『致知』メールマガジンよりです。
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9月号の特集は「生気湧出」
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「いまを生きる覚悟」
⇒ http://www.chichi.co.jp/monthly/201109_pickup.html
本日は『致知』9月号より、
曽野綾子さん(作家)とクライン孝子さん(ノンフィクション作家)の
対談記事をご紹介いたします。
▼「安心できる暮らし」などどこにもない
【クライン】
私の住むドイツを含め、ヨーロッパの国々は
他国と争ってはあらゆるものを奪い尽くし、
敗れてはまた元に戻るという歴史を
二千年以上も繰り返しています。
その間犠牲に遭うのは誰かといえば市民。
だから市民一人ひとりが実に利口に動くんです。
はっきり言って国のすることなんて何も信じていないし
頼りにもしていない。
【曽野】
日本人も当然そうあるべきですよ。
戦中戦後を知っている世代までが
「安心して暮らせる生活を寄越せ」
なんて叫んでいる。
「安心して暮らせる人生なんてこの世にない」
ということを知るのにそんなに時間が掛かるんですか。
これだけの天災と事故が起きた後で、
まだ「安心して暮らせる状況」があると思っているとしたら、
あの不幸な事態から、
我々は何も学ばなかったことになる。
国民全体が無意識のうちに
「安心病」に感染しているという
言い方もできるかもしれません。
(中略)
【曽野】
かつては「損のできる人間」に育てるのが
教育の一つの目標だったのに、
「あの人は○○をしてもらっているのに、私はしてもらえなかった」とか
「自分だけが損をした」
と自分の権利ばかりを主張する戦後の教育思想が、
今日のような貧困な精神の日本人をつくってしまったのでしょうね。
(転載以上)
“これだけの天災と事故が起きた後で、
まだ「安心して暮らせる状況」があると思っているとしたら、
あの不幸な事態から、
我々は何も学ばなかったことになる。”
耳の痛い指摘ですが、その通りだと思います。
“市民一人ひとりが実に利口に動くんです。
はっきり言って国のすることなんて何も信じていないし
頼りにもしていない。”
市民一人ひとりが、自分で考えて行動する、ということ、
今、日本に、もし足りない部分があるとすれば、そこだけなのだろうと思います。