一流の人とそうでもない人の差
我々は日常生活の中でなんとなく、一流とか二流とかの表現で社会的な存在価値の評価付けをすることも多い。
普通の日常生活でも それぞれの仕事においても 「普通のことが普通にできれば一流」の人である。
普通の人が 当たり前のことをごく当たり前にやり続けるには相当の努力を要する。
調子のいい時は何の苦もなくできることが、生活のリズムによっては普通のことが時には吹っ飛んでしまうことも多々ある。
普通のことが普通にはできない(時々できない)人、所謂これが「普通の人」である。
さらに厄介なのは 当たり前のことができないことが多い人になると普通にダメな人扱いされることになるのかも知れない。
「普通に挨拶ができる」こんなことが職場教育の場では永遠のテーマと言われることもある。
普通に挨拶ができる人、 いつでも誰れにでも気持ちの良い挨拶ができる人が そう多くはない ことの査証かも知れない。
一方、ごく普通のことが、ごく普通に当たり前にできて更にそれにオレ流(自分の個性)が加われば、それこそ「超一流」の人 と言うことになるのであろう。
所謂、「型より入りて、型を出る」で文字通りの、型破りの名人になるのであろう。
クセが単なる癖の域を通り越して独特で 優雅な個性と言われるようになる。
どんな小さなことでも、型破りの名人と言われるようになるまでには長い時と深い思いが必要なのかもしれない。 言葉は悪いが「専門馬鹿に徹せられる人」、「愚直に生きれる人」が少なくなってきたのかも知れない。
当たり前のことが 当たり前にできる人、一途に何か一ッを追い求められる生き方 これが一流になる人の生きかたなのだろうか。
蛇足になるが、「オタクには親切に!、いつか彼らの下で働くことになるでしょうから」とビル・ゲイツは言っているという。