ゆとろぎへの道 仲村峯夫 一隅を照らす素晴らしきかな人生 照らさずとも好し また素晴らしきかなこの人生(とき)

日々、つれづれなるままに、心のおもむくままに、趣味的ハルサーの想いを…
自分探しの旅は 違う景色の見える道

悪魔の系譜、スターリンからプーチン

2022-04-16 11:21:35 | 日記

  悪魔の系譜、スターリンからプーチン
 テレビをつければ、みたくもないあのデビルプーチンの顔とウクライナのあの悲惨な画像が写し出される。
プーチンのこれ程の残虐で執拗な狂気の沙汰はいったいどこから来るのだろうか。
プーチンはロシアを現在の無法国家に仕立てた、あの狂気の独裁者スターリンに心酔してるという。
ネットでスターリンの言葉をいくつか拾ってみた。
「我々は先進国から20年も30年も遅れている、10年以内にこの距離を縮めなければ我々は彼らに押しつぶされるだろう」
「感謝とは犬畜生が患う病気である」「愛とか友情はすぐに壊れるが、恐怖は長持ちする」
「現実と理論が一致しなければ現実を変えよ」「思想は銃よりはるかに強力である、なぜ彼らに思想を持たせる必要があるのか」
「反対派が武装解除すればすべてがうまくいく、武装解除しなければ我々が武装解除をさせねばならない」
「一人の死は悲劇だが、100万人の死は統計上の数字でしかない」
「投票した者が決めるのではない、投票を数える者が全てを決めるのだ」
 以上が恐怖の独裁者スターリンの言葉である。
一般的な人間の愛や心の営みを全て否定し、政治家としての立ち位置も完璧な唯我独尊、ジコチュウの典型的な独裁者の面目躍如である。
 現実のプーチンの国内政治のありかたやウクライナでの残虐な殺戮行為を目の当たりに、するとスターリンとプーチンの悪魔の連鎖が驚くほど重なって見える。
プーチンは口を開けばはナチジムを批判をするが、スターリンとプーチンの残虐非道さは歴史的にも、質的にもヒットラーに勝るとも劣ることはないのだろうと思われるのだが。
 一方、著名人の中にはロシアもウクライナも当事者であって、両方の言い分もそれなりの吟味が必要である、旨の意見も聞かれる。
ごもっともな意見だとは思われるのだが、隣の主権国家に一方的に攻め込み、ほぼ無差別的な殺戮行為が行われている。
今はそんなことを言っている場合ではないような気もするのだが。
 スターリンとプーチンの悪魔の系譜が後世に繋がらぬことを祈りたい。

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世界の願い、プーチン政権の消滅

2022-04-08 17:29:40 | 日記

  世界の願い、プーチン政権の消滅

  国家や公共団体など組織が介在するウソ、ニセ情報や国家の流すプロパガンダは個人のみならず 社会全体に甚大な影響を及ぼす。

社会主義であろうが自由主義社会であろうが、制度や法律の問題以上にそれを運用する政治や組織の在り方、つまりは人間の誠実さが問題になることも多い。

様々な技術や情報を含めた物質文明は人類の歴史と共に、幾何級数的ともいえる急速な発展を遂げてきた。

しかし、こと人間性(魂)など人間の内面に関しては算術級数的な進歩しか見られないのかも知れない。

2000年も前の偉人たちの名言や格言を紐解けば、誰しも異論をはさむ余地は無いような気がする。 国内外で、フェイクや言い換えなどが飛び交い、事実と異なるウソ情報が蔓延する人間社会の現状を目の当たりにすると、この世で「ウソをつかずに生きること」の難しささえ再認識させられてしまう。

20年も30年も自国の国民をウソ、偽りで騙し続け自国民のみならず全世界をもたばかり続ける、無法国家ロシアの現実。

隣の主権国家に武力で攻め入り、なんの罪もない他国民を無差別に惨殺し続けるプースケ率いる無法な野蛮国家、ロシアの蛮行を誰れも止めることができない。

テレビを見ている多くの日本人も、テレビに映る悲惨な画像に心を痛めプースケの狂気に憤りを感じるもなすすべはない。

 日本の知識人と称せられるする幾人かは、「命より大切なものはない、ゼレンスキー大統領がソ連の要求を呑むべきだ」と主張する御仁もいる。

「ヌチ(命)ど宝」(一番大事なのは命)という命題もある。 しかし、一方では全面的に支持もできないような側面もあるような気がする。

自らの「自由と人権と国家の主権を守るためには命がけの戦をも辞さない」とのウクライナ国民の気持ちが伝わるだけに、他国の人間がとやかく言うことではないようにも思うからである。

 話は少し異なるが、なぜか「ニンビー」なる言葉が頭をよぎる。 ニンビー(NINBY)とは何年か前に流行った言葉である。

Not in my back yard(うちの裏庭にはやめてくれ)という意味で、原発、廃棄物処理所、幼稚園、墓地など社会的に必要な施設だが、自分の近所にできるのは嫌という社会風潮を指した言葉である。 沖縄の負担軽減は、普天間基地の辺野古移設が唯一」の論理がその典型例である。 ニンビーが頭に浮かんだ原因は多分沖縄の米軍基地がらみが潜在意識の中にあるのだろうと思う。

自分に興味のないものは、聞けども、見れども印象には残らない。 だから多くの場合国民はフェイクや政府のプロパガンダに簡単に騙される。 民主政治が愚民政治と揶揄される一側面でもある。

通常人間は自分の視点からしかものを見ない。

立場や視点が反転すれば当然物事は見方、見え方が全く異なることもある。

 日米同盟はある面で、れっきとした不平等条約である。 そして、この不平等条約を維持するための制度が日米合同委員会なる組織である。 これらはある面で憲法を含む国内法を凌駕する存在なのだが、戦後70年経過した現在でもその見直しや廃止についての議論は全く為されていないのも現実である。

自分にとって、意味がなければすべては現状維持、即ち現実対応という大人の対応で済ましてしまう。

辺野古の新基地建設の反対闘争もすべては他人事。 静観するだけならまだいいが、一部の、有識者なる御仁たちは辺野古反対運動は、金目当ての日雇いか、反戦のプロの仕業との心無いフェイクさえ後を絶たない。

何しろ、日本人は戦後70年もの間、日米安保条約という不平等条約の見直しや改定など、ただの一度も検討したこともない。

それって「なんの意味があるの」的な、発想はある面、「受益は受けるがそのコストやリスクは御免」的な「ニンビーシンドローム」に共通するものがあるのかも知れない。

 せっかく手に入れた 自由と基本的人権とそれを担保する国家を命がけで守ろとするウクライナ国民の心など、今の日本人にほぼ理解できないし、考えようとさえもしないのだろうと思う。

「ロシア軍のウクライナへの侵攻を声高に祝福する」ロシア正教会のキリル総主教の存在など、ロシアは国家ごと腐り果てているとしか思えない。

なにはともあれ、いかな厚顔無恥なプースケとて、この21世紀の世の中でこれだけのことをしでかして中長期的に無事で済むはずはないのだが、即効性のある対策は誰も見いだせない。

プーチン政権の自壊を待つしか手立てはないのだろうか。

世界の願いは「プーチン政権の消滅」? 「神頼みならぬ、ブルータスは何処に」など、お笑いのネタにもならないだろうに。

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