ゆとろぎへの道 仲村峯夫 一隅を照らす素晴らしきかな人生 照らさずとも好し また素晴らしきかなこの人生(とき)

日々、つれづれなるままに、心のおもむくままに、趣味的ハルサーの想いを…
自分探しの旅は 違う景色の見える道

豊かな心

2011-07-30 08:18:14 | 日記
豊かな心 
 「豊かな心」それはいろいろなものが詰まって「一杯になった心」のことではない。

日常生活の中でともすれば、人間の心はわがまま、我執、エゴが詰まって一杯になっている。

わがまま、我執、エゴは人間の心を狭くし、心を不自由にする。わがまま、我執、エゴを取り

除けば、心は空になる。空になった心は無限に広がる。

 心のフィルターがクリーンになりあらゆる情報がありのままに入ってくる。

いろいろなことを感じ、吸収することができる。美しいものを美しいと感じ、いい音楽を聴け

ば感動する。

生かされている素晴らしさに素直に感謝し、すべてを受け入れられる。

そのような、しなやかで、優しさに満ち溢れた大きな心、それが「豊かな心」

豊かな心は空っぽな心、空っぽな心は欲のない感性豊かな心

豊かな心は人間の人生を豊かにしてくれる。
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こと始め  

2011-07-30 08:17:15 | 日記
 こと始め
 人間幾つになっても もの事を始めるのに遅いと言うことはない。

幾つになっても、如何なることも 思い立った時に始めて決して遅くはない。

 人間は幾つになっても 今が一番若い。今より若かりし過去もあった。

しかし、過去はあくまでも過去。人間は幾つになっても、永遠に今が一番若い。

思い立ったが吉日、今が「一番の早い始めどき」。始めた時が最高の始めどき。

もう遅いと思って、始めなければ来年も、再来年も後悔する、そして一生後悔は続く。
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若さるエーダー肌ガナサ、歳トレーからー チム ガナサ

2011-07-29 11:35:50 | 日記
   若さるエーダー肌ガナサ、歳トレーからー チム ガナサ

 幸いにも「賢い妻をめとれば、男は幸せになれるが、不幸にして愚妻をめとっても哲学者に

はなれる」という。

しかし、実際には幸せにもなれなくて、哲学者にもなり損ねる人も多いようだ。

 しかし、いずれの道を選んだとしても、それは自分自身の選択なので誰も恨みっこなしとい

ううことになる。

自分はどちらの部類に入るか、深く考えたことはない。私の妻が特別に賢いかどうかはわから

ないが、私は妻との結婚生活に至極満足しており、人並み以上に幸せだと思っている。

そして、取り立てて哲学者になりたいとも思わないが、男の知性としての哲学性には多少の憧

れはある。

 いずれにせよ、「夫婦は二人で一人前」でちょうど良いと思っている。お互いが半人前だと

思っていればお互いが謙虚にもなれるし、お互いに頼りにもし合える。第一お互いが半人前だ

と思うと簡単に別れるわけにもいかないし。

 「ニンジン たるムノー、チュイ タレー ダレーどぅ すんどー」、

(人間はお互い助け合い、足りないところは補いあって生きていくものですよの意)、といつ

も言っていた祖母の言葉を今でも思い出す。

 「若さるエーダー 肌ガナサ、歳トレーからー 肝ガナサ」、(夫婦も若いうちは 惚れた

ハレタだけでいいが、歳を重ねていくとお互いに人生の同志として助け合い、支えあって生き

ていかなければならない)と言う昔からの教えもある。

 親元遠く離れて暮らす我が二人の息子もまだ独身を謳歌している。親の気持ちとしては早く

所帯を持って社会人としてのもう一方の軸も確立してもらいたいと願うのも本音である。

仕事や会社を通じ社会に貢献するのも素晴らしいことだ。一方結婚し、家庭を持ち子供を産み

育てるのもまた、もう一つの立派な社会貢献である。

 人生は長いしかし、若かりし華やかな時期はそう長くはない。選択の枠を幾つも持ちながら、

常にあれもこれもしながらの「ながら人生」でなくてはもったいない。

君たちが選んだ女性ならもろ手を挙げて祝福しょう。

自分が「一生愛し続けられる」と思う女性であること。条件はその一つだけ。

 我が二人の息子とそして、彼らの同世代の若い男女の皆様へ……。

一人で気張らなくてもいい。「二人で一人前の夫婦」でもいい、二人で一人前の夫婦も結構

楽しいものですよ。ましてや可愛い子供ができれば、さらに人生は楽しくなる。

そして、そのことが今の日本の社会にとっても大きな社会貢献にもなる。

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神が与えし とき

2011-07-22 11:56:10 | 日記
   神が与えし時 

すべての ことには 時がある

今 この とき 神が与えし とき

想いいずれば とき 必ず来る

そのとき それが とき

今 この とき 神が与えし とき
 
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似て非なるものー「想い」と「こだわり」

2011-07-12 13:19:54 | 日記
   似て非なるものー「想い」と「こだわり」

 「想い」も「こだわり」もある特定の対象に対する愛着や特別の感情を示す言葉である。

「想い」は○○が好き、○○になりたい、○○のために~したいのように対象物に対する強い憧

れの気持ちが強く、その気持ちを肯定的に集約し、そして純化していくパターンが多い。

それに対し「こだわり」は○○でなければダメとか、○○だけは譲れないと言うようなタイプの

愛着、執着が強く、拘ればこだわるほど執着心が強くなり、それがいき過ぎれば対象物以外

の否定、排斥、排除につながる可能性が高い。

いずれにしても、こだわりの究極は対象物以外の否定に繋がりやすく、否定の究極は排除、

破壊に行きやすい。

 昔から「思いは叶う」と言うし、昨今は「思考は現実化する」と言われても違和感を抱か

ない人も多い。

量子力学の世界でも 「人間の想い、想念、意識がこの世の現実を創りだす」と受け取れる

ようなことを言っている。

「念ずれば花開く」とも言う、世の中は想った通りにしかならない。全身の力を抜き去り、

想いを集約する。

こだわりを抜き去り、「想いを込めてあるがまま、成るがまま」、心しなやかに生きる。

それは恬愉(てんゆ)の心、「恬愉の心」は「ゆとろぎ」の心なのである。





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