ゆとろぎへの道 仲村峯夫 一隅を照らす素晴らしきかな人生 照らさずとも好し また素晴らしきかなこの人生(とき)

日々、つれづれなるままに、心のおもむくままに、趣味的ハルサーの想いを…
自分探しの旅は 違う景色の見える道

一流の人とそうでもない人

2021-04-20 07:00:44 | 日記

   一流の人とそうでもない人の差  

 我々は日常生活の中でなんとなく、一流とか二流とかの表現で社会的な存在価値の評価付けをすることも多い。

普通の日常生活でも それぞれの仕事においても 「普通のことが普通にできれば一流」の人である。

普通の人が 当たり前のことをごく当たり前にやり続けるには相当の努力を要する。

調子のいい時は何の苦もなくできることが、生活のリズムによっては普通のことが時には吹っ飛んでしまうことも多々ある。

普通のことが普通にはできない(時々できない)人、所謂これが「普通の人」である。

 さらに厄介なのは 当たり前のことができないことが多い人になると普通にダメな人扱いされることになるのかも知れない。

「普通に挨拶ができる」こんなことが職場教育の場では永遠のテーマと言われることもある。

普通に挨拶ができる人、 いつでも誰れにでも気持ちの良い挨拶ができる人が そう多くはない ことの査証かも知れない。

一方、ごく普通のことが、ごく普通に当たり前にできて更にそれにオレ流(自分の個性)が加われば、それこそ「超一流」の人 と言うことになるのであろう。

所謂、「型より入りて、型を出る」で文字通りの、型破りの名人になるのであろう。

クセが単なる癖の域を通り越して独特で 優雅な個性と言われるようになる。

どんな小さなことでも、型破りの名人と言われるようになるまでには長い時と深い思いが必要なのかもしれない。 言葉は悪いが「専門馬鹿に徹せられる人」、「愚直に生きれる人」が少なくなってきたのかも知れない。

 当たり前のことが 当たり前にできる人、一途に何か一ッを追い求められる生き方 これが一流になる人の生きかたなのだろうか。

蛇足になるが、「オタクには親切に!、いつか彼らの下で働くことになるでしょうから」とビル・ゲイツは言っているという。

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「不公平になれること、噓をつかないで生きる」こと

2021-04-19 06:56:50 | 日記
    「不公平になれる、噓をつかないで生きる」  先日、東大の入学式で「がんばっても、それぞれが公正に報われない社会が あなたたちを待っています」と スピーチした、上野千鶴子東大名誉教授の祝辞がネットで話題になっているようである。 医科大学の女子学生への露骨な採点差別や森前オリンピック組織委員長の女性蔑視発言など国内の ジェンダーギャップを念頭においた発言なのだろうと思われる。  入学式の祝辞としては多少突っ込んだ発言にも思われるが、大学の入学式ともなればご時世がらをも含めて  当を得たまっとうな内容の発言と思われる。 きわめて普通に考えれば、この世は太古の昔から公正・公平であったことはなかったのだろうと思われる。 人の世は 何時の世も不合理、不条理が世の常のような気がする。「力は正義なり」、「勝てば官軍、負ければ賊軍」、 「勝者の記録が歴史」などの名言は人類史上消えることはないのだろうと思われる。 マイクロソフトの創業者ビル・ゲイツも「人生はフェアではない、そのことに慣れよ」と言っているという。 少し斜めに読めば、昨今のこのアンフェアな世の中を生き抜き勝ち組に入るための「心構え」を説いているようにも感じられもするのだが。 そのことに関してはそれはそれでいいと思うのだが、昨今のマスコミの報道の在り方については いささか違和感も感じる。 毎年恒例の如く日本の国会で繰り広げられる「ウソと偽りのオンパレード劇」が日常茶飯事の如く ごく当たり前に淡々と 報道されるこを考えるとイササカ違和感も感じてしまう。 世の現状を憂い、勝ち組になるための処方箋の指南も大事だが 今の日本社会にもっとも欠落している人としての最低限の品格、 「ウソをつかないで生きる」ことへの警鐘がおろそかになっているような気がしてならない。  「がんばっても、それぞれが公正に報われない社会が あなたたちを待っています。それに耐えられる強い人間になりなさい」 もいいが やはり今の日本社会に一番欠如しているのは「噓をつかないで生きる」ことではないのだろうか。  「心配していることの90%以上は、実際には起こらない」と言われるのだが…。
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オーガスタから発信された「お辞儀文化」の素晴らしさ

2021-04-13 10:54:12 | 日記

   松山英樹プロのマスターズ優勝を育んだ日本の「お辞儀文化」

 松山英樹プロのマスターズ優勝はゴルフファンならずとも多くの日本人に喜びと勇気を与えてくれた。

更に、感動は日本人初、アジア人初のマスターズ制覇だけに止まらなかったのである。

図らずも、世界のゴルフの聖地とも言えるオーガスタから日本の誇るべき、伝統文化の一つともいえる「お辞儀文化」 が世界に発信され世界中で大反響を巻き起こしているという。

 ことの発端は、松山プロが優勝を決めたホールアウトの直後、キャッディを務めた早藤翔太さんの グリーン上での  何気ない「コースへの一礼」が全世界を、感動させたのである。

キャディーを務めた早藤さんによると、特別な感情は何もなくて、「ありがとうございました、ただそれだけでした」と話している。

無意識のうちに、日ごろ身に着けた感謝の心があの「一礼」になったようである。 言葉以上に感謝の気持ちを相手に伝えられるのが、日本の伝統文化ともいえる「お辞儀文化」である。

 SNSでもツイートが拡大し、元世界ランキング1位のウエストウッドさんも 「これまで目にした、ゴルフスポーツにおいて おそらく最も敬意があり相応しいことだ。

ヒデキ、彼のキャディ、 そして日本は素晴らしかった」と結んでいるという。

 「いかなる時でも お辞儀はし足りないよりは し過ぎた方がよい」とロシアの文豪トルストイも言ってはいるが、 私の知る限りでは西洋など海外ではお辞儀はあくまでも神に対するものなのかもしれない。

 「日本のお辞儀文化」は他人に敬意を払い心からの感謝を伝える日本の伝統的な生活習慣である。

「八百神信仰のバックボーンの中で通常の生活レベルでも他者を意識しリスペクトする日本の伝統文化はまさに

他者を重んじる文化であり、言い換えれば「達者のある文化」とも言えるのだろう。

お辞儀に象徴される日本の「他者のある文化」が全世界に広まって欲しいとも思う。

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神様の立場と人間らしさ

2021-04-12 10:18:04 | 日記
   神様の立場と人間らしさ  「神は我々を人間にするために、何らかの欠点を与えた」とカントが言ったという。 人間は欠点だらけで生まれ、そして欠点だらけのままで死んでいく。 多くの人間をコンプレックスから解放し、全人類に自信を持たせるかも知れない実に素晴らしい名言である。  人間が人間を卒業し、神様の仲間入りをしたら神様が困る。 それでは神様の立場がなくなる。神様が要らなくなる。 だから、神様は我々人間を欠点だらけに作りたもうたのだろうか。 そうなのだ、人間が「人間らしくある」ということは必要なことなのだ。 人間はある程度出来が悪くても、多くの欠点を持つことになろうとも自らを責めるこはない、卑屈になることもないのだ。 全ては神々と共存するための人間の役目なのだ。 神様には「分限」は無いのかも知れないが、我々人間は神様から与えられた分限(謙虚な心)さえ守れば、もっと自由に 気楽に愉しく生きればいいのだろう。  「家族や友人知人と愉しく過ごす時間や人生を大切にする」というデンマーク文化の中核を現すと言われる言葉が「ヒュッゲ」だそうだ。 「ゆとり」と「くつろぎ」から、「りくつ」を抜き去り 文字通り心地よい雰囲気や時間・空間や人生を大切にする「 ゆとろぎ」への道も目標は一緒なのかもしれない。
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生きかたの進化と弱き人の生きかた

2021-04-11 10:38:49 | 日記
   生きかたの進化と弱き人の生きかた  人間若かりし頃の進化は、間違いなく進歩・発展の方向をたどる。 しかし、人生も半分ほどを過ぎると大方は肉体的側面を中心に劣化の方向をたどる。 平たく言えば、何人もさけることはできない 老化への道である。 視力、聴力、記憶力、集中力、忍耐力などが低下していく。このような物理的な機能低下などは老人の愛嬌で許されることもある。  最近の日本の国会などでは ウソ、偽りのオンパレードとも思しき事態が常態化している。 老化による記憶力の低下や判断力の低下、更には「忘れたいから忘れる」と言うような、無意識的な脳の自己防衛本能的な 不作為はある程度可愛げもあるのだろうが、昨今の確信犯的な不誠実答弁は始末に負えない。 人間としての誠実さや謙虚さのカケラも見られぬ、昨今の国会運営は劣化の極みにしか見えない。 最近他界された個性派俳優のKさんの言い方を真似れば、まさに「暴走老人の跋扈」である。 年を取ることや老化が良いとか、悪いとかの問題ではない。 ブレーキのないビストバイクなどが公道を走ること自体が問題なのである。  人生の全てはチョイスである。今の人生を含めすべては我々自らの選択の結果である。 世の中を我が物顔で跋扈する一部の偉い人たちは、基本的に強い人間なのか、弱い人間なのか私にはわからない。  いずれにしても 人間は時には強く偉大なことも成し遂げる。 しかし、基本的にはか弱い生きものでもある。人生のいろいろな問題に遭遇しうろたえながら生きていくことも多い。 何処でその弱い心をだましながら生きていることが多いのかも知れない。  「忘却は人間に与えられた恩寵、人は忘れらければ 生きてはいけない」と瀬戸内寂聴さんは言う。  考えてもどうにもならないものは 考えない。 どうしても考えたいのなら 自分の心の居場所を考えてあげればいいのかも知れない。 心が和み、心地よく あったかく ゆとりのある時空を探せばいいのかも知れない。  良いことだけを考える  好きなことだけを考える  楽しいことだけを考える そして、可能な限りそれを実行する これが、心弱き人の処世術なのだろうか
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