ダメなものはダメ、五輪・オリパラでの小山田さんの楽曲使用
今回の小山田さんの昔のイジメニュースをネットで見たとき、かなりの衝撃を覚えた。
「誰かに起こったことは誰にでも,起こる可能性がある」と言う諺がある。
人間だれしも過去にいろいろなミスや失敗があるだろう。
人には言えない心のキズをを抱えつつ生きているのだろうと思う。
「人間なんだから……」なのだろう。
しかし、そんな人間の弱い性を如何なる経緯でそうなったかは分からないが、こともあろうに武勇伝よろしく マスコミで吹聴してしまったのである。
多くの場合「人には言えないような過去の失敗」は、自省の念を込めて自らの内に秘め続けることによって、反省 の念を持ち続けることが多いように思う。
一般的には社会的影響力のある公職に就く人、とかそれなりにけじめをつける必要があると思われるときは、勇気 を出して思い切って公表しそれなりの謝罪と反省の念を示すことも必要なのかもしれない。
すべての事象は一旦問題になれば、その問題はそれなりにクリアされなければいつまでも問題として残る。
時間に解決を委ねればその解決には世紀単位の時間を要するだろう。
でなければ、種をまいた本人が刈り取らなければならない。
ただ今回のような小山田さんのような例は、そのいずれにも該当しない。
組織委員会は本人が反省している、もう時間がないという理由で一旦、小山田さんお楽曲の使用継続を決めたが、 世間の非難を受け一転不使用を発表した。
それについては、国民の声は賛否色々あるのは当然であろう。
「過去のたった一回の失敗で、個人の全てを否定するのはおかしい」というような意見(一側面のみを見れば正論)もある。 更には、「はーい、正義を振りかざす皆さん、願いが受け入れられ良かったですね」と、国民を上から目線で揶揄したツイートもある。
五輪やオリパラの趣旨や理念は勿論、一般的な社会通念からしても今回の件は到底受け入れられる問題などではないと思う。
この間も、エンブレムの問題、メインスタジアムの余りにも高額な金額問題、森前会長の女性蔑視発言など色々な問題があった。
今回のイジメ。侮辱、虐待に関する認識の問題など組織全体の危機管理を含めた問題認識の希薄さが全てに露呈している。
誰かさん言葉を借りれば、「暴走老人の跋扈が今の日本社会をダメにしている」のかも知れない。
老婆心ながら、今回の五輪楽曲の不採用は小山田さんの将来を否定するものではない。
あくまでも今回の五輪・オリパラの楽曲・担当として今の小山田さんは決定的に不適切なだけである。