 
 (大学はそれぞれの建物が離れていて、写真には全体写真にならないので、
 イメージで描いた昔の絵を載せました)

アメリカ版 古民家再生の家で:

2009-09-10 04:16:46 | アメリカ・海外旅行
       120年前のヴィクトリアハウスを再生して
                      
 メキシコに行く途中、ヒューストン空港で乗り換えるので、テキサスのロータリーの知人の家にお寄りしました。

 この家は1889年に建てられたヴィクトリアハウスで以前はお医者様の家でしたが、久しく無人で荒れ果てていたのを、同じくお医者様のご夫妻が買われ、所謂古民家再生をして10ほど前から住んでる家です。

 住宅地の中心にある公園に面していますので、あたりの家も緑の芝生の中に真っ白の木造家屋が点在し、どの家もそれぞれ素敵です。

 愉快なご主人が、家の隅々をご案内して下さいましたが、内部は壁紙から床のフローリングのモザイクに至るまで当時の手仕事で出来た物を探して使い重厚さを保っています。そのほか沢山の当時の家具や革表紙の美しい蔵書が何百冊もあって・・立派なお宅です。

 アメリカの家は大きくて下に立派な暖炉や書棚がある4つの部屋があり、2階に4寝室(各お風呂かシャワーつき)、3階にプレールームとバー等あります。
その他に、裏側に付属して、新しく建てられた50畳くらいリビングキッチンとハンデキャップでも使える大きなベッドルームとお風呂などがあります。

 ロータリーのITHFの旅行で知り合ったこの米国人は、ご夫妻共にお医者様なのですが、奥様は昨年まで初めての女性市長もされた方です。
300kmを2.5時間で空港まで迎えて下さり、今日はご主人がお仕事の途中ロータリークラブの例会に私共を誘って下さり、緑に覆われている町(人口7万人)の散在する白い家を見ながらドライブで案内してくださった所です。

 彼は朝早く出かけ、今日半日はOFFですからと言われ、奥様は午後からの仕事と言う事でした。彼はお昼のロータリーに出席した後、丁度町の案内が終わった頃に、クリニックから電話で又出かけ、ミー・カーサ、スー・カーサ(彼の家は私の家)と言うスペイン語を教えて行かれました。私共も彼らが忙しいのを知ってきましたので「BLOG を書くのでごゆっくり」と言って今書いているのです。

ロータリーの例会:                             私は会員ではないのですが、時折夫と外国で出席する事があります。ここは暑いところなので(9月9日31c)会場ではブラインドを下ろしておりました。家の中は涼しく、外は暑いので長袖のブラウスが丁度良い位です。

 ここの例会で面白かったのは、ロータリーソングは毎回違う歌を「今日の歌」としていて” "When the Saints Go Marching In"が印刷されていたので、私までリズミカルな歌を楽しみました。日本と違って皆楽しくやっているのが感じられます。 今、これを書いていましたら、彼が帰ってこられました。

 食事を作る:
食事は昨日はイタリアンに行きましたし、忙しいご職業なので作るのは大変そうですが、 なんでもある家なので「夕食を一緒に作りませんか」と彼に言って、
 自宅から持参の「海苔・わさび・タピオカ」(全部軽い物です)を出して
冷蔵庫のサーモンとツナ、アボガド、きうりで手巻き寿司をしました。
 それと ブルーチーズを入れた美味しいグリーンサラダをしました。

 炊飯器もお米もあったので、炊いたご飯の半分で、チャーハンが出来ました。
お米も日本とは違い長いお米ですが 残りの半分で寿司飯を作り、手巻き寿司が出来ました。 デザートは茹でるだけで出来るタピオカにコンデンスミルクを入れて、 美味しいのも沢山出来ました。
彼女も帰って来られ、孫娘も皆でお料理し、持参の九谷焼の杯に日本酒を注ぎ、上等のワインも飲んで美味しくて楽しい夕食になり 感謝されました!
「1ヶ月くらい滞在してお料理と、日本語を教えに来て」と言われ、そんなのもありかなーと思いましたよ。

 

アメリカでの万華鏡大会に出席して

2006-06-14 12:12:27 | アメリカ・海外旅行
              金襴手と立雛の万華鏡
 
 写真の九谷美陶園の壷形の万華鏡は、文中にあるアメリカの万華鏡のコンベンションで説明したものです。壷の蓋を取って中を覗くとアラビアンナイトのような目くるめく万華鏡が見えます。立雛形のも万華鏡で、烏帽子を取るとアイホールがあり、其処から覗くとピンクの桜が色々に変化する万華鏡になります。

 下記は「北陸中日新聞」の平成18年6月9日の「北経随想」に私が書きましたもので少し、堅苦しい 文章かもしれませんが、そのままコピーします。


        アメリカでの万華鏡大会に出席して

去る18年5月11日~14日までアメリカで万華鏡の大会が催されました。アメリカ人を中心にヨーロッパや日本からも万華鏡作家が集まられ、私も参加致しました。

 万華鏡は子供の時に作ったり、おみやげ屋に並んでいたりしていますが、そもそもは、スコットランドの物理学者ブリュースターによって1816年に考案されたものです。しかし其の3年後の文政2年に日本に入り、それがすぐ日本で製作されたと記述されており、江戸時代にも拘らず素早く伝わる事に驚かされます。

 この万華鏡を優れた工芸品、美術品と位置づけ、万華鏡ルネッサンスを起こしたのは、アメリカのコージー・ベーカー婦人によります。息子を亡くした彼女は万華鏡が美しさと共に人々への癒しがあることを知り、1986年に万華鏡愛好家の国際的組織「ブリュースター協会」を設立し、今日の高級な万華鏡のブームを生みました。

 私が参加しましたのも、この世界一の「ブリュースター協会」による大会でした。 今年は、ニューメキシコ州のアルカバーキーにあるホテルのコンベンションルームで催され、大きいホールに4~50人くらいの作家が作品を並べ、業者の方も来らました。私にとっては有名な作家の方々の万華鏡を拝見したり、親しくお話が出来る素晴らしい機会でした。

 次の日には、それぞれの作家は、始めて出品する自信作を持って200人位の業者やコレクターを前に壇上から自作の万華鏡を説明しました。日本人も6人くらい出ましたが、宇宙から見た丸い地球の形で万華鏡を作った方は、通訳付きで詳しい説明もされ人気投票でドイツの方と2人が1位になりました。そのほか金色のガラスを積み上げた素晴らしい金閣寺や、お神楽や折り鶴で万華鏡を作られた方など、日本人の方々も工夫された事等を説明されました。

 私のは九谷焼の金襴手の壷で、蓋をとって覗くと中が万華鏡になっているのを出品しました。このような壇の上から英語で話すのは初めてでしたが、先ず私共の地方の九谷焼で作っていることを申しました。壷の文様の1つは「ヒンズーの神様のアクセサリー(瓔珞文)」で仏教と共に日本に入ってきた事、「金襴手の牡丹文様」は中国明代から伝わったものであり、「らくだに乗っているペルシャの楽人の図」はシルクロードを通って来た8世紀の天皇の遺品からの図であること。万華鏡と共に350年間続いている九谷焼を世界の方にご覧頂きたいことを重ねて説明致しました。

 其のあと、アメリカの有名なコレクターの方が来られ、私の万華鏡の中が豪華に変化する様を詳しくご覧になり、この25万円の品をお求め下さいました。其の上万華鏡の帝王と言われる作家の万華鏡を贈って下さり、私は始めての出展にこのような方にめぐり合い心から感謝致しました。そしてこれからお互いに訪問する事を約束致しました。

 ホテルでは満月を仰いでお庭での夕食会があったり、カラフルな衣装を競うという趣向の晩餐会が賑やかな音楽隊入りで催されたりしました。ここでも3人の日本女性がピンクや青や黄色のかつらを付け楽しさを盛り上げて見事に夕食会の「カラフルの1位」に選ばれました。
 帰りの飛行機の中では、次ぎに創る万華鏡の図案を描いて長い時間を愉しみました。このような愉快で為になるアメリカでの「ブリュースター万華鏡協会のコンベンション」でした。  (九谷美陶園 専務取締役  寺前みつ子)