ゆとろぎへの道 仲村峯夫 一隅を照らす素晴らしきかな人生 照らさずとも好し また素晴らしきかなこの人生(とき)

日々、つれづれなるままに、心のおもむくままに、趣味的ハルサーの想いを…
自分探しの旅は 違う景色の見える道

奇跡的な出来事&忖度による神風

2017-03-27 12:36:05 | 日記
  奇跡的な出来事&忖度による神風
 この世で、「奇跡はそうは起こらぬが、奇跡的な出来事はたびたび起こる」、誰が言ったか知らないが、私は結構この言葉が気に入っている。
昨日の、大相撲で横綱稀勢の里が大逆転の優勝劇を演じ多くの相撲ファンを興奮させた。
横綱白鳳が早々と休場し、他の2横綱も優勝争いから脱落し、12日目までほぼ完ぺきな横綱相撲で12連勝と白星を伸ばした、新横綱稀勢の里の優勝を殆んどのファンが確信していた。
ところが、13日目に優勝争いから脱落した横綱日馬富士の凄まじい反撃にあい、手痛い一敗を喫した。
その際、土俵から激しく転落した稀勢の里は左肩を強打し、激痛に顔を歪めた。誰もが翌日からの休場を予測した。しかし、大方の予測に反し出場した稀勢の里関は左腕をかばい、全く相撲にもならないほどの完敗を喫してしまったのである。
その瞬間、誰もが大関照ノ富士の優勝を確信した。稀勢の里が優勝するには、千秋楽には本割で照ノ富士を下し、更に優勝決定戦でも照ノ富士を下さなければならないが、怪我の状況を考えるとそれは、全くの不可能にしか思えなかった。
 ところが、全ての相撲ファンの予想を覆し、稀勢の里は本割と優勝決定戦と立て続けに照ノ富士を下し二度目の優勝を飾ったのである。
翌日の新聞には、「涙の逆転優勝」とか、「奇跡の逆転優勝」と報道された。
優勝インタビューで本人は、「自分の力以上のものが、最後は出た」「何か、別の力が働いた15日間だった」と喜びを語った。
文字どうり、「奇跡的な出来事が、起きたのである」。
 一方、今世間を騒がせている森友学園問題だが、政府自民党は早期の幕引きを画策するのみで、疑惑隠しに必死の状況である。言いつくろいをすればするほど、不自然な事実が出るばかりで一向に収束の気配は見えない。
 疑惑のもう一方の当事者の、籠倉理事長が今回の大幅値下げでの国有地の払い下げや、急転直下の認可許可には「何かわからないが、何かの大きな力が働いた」とか、「神風が吹いた」と思ったと供述している。
 梯子を外した張本人と名指しされた、松井大阪府知事は今回の件は、明かに「政府の親切なおもんばかり」、所謂「忖度」があったと明言している。
二人の証言をつなぎ合わせれば、官僚の親切な「忖度」が今回の強力な神風を呼び起こしたことになるのだろう。
そして、金銭授受の影がほとんど見えない今回の財務官僚と大阪府の親切なおもんばかりや忖度の出発点は、やはり純粋無垢な安倍総理大臣夫人の存在が大きくクローズアップされてくるのだろうか。
 同じ、「なんか見えない大きな力」でも、稀勢の里が感じたそれと籠池理事長が感じた「なんか見えない大きな力」は全くの別物のような気がするのだが。


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つれづれなるままに、気になるはヒューマノイドとの共生

2017-03-26 12:06:17 | 日記
  つれづれなるままに、気になるはヒューマノイドとの共生
 最近気になることの一つが、高齢者の自動車事故である。
ブレーキとアクセルの踏み間違いによる悲惨な人身事故、高速道路の逆走などにわかには信じがたいが、身につまされるような感覚も実感している今日この頃でもある。
 三年後の東京オリンピックまでには、自動車の自動走行が実用化されるといわれている。
本当にあと3年ほどで、自動車の無人走行が可能かどうか半信半疑にも思っていたが、現実に無人走行の実証実験が始まったのである。
それも、自分の身近の知名と安座間の海岸線の道路「サンサンドロード」で実証実験の現実を目の当たりにし、少なからず興奮した。まだ先の話だと思っていたので、「何と凄いことが、起きつつあるんだ」が実感である。
今年で70歳の大台に乗る身としては、近い将来の交通手段の確保が大いに気になりだしていたので、うれしい時代の流れでもある。
 もう一つ気になることがある。人工知能(AI)の目覚ましい発展である。人類の英知の総結集としてその活用が期待される一方で、ヒューマノイドとしての人工知能の反乱が人類滅亡の可能性のシナリオの第一番に挙げられているのも周知の事実である。
その一方で、つい最近のネット記事の中に「セックスロボットが年内にも市場に登場」との記事があった。
これは、技術的にはそんなに難しくはないのだろうが、しかしヒューマノイドとしてのセックスロボットが現実に年内にも市場に出回ると聞くと、得も言われぬ違和感を感じるのも確かである。
その将来は、最近の草食化する若者の救世主となり人間社会で共存していくのかどうか予測もつかない。
その機能性はもちろんだが、人口知能がどこまで人間の心に近づけるのかの予測もつかない。
或いは、益々我儘、傲慢、尊大になった人間の心の間隙をどこかで埋めて、人間社会の中で共存できるのかも知れない。
政治家や世のリーダーのみならず、社会的にも我儘症候群(ヒューブリス・シンドローム)が叫ばれる昨今、気になるニュースである。

 

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森友学園問題、疑惑隠しの幕引きは許されない

2017-03-25 15:44:12 | 日記
   森友学園問題、疑惑隠しの幕引きは許されない
 劇場化した森友学園問題が、社会を大きく揺るがしている。
あれほど嫌がっていた籠倉理事長の国会喚問が、安倍首相が貶められているとの、極めて私憤的な動機から実現した。
その国会喚問では偽証罪をちらつかせ、籠倉理事長を叩き潰し、全ての疑惑が晴れるはずであった。
しかし、政府自民党の思惑は見事に外れ、反対に新たな疑惑が発覚するなど、安倍内閣の基盤をも揺るがしかねない危機的な状況さえ呈しているようである。
それでも、自民党・安倍内閣は小学校の認可申請時の手続き上の疑惑のみを問題視し、籠倉理事長一人を諸悪の根源に仕立て、籠倉潰しでこの問題の幕引きを図ろうとしている。
 この問題の本質は、あくまでも①国有財産が異例のスピードでしかも、破格の値引きで売却されたこと。
②旧憲法下での、異様ともとれる教育方針を大上段に掲げ、しかも財務状態も極めて厳しい学校法人に異例ともとれる「認可適当」を出した大阪府の行政責任。
③虚偽や詐欺まがいの申請書を出した、森友学園になぜいとも簡単に、しかも短期間に小学校設置の認可が下り、国有地の払い下げが行なわれたのか、全てが不透明で金銭及び不公正な口利きがあったのではないかとの疑惑が問題となっているのである。
 そして、首相夫人の森友学園への100万円の寄付疑惑、さらに夫人付きの政府職員からの財務省への働きかけ、が新たな疑惑として浮上してきたのである。
 学園側の頼みごとに関する、首相夫人付きの役人からの、財務省への問い合わせは、どう控えめに見ても、明かに担当窓口に対する口利きであり、一民間人の問い合わせや陳情とはわけが違う。
官邸筋は首相夫人はあくまでも「私人」と言っているが、現実にはその「私人」に政府の公務員が専任で常時5名も配置されているという。
その、首相夫人専属の政府職員の言動や社会的な影響力が一民間人のそれとは天地の開きがあることは誰の目にも明らかである。
その、首相夫人付きの政府職員の官僚に対する影響力たるや、おそらく並みの国会議員をはるかに凌ぐであろうことはいとも簡単に推察できる。
 「現状では依頼の内容は無理ですが、今後も引き続き見守ってい行きます」との当該公務員のファックスを持って、安倍首相や政府は「今回の依頼、に対する答えはゼロ回答であり、何ら口利きには当たらない」としているが、日本語をまともに解する人間ならば、子供でもその嘘は見抜けるだろう。
「現状では意に沿えないが、引き続き見守っていきます」の旨の記述は、「今後も引き続き要望に沿うよう努力します」という確固たる意志表示である。
場の空気を読み、上司や組織の意向を的確に読んで行動するのが、日本の通常のビジネスマンである、ましてやそれができない政府官僚は生き抜くことさえできないはずである。
今、だめでも引き続き勤勉に努力するのが日本の公務員である。
ましてや首相夫人付きの秘書の口利きを無視できる官僚など、日本政府の官僚には誰一人とて存在しないことは日本人なら誰でもわかる。
いち私人の「私的行為」というが、そのいち私人が総理夫人となると次元は全く違う。
その後の、「担当者の努力が見事実を結んだ」とみるのが極めて自然ではないのか。
 よしんば、その努力が実を結ばなかったとしても、その首相夫人専属費秘書の働きかけ事態が立派な「口利き」以外の何物でもないのだから。
 疑惑があれば、国民にその正当性を証明するのが真っ当な政府の責務であろう。
しかるに、その関係書類をすべて葬り去り(隠し)ながら、国民にその疑惑の証拠を示せという横着・傲慢な安倍政権の政治手法はとても国民の理解を得られるとは思わないのだが。
 「ウソをつかない、TPP断固反対、ブレない自民党」の選挙ポスターを掲げ、2012年の衆院議員選挙で大勝利を収めた。
にもかかわらず、その舌の根も乾かぬうちに安倍首相は「私自身はたったの一回も、TPP反対など言ったことはない」と言い出した。 
この間も、安倍内閣は言葉の言い換えや公約違反などのウソや欺瞞的な言動が多すぎる。
脳科学者の香山リカ氏は、安倍総理は「傲慢症候群」と言われる、一種の「権力中毒」に陥っていると言っている。 
また哲学者、的菜収氏は「安倍の最大の功績は、彼が首相であることが今の日本の病弊の証明である」と言っている。
「他に代わる政党がいない」の言い訳は、単に自らの思考停止という怠慢でしかないと思うのだが。
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傲慢症候群&忖度症候群

2017-03-24 11:09:10 | 日記

    傲慢症候群&忖度症候群
 人類の英知では制御不可能と言われる原子力、5年経っても普通の生活さえも取り戻せない。

原発事故の福島の現状を無視しアンダーコントロールといい、海外での武力行使を容認する集団的自衛権の行使即ち、戦争法案を平和法案と言い換え、公約破りの消費増税延期を新しい判断といい募り、沖縄への新たな米軍基地の建設を沖縄の負担軽減と言いつくろい、全く恥じることを知らぬ安倍内閣。
そんな安倍首相を精神科医の片田珠美さんは、「傲慢症候群」(ヒューブリス・シンドローム)と揶揄している。
ヒューブリス・シンドロームとは、イギリスの神経科医で政治家でもあるデービット・オーエンが提唱した概念だという。
安定的長期政権に就いた権力者が、容易にその権力を独裁的に行使できるような状況下で独裁的な政治運営をする社会現象を指すという。言い換えれば、「権力の座に長くいれば、性格が変わってしまう人格障害の一種」だという。
 国内向けの政治公約がほとんど、破綻しているにもかかわらず、「他に代わる政党がない」の単純無垢な理由のみで、高支持率を維持し続ける安倍内閣は、まさに日本国民の精神的な怠惰の産物なのだろうとも思える。
 一方、今問題になっている森友学園問題である。

昨日、渦中の籠倉理事長の国会喚問があった。
ほぼ一日かけて衆・参院での追及が続いた。
この森友学園の問題は①国有地の異常な値引き問題、②小学校認可にかかる政治的な関与の有無、③籠池理事長の不透明な申請問題が取りざたされている。
いずれも、不正な政治的な関与の有無、申請にかかる虚偽文書の問題が焦点である。
朝10時から23時過ぎまで、ずーとテレビにくぎ付けでニュースを見ていた。
荒っぽい言い方をすれば、全てが「虚偽」と「忖度」のオンパレードの印象しかない。
 自民党は、最初から今回の証人喚問は「安倍首相が貶められた、その名誉回復の為」の発想しかない。今回の異常な国有財産の処理問題など眼中にもない。それどころか問題を「ひた隠しに、隠し、籠池理事長をモミ潰し、安倍内閣への批判を回避する」姿勢しか見えない。
 異例ともいえる、認可許可の是非もすべては悪者?籠池理事長のせいにするだけ。悪者の理事長を叩いて潰して、幕引きを図りたい本音が随所に覗く。
挙句の果ては、窮鼠の大反撃にあい、自ら墓穴を掘る羽目になったようである。
証人喚問の自民党、公明党、維新の会の先生方の追求を聞いていると、全ての悪は籠池理事長と決めつけ、都合の悪い事実解明は避けて、ひたすら政権と行政の擁護に走る姿は哀れにしか見えない。
国会全体がまさに「忖度シンドローム」状態である。

今回の問題は、多分金銭がらみの明らかな贈収賄などの口利きや関りは、ないと思われる。
問題の全ては、日本の政治家や行政がそのお得意な、おもんばかり精神を発揮し阿吽の呼吸で最大限の「忖度シンドローム」が張り巡らされた結果なのだろうと思う。
この、「忖度シンドローム」は何も政治家のみの特権でもない。

テレビの解説者や自民党の番記者と思しき多くのコメンテーターもまたしかりである。
血相を変え、声を荒げて政権を擁護し、籠池理事長の狡さ具合のみをを強調する。
もう正に、政権与党を支持する側の国を挙げての、「忖度シンドローム」にしか見えない。

 

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佐藤氏の考えを支持する‐差別と不公平は本質違う(3月14日新報論壇掲載記事)  記事のタイトルを入力してください(必須)

2017-03-14 11:10:10 | 日記

佐藤氏の考えを支持する‐差別と不公平は本質違う  
  数日前に、本紙に掲載された、佐藤優氏の「ウチナー評論」(4日付)を読んだ。
高良倉吉氏(元副知事、琉大名誉教授)の「沖縄問題はリアリズムの視点から見れば『構造的な差別問題』ではなく、単なる『不公平』な状況である」とする高良氏への批判・反論記事である。
 高良氏の主張はこうである。 

沖縄の過重な基地の集積は、沖縄県民共通の認識であり、その過重な基地負担の解消は当然日本政府の責任だと主張し続けてきた。日本政府にその責任を果たしてもらうためには、あえて「差別」という言葉を前面に掲げて主張するのではなく、「不公平」な状態を解決すべく客観的な論理を駆使して改善を迫ることが必要なのである。
 この点について、佐藤氏は紙上で反論する。現在の米軍基地の沖縄への偏在が、「差別」ではなくて「不公平」な状態にすぎないという、主張は論理的に破たんしている。
この間も県は基地が存在することが故の具体的な問題点やその抜本的な解決策を論理的に提起し解決を迫ってきたが、中央政府が一顧だにしないのは中央政府の差別政策であり、構造化された沖縄差別である。その旨の主張をしている。
佐藤氏の考えを支持する。現時点のみを捕らえれば、不公平で済むかもしれない。

しかし、このような不公平な現状が結果的に半世紀以上も放置され続け、さらに今また涼しげな顔で「辺野古が唯一」を繰り返しつつ、新たな基地負担を押し付けてくる現況、これは差別以外の何物でもない。

このような歴史的時間軸を全く、無視するような現状認識について、歴史学者としての見識を疑う。
多くの人は自分の立ち位置からしかものを見ない。

世界的にもフェイク(うそ)ニュースやオルタナファクト(代替の事実)が氾濫し、多くの知識人などの間でも沖縄ヘイトを繰り広げる現況だ。
「ポストトウルース(脱・真実)に代表されるように、世界中を虚偽や言葉の代替、真実隠しなど、言葉や知の荒廃が吹き荒れている。
なぜ、あえて沖縄差別という言葉を避けたがるのか。自らの知識人としてのプライドが許せないのだろうか。

「現実を踏まえ、現実対応をする」沖縄の保守政治家の常套句である。

それがいわゆる「リアリズムの視点」とかいうものなのであろうか。
 民主主義は多数決が大原則である。しかし、我々沖縄は永遠に少数派のマイノリティーでしかない。

少数派は永遠に民主主義の埒外に甘んじることが、高良氏の言う沖縄のリアリズムの視点なのだろうか。
私には、差別に加担する側の論理にしか映らない。


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