ゆとろぎへの道 仲村峯夫 一隅を照らす素晴らしきかな人生 照らさずとも好し また素晴らしきかなこの人生(とき)

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自分探しの旅は 違う景色の見える道

Withコロナの時代

2020-06-03 10:15:23 | 日記
  Withコロナの時代
 人類は新型コロナウイルスとの共生の時代を迎えたようである。
言い方を変えれば、自らが未知のコロナウイルスと共に生きる道を選択したのである。
 先日小池東京都知事の「Withコロナ」宣言に、テレビの某有名女性キャスターが明らかに不快感をあらわにしていた。
コロナは「好ましい対象なんかではないのに、Withなどと肯定的な発言は不適切な発言ではないか」との言い分のように聞こえた。
日ごろキレのいいコメントを聞き慣れていたので、それなりの違和感を感じつつも今回のコロナ旋風の凄まじい風圧を再認識させられた気もした。
 話を元に戻すと、コロナが人類の日常生活にとって好ましい存在ではないことは、だれ一人として異存はないだろう。
しかし、今回の新型ウイルスの登場は今世紀の人類の歴史上での必然的な出来事ような気がする。
 1960年代から加速しだした、新自由主義の行動原理は富の集積のための自由競争であり、その自由競争市場の拡大路線がいわゆるグローバリズムである。
殆どの企業が、やみくもに目先の効率化と生産性偏重のグローバルスタンダードに足並みを揃えた。
国際競争力を大義名分に全てのグローバル企業は利潤追求のためだけの生産性の向上と効率化の推進のみを追求してきた。
全ての価値基準は「企業が儲かるか、儲からないか」のみに集約される。
対費用効果=利潤の等式で判断される、自由競争至上主義社会では、地球環境の破壊も地球資源の浪費も関係ない。
教育や医療・介護などの福祉、芸術、文化関連やその他の社会インフラはもちろん、国民の最低限の生活権や人権維持のための経費さえも全ては削減すべき生産コストになってしまう。
必然的な結果が、無節操な森林伐採や乱開発、大気汚染、海洋汚染、地球温暖化などに派生する異常気象や各地で頻発する集中豪雨被害などの自然災害等である。
世界的な経済格差や貧困から派生する様々な問題も全ては、政治の無策いや、犯罪的とも思える失政の問題ではないのだろうか。
 「文化や文明は進化によって完成し、進化によって滅びる」という先達の言葉もある。
社会のシステムや価値観さえも市場原理に包摂させてしまった、新自由主義社会の
帰結が今回の新型コロナ渦の大元のような気がする。
これまでも人類の進化は、結果地球環境や生物の多様性の維持にマイナスの影響を与えてきた。
希少種の減少や絶滅などの負の側面もあるが、人間の進化はウィルスや細菌などの進化にも直接の係わりがあるのだという。
過去にパンデミックを起こした、ペスト、コレラ、天然痘、デング熱、エイズなども全ては地球の生態系の変化の中で人間の生活圏に出現して来たものだという。
今回の新型コロナも人類の進化に伴う、生活圏の拡大により人類にかかわりを持ったり、またはそれ自体が進化したりするんだという。
人類の歴史は高々20万年で、微生物はなんと40億年もの歴史があるという。
人間の手や腔口内や腸内には無数の常在菌が存在しているが、特に腸内に存在する100兆個もの「腸内フローラ」は人間の生存に欠かせない存在といわれる。
人間は無菌状態では通常の生存さえできないし、ウイルスの介在なくしては胎児の存在すらままならないともいわれる。
ウイルスは宿主の人間を攻撃もするが、長期的には自らが生きのび進化するために奇妙なバランスの中で共生関係を築き、基本的に宿主の全滅はウイルスの本意ではないともう。
人間もまた、ウイルスや細菌の存在なしには生きていけないのである。
病原菌と宿主は長い年月をかけてお互いが共生しつつ進化し続けるしかないようである。
新型コロナウイルスの治療薬や、予防のためのワクチンが開発されるまでの後1~2年、もしくは人類が新型コロナの免疫を獲得するまでの間、人類はコロナとの苦しい戦いを強いられる。
新型コロナの感染パターンは、接触ないしは空気感染である。
コロナウイルスに限らず、日常生活でできる細菌やウィルスの一番有効な感染予防対策は「まめな手洗い」であり、マスクの着用や抱擁などの過度なスキンシップの自制が有効といわれる。
併せて、生活空間の使い分けも感染対策としては重要な要素になりうるだろう。
自宅と自宅以外の空間を共用するような西洋流の履物文化は感染予防上は致命的な弱点になるのは火を見るよりも明らかであろう。
日常環境としては自然換気が直接的な感染予防のみならず、人間と微生物の良好な共生環境(生物多様性維持の観点)の維持に不可欠といわれる。withコロナの時代は、必然的にこれまでの「三密文化」の見直しが必要になるだろう。
これまでの価値観が見直され、ビジネスのスタイルから日常の生活パターンまで新たな生活様式の在り方を模索する時代といえるのかもしれない。それは現在の一極集中、効率偏重の大都市万能社会の見直しにもなるのだろう。
「今だけ、カネだけ、自分だけ」の超利己的な分断社会から、ゆとりとくつろぎ(ゆとろぎ)重視の価値観への模索の時代になるのかもしれない。いろいろな面でゆとりが見直される時代、地方にも目が向く時代になるのだろうか。
いずれにしても、個々の生き方や価値観は勿論、現在の政治や経済の在り方は根底から見直されることになるのだろう。
現代の所謂「過密、三密」に象徴される空間や価値観などの一極集中パターンの文化はそれなりに見直しが迫られることになる。
 いずれにしても、好むと好まざるにかかわらず、コロナとの共生、「With ウイルス」は人類の宿命のようである。
コメント
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