"ちょっと外から見た日本"

今、スペインに住んでいます。
大好きな日本のこと、
外からの視点で触れて見たいと思います。

“欧州を襲う「10月危機」綱渡りのギリシャ支援”

2011-10-04 03:29:29 | 日記
ウォールストリートで始まったアメリカでのデモが広がりを見せていますね。
象徴的な出来事だと思います。
 
日本でも原発反対含めたデモが起きています。
 
中東で始まった動きが世界の大きな流れになっています。
 
 
あとは、中国でしょうか。
 
ネット規制、逮捕によって、その動きはまだまだ封じられているようですが、水面下で大きなエネルギーが溜まっているような気がします。
 
 
週刊ダイヤモンドのオンライン記事よりです。
 
“欧州を襲う「10月危機」綱渡りのギリシャ支援”
 
 
 
今、ユーロ諸国では不思議な現象が起きています。
 
例えば、今デフォルトに一番近いと言われるギリシャ。
 
ギリシャ国民は、自分の給料や社会保障が減らされてまでの緊縮財政にはNoと言っています。
それは、他の国からのそんな要求に従うな、ということでもあるでしょう。
 
一方で、ドイツを始めとした他の欧州の国々は、なんとかギリシャへ支援を続けようとしています。
しかし、こちらも自国民に反対を受けています。
そんな国を助ける必要はないと。
 
支援を受ける国民も、支援をする国民もNoと言っている。
 
なのに、なぜか、支援を受ける政治家も、支援をする政治家も、何とか頑張って支援を続けようとしています。
 
 
それはなぜなのでしょうか。
 
 
こんな状態の国(ギリシャのこと)にカネを貸しても、返してもらえないリスクのほうが高い。
それがわかっていてなぜ、ドイツやフランスをはじめとするユーロ加盟国は、金融支援を続けるのだろうか
 
それは、ギリシャ1国のデフォルトが、ドミノ倒しのように欧州全体に広がる恐れがあるからだ
 
 
金融支援を続けないと、2008年のリーマンショック以上のことが起きる可能性が大だからですね。
 
特に、現在の枠組みでは、スペイン、ましてやイタリアまで救済するような想定になっていないからです。
 
更に、こうした国々に債権をたくさん持っているドイツやフランスにも多大な影響が出てしまう。
 
なので、支援を受けるほうも支援をする方も、本当はそれを望んでいないのに、続けていくしかない、というおかしな事態になっているのです。
 
 
 
今やギリシャの1年国債の利回りは、130%になってしまいました。
今、ギリシャの国債を買うと1年後に2.3倍になって返って来ることになります。あくまでも返ってくればですが。
 
マーケットは、ギリシャのデフォルトを読んでいるのですね。
そうした状態の国への支援を続けるのは、著者もおっしゃっているように、“穴の開いたバケツに水を注ぐようなもの”でもあります。
 
 
今後の焦点は、ギリシャのデフォルトをいかに「軟着陸」させ、他国への危機の波及を最小限に食い止めるかになる。
そのためには三つのステップを踏む必要がある。
第1のステップは、ギリシャが抱える民間債務のリストラ
 
第2のステップは、欧州金融安定化基金(EFSF)の拡充
 
第3のステップは、欧州の金融機関への公的資金注入
 
と説明しています。
 
 
しかし、三つ全てのステップを踏むには、関係者の思惑や、合意手続きの煩雑さ等もあり、クリアしなければならないことがたくさんあります。
文字通り、高難度のジグゾーパズルにトライしているようなもので、パズル1枚でもはまらないと、大変なことになってしまいます。
 
 
著者は、
 
これらすべてのハードルを乗り越えてようやく、ギリシャ危機の軟着陸と欧州全体への危機波及を食い止めることができるの
 
と述べます。
 
即ち、大変だけどもこの三つの条件が整えさえすれば、ギリシャがデフォルトしても大丈夫だと説明しています。
 
 
私自身は、例え三つのステップがクリアされたとしても、ギリシャのデフォルトが起きれば、他の国への連鎖が始まり、大きな危機は免れられないと思っています。
 
 
それは、金融機関だけでなく、どの国も資金的に余裕がなくなっているからです。
 
資金を得るためには、やはりGDPの成長が欠かせません。
 
しかし、各国とも緊縮政策で、そうした方向性が出せていません。
 
すると、どこかでデフォルトは起きざるをえない状況になっていくのではないでしょうか。
 
 
私は、緊縮財政を望んでいない国民は、逆説的ないい方ですが、実は、経済の成長も望んでいないのではないかと思います。
 
経済やお金に対する考え方に変化が出ているように思うのです。
 
アメリカのデモもそうですね。
 
格差を生んだ市場経済の行き過ぎ、資本主義の仕組みそのものに警鐘を鳴らす内容です。
 
一方で、今の市場経済は、成長がなければ成り立たない仕組みになっています。
 
 
人々の考え方と、経済の仕組みに大きな乖離が生まれていること、
 
それがユーロに限らず、今の世界的な金融危機の根本的な原因になっているのではないかと思うのです。
 
すると、やはりこの流れはもう変わらないのではないかと思うのです。

“無限の力、15歳で逝った息子からのメッセージ”

2011-10-03 00:05:11 | 日記

致知出版社の「人間力メルマガ」よりです。

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
     致知出版社の「人間力メルマガ」

                【2011/10/2】 致知出版社編集部 発行
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━


本日は『致知』の人気連載コーナー「致知随想」の中から、
特に反響の多かった記事をセレクトしてご紹介します。

今回は2004年7月号の『致知』より、
尾崎まり子氏の随想をご紹介します。

ぜひ最後までお読みください。


────────────────────────────────────
■「致知随想」ベストセレクション 
────────────────────────────────────


          「無限の力」
          ~~~~~~~~~~~~~~~~~


                   尾崎まり子(主婦、喫茶店勤務)


             『致知』2004年7月号「致知随想」
             ※肩書きは『致知』掲載当時のものです

●『致知』11月号 特集テーマ「人物を創る」
     ⇒ http://www.chichi.co.jp/monthly/201111_pickup.html

…………………………………………………………………………………………………

 突然、それは本当に突然でした。
 四年前になります。
 
 お正月を過ぎてほどない日の午後、
 息子の功が意識を失って倒れたのです。
 
 不整脈から心肺停止状態に陥ったのでした。
 小学生から野球に熱中し、中学生になると
 浦安リトルシニアに入り、やがては甲子園出場、
 巨人入団を夢見ていました。
 
 そんな作文を小学六年の時に書いています。
 
 中学三年で身長百七十六センチ、体重六十三キロ、
 鍛えた筋肉質の身体は頑健で、
 学校は無遅刻無欠席、病気らしい病気を知らずにきた子でした。
 それだけに突然の異変は驚きでした。

 それから四か月、何度も訪れた危篤状態を
 驚くような生命力で乗り越え、
 平成十二年五月二十日、功は天国に旅立ちました。
 十五歳八か月の人生でした。

 振り返ると、一日二十四時間では
 とても足りないような毎日を過ごした子でした。
 
 中学生になると、土日は野球の練習や試合でいっぱい。
 
 学校では生徒会役員を一年生からやり、
 三年では学級委員長も務めました。
 
 それだけでも手いっぱいなのに、
 部活動ではバスケット部に入りました。
 
 苦手の英語も、英会話で進める授業の面白さに引かれ、
 その勉強もしなければなりません。
 
 野球の仲間、クラスメートとの遊びもあります。

 あれもやりたい。
 これもやりたい。
 でも、功はこだわりの強い性格なのでしょうか。
 
 中途半端が大嫌いで、どれ一つとして疎かにはできません。
 徹底してやるから、時間がいくらあっても足りないはずです。


「ああ、時間が欲しいよォ」

 いまでも功の声が聞こえるような気がします。
 あんなふうに生きたのも、自分に与えられた
 時間の短さを予感していたからなのかもしれません。

 といって、功は特に才能に恵まれた子ではありませんでした。
 いささか恵まれているといえば背の高さぐらい。
 
 まず運動神経も人並み、頭脳のほうも
 人並みというのが率直なところです。

 だから、何かを達成しようと思えば、
 努力しなければなりません。
 
 野球でレギュラーになるのも努力、
 生徒会役員の務めを果たすのも努力という具合です。
 そして、目標を立て努力すれば夢は叶うという確信を、
 小さい営みの中で功なりにつかんだのでしょう。
 
 いつごろからか、功はそのことを
 「無限の力」という言葉で表現するようになりました。

「誰にでも無限の力があるんだよ。
 無限の力を信じれば目標は必ず叶うんだ」

 お母さん、これだけはちゃんと聞いてくれよという感じで、
 夕餉(ゆうげ)の食卓で功が言ったことを、
 昨日のように思い出します。

「無限の力」で忘れられないのは、
 やはり中学三年の時の校内合唱祭でしょうか。
 
 音楽が得意というわけでもなく、楽譜も読めない功が、
 自分から立候補して指揮をすることになったと
 聞いた時は驚きました。
 
 それからは楽譜と首っ引きで指揮の練習です。
 
 腕を振りすぎて痛くなったり、
 クラスのまとまりの悪さに悩んだり、
 いろいろとあったようですが、
 功は「無限の力」を学級目標にかかげ、
 みんなを引っ張っていったのでした。

 そして、クラスは最優秀賞、自身は
 指揮者賞を受けたのです。名を呼ばれ、
 周りにピースサインを送り、
 はにかんだ笑顔で立ち上がった功。
 「無限の力」は本当だと思ったことでした。

 その二か月後に功は倒れ、帰らぬ人になりました。
 しかし、私が「無限の力」を実感するようになったのは、
 それからかもしれません。

 一緒に野球をしてきた親友は功の写真に、
 「おれがおまえを甲子園に連れてってやる」と誓い、
 甲子園出場を果たしました。
 
 「功が言っていた無限の力を信じて、看護師を目指すよ」
 
 と報告してくれた女の子もいました。

 出会い、触れ合った人たちに何かを残していった功。
 それこそが「無限の力」なのでしょう。

 私も、と思わずにはいられません。
 自分の中にある「無限の力」を信じて、
 自分の場所で、自分にできることを精いっぱい果たしていく。
 
 そういう生き方ができた時、
 功は私の中で生き続けることになるのだと思います。

 先日、用事があって久しぶりに
 功が通っていた中学校を訪れました。

 玄関を入って私は立ちすくみ、動けなくなりました。
 
 正面の壁に功の作文が張り出されていたのです。
 それは功が倒れる数日前に書いたものでした。

 あれから月日が経ち、先生方も異動され、
 功をご存知の方は三人ほどのはずです。
 
 それでも功の作文が張られているのは、
 何かを伝えるものがあると思われたからでしょう。
 
 これを読んで一人でも二人でも何かを感じてくれたら、
 功はここでも生きているのだと思ったことでした。

 最後に、拙いものですが、功の「友情」と
 題された作文を写させていただきます。



《私にとって「友情」とは、
 信頼でき助け合っていくのが友情だと思う。



 そして、心が通い合うことが最も大切なことだと思う。



 時には意見が食い違い、言い合う事も友情のひとつだと思う。



 なぜなら、その人のことを本気で思っているからだ。


 
 相手のことを思いやれば、相手も自分のことを
 必要と感じてくれるはずだ。


 
 私には友が一番だ。



 だから、友人を大切にする。



 人は一人では生きられない。


 
 陰で支えてくれている人を忘れてはいけない。


 
 お互いに必要だと感じることが、友情だと思う。 


  尾崎 功

(転載以上)



“中途半端が大嫌いで、どれ一つとして疎かにはできません。
 徹底してやるから、時間がいくらあっても足りないはずです。”

“といって、功は特に才能に恵まれた子ではありませんでした。” 

“野球でレギュラーになるのも努力、
 生徒会役員の務めを果たすのも努力という具合です。
 そして、目標を立て努力すれば夢は叶うという確信を、
 小さい営みの中で功なりにつかんだのでしょう。”

“「誰にでも無限の力があるんだよ。
 無限の力を信じれば目標は必ず叶うんだ」”

“音楽が得意というわけでもなく、楽譜も読めない功が、
 自分から立候補して指揮をすることになったと
 聞いた時は驚きました。”

私は若くして亡くなられた方々は、神様の使いであり、時のメッセンジャーなのだと思っています。

“「おれがおまえを甲子園に連れてってやる」と誓い、甲子園出場を果たした”親友、
 
“「功が言っていた無限の力を信じて、看護師を目指すよ」と報告してくれた女の子”、

出会い、触れ合った人たちに何かを残していくこと。

倒れる数日前に書いた作文が、亡くなって何年も経った学校の玄関に張り出されていたこと。

功さんのメッセージが年月を経てもきちんと引き継がれていることに感動します。


私がいまとても気になっていることがあります。

それは放射線を受けた子供たちが将来、メッセンジャーになってしまうのではないかということです。

しかし、これは絶対に防がなくてはなりません。
 

メッセージが今皆に伝わっていれば、メッセンジャーが現れなくとも大丈夫な筈です。

私たち一人一人が、政治やメディアが言っていることをただ鵜呑みにするのではなく、

自分の頭で考え、出来ることを実行していくことが、子供たちの将来の為にも本当に大切なことだと思います。


“どのくらい我慢すればいいですか?”

2011-10-01 22:38:38 | 日記

致知出版社の「人間力メルマガ」よりです。

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
     致知出版社の「人間力メルマガ」

                【2011/10/1】 致知出版社編集部 発行
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━


   このメールマガジンでは、
   人間学を学ぶ月刊誌『致知』より
   そのエッセンスの一部をご紹介しています。

       * *

    本日は、イエローハット創業者であり、
    「掃除の神様」としても知られる鍵山秀三郎氏の
    印象に残るお話をご紹介いたします。 

 ●『致知』11月号 特集テーマ「人物を創る」
     ⇒ 
http://www.chichi.co.jp/monthly/201111_pickup.html
     
         
────────────────────────────────────


       「どのくらい我慢すればいいですか?」
       
       
            鍵山秀三郎(イエローハット相談役)
        
            『致知』1999年8月号
             特集「節から芽が出る」より
            

                      ※肩書きは掲載当時です。


────────────────────────────────────

叩かれ、踏みつけられた思いは私にもありますが、
私の場合はどんなことでも
割合簡単に譲るようにしてきました。

人が一歩踏み込んできたら「いいですよ」と引く。
すると相手は甘く見てどんどん踏み込んできますが、
私はどんどん引く。

しかしそれがある一線に達して、
私が「ほい、待った」と言ったときは
もう一歩も譲りません。

一歩も譲らないのは私個人の利害からではありません。
これを譲ったら社員が幸せにならないとか、
社会が良くならない、あるいは相手にもよくないと思ったら
絶対に譲りません。


量販店との取り引きをやめたのもそうですが、
相手が暴力団でも譲らずにやってきました。

大勢のやくざに一昼夜以上監禁されて
「金額が記入していない白地小切手を会社から届けさせろ」
と脅されたこともありました。

小切手にどれほどの金額を書き込まれるかわかりませんから、
断じて譲りませんでした。

そのときは着ている洋服をカミソリでずたずたに切られて
家に戻ったものです。



中国の言葉に



「睡面自乾(すいめんじかん)」



というのがあります。
喧嘩がめっぽう強い青年に、村の長老が


「世の中には強い人間がたくさんいるから、
 これからは我慢して喧嘩はするな」


と諭しました。


「どのくらい我慢すればいいですか」


と尋ねた青年に、


「たとえ顔につばきを引っかけられても我慢する。
 それも拭ったりせず、自然と乾くまでほっておけ」


と長老は答えました。それがこの四文字の意味です。

私は喧嘩が強いというわけではないですが、
人生において何度も、この言葉を思い出して我慢をしてきました。


仕事も人生も大切なことは、
「いかに将来良いことを、いまやるか」
ということに尽きます。

歴史を見ましても、人間、企業、国家が
いま良くて将来も良かったということはありません。
いまが悪くて将来良くなる、あるいは、
いまが良くて将来悪くなるというのが
歴史を見てわかる方程式です。

ところが、日本ではいま、
良いことばっかりを狙っていますから、
これでは将来は悪くなるばかりです。

そうではなく、いまは苦しくても
将来良くなるであろうことを願ってやっていく。

これが人生にも仕事にも共通する
大事な心構えだと思います。

(転載以上)




イエローハット創業者、鍵山秀三郎さんは、会社の経営に悩んだとき、思い立って会社のトイレの掃除を始めることにしたそうです。

最初は、会社の経営もしないでトイレ掃除なんて、と冷たくみられていたそうですが、

その後、一人二人と社員の中から手伝う人が現れて、次第に大きなうねりとなり、今では、トイレの掃除を通じた経営ということで講演や研修の依頼があとを絶たないそうです。

ここで出てくるエピソードも、鍵山さんの思いの強さ、その途方もない迫力を感じます。

それまで、どんどん譲って来たのに、

“しかしそれがある一線に達して、
私が「ほい、待った」と言ったときは
もう一歩も譲りません。”

“これを譲ったら社員が幸せにならないとか、
社会が良くならない、あるいは相手にもよくないと思ったら絶対に譲りません。”

最初からご自分のことは二の次なのですね。

「睡面自乾(すいめんじかん)」

“私は喧嘩が強いというわけではないですが、
人生において何度も、この言葉を思い出して我慢をしてきました。”

“仕事も人生も大切なことは、
「いかに将来良いことを、いまやるか」
ということに尽きます。”

“ところが、日本ではいま、
良いことばっかりを狙っていま絶たないそうです。

そうではなく、いまは苦しくても
将来良くなるであろうことを願ってやっていく。”

「睡面自乾(すいめんじかん)」

それは、敗者になっても我慢しなさいという意味では決してない、確固たる将来を見通した上での我慢、なのですね。