ネット開けば、毎日のように清和会(阿部派)を中心にした自民党と旧統一教会の関連記事が目に付く。
統一教会を日本に導いた岸元首相の時代から、現代までの関係は驚くほど連綿と引き継がれている実態が表面化する。
にわかには信じがたいのだが、国会議員の秘書(私設・公設)として、国会で働いている現役信者もいるという。
当然それは有力国会議員の推薦という。
更に信じがたいのは、準会員を自ら告白した議員もいるが関係疑惑が取りざたされている国会議員の中には、
大臣や議長経験者もいるという。
もはや驚きを通り越して、政治家と旧統一教会の闇の深さに愕然とするしかない。
旧統一教会と政界の繋がりは、長い歴史の中で実に根深く連綿と引き継がれその様はまさにストレス癒着といえる
様相が常態化している。
末恐ろしささえ感じられる。
「法律はクモの巣と同じ」など例えがある。
弱い虫はひっかかるが、強い虫はクモの巣を破り逃れる、の例えである。
オウム真理教が潰されたが、旧統一教会には法制を含め社会規制の兆すら見えないのは何なのだろうとも思うのだが。
このような明らかに反社会的な宗教団体との癒着が疑われる、流れのまま前政権譲りの悪名高い閣議決定だけでの
国葬決定は本来の政治の在り方どころか、岸田内閣の存続にさえも影を落としかねない。
歴代大統領は全て国葬が原則の米国でさえ、ウオーターゲット疑惑のニクソン大統領は国葬ができなかった。
新自由主義の経済政策を掲げヨーロッパ経済をリードしたあの鉄の女、サッチャアー首相さえも、かのチャーチル首
相以来の国葬には該当していない。
過去20~30年の日本の政治・経済の現状・実態、国会運営や政治手法など問題が多すぎる。
更には法的な根拠もなく、またいろいろな意味で国民の大多数が納得する議論もなしに閣議決定という「打ち出の小槌」
は振るうべきでなないと思う。
個人的怨念による事件を、ことさら拡大解釈しイデオロギーや民主主義、果ては正義というなんの関係もない大儀に置
き換え、ことの本質を矮小化、曖昧化することはまさに、政治の私物化であり、事件の政治利用そのものでしかない。
今となっては、もはや「モリ、カケ、サクラ問題」の解明は難しいのだろうが、今後のためにも今回の山上事件の背景、
政治と旧統一教会の関係を明らかにしたうえで、法制を含めて今後の具体策を早急に検討すべきであろう。