"ちょっと外から見た日本"

今、スペインに住んでいます。
大好きな日本のこと、
外からの視点で触れて見たいと思います。

“否定もまた、ポジティブシンキング”

2011-08-19 05:09:59 | 日記

致知一日一言シリーズよりです。

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        「偉人たちの一日一言」
 
       〜致知出版社が贈る人生を養う言葉〜
                       発行 (株)致知出版社
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 今日の言葉  2011年8月18日(木)
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【否定の価値】 

そもそも精神というものは、
それが真に伸びるためには、
必ずや何らかの意味において、
一種の否定を通らねばなりません。

すなわち、
この否定という浄化作用、
すなわち自己反省というものを通らずに伸びたのは、
精神としては真に伸びたのではなくて、
かえって度のすぎたものとして、
結局欠点になるわけです。

                   『「修身教授録」一日一言』より

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またまた、厳しい言葉ですね。

真実だということがわかるので、厳しく感じるのかも知れません。

曽野綾子さんの日本の“ものづくり”にも共通する発想だと思います。


ポジティブシンキングという言葉の中で、何かを“否定”することはよくない、という風潮があるように思います。

しかし、それが未来に繋がるものであれば、“否定”もまた、ポジティブシンキングであり素晴らしいことなのだ、ということが再認識されます。


“曽野綾子さん、職人国家の日本”

2011-08-19 04:26:14 | 日記

致知出版社の「人間力メルマガ」よりです。

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     致知出版社の「人間力メルマガ」

                【2011/8/18】 致知出版社編集部 発行
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   このメールマガジンでは、
   人間学を学ぶ月刊誌『致知』より
   そのエッセンスの一部をご紹介しています。

       * *

   本日は、現在発行中の『致知』9月号より、
   高齢者に自立の大切さを説いた『老いの才覚』が
   ベストセラーになっている作家・
   曽野綾子氏のお話をご紹介いたします。

 
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       「日本は技術国家、職人国家たれ」
       
       
            曽野綾子(作家)
        
            『致知』2011年9月号
             特集「生気湧出」より
            
http://www.chichi.co.jp/monthly/201109_pickup.html#pick2

                  ※クライン孝子氏との対談記事より


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【曽野氏】

  私自身は日本人の持つ素質に
  まったく絶望していないんですよ。
  
  しかしただ一つだけ危惧することがあるんです。
  私は以前にも世界の国家は
   「政治国家・経済国家・技術国家」の三つに分かれる
  と述べたことがあるんですが、
  日本はやはり技術国家、職人国家だと思うんです。
   
  この技術国家は強くて、最後まで生き抜く力がある。

 けれどもそのために必要な職人精神が
 日本から徐々に失われつつある。
 これが一番の心配です。
 
 例えばソニーが技術以外の分野で商売をしようとして
 事業を失敗したでしょう。
 技術メーカーは技術一筋で取り組むべきなんです。
 
 小説家なら小説だけやればいいんです。
 他のことを考えるとダラクするの。


 いま日本の陶器は本当に売れなくなった。
 その理由は、まず家で料理をしなくなったこと。
 そして買ってきたお惣菜をそのまんま出して食べる。
 
 家で料理をしないことは、非常に大きな技術の崩壊であり、
 家庭の崩壊の始まりだと私は思うんです。

 この間、お箸を作っている職人さんの話をテレビで見ました。
 お箸って真っ直ぐなものだと思っていたら
 わずかに反らすんですって。
 
 そうすると汚れた箸先がテーブル面に付かずに済む。
 そういう卓越した技術力がほんの僅かな誤差も
 許さないコンピュータチップの開発などへ
 繋がってくるんですね。

 いずれにせよ、技術国家は
 何があっても守らなきゃいけません。
 私たちにとって最後の砦ですから。
 
 日本は政治大国にも経済大国にもなりようがない。
 またそんなものにならなくてもいいんです。



【クライン氏】

 日本はいつの間にか、
 サラリーマン大国になってしまいましたからね。



【曽野氏】

 サラリーマンというのは、時間単位で
 賃金を得る労働者なんです。
 しかし職人の世界は、一つの仕事に掛かる時間を
 まったく問題にしない成果主義。
 
 アマとプロとのはっきりした違いはここですよ。

 例えば原稿用紙十枚の短編が二時間で書き上がることがある。
 一方、同じ枚数を書くのにいろんな取材をして資料を集め、
 一か月掛かることもある。
 
 だからといって私は出版社に
 「その分、原稿料を高くしてください」と言うことはない。
 時間単位で働くのではなく、
 自分自身の仕事に一心に懸けていくのが職人の世界。
 
 かつての日本人はそういう姿勢で自分の仕事に取り組み、
 その精神が技術大国日本を支えてきたんですね。
  ⇒ 
http://www.chichi.co.jp/monthly/201109_pickup.html#pick2

────────────────────────────────────(以上)


“日本はやはり技術国家、職人国家だと思うんです。
   
  この技術国家は強くて、最後まで生き抜く力がある。”


海外に住んでいると、日本人のものづくりにおける決して妥協しない精神は、世界的に際立っていることがよくわかります。

今回の震災で、東北の生産が止まってしまうことによって、世界中の生産活動に影響が出てしまいました。

それは顕著な表れだと思います。

簡単にマネすることの出来ない、日本の貴重な財産です。


“サラリーマンというのは、時間単位で
 賃金を得る労働者なんです。
 しかし職人の世界は、一つの仕事に掛かる時間を
 まったく問題にしない成果主義。”

たとえ完成したものであっても自分で満足出来ないものは、どんどん壊してしまう。

自分自身に厳しい基準を設けて、その基準に達したものだけが、作品として残っていく。

サラーリーマン的な時間の概念とも相容れない世界ですね。

“プロとアマのはっきりした違い”という説明、わかりやすいですね。 

プロ精神、自分が主体であるからこそ出来ることだと思います。