「生きているのは暇つぶし、人間滅亡的な人生案内」
これは深沢七郎さん(1887~1953年)の本のタイトルだという。
我々の子供時代には文部省選定の映画の団体見学制度みたいなものがあった。
1958年(S33)の頃の事である。
「生きているのは暇つぶし、人間滅亡的な人生案内」の作者が小学校のころ団体見学で見た、姨捨山伝説の映画「楢山節考」の原作者だと知り当時の衝撃的な印象が鮮明に蘇った。
「ただ、ぼーと生まれてきたのだから、ぼーと生きればいいのです」
「人間には本物なんかありません、みんなニセモノです」
「愛などというものは欲深女や精神病の男の飛び道具である」
「女は男を楽しみ、男は女を楽しむ、これが重要なのです」
「コッケイ以外に人間の美しさは無いと思います」
「つまらないことを考えないで刹那主義でいることです」
これは深沢七郎さんの代表的な言葉のいくつかである。
これまで人並に真面目に一生懸命生きることを人生の手本として教わった世代の人間からすれば結構異色な価値観、人生観のような気もする。
しかし、一見自堕落的な刹那主義の物言いや表現だが何となく共感できる気がする。
全ての言葉が鮮烈に印象に残る。
これらの言葉は、「すべて人生は自らの心のままに自分に正直に生きればよい」という、作者の人生観なのかもしれない。
「晴れてよし、曇りてもよし富士の山」で、人生を山に例えれば、人の生き方も色々あってよいのかもしれない。
無駄な力が抜けて、これまでとは少し違う人生の景色も見えるかもしれない、との思いもある。
やはり、「逆も真なり」なのだろうか。
いや、逆方向のみならずどの方向から見ても人生そのものは同じなのだろう。
人世に現われしすべての現象はそれ自体に意義があり、現われし現象はそれ自体がすべて真実なのだから。
「逆も真なり」のみならず、存在するもの、現われしものは全てが「真」ならば現実・現在は万事良しなのだろう。
「人生では全てがいい、死さえも」とさりげなく言うセルバンテスの心なりせば。