ゆとろぎへの道 仲村峯夫 一隅を照らす素晴らしきかな人生 照らさずとも好し また素晴らしきかなこの人生(とき)

日々、つれづれなるままに、心のおもむくままに、趣味的ハルサーの想いを…
自分探しの旅は 違う景色の見える道

最近のお気に入り、「人生は死ぬまでの暇つぶし」

2023-09-01 11:01:15 | 日記

      最近のお気に入り、「人生は死ぬまでの暇つぶし,気晴らし」
「人生は死ぬまでの暇つぶし・気晴らし」、人間を弱い「一本の葦」に例えたパスカルの言葉である。
私は最近この言葉がいたく気に入っている。
理由など深く考えたことは無い、多分私もそこそ年を取ってきたせいなのだろうと思っている。
 「命を一日あるいは幾年延ばしても永遠にその先には死がある」とルクレティウスが言うように、
医療や生命科学が如何に発達しようが、この現実からは誰も逃れられない。
そして、「恐らくすべての芸術や精神活動の根本は死に対する恐怖である」とヘッセは言い切る。
 このような「人間の宿命の儚さ」や人間が真理や正義を渇望しつつもそれを実現できない惨めさ
や倦怠に耐える方法が、か弱きながらも「考える葦」的生き方なのかも知れない。
「人間は他の動植物と同様自然発生した生物でしかない、生物は偶発的にできた遺伝子の情報を
残す手段でしかない。つまり人間が生きている意味などない。
 人間は何かに熱中するのは、やがて訪れる死の恐怖から目をそらし、死を忘れるためである。
好きなこと、楽しいことで暇つぶし(気晴らし)ができればいいのです。
自分が楽しい好きだと思える仕事をするのが一番いいのです。」
この様なパスカルの死生観の凝縮が「人生は死ぬまでの暇つぶし,気晴らし」なのだろう。
39年という短い生涯の中で、「人生は暇潰し」というとてつもない境地にたどり着いたパスカルはやはり
歴史に残る偉人なのだろうと思う。
 この様なパスカルの思想を受け、深澤七郎はさらに続ける。
「人生は生きている間のひまつぶし」
「ただぼっと生まれてきたのだから ぼっと生きていればいいのです」
「女は男を楽しみ 男は女を楽しむ これが重大なのです」
「生きるのではなく、生きているのです、ただわけもなく生きているのが人間」
「つまらないことを考えないで刹那主義でいいのです。

人間は欲が深く、汚く、食いしん坊
で、スケベーです。コッケイ以外人間の美しさは無いと思います。」
と言い放ち、「人生は暇つぶし」の具体的な考え方、なり生き方を提示している。
 「死の恐怖がすべての精神活動の根源」ならば、人類の生理的な側面の根源になるのが「食と睡眠と性」で
ある。
「人生の大事は生きること、人生の小事も生きること」は人生のスタートである。
さらに、人生を楽しく生きる方法は「やらなきゃならないことは、好きになるしかない」と、元東大の解剖学教授
養老孟司先生は言っている。
勝手な思い込みで「馬鹿な壁」を作らず、必要なことは「好きになれ」という。
これこそ、幸せになる究極の方法なのだろうと思う。











 


 

コメント
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