ゆとろぎへの道 仲村峯夫 一隅を照らす素晴らしきかな人生 照らさずとも好し また素晴らしきかなこの人生(とき)

日々、つれづれなるままに、心のおもむくままに、趣味的ハルサーの想いを…
自分探しの旅は 違う景色の見える道

ヌーバレーの曲が聞こえる知名の夏

2015-07-31 09:38:24 | 日記
   ヌーバレーの曲が聞こえる知名の夏
 台風12号が優しく、静かに過ぎ去り、熱い沖縄の夏が戻った。今日
も夏晴れの太陽が平和に降り注ぐ気持ちの良い夏日和である。
夏が特段好きなわけではないが、夏は日の出が早く、日の入りが遅い
ので一日が長くなる。物理的な時間が長くなるわけではないが明るい
昼間の時間が長いと何となく得をしたような感じになる。
商売をしているのでもない、何の損得もないのだが何となくお得感を
感じるのである。思うには幼い子供のころ夏は遊びの時間が長くなる
のでその頃の子供の思考習性が今なお心の奥底に残滓として残ってい
るのかもしれない。
 もう一つ、思い当たることは昔ビヤガーデンなどの熱い中で豪快に
ジョッキを傾けた、あのビールの味が忘れられないこともあるのかも
しれない。
 我が家ではこの五年間居間のクーラーは一度も稼働してない。冷房
機の基盤がヤモリにやられ故障したままになっているからである。
(知名は屋外暮らしのヤモリが多く、ヤモリガードのないクーラーの
屋外機はヤモリの侵入でほぼパーになる)。
「今年一年は我慢ができるかなー」と思いつつ、いつの間にか5年が過
ぎてしまったのである。
従って、我が家では冬の寒い時期以外はいつも庭に常設しているビー
チテーブルが夕食の食卓になる。庭でのビールと泡盛を主食に女房が
作ってくれる何品かのおかずで毎日楽しいディナータイムが過ごせる。
 今年もいよいよ熱ーい知名の夏が到来した。去った25日から恒例の
ヌーバレーの練習曲が村のスピーカーを通じて全世帯に流されている。
夕方、公民館から流れるこの軽快な民謡を聞いていると気持ちが癒さ
れ、心も踊る。街のみんなが心待ちにしている盆送り翌日の知名のヌ
ーバレーに心を馳せる。公民館から流れるこのヌーバレーの民謡で知
名の夏、ヌ―バレーの夏が一気に盛り上がる。
このもっとも晴れがましい知名の夏はお盆明けまで続く。今年もビー
ル、泡盛片手に女房手作りのおつまみ付きで、満月の夜空の下で楽し
む知名のヌ―バレーが待ち遠しい、知名のヌ―バレーは最高、世界一。
 今夜も、一年で一番光り輝く知名の夏、ヌ―バレーの夏に乾杯。
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源氏物語&大和魂&日本(和)の心

2015-07-30 11:30:43 | 日記
    源氏物語&大和魂&日本(和)の心
 「祇園精舎の鐘の声 諸行無常の 響きあり 沙羅双樹の花の色盛者必衰の理をあらわす 奢れる人も久しからず ただ春の世の 夢のごとし たけき者もついには滅びぬ 偏に風の前の塵に同じ」、平家物語のこの一節が好きで、自分の手帳のコピー欄にも数年にわたり貼り付けていた。
しかし、私はこの「平家物語」も「源氏物語」も本文を読んではいない。
学校の授業で教わった他は、大まかな解説書やネットなどの解説記事で得る程度の知識しかない。
しかし、最近何故か以前何かで読んだ源氏物語の一節が妙に氣になっている。
それは紫式部がライバルの清少納言を意識して書いたといわれる「少女」の帖に出てくる「大和魂」についてである。
もちろんこの「大和魂」という言葉の言いだしっぺが平安中期の稀代の恋愛小説家紫式部であることも知らなかった。
 因みに、紫式部は当時主流の唐の学問(漢才)を身に着けた上で、日本の実情に沿った対応ができる智恵や才覚即ち、「和魂漢才」の心を「大和魂」と言ったようである。
このように元々は「もののあわれ」や共感する心など日本独特の情緒を大切にする気持ちを込めた言葉としての「大和魂」が紫式部の意図を離れ、幕末の吉田松陰や本居宣長の言葉を通して明治政府が軍国主義の玉砕精神の極地に昇華させてしまったのである。
 今では、大方の日本人は「大和魂」で真っ先に連想するのは第二次大戦の神風特攻隊や人間魚雷に代表される軍国主義の玉砕精神ではないかと思う。
 「かくすれば、かくなるものと知りながら、やむにやまれぬ大和魂」の吉田松陰の歌を特攻隊の精神に直結させ、「敷島の大和心を人たれば朝日に匂う山桜花」と謳った本居宣長の言葉をことごとく、特攻隊の名称に置き換えたのである。「敷島隊」「大和隊」「朝日隊」「山桜隊」などである。
 はては葉隠に出てくる武士道精神「武士道とは死ぬことと見つけたり」を短絡的に大和魂に結び付け、特攻精神を一面的に美化してきた。
勿論この葉隠の武士道の精神も大和魂も短絡的に無駄な死を推奨するのもではない。
時代により社会的な価値観、道徳観は違えども、人が人として生きる「人の道を」追求する心構えを説いたものである。
それを時の政府や権力のために全てを奉仕すべきというような価値観の強制的な一極集中は独裁やファシズムの手法でしかありえない。
 大和魂はもともと外来の文化との調和を目指す心であり、古来からの八百万神を信仰する農耕民族として培った、神や自然を含む他者との「調和」「共生」「和」を重んじる日本独特のバランス感覚を大切にした心である。
その素地になる「大和心」も他者を重んじ常に相手を思いやり、お互いを尊重しあいながら「大きく和していく」農耕民族独特の平和の心が染みついた日本人の心である。
 しかるに、日本の明治の軍国政府により「大和魂」は天皇制を支える国粋思想、軍国主義の玉砕思想に置き換えられ、結果言葉自体が社会的に封印されることになってしまったのである。
最近の安倍自・公政権の狂気じみた暴走ぶりを見ていると得たいの知れぬ不気味さと嫌悪感とを同時に感じてしまう。
一見ひ弱そうな、大金持ちのボンボン息子然としたあの安倍総理が多くの国民を敵に回しつつも、蛮勇果敢に戦のできる国へ向かって、しゃにむに突っ走っている姿を多くの日本人がいまだに理解できず困惑している。
 安倍内閣の「積極的平和主義」は戦を前提にした、武力で勝ち取る平和主義でしかない。
好戦的な安倍内閣が「絶対的平和主義」を主張する道理はない。
絶対的平和主義と積極的平和主義、言葉は類似するがその意味は対極にあるほど違う意味を持つ。
戦や武力が前提でなければ「積極的平和主義」なる熟語は成り立たない。
字句だけのまやかしの平和主義の看板は下して純粋に平和を求める政
権であって欲しいと願う。
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「安保法案は国民に理解されていると思うか?」の思考停止

2015-07-27 11:34:20 | 日記
  「安保法案は国民に理解されていると思うか?」の思考停止
 最近のマスメディアやネットのアンケートを見ていると「安保法案
は国民に理解されていると思うか」の項目がやたらと目につく。目障
りと言うか、違和感ばかりが先に立つ。集団的自衛権の行使は殆どの
憲法学者も憲法違反であると言い切っている。その憲法違反の集団的
自衛権の行使を目的にした「戦争法案」が違憲であることは明白であ
る。しかるに、日本の多くのマスメディアがなぜその明白な憲法違反
の「戦争法案」の理解云々を問題にすること自体が理解に苦しむ。
質問自体が最初から「集団的自衛権の行使が合法」を前提にした質問
でしかなく、論理矛盾も甚だしい思考停止の発想ではないのか。
 最初から、存在もすべきではない、憲法違反の「戦争法案」を国会
で百何十時間も費やして論議してきたのだから、野党の国会議員のレ
ベルも相当なものである。今の多弱野党の自らのレベルを国民にさら
け出したようなものでしかない。
 「町内会でこぞって戸締りすれば安全」とか、「麻生さんが殴られ
たら、私安倍も麻生さんと一緒に喧嘩をするのが筋」とか、一国の安
全保障とガキの喧嘩をイッショクタンにするレベルの話などお笑い草
でしかない。
こんなどうしようもないたとえ話をいくら聞かされても、もともと理
屈に合わない非合法な法案なんぞ理解などできるはずもないし、国会
での論戦の価値などあろうはずはない。対案を出さない野党を批判す
る論調の多いマスメディアだが憲法違反の戦争法案の対案を出せとい
う方がよっぽどおかしい。野党はあくまでも、集団的自衛権とそれを
可能にする戦争法案を違憲として論陣を張るべきである。
国会での野党議員の質問を聞いていても時間に追われて、自分の用意
した質問項目を形式的に消化・質問しているようにしか思えない。
自身の用意した質問ノルマなどどうでもいい、一個でもいいから時間
の限りポイントを絞り徹底論戦をすべきである。
 参院議員での審議が始まるが、野党は戦争法案の内容の論議より原
点に立ち返り、違憲か合憲かの原則論で臨むべきでなないのか。
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「初心忘るべからず」…日本人の心を

2015-07-27 09:38:47 | 日記
  「初心忘るべからず」
 世界の東芝が「不適正会計問題?」で揺れている。3名の歴代社長
が辞任するという事態にまで発展している。
 海の向こうではサムスンやLG電子、ポスコ等の韓国の誇るグロー
バル企業が軒並み減収で苦しんでいる。
円安、ウオン高、中国経済の減速、MERSなどの外的要因が経営環
境を圧迫していることが直接の要因だが、裏を返せば財閥偏重のグロ
ーバル資本に頼りすぎ国民をなおざりにした韓国経済の体質にこそ根
本的な問題はある。
 韓国の輸出依存度は44%強(日本11%強)もあり、日本と比べても
過度の輸出依存度の高さと言える。学生の四人に一人がサムスンへの
就職を希望し、グループ企業の全GDPは韓国経済の20%を占め、証
券時価が15%も占める、サムスンの売上減は韓国経済に深刻な影響を
及ぼす歪な経済構造となっている。
 韓国は経済発展を急ぐあまり、伝統的な「ぱりぱり文化(早く、早く
先を急ぐ)」に基づく短期利益の追求を経済発展の基幹に据えたきた。
その効率をよくするために一部の財閥大企業のみをを国家的に優遇し
てきた。
成功の二つの条件は①求心力を持ったオーナーのトップダウンによる
スピーディーな意思決定、②収益重視の新商品開発システムの構築で
ある。その為に日本など先進国の商品を徹底研究し、コストダウンを
最優先し素材などにおいても、より良い品質よりも輸出先の現地の市
場レベルに合わせるなど徹底してオーバースペック(過剰性能抑制)
を実施してきた。
もちろん基礎研究等の先行投資も二の次三の次にしかならないので、
自らが新しい商品を作り出す「基礎技術」が育たないなど、グローバ
ル資本の常道ともいえる、当期利益のみを重視する典型的な新自由主
義的な経営手法である。
 更に始末に負えないのは、このような新自由主義的な経営手法は大
多数の自国民の経済的な豊かさを歓迎しない、即ち国民の貧困を容認
するのである。サムスン等の極端に寡占態勢にあるグローバル資本は
韓国の国内経済を市場とは見てないのである。ただ単なるコスト削減
のための労働力の供給地としか見てないので、国民は悲惨である。
大多数の国民が貧しいほうがより低コストの労働力を調達できるから
である。 
 昨今の韓国経済の衰退は、韓国の財閥寡占のグローバル経済が徹底
したショートターミズム(近視眼的)による、市場原理重視の経済シ
ステムであることの査証でしかない。
 サムスンの経営トップ、イ、ユンヒは徹底したトップダウンと信賞
必罰と成果主義で40万人の授業員を抱えるグローバル企業を育て上げ
たが、焼き畑農業的なグローバル資本主義はもう限界なのだろう。
世界にも国内にも焼き尽くす畑はもうないのだから。
 同じグローバル企業のトヨタの例である。三代ぶりに同族経営者と
してトップに立った、豊田章男社長の経営哲学を見てみよう。彼の口
癖は「現場はもっと自由にやっていい、その代りその責任は全て俺が
取る」。そして彼は数値目標を口に出したことがないという。「もっ
といい車を作ろう」と言いづづけ、その「いい車」の内容も自らは明
言せず、個人に考えを出させたという。
彼の組織哲学は「人を責めずに組織を責める」だそうだ。人を変える
のではなく、「仕組みをカイゼン」することだという。
あれだけの大企業で個々を活かすトップの度量がいまトヨタをいい方
向へ向かわせている。勤勉実直、末端の工員までが、ノウハウを積み
上げ熟練を目指す「道を追求する文化」。そして何よりも大切な他者
をおもんばかり、利他を重んじる日本文化の中でこそ活かされる経営
手法なのかもしれない。
 かっての日本企業は殆どがこの日本的精神土壌で発展を遂げてきた。
即ち、企業が社会の公器として、本来の企業利益を上げ尚且つ、社会
の中で働く者の立場を尊重し資本主義の企業社会で棲み分けてきた。
しかし、この2~30年を振り返るとこの日本の善き企業風土も米国中
心のグローバルズムの悪しき精神風土に毒されてきた。
 1989年にベルリン壁が崩壊し、1991年ソビエト連邦の崩壊で冷戦構
造が解消すると以後は一気に新自由主義の暴走が始まった。労働力が
完全に利潤の為の単なるコスト化、商品化され、尚且つ派遣会社によ
るピンハネが合法化されるなど、マルクスも驚く搾取と非搾取の関係
が復活したのである。
働くものと経営者の間の棲み分け的発想が破壊され、格差と貧困の蔓
延する社会が全世界に拡散された。
 殆どの動物たちは、この狭い地球上でそれぞれが棲み分けること
で共生している。欲得だらけの市場原理を至上とする新自由主義の手
法は一企業レベルでも国家レベルでも地球レベルでももう限界にきて
いるのだろう。
棲み分けによる共存、共生こそ人類の生き残る道はない。特に農耕民
族として八百万の神を信仰し、他人や自然を含めた「他者を思いやる
心」を持つ日本人には一神教的な排他的、覇権的社会・政治思想は似
合わない。強者がルールになるような弱肉強食的な競争社会から国民
が真に豊かになり、ひいては企業や国家が栄える共生社会へのリター
ンを目指すべきであろう。
 日本にも世界にもカルロス・ゴーンがいてもいいが、彼らがこの人
間社会の王道を歩む存在とも思えない。京セラの創始者稲盛さんは常
に「私心なかりしか、動機善なりや」と自分に問うてきたという。
しかし、昨今の日本の経営者・政治家に正面から「私心なかりしか、
動機善なりや」と言える人はかなり少なくなったように思う。
「人と、地球の明日のために」企業がなすべきことは「初心忘るべ
からず」なのだろか。
 
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「若者の怒りと主婦の蜂起やまずー安倍政権に鉄槌が下る」

2015-07-23 10:11:18 | 日記
  「若者の怒りと主婦の蜂起やまずー安倍政権に鉄槌が下る」
 このタイトルは7月22日の日刊ゲンダイのネット記事のタイトルであ
る。
 これまで、安倍内閣の我儘やりたい放題を見過ごしてきた、国民が
さすがにしびれを切らし怒り始めたのである。安倍内閣の信じがたい
独裁政治をここまで増長させた最大の原因は民主党と多弱野党の政治
家と安倍友マスメディアの存在である。
政治家養成予備校出身のおよそ政治理念も倫理観もない素人政治屋の
政党が政権の座につき、結果国民の政治不信を決定的なものにしたの
である。そんな中で平和ボケした中央の大手マスメディアはいつの間
にか、安易に情報が得られる「安倍友マスメディア」として政権の広
報機関的存在になり下がり、結果安倍自・公政権の独裁をサポートし
てきた。
批判はいつも「民主党にやらせるよりはまだまし」と反知性的な二者
択一的な多弱野党批判のみに終始し、政権批判の役割も未来社会への
提言を模索する姿勢の欠片も見られぬ、既得権益を死守する只の大規
模広報機関になってしまった。
 昨年の閣議での憲法解釈の変更の時点でも、今回の三名の憲法学者
の「憲法違反指摘」にもほぼ型通りの同調、この危機感のなさはその
査証でしかない。
 安倍首相は16日の戦争法案の衆院通過後の連休前、「三連休を挟め
ば、国民は忘れる」と語ったと言う。法案成立後「国民の十分な理解
は得られてない」と言いながらの強行採決といい、安倍総理が如何に
国民を小ばかにしているかがよくわかる。
 政治評論家の森田氏は平気で閣議決定を憲法に優先させる安倍内閣
を「民主主義を蹂躪した最悪の首相」と弾劾し、このような内閣によ
る憲法の解釈変更は立憲主義を無視し憲法を機能不全にする「憲法破
壊のクーデター」に等しく、民主主義の終焉、脱法国家、ファシズム
国家へ道を開くものと厳しく批判している。
 政界では内閣崩壊の兆候は支持率30%割れ、もしくは不支持率50%
超えが分水嶺だといわれる。
その支持率を見ると毎日42%→35%、ANA43、2%→36、1%、共
同47、4%→37、7%、朝日37%、FNN39、3、6%、不支持率も毎日
51%、ANA47%、共同51、6%、朝日46%、FNN52、6%と支持率
が分水嶺の30%台に来ている。不支持率はもうすでに50%を超えて
いる数字も目立つ。
 安倍総理が心の拠り所にしていた自身のフェイスブックにも「頭が
おかしい」「低学歴カス」などの痛烈な書き込みが出始めているよう
である。
 世論の潮目がはっきり変わりだしたのは16日の戦争法案の強行採決
である。この強行採決前に違憲判断を下した憲法学者の小林節慶大名
誉教授は「強行採決すれば参院選はつまずく、いやつまずかせる。
違憲訴訟も準備している」と語り、憲法学者としての毅然とした姿勢
を国民に示した。
これを受けて各界から自然発生的に賛同の声が沸き起こる。強行採決
の前夜16日には国会前に子連れの主婦や制服の高校生や学生、若者や
サラリーマン等が個々人の意志で集まった。それぞれが直感的に戦争
への不安を感じ、自らの意思表示を始めたのである。
「三連休を挟めば国民は忘れる」とタカをくくった安倍総理の読みは
あっけなく外れたのである。
 21日に国会前や地方のあちこちで「戦争法案反対」の集会やデモが
行われた。23日国会前で「戦争をさせない1000人集会」、24,25日の
国会前での大規模デモ、28日日比谷野外音楽堂での集会とデモ、31日
学生団体(SEALDS)と安保法案に反対する学者の会の国会前集
会などに普通の学生や若者、子供連れの主婦が自主的に参加したので
ある。
ここが70年安保闘争時の市民運動との決定的な違いだといわれる。
 朝日新聞の声の欄に掲載された印象的な声が紹介されている。「私
は法案成立を止められるからデモに行くのではない。止めなければな
らないからデモに行く。無駄かどうかは結果論だ。」「この国が自由
を失った時、私はその当事者だからだ」19歳のアルバイト生。
「若かった我々が、生まれ変わってデモ隊となって立ち並んでいるよ
うに感じた。学生さんたちに心から感謝する。今のあなたたちのよう
にこそ、我々は生きていたかったのだ」元予科練出身の京都の86歳の
男性。
 このような投書や学生や主婦や若者の運動がネットで拡散され、戦
争法案反対の世論が沸騰している。これは従来のマスメディアを介し
た市民運動ともかなり様相が違う気がする。国民の反対、不支持・不
安を全く無視する、あまりにも理不尽、我がまま勝手、全く聞く耳を
持たぬ安倍自・公政権はファシスト政権でしかない。
 裸の王様安倍内閣に「物申す」この世論はもう消し去ることはでき
ない。7.16は安倍内閣の終わりの始まりになる。
「民主党や既存野党がだらしないから現行の自公政権を選ぶ」という
発想は著しく反知性的な思考停止的発想でしかない。
 19歳の若者が言うように「我々国民は皆当事者なのだから」、自分
の頭で考え、自らの感性で感じ一人々がもっと声をあげるべきではな
いか。





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